散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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優秀授業賞 (^^)v / 神楽坂まで1万5千歩

2017-03-27 10:43:29 | 日記

2017年3月25日(土)

 放送大学の学位授与式、いわゆる卒業式である。これにあわせて教員表彰が行われ、僕は優秀授業賞をいただいた。同僚のT先生がNHKホールの3階席から撮ってくださったものを恥ずかしながら掲載する。

 

 喜色満面でバツが悪い。もう少し奥ゆかしく振る舞いたいものだが、確かに嬉しくはあるのでした。「優秀授業賞」というのは、僕が主任講師をつとめる3つの科目(「今日のメンタルヘルス」「死生学入門」「精神医学特論」)の学生による授業評価スコアが高かったことが基礎データになっているらしい。ただし一番ではない。一番は日本文学が御専門の島内祐子先生で、昨年同賞を受賞なさった。「気」の用例史について教えを請い、日葡辞典を調べてみるようお勧めいただいたS先生がこの方である。

 実際、島内先生の科目も人柄も素晴らしく、こちらも文学少年崩れだけに昨年は我がことのように嬉しかったが、ちょっと嫉ましくもあった。僕の担当する科目は病気の症状や治療について解説したり、死生について論じたりするものだから、楽しく学ぶのはそもそも難しい。僕に限らず生活と福祉コースで扱うテーマは「必要悪」的なものが多い・・・といったら言葉が過ぎるが、キラキラワクワクとは縁遠いお掃除分野だから、なかなか高い評点は付かないだろうというのが嫉ましさの由来。それだけに今回は、仲間たちのためにも嬉しいのである。メンタルヘルスや死生学の勉強を楽しんでもらえたなら望外の幸せ、そのうえ島内先生に次いで二番なら何の不足もありはしない。

 いっぽうで申し訳ない気もちも少なからずある。というのも、これは僕個人の達成したことではないからだ。担当講師の数だけ見ても「メンタルヘルス」5人、「死生学」6人、「精神医学特論」2人の合作である。加えて印刷教材は編集者、放送教材は制作担当者の甚大な協力がなければ科目はできない。仮に作品(=授業)のできが良かったとすれば、顕彰されるべきはチームの総体であって僕個人ではない理屈。良い仕事をした複数のチームの結び目にいたのが、身の幸いというものである。

 今日は大勢の人から褒めてもらったが、「先生はきっと壇上でそんなことをお考えだろうなと思っていました」という、袴姿の卒業生の言葉がいちばん嬉しかった。

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 卒業祝賀パーティーが今年は新宿西口のホテルで行われた。(謝恩会にあらず、教員も大枚の会費を払うんだからね。それでも「仰げば尊し」を歌えるのはいいところで、つくづく名曲である。)ここ数年楽しませてもらった和太鼓が今年はなく、代わりに同窓会メンバーがジャズ・クインテットかなんかやって大いに受けている。

  

 夕方からは同僚二氏とちょっとした作戦会議を予定。会場の神楽坂は最短距離を行けば5~6kmというので、穏やかな日和を幸い、歩いてみることにした。東京という街は、多すぎる人と車を取り除くなら実に見どころ豊かで歩くにも楽しい。元禄の往時を偲びながら甲州街道を都心へ向かい、大道芸を見下ろしたりクスノキの巨木を見あげたり。

                 

 かくて四谷までは順調だったのに、なぜだかそこで間違えた。四谷見附を左に折れて外堀沿いを行けば、市ヶ谷見附を経て飯田橋・神楽坂は目前なのに、確信もって直進したのである。甲州街道のドンつき・起点はどこだか知ってる?答は下、服部半蔵にちなむ半蔵門。江戸城の西門から甲府までを一筋の道が結ぶのだ。「すべての道は江戸城に通ず」・・・そういう言葉はなくとも、ローマと同質の発想がこの国の街道にもあったことだろう。

 

 それを確かめたくて足が勝手に間違えたか、パーティー会場で2時間立ちっぱなしの後だから、外堀ならぬ内堀通りの表示を見たときはさすがに萎えた。だからといってここからタクシーなんて我が法にない。気を取り直して左に曲がり、英国大使館前を過ぎて九段下へ、靖国の大鳥居を左に眺めて早稲田通りを北上し、とどめに神楽坂のこみいった一画をぐるぐる三度徘徊する。めでたく目的地に着いた時には1万5千歩に達していた。その後のワインがすこぶるよく回ったことは申すまでもない。

 

Ω


里山の美食家

2017-03-24 07:47:58 | 日記

2017年3月24日(金)

 森林文化協会『グリーン・パワー』4月号の表紙。撮影地は香川県小豆島の清滝山、「いつまでも守り続けたい日本の自然」写真コンテスト2016年の香川県受賞作とある。花弁が美味しいのだろうか、大口にいっぱい桜(?)の花を押し込んだおサルの顔が、うっとり陶然の表情を浮かべている。

 『美食家』というタイトルが秀逸だ。撮影者は室井保氏(全日本写真連盟会員)とある。小豆島の室井さん、ひょっとして室崎さんのお知り合いかな・・・?

