散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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「軸」の不在

2015-10-30 07:54:33 | 日記

2015年10月30日

【Y先生より来信】

 ブログへのコメントは、ブログの中に書き込むのが礼儀だと存じますが、その勇気がないので、メールで失礼します。

 philo-sophia …… 

 私がethics という言葉で考えてきましたことと重なるでしょうか。

 あまり大きいことなので進展しないのですが、小さな切り込みだけでもとずっと考えているテーマです。

 

【お返事】

 メールをありがとうございます。

 詳しく伺いもせず無責任なようですが、たぶん非常に近いことだと思います。と申しますか、普通に考えれば ethics の方が正鵠に当たるものではないでしょうか。

 ことさらphilosophia に言及してみたのは、本来の哲学が「諸学の学」として要の位置にあり、哲学上の進歩に連動してあらゆる学問が進展するということが、理想形として考えられるからです。既に過去のものなのかもしれませんが、それが過去のものになった後の欠落を、私どもは見ているのではないでしょうか。

 医療・教育・福祉・政治、すべてを貫く軸のようなものがあれば、それを鍛え洗練することで全体が改善されるはずです。今は逆に、軸が欠落ないしすっかり腐食しているので、同型の問題があらゆる領域で出てくるのではないかと考えました。

 現実は文系不要・教養無用が公然と叫ばれるありさまですから、倫理も哲学も軸として見直されるどころか絶滅危惧種、風前の灯火でありますけれども。

 大事なことについて、思いつきでイイカゲンに書いているようです。どうぞ御叱正をお願い致します。

石丸昌彦 拝

***

 philosophia だの「諸学の学」だのというと、例によっての輸入話・翻訳話のように聞こえるが、相似形の歴史的な運動が当方にもあったと考えるから、こんなふうに言挙げするのである。「人倫の基」とでもいうべき「諸学の学」はこちらにもちゃんとあり、嘗てそれをいびつな形で強制した国家が、今は率先してそれを解体しようとしている。

 強固な軸を押しつけるよりも、軸などない方が管理しやすいと、誰かが学んだのであろう。

 

 

 


テレビ出演案内

2015-10-29 06:54:20 | 日記

2015年10月29日(木)

 「藤原さんなら東洋チャンピオンだし、星さんは日本チャンピオン、佐瀬さんだってチャンピオンにはなれなかったけれど、世界の何位かまで登った強いボクサーだ。そういう人たちなら、幽霊の一人や二人出るような家でも大丈夫ではないだろうか……」

 それを聞いて、広岡が含み笑いをしながら訊ねた。

 「幽霊が、出るんですか?」

 「いや、出ません、出ません、たとえばの話ですよ」

 進藤が慌てて否定した。

(『春に散る』 206)

*****

 事故物件に、幽霊は出ない。TVに、石丸が出る。

 親愛なるブログ読者の皆さんへ、急ぎの御案内です。今般放送大学の広報番組『大学の窓』で紹介してもらえることになりました。「私の研究」のコーナーですが、「研究」というより「人物」紹介ですね。

 幼少時の写真から大学の卒業アルバムまであれこれ供出しましたけれども、プロは上手に切り貼りするものです。自分じゃないみたいですよ、ほんとに。

 

【放送日時】

10月29日(木)、31日(土)、11月2日(月)、11月4日(水)

12:45~、19:45~、23:00~

 

 なお、今学期の科目については、下記に出講しています。あわせて御案内させていただきます。

【TV】

 『今日のメンタルヘルス』 月曜 22:15~ 第1,10,11,12,13,14回に出講

【ラヂヲ】

 『死生学入門』 金曜 17:30~ 第2,3回に出講

 『精神医学特論』 火曜 20:45~ 第1,4,5,6,7,8,10,11,12,13,14,15回に出講

 

 以上、どうぞよろしく御視聴ください。御叱正をお待ちしています。


誅斬賊盜 捕獲叛亡 ~ 千字文 114

2015-10-27 07:39:38 | 日記

2015年10月27日(火)

