散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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身近な草花 〜 白丁花、ムシトリナデシコ、ペラペラヨメナ

2022-05-08 09:02:26 | 日記
2022年5月8日(日)

 面白くて止まらない。例によって情報は全て Wiki から。

 ハクチョウゲ(白丁花、Serissa japonica (Thunb.) Thunb., 1798; 
または Serissa foetida (L.f.) Poir. ex Lam., 1781)

 アカネ科ハクチョウゲ属。ハクチョウゲという和名の由来は、その花が丁字型の白い花を付けるところから、白い丁字花という意味で名付けられている。「白鳥花」と書かれる場合もあるが、白鳥とは関係がなく当て字である。
 原産地は東南アジア。沖縄、中国、台湾、インドシナ半島、タイに分布する。
 常緑広葉樹の小低木。樹高は0.5 - 1メートルほどで、よく枝分かれする。葉は揉むと悪臭を放つ。花期は5 - 7月頃であるが、西日本の暖地では秋の気候の良い時期にも開花することがある。(← していた!)日本では、ふつう果実は出来ない。紫色の花をつけるシチョウゲは、ハクチョウゲの近縁種。
 強い刈り込みにも良く耐え、細かい枝が容易に分岐し、病虫害にも耐性があり、生垣や庭木として利用されている。また、造園での修景用緑化灌木・盆栽・園芸などで扱われる。挿し木で繁殖させることが容易な部類に入る。刈り込み仕立てが普通だが、自然樹形仕立てにすることもある。

 → いちいち思いあたる庭の顔なじみ。ツツジと押し合いへし合いする位置に自生してしまい、どちらも伐りたくないのでいつまで経ってもおしくらまんじゅうが続いている。濃い緑を背景に白い群星を散らしたように見え、それが上述の通りかなり長期にわたって楽しめるのが良い。
 挿し木できるならやってみようかな。

ムシトリナデシコ(虫取り撫子) Silene armeria 

 ナデシコ科の越年草。ハエトリナデシコ、コマチソウ、ムシトリバナの別名がある。原産地はヨーロッパで、現在は世界の温暖な地域に広く分布する。茎の高さ30-60cmに成長する。葉は卵形あるいは広披針形で対生し、基部は茎を抱く。また葉の根元から茎が分岐する。茎上部の葉の下に粘液を分泌する部分が帯状にあり、ここに虫が付着して捕らえられることがある。
 5月から6月にかけて枝の先に紅色で直径1cmの5弁の花を多数つける。雄蕊は10本、萼は花弁と同じ紅色で長さ約15mmの筒状である。
 名称の由来は上記の粘着部で小昆虫を捕らえることであるが、捕獲された昆虫を消化吸収することはなく食虫植物ではない。花の蜜を盗むだけで、効果的な受粉に与らないアリが、茎をよじ登って花に達するのを妨げていると考えられている。
 日本では江戸時代に鑑賞用として移入されたものが各地で野生化しており、道端や空き地でも群生しているのを良く見かける。

 → 家の裏手に沿って部落の墓所へ小道が登っていく、その山側の草むらに群生していた。ヨーロッパからこの花をもたらしたのは南蛮人か紅毛人か、それとも中国経由だろうか。

ペラペラヨメナ(ぺらぺら嫁菜 Erigeron karvinskianus

 キク科・ムカシヨモギ属の植物の一種。別名「ペラペラヒメジョオン」、「メキシコヒナギク」、「ゲンペイコギク(源平小菊)」、「ムキュウギク(無休菊)」。葉が薄く、ヨメナのような花を付けることから命名された。
 中央アメリカを原産地とし、アフリカ、ヨーロッパ、アジアに移入分布する。日本では1949年に京都大学の標本庫の壁で初めて確認され、 つづいて1952年に金沢市で採集された。当初はニュージーランド原産のVittadinia trilobaとされていたが、1979年に学名が修正された。現在では本州(関東地方以南)・四国・九州に帰化している。
 日本では、「源平小菊」(花が白から赤に変色することから)、「エリゲロン」の名で市販されている。
 多年草で、草丈は20-40cm。頭状花が咲くが、花びらの色は白色から淡紅色に変色する。地表に近い葉は3-5裂し、柄がある。茎は根元で分岐するが仲間のヒメジョオンやハルジオンよりも細く、匍匐することが多い。果実は痩果で、白い毛が付いている。石垣の間などに生える。

