2018年3月30日(金)
『易経』岩波文庫版で上下2冊、視線を検索モードに切り替えてページをめくること30分余、「見つけた!」と大声あげた。
「神農氏没して黄帝堯舜氏作(おこ)る。その変を通じ、民をして倦まざらしめ、神にしてこれを化し、民をしてこれを宜しくせしむ。易は窮まれば変じ、変ずれば通じ、通じれば久し。ここをもって天よりこれを祐(たす)け、吉にして利しからざるなきなり。」(周易繋辞下伝 文庫下巻 P.254)
「窮即変、変即通」までが既に聞いていたところ、これに「通即久」と続き、かつ全体の主語が「易」である。そういう意味なの、何と姑息な切り取りをやっていたことか・・・
やや戻って下記、
「九五。大人虎変。未占有孚。象曰、大人虎変、其文炳也。
上六。君子豹変。小人革面。征凶。居貞吉。象曰、君子豹変、其文蔚也。小人革面、順以従君也。」
(周易下経 革卦 文庫下巻 P.120)
「君子豹変」と対を為して「大人虎変」とも言うらしい。まるで判じ物だが、ありがたいことに解説がついている。
・・・大人虎変すというのは、その毛の文様がさらに炳(あきら)かに輝くことである。上六は柔順居正、革命成就の秋であるから、その事業に参与した君子 ー 有位有徳の士人の功業は、豹の毛が秋になって美しく変わるように輝かしい。また無位無徳の小人ならば面持ちを革めて、新しい君主のなすところに随従すべきである。ただし革命の事業は重大なことであるから、さらにそれをおしすすめてしばしば民生を疲労させるようなことは凶である。じっとしてその成果を享受していれば、貞正で吉である。
・・・君子豹変すというのは、その毛の文様が蔚然として美しくなるということである。小人面を革むというのは、柔順に新しい君に従うことである。
これが本来の意味だとすれば、むしろありがたくない。そもそも、根本から変わるの変わらないのというのは、誰がどこで持ち込んだ注釈か。豹の文様の恐ろしくも美しい輝きばかりが印象強く、易の正体と故事の由来は竹林の虎斑のように迷彩に紛れるばかりだ。めまいがしてくる。
???
とはいえ思わぬ余得あり。こんなのを見つけた。
「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり。臣にしてその君を弑し、子にしてその父を弑するは、一朝一夕の故にあらず。その由って来たるところのもの漸なり。これを弁じて早く弁ぜざるに由るなり。易に曰く、霜を履んで堅氷至ると。蓋し順なるを言えるなり。」(周易上経 坤卦 文庫上巻 P. 103)
「積善の家に余計あり」
家族一同の無事健康を先代の遺徳に帰するにあたり、父がこの言葉を引いたことがある。ということは … ☎☎☎
「出典がわかった?『易経』?ほう、そうか」
「お父さんはどこで習ったんですか?旧制中学、それとも幼年学校?」
「ありゃ、女中部屋じゃ」
「女中部屋!?」
「うん、うちの女中部屋の壁に書いてあった。おおかた峰三郎じいさんの趣味かもしれん。」
戦前の素封家の例に漏れず、我が家にも女中がおり、その居室があった。多芸多才の曾祖父が達筆を振るい、跡取りの父が幼年期に見覚えたものらしい。積善は我が為ならず、未来世代に余慶を願う也。これ、治家治世の要諦か。
Ω