 誅斬賊盜 捕獲叛亡

 見るからにものものしいが、趣旨は明瞭。亡は「逃亡」の亡で、叛亡は叛いて逃げるの意。

 李注:「賊・盗・叛・亡は、すべてその罪を赦すことができないものである。それゆえ、人を害したり物を盗んだりするものは、必ずその罪を責めて死刑にし、叛いたり逃亡したりするものは必ず捕える。悪を懲らし、善を勧めるためである。」

 おっしゃるとおり、これ人倫の然らしむるところにして、社会の基に違いないのだが、しかしこう冤罪が多くては・・・

 大阪の女児焼死事件、20年ぶりに「母親と当時の内縁の夫」が釈放された件、仮に新聞報道が過不足なく事実を伝えているとするなら、悲惨に過ぎる。警察も検察も裁判所も、すべきことをしておらず、すべきでないことをしている。

 冤罪はどこの国にもあることだろうが、この件などは僕ら日本人に、何か大事なところで欠落があるのではないかということを考えさせる。組織人として行動する際の根本的な構えとでもいうもので、その欠落が法の運用を歪め、医療を歪め、教育を歪め、政治を歪めているというような。

 本来の意味での、哲学。

 哲学?

 philo-sophia なのかな、どうだろう。

*****

 そうか、うっかりしていた。冤罪に対する危機感と警戒心を今この時こんなに強く覚えるについては、最近のもうひとつのニュースが関係していたのだ。

 こちらは再審の行方とか新聞報道の煽り方とか、一切関係ない。最初に告発した「被害者」が、「あれはウソでした」と告白したというんだから。

 ウソを見抜く材料は、今から考えれば掃いて捨てるほどあった。公権力を託された人々が、誰も彼もすべきことをせず、すべきでないことをしたのである。

 もちろん、他領域の人々を指弾して事足れりとは考えまい。とりわけ、冤罪と判明して釈放されたこの男性が、元の職場や近隣で現に経験していることは、僕らの領域の問題とぴったり重なる。

 Paradigms Lost、スティグマの問題である。

*****

【朝日新聞デジタル 2015年10月15日 より】

■■ 強姦一転無罪へ、なぜ私は冤罪に 72歳が国を提訴へ

 10代女性への強姦(ごうかん)罪などで服役中に被害証言はうそと判明し、裁判のやり直しになった大阪府内の男性(72)が冤罪(えんざい)を見逃した責任は警察と検察、裁判所にあるとして、国と府に賠償を求める訴えを近く大阪地裁に起こす。逮捕から7年、男性は16日の再審判決でようやく無罪になる見通しだ。しかし、刑事司法のどこにどんな誤りがあったのかを正さなければ、この事件は終われないと思い定める。

■ 強姦事件の再審始まる 検察側が無罪主張 大阪地裁

 男性は2004年と08年、当時10代の女性に自宅で性的暴行を加えたとする強制わいせつ1件と強姦2件の罪に問われた。09年の大阪地裁判決で「醜悪極まりなく、齢(よわい)六十を超えた者の振る舞いとも思えぬ所業」とされ、懲役12年に。最高裁が11年に上告を退けて確定し、服役した。

 だが昨年9月、弁護人が女性から「被害はうそ」と告白を受けて再審請求。大阪地検は当時の診療記録に「性的被害の痕跡はない」と書かれていたのを確認し、11月に男性を釈放した。今年8月に地裁で始まった再審公判で、検察側は「虚偽を見抜けず服役を余儀なくさせた」と謝罪し、自ら無罪判決を求めた。

  男性は今回起こす国家賠償請求訴訟で、自宅に第三者がいる状況で被害を受けたとする女性の証言の不自然さや、自身の疾病で性行為は難しいといった説明が捜査段階の取り調べで考慮されなかったと主張する。