 → 生態よりも「ペラペラヨメナ」と名付けた人のセンスに不思議まじりの敬意を表する。「源平小菊」とでは、とても同じ花の名と思えないだろう。

 ムシトリナデシコもペラペラヨメナも、そして次のものも墓所へ登る同じ小道の傍で見た。月見草もあれば待宵草もあり、バラやチャノキも自生する小植物園のような恵まれた一帯である。
 そして…


 これはちょっと調べが厄介なので項を分ける。

Ω


便利な時代 〜 オオツルボ、シラン、キスリツァ大使

2022-05-06 07:52:06 | 日記
2022年5月6日(金)

 相変わらず写真の腕が悪く、花の盛りを逸してもいるのでブログにちっとも映えないが、実際にはなかなかゴージャスな花々が自生している。そして、アヤメとカキツバタの区別もつかないトーシローに何とありがたい時代だろう、撮った写真を Google で直接検索にかけられるのだ。そんなのジョーシキ?
 おかげで朝飯前に二件解決、解説はWiki。

 オオツルボ(大蔓穂 Scilla peruviana

 原産地は地中海沿岸の南ヨーロッパ、北アフリカなど。草丈20-40cmほど。5-6月ごろ、花茎の先に径2cmぐらいの星型の小花を数十個傘状につける。花色は濃い紫が多いが、白色の物もある。
 蕾は個々の蕾が集まった楕円形をしており、下のほうより咲き始め、沢山の花が釣り鐘状になる。
 丈夫な草花のため、数年そのまま植えておいたままでも充分に花を咲かすことが出来る。また、分球により増やすことができる。

シラン(紫蘭 Bletilla striata Reichb. fil.

 ラン科シラン属の宿根草。地生ランで、日向の草原などに自生する。日本、台湾、中国原産。野生のものは準絶滅危惧種。しかし栽培品として広く普及しており、種子が飛散して栽培逸出することもあるため、野生状態のものも本来の自生個体かどうか判別は難しい。
 ラン科植物には珍しく、日向の畑土でも栽培可能なので、観賞用として庭に植えられる。極めて丈夫な植物で、半日陰から日向まで適応し、乾燥にも過湿にもよく耐え、栽培しやすい。

 母が「シラン」に言及していた記憶があるし、自生といってもどこかから入手した可能性が高いかな。

 ニュースが勝手に飛び込んでくるのも便利といえば便利だが、これは注意も要ることである。飛び込んでくるニュースを素直にとり入れる結果、多くのロシア人が自国のしていることについて大きな誤解に陥っているだろう。もっともこんなのは、いつでも他国のことはよく見えるのに、自国のことに限って見えないとしたものだ。

 ウクライナのセルギー・キスリツァ国連大使の重い言葉の中から、激しやすい自分への教訓として書き留めておく。

インタビュアー: 他のインタビューで、「スピーチする際に感情的にならないようにしている」と語っておられました。ただ、ウクライナで起きていることを考えれば、感情的にならないのは難しいことだと思います。

大使: はたから見て感情的になっているようでも、内心では極めて冷笑的で、感情を出さないようにしています。なぜならば、敵がいる場で感情的になると、エネルギーが吸い取られてしまうからです。

Ω

憲法記念日と建国記念日 〜 Kさんへの返信

2022-05-05 11:12:05 | 日記
2022年5月3日(火)

 Kさん:
 久々のご連絡、嬉しく拝見しました。返信にさっそくご指摘ありがとう。そうですね、末尾は私の誤記で、今日は建国記念日ではなく憲法記念日なのでした。
 でも、あながち無意味な間違いでもないのです。憲法は国のあり方を定める基本法であり、理屈としては国があって憲法があるのではなく、憲法にもとづいて国がつくられるのです。もちろん、その憲法を定める権威や権力 〜 憲法制定議会なり英明な君主なり 〜 が先在しているわけですからニワトリとタマゴみたいな話ですが、いずれにせよ現行の国のあり方は基本法としての憲法に規定されるわけで、そのように考えれば「憲法記念日こそ建国記念日である」という主張があったとしても、ちっともおかしくはありません。
 実際にこれに近い行き方をしているのがアメリカやフランスで、アメリカは7月4日の独立記念日、フランスは7月14日の革命記念日が事実上の建国記念日であり、それがどれほど盛大に祝われるかは貴方の方がよくご存知でしょう。アメリカの場合はあらゆる意味で若い国ですし、7月4日の意味するところも明らかですが、フランス(France)はその気になればフランク王国(Francs)まで易々と遡れる老舗ですから、1789年のできごとを国の基としているのは興味深いところです。逆にこのことからフランス人が自分の国というものをどう考えているか、知ることができるでしょう。
 そこで我が方を振り返る時、明治維新の指導者たちが討幕や新政府樹立の成った時点を「建国」の日とするのでなく、古事記・日本書紀の記す神武天皇の即位に「建国」の根拠を求めたことは、これまた深く示唆的です。私たちの国づくりの根拠は、近代的な理念や前向きの決断のうちにではなく、古来脈々と(実際には細々と)続いてきた連続性の中に求められたのでした。まさしく王政「復古」です。
 紀元節が定められたのは1873年(明治6年)でした。ちょうど『明六雑誌』創刊の年ですね。敗戦後にGHQ 指令で廃止されましたが、1966年(昭和41年)に「建国記念の日」として復活しています。書きながら気づいたのですが 〜 これが文通の良さでしょう、「文通」なんて既に死語? 〜 復活にあたって選ばれた「建国記念」というネーミングは、実によく考えたものでした。ここでも私たちの「建国」の根拠は、装いを新たに船出した今のこの国やその憲法ではなく、紀元前660年に措定される初代天皇の即位に求められたのです。
 そのことの当否を論じるつもりはありません。ただ、別の選択肢もあった中で現にそのように行われたという「事実」は、よくよく知っておく必要があります。意識すると否とにかかわらず、私たちはその延長上に敷かれた線路の上を走る電車に乗っているのですから。
 「建国記念日」を疑問視する声も、そうした声に居丈高に反発する叫びも、最近はずいぶん静かになったようですが、問題が消えてなくなったわけではありません。それどころか、グローバリゼーションと難民多発のこの時代にあって、いずれたいへんな火種になりかねない問題が依然としてそこにあります。誰も言わないようですけれど、記紀万葉とはまったく別の伝統によって何世紀も暮らしてきた挙句、150年前に突如として新生大日本帝国に一方的に編入された琉球文化圏の事情を完璧に無視しているだけでも、私には落ち着かないところがあります。
 念のために言いますが、貴方もよくご存知の通り、私自身は記紀万葉を深く愛し誇りともするクラシックな日本人です。ただ、国を営む原理をどこに求めるかは別の話であり、違う伝統を奉じてきた人々への配慮を示しつつ、そうした人々と共有できる価値を根拠とするのでなければ、一つの国の民としてまとまることはできないと思うのですよ。貴方はどうお考えですか?

 さてさてKさん、いつになく踏み込んできますね。できれば私、政治の話には触れたくないのです。こんな泡沫ブログでも、時折は通りすがりに暴力的な書き込みを放り込んでいく手合いがあり、言いがかりをつけられて不愉快な思いをすることは避けたいですから。「そんなことが起きたら、それをまたネタにすれば良いじゃないですか」ですって?勘違いしていらっしゃいますね。どう見えるか知りませんが、私そんなに神経が太くはないのですよ。
 改憲論議、わかりました、端的にいくつかお答えします。

 貴方のおっしゃる「押しつけられた憲法」という点は、確かに看過できないポイントかもしれません。かなりの数の人々がそのように感じているというだけでも、放っておくべきではないでしょう。
 これについては、いずれ行われる国民投票の際に(あるいは別にでもかまいませんが)、「改正論議を経て修正された(あるいはされなかった)条文を、あらためて私たち自身の憲法として承認するかどうか」を問う投票を行ったらどうでしょうか。実際にはいろいろと厄介な問題があり、「そもそも成立過程に反対」という票と「個別の条文について反対」という票をどう区別するのか、個別条文について意見が通らない場合に「そもそも反対」に流れる票があるのではないか等々、頭の痛いことは承知しています。とはいえそれらは技術的な問題ですよね。技術的な難しさを警戒してこうした大事な論点に触れずにいるほうが、よほど不健全ではないでしょうか。