  さらに公判段階でも、冤罪を裏付ける証拠となった診療記録の取り寄せを弁護人が控訴後に求めたのに、検察は安易に「存在しない」と回答したと指摘。二審・大阪高裁も、当時の受診状況を確認するために求めた女性と母親への証人尋問を認めず、一審の一方的な判断を漫然と支持したと批判。予断を持たずに捜査と審理を尽くしていれば、冤罪は防げたと訴える。

  弁護人の後藤貞人(さだと)弁護士は「性犯罪の被害者の証言を疑えということではない。真実を見抜く力など誰にもないからこそ、無実の訴えがあれば、できる限り調べるのが捜査機関や裁判所の務めだ」と指摘。「なぜ、それが尽くされなかったのか。訴訟で問題点を探り出し、冤罪防止につなげたい」と話す。

■ 「刑事も検事も取り合ってくれなかった」

 男性は今月1日、朝日新聞の単独インタビューに初めて応じ、提訴を決めた心境を語った。

 「無実の人間にどれだけの被害を与えたか。警察官、検察官、そして裁判官にもわかってほしい」

  08年9月、大阪府警の刑事ら3人が突然、自宅にやって来た。その場で逮捕されて警察署へ。10代女性への性的暴行の容疑がかけられていると初めて知った。「まったく理解できなかった」

  警察の取り調べに否認を続けた。男性刑事の言葉は「やったやろ」「覚えてないなら教えたるわ」と次第に荒っぽくなったという。検察の取り調べでは、被害証言の矛盾を訴えた。しかし、女性検事は「絶対許さない」と一切取り合ってくれなかったという。

  無罪主張は三審に及ぶ裁判でも退けられ、服役を余儀なくされた。月1回、大阪から大分刑務所(大分市)へ面会に来てくれる妻だけが心の支えだった。

  懲役12年。その途中、6年2カ月の不当な拘束を経て自由の身になった後も苦しみは続いた。生涯の仕事として25年間勤めた電気設備会社に復職を求めたが、拒まれた。近所で知り合いに会っても、どこかよそよそしい空気を感じる。

  16日の再審判決で無罪が言い渡されても、その思いは晴れない。名誉は完全に回復できず、失った時間も取り戻せないからだ。「せめて国賠訴訟で冤罪の原因を突き止めたい。二度と同じような思いをする人が出ないように」と願う。(阿部峻介)

■ 強姦再審事件の経過

  2008年9月 大阪府警が10代女性の告訴を受け、男性を強制わいせつ容疑で逮捕。大阪地検は同罪で起訴

   11月 地検、同じ女性への強姦罪2件で追起訴

 09年5月 大阪地裁、懲役12年の判決

 10年7月 大阪高裁、男性側の控訴棄却判決

 11年4月 最高裁、男性側の上告棄却決定

 14年9月 男性の弁護人が女性から「被害はうそ」と告白を受け、地裁に再審請求

   11月 女性に「性的被害の痕跡なし」とする診療記録があったとして、地検が服役中の男性を釈放

 15年2月 地裁が再審開始決定

   8月 再審初公判で検察が謝罪、無罪判決求める

   10月16日 再審判決で無罪の見通し


北と南の羊の大群

2015-10-27 07:11:46 | 日記

2015年10月26日(月)

 マドリッドの中心部を2000頭の羊が行進する・・・ひょっとしてTVでも放映されたのかな、僕はインターネットで見た。もう少し早ければ、幼稚科の話に使えたのに。

 

 「スペインでは、毎年この時期、羊飼いたちが羊の草を確保するため、雪が降る北部を避けて南部の牧草地へ羊を大移動させていて、途中、首都・マドリードの中心部を通ることが恒例のイベントになっています。

 25日、ことしも羊飼いに連れられたおよそ2000頭の羊が、「シベーレスの噴水」などの観光名所があるマドリード中心部に現れました。羊たちが通り一面を埋め尽くすと、沿道に詰めかけた大勢の観光客たちが興奮した様子で一斉に写真を撮っていました。なかには、街なかの剪定された低木や道端の花などを食べ始めて、近くの人から追い払われる羊もいました。

 マドリードは、農家たちが800年以上にわたって家畜の移動に使っていたルートの上にあり、農家の伝統的な権利を示すため、こうしたイベントが行われているということです。」

(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151026/k10010282961000.html)

 インターネットの某サイトでは8,000年となっていて、案外誤記ではないのではないかと、しばらく悠久の思いにふけった。800年なら驚くほどではないね。僕らが米を作り続ける間、西班牙では羊を飼い続けていたことだろう。

 草木にちょっかい出して追い払われるのも想像できるが、それより羊の通過後の落とし物の始末が大変ではないかしらん。

***

 羊の画像をしばらく追っているうち、ふと見るとよく似た画像の出所がニュージーランドとある。言われてみれば、そちらにも当然あるわけだ。『ニュージーランドまったり生活』というのどかなサイトに行き当たり、楽しませてもらった。(http://blog.zaq.ne.jp/ginnohari/)

 

 『まったり生活』さんの記載が、羊という動物の特徴を非常に良く表している。

 「昨日はテクイテイという町に行ってきました。人口4,500人ほどの町ですが、毎年イースター後の週末に羊の毛刈りコンテストが開かれます。さらに昨日は町のメインストリートを数百頭の羊が駆け抜けました。

 歩行者に解放されたメインストリートにはさまざまな出店が並びます。お婆ちゃんが手編みの子供用セーター、ベスト、帽子、靴下などを売ってたりマオリの伝統的なバスケットや編んだお花、グリーンストーンで作ったアクセサリーなども。ジャムを売る人や色々な布で作ったバッグなど手作りの物が多いので見ていて飽きません。」

 その後である。

 「ところが臆病な羊たちは、前方に待ちかまえる人々に怯えて、先頭集団がわずかな隙間から横道へ逃亡。すると後続の羊も右へならえでメインストリートからはずれてしまいました。」

 「でも大丈夫です。牧童が口笛を短く、長くならしながら、牧羊犬を扱ってちゃんと戻しました。その手際はとても鮮やか!」

 

 羊が臆病であること、先頭集団の場当たり行動で全体が迷走すること、羊飼いがこれをコントロールできること、その手際の良さ・・・ 聖書の原イメージである。

 まもなくラグビーW杯決勝、NZ連覇なるか?

 


春に散る

2015-10-25 09:22:09 | 日記

2015年10月24日(土)

 要するにそういう年回りなのだろう。汐路中学校は数年前に「卒業40周年」を期して同窓会を開いた。その3年後は高校の「卒業40周年」になるわけで、これは満58歳にあたるから、多くの勤め人にとって60歳の定年目前でもある。子どもに手がかからなくなり、親の介護からも人によっては解放され、どれ、そろそろ集まるかという具合で。

 もっとも、同じ19期でも隣のA組は仲の良いクラスで、皆キャリア形成に忙しい時期にも定期的な集まりを怠らなかった。こちらB組は対照的に数えるほどしか集まりをもたず、このほどようやく20何年かぶりに話が動き出した。

 幹事役はA君で、諸般の事情から打ってつけの役割である。しかし、彼がエイヤと決めた11月の日曜日は、残念ながら校務出勤日で僕は出られない。そのように発信したら、折り返しA君から「クラス会とは別に一杯やらないか」と誘いがきた。その約束が21日(水)である。これより先、別の同級生H君とも、「クラス会とは別に・・・」の一席を約し、こちらは23日(金)。

 面白いのは、A君とH君は附属の小・中・高とずっと一緒で、クラブ活動も共通という竹馬の友同志、僕はそこに高校から割り込んだ形なのだ。何なら3人一緒にと提案してみたが、ちょっと面白い力動が働き、中一日はさんで二人と別々の再会が実現した。そういう次第である。

 そこで見出したこと、感じたことは、とても一言では表せない。会ってみればこれまで30年も会わずにいたのが不自然なぐらい懐かしくもあり、それぞれと旧交を温めることになるのだろうと思う。それならなぜ、こんなにお互い無沙汰を続けていたかというと・・・どうしてなんだろう?