 そして9条問題です。「自衛権明記」については特に異論ありませんが、これについては以前、内田樹氏の書いておられたことが印象に残っています。(最近あまりお名前を聞きませんが、お元気なのでしょうか?合気道にうちこんでいらっしゃるのかな?)
 氏の論の要点は、警察予備隊を経て自衛隊が創設される過程と日本国憲法の成立過程とをたどれば明瞭なように、憲法9条は自衛隊の存在を事実上の前提としており、その使い方に周到な注文をつけたものである、ということでした。「9条取説」説とでも言っておきましょうか。これがすっきり腑に落ちました。何で初めから、そのように明快に説明してくれなかったかなと恨めしい感じがしたものです。昭和30年代生まれのマジメな子どにとっては、相当悩ましい問題でしたからね。
 そういうこともあるのだから、わかりきったことでも明記しておこうというなら、それはそれで結構かなと思います。「戦力の不保持」や「交戦権の放棄」は確かに誤解のもとだったかもしれません。
 ただ、一つだけどうしても外してほしくない一文があります。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

 これです。これって要するに「プーチンのようなことは絶対にしない」と宣言してるわけでしょう。ウクライナとの間の「紛争」を解決する手段として威嚇と武力行使をフル活用しているのが、現在進行中のプーチンの戦争です。そしてこれからも、随時必要に応じて実行するというのです。これはウチは未来永劫いたしませんよと。
 「そんなこと明言しなくたってあたりまえだし、わざわざ明記してもインパクトが薄いでしょう」とは言えないことを、プーチン氏が鮮やかに示してくれました。プーチンの手法が通用するかどうか、固唾を飲んで見守っている独裁者たちがあることを思えば、これこそ今、明言するに値することで、この一文がこれまでになく輝いて見えます。
 先見の明とはよく言ったもので、この点を明言することが国際社会の基本ルールになる日がいずれは来るでしょう。私たちが目前のこの危機を乗り切ることができたならば、ですが。
 ついでながら、この文言はただ抱えているだけではなく、世界に向けて発信していくべきものです。防衛力というものの裾野が途方もなく広がっている今日の「戦争と平和」の現実の中で、こうした一文は現実の力となり得るし、そのような「戦力」として活用すべきだと私は思っています。

 以上、お返事になったでしょうか?
 Kさんはいつだったか、戦史や軍事に対する私の関心が妙に深いことに気づき、私の全般的な思考/志向に照らして「不思議」と表現なさったことがありましたね。
 少しも不思議ではないのですよ。私にとって、戦争ぐらい嫌なもの、避けたいものはありません。父方の祖父は召集されて10年の長きにわたる軍務で寿命を縮め、父は陸軍幼年学校を経て士官学校に進んだため戦後非常に苦労し、それらはまだしも幸いなこと、母方の伯父はやはり召集され23歳の若さでサイパン島に没しました。戦争は父祖の仇であり家の敵なのです。まして同胞らの、悲惨などという言葉で表しきれないすさまじい苦難を思えば、これほど憎いものはありません。
 だからこそ関心を持たざるを得ませんよね。田舎の草刈りではマムシに咬まれないよう用心が必要ですが、そのためにはまずマムシの生態をよく知らなければなりませんから。

 遠からずお目にかかれますよう祈りつつ

2022年 憲法記念日
Ω

山路こえて

2022-05-03 14:28:59 | 日記
2022年5月3日(火)

 日本で初めて讃美歌がつくられた場所が愛媛県内にあり、作詞者は松山の人とある。進まぬ原稿の調べ物の中でたまたま行きあたった。
 

 サイトに音源あり、しばし聞き入る。けだし名曲。

山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし
松のあらし、谷のながれ、みつかいの歌もかくやありなん
峯の雪とこころきよく、雲なきみ空と胸は澄みぬ
道けわしくゆくて遠し、こころざすかたにいつか着くらん
されども主よ、われいのらじ、旅路のおわりの近かれとは
日もくれなば、石のまくら かりねの夢にもみ国しのばん

 旧404番だがずいぶん長いこと歌わなかった。讃美歌21にも珍しく歌詞をいじらぬまま、466として収載されている。
 西村清雄(にしむらすがお:1871-1964)氏は教育者、カトリックに入信しプロテスタントに転じた。1945年から53年まで東雲の校長を務めたとあり、薫陶を受けた者が一族にあるかもしれない。



Ω