***

 実はタイムリーというのが、朝刊の連載小説である。主人公・藤原は元プロボクサーで、若い時には大いに嘱望された。日本チャンピオンのタイトル戦で露骨な不当判定に泣かされ、渡米して雄飛を目ざしたが、ついに世界には手が届かなかった。そのまま彼の地に住み、若い頃の鍛錬をそのまま習慣化した超健康生活を続けていたのに、思いがけず心筋梗塞を患うことになる。そんな形で老いを自覚させられた時、ふともう一度日本を見たくなった。40年ぶりの帰国である。

 かつての所属ジムを訪れ、その近くにアパートを借り、それから彼がしたことは、かつての3人の僚友の消息を尋ねることだった。4人のうちの誰が世界チャンピオンになってもおかしくないと言われた麒麟児たちは今、一人が傷害事件を起こして山梨の刑務所にあり、一人が山形の郷里で周囲と絶縁した貧窮生活を送り、一人が神奈川の下町で妻の喪から立ち直れずにいる。

 この男話に花を添えるのが、不動産事務所の若い女性スタッフ佳菜子である。部屋探しや日本の生活への再適応を助けてくれた礼に、藤原は佳菜子をレストランと映画に連れて行く。どちらも佳菜子には「初めての経験だった」と聞かされ、伸びやかな外見とは違った生い立ちの影のあることが暗示されるのだが、それよりとりあえず映画である。後で佳菜子が「ときどき藤原さんが隣からいなくなった」といみじくも表現するように、彼の思いは映画そのものから離れ、予告の一場面からある企てへと迷い込んでいく。

 老音楽家たちのための共同住居がそこに描かれている。そうしたものがあるなら、老ボクサーたちの共同の住まいがあっても良いのではないか、そう藤原は考えた。この思いつきを佳菜子は手助け可能と請け合い、物語の最初では不親切に見えた不動産屋の主人も、案に相違して身を乗り出してきたのが今朝までの展開。今後が大いに楽しみだというのも、楽しみのポイントがいくつもあるからだ。共同住居の成否、元ボクサーそれぞれの運命、佳菜子の秘密、それに藤原と佳菜子の道行き等々。

 既にいくつかの名場面があって、その中のひとつは藤原たち4人の若者が、ボクシングジムの練習生に採用された経緯の回想である。希望してやって来る者があると、ジムの会長は決まってひとつの課題を出した。ヘミングウェイの短編小説を読み、その読書感想文を書いてこいというのである。感想文を踏まえて会長の面接があり、これをクリアした者が入門を許されたのだが、後になって4人がそれぞれ自分の書いたことを語り合うのが面白い。そのオチが小洒落ていて、「会長は感想文など読んでいなかったし、書かれた内容はどうでも良かった」というものだ。

 連載中の小説でもあり、ネタばらしはこの辺にしておこう。ただ何とも懐かしいのは、作家・沢木耕太郎が同じ朝日新聞に連載した『一瞬の夏』を、当時楽しみに読んでいたということである。たぶん1970年代だが、僕としては珍しく正確な時期を思い出せない。

***

 『春に散る』という題名も気になるところで、主人公が、あるいは主人公たちが散ってしまうのか、どのように散っていくのかと、心配で落ち着かない。沢木耕太郎と彼が描く人々は、僕らの一世代上にあたる。藤原が40年ぶりに帰国して日本を再発見するように、僕らも40年ぶりに再会して自分というものを再発見しつつある。僕ら自身の老いと成長と、そして散っていく道筋を、毎朝の紙面になぞるようである。