 

Ω


『日本語』上下弐百円也

2017-03-23 20:55:11 | 日記

2017年3月23日(木)

 いつもより仕事が早く終わり、まだ明るいうちに神保町の通りを歩く楽しさ。古本屋の店先の「どれでも100円」コーナーに金田一春彦の『日本語』(岩波新書)、上下2冊が輪ゴム止めで出ている。この200円は価値がある!10分前に駅前の文房具屋で、プラスチック付箋290円、紙の付箋セット350円というので、買うのを止めたところだった。古本屋のあるのが神保町の良さ、神保町のあるのが東京の良さである。

 電車の中でさっそくページをめくると、M.ペイなる言語学者の説として「母音の多い言葉ほど美しく聞こえる」というのがあり、それが本当ならペイ自身が言うとおり、日本語は世界諸言語の中で一二を争う美しい響きがあるはずだという。ただ、実際に日本人が話しているのを聞いてもあまり美しい感じを受けない、雑音が多くて澄んだ感じがないが、これは日本人の発声が悪いのだろうと金田一説。それでかな、TVの囲碁番組でマイケル・レドモンド九段の解説を聞いていると、明晰であると同時に非常に美しいのである。相撲解説で旭天鵬(現・大島親方)の語り口を聞くのもこれに近い楽しみがある。彼らのように美しく日本語を話せたらいいだろうな。

 そういえば今日は診察の合間に、M保健師が「神(じん)」と書いたメモをそっと示した。「どこの姓だかわかります?」と、お株を奪って訊いてくる。「わからない、どこ?」「青森だそうですよ」と教えてくれた。「神(こう)という人に、大分で会ったことがあるよ」「日本の北と南って、意外に似てません?」等々、この種の話はタネの尽きることがない。

 そこへやってきた患者のSさん、「自分、仕事は速いんです」と自慢する。5時半に帰ろうとすると「おまえ仕事速いな」と課長が言うので、「私が普通で皆さんが遅いんです、牛のヨダレみたいにダラダラやってたってしょうがないでしょ」と言ってやったんですよと。「牛のヨダレ」には笑った。なるほどこれぐらい典型的にダラダラ垂れるものもなく、言い得て妙であるけれど、牛というものを知らない人には面白くもおかしくもないだろう。とはいえSさんは東京育ちの40代で、牛の実物を見たことあるかどうか怪しいものなのだ。

 「親父がよく言ってたんです」とSさん。すると「私もよく聞きましたよ」とM保健師、こちら北海道育ちだから牛はよく御存じか。僕は聞いたことがあるようなないような、しかし幸い「牛のヨダレ」と聞いた途端に爆笑するほどの近さを、少なくともイメージの内にもっている。どの地方というより、牛を身近に感じる地域/人々には通有の表現かもしれない。

 それで思い出したが昔父が帰宅して笑うのに、ある上長が部下の説明のノロノロブツブツ要領を得ないのに癇癪を起こし、「田舎のばあさんがマメ食うみたいな説明しかできんのか!」と怒鳴ったのだそうだ。叱られた若者は「田舎のばあさんがマメを食べる」風景を思い描きもできず、ひたすら当惑している。田舎育ちの父は雰囲気を理解するものの、こんな表現は初めてでもありおかしくもありで、実に困ったというような話だった。

 「田舎」「ばあさん」「豆」のいずれも明晰かつ具体的であるのに組み合わせがひどくユニークで、どこの地方の表現だったのだろうかと今に至る謎である。

  

Ω


迷惑行為 → 対応 → トラブル → 点検

2017-03-22 22:42:27 | 日記

2017年3月22日(水)

 柄にもなくコース責任者を拝命したのは能力によるものではなく、年次順の巡り合わせに過ぎない。幸い大過なく2年の任期を終えるかと思われた矢先の3月上旬、とんでもない事態が起きて対応に追われる毎日が続いている。今日も今日とて朝から会議なのに、りんかい線が例によって微妙に遅れ一瞬ヒヤリとさせられた。おかしかったのが構内/車内放送である。

 「埼京線が渋谷駅におきましてお客さまの迷惑行為により遅延しましたため」

これが第一報。どんな客がどんな迷惑をしでかしたかと、怒りを帯びた妄想が動く。ところが次の放送では、

 「埼京線が渋谷駅におきましてお客さま対応を行いましたため」

ほほう、言葉を変えましたね。さらに三転して、

 「渋谷駅の車内トラブルのため」

そして最後に、

 「渋谷駅で車内点検を行いました関係で」

 ふうん?である。どれが本当なのかしらん。第一報が生の事実で順次脚色されたと思えば普通だが、最初が誤報でよく確かめたら事実は違っていたという可能性もある。一つ確かなのは、この件への「客」の関与を薄める方向で言い換えが繰り返されていることだ。何を意味するのでしょうね、これは?

 車内放送の考現学とでもいったものを、誰かやってみないかなと思う。既に誰かやっているのかもしれないが、これはなかなか面白いジャンルになるはずだ。地域比較も面白く、時間に連れての推移も興味深いだろう。そこから得られた知見が、たとえば放送大学のような組織での情報発信に相当役立つのではないかと思われるが、そこまで行かないとしても、たとえば

 「ドアが閉まります、御注意ください」と言ってから、なかなか閉まらないのが東京山手線。

 「ドア、閉めます」と言った途端にほんとに閉めるのが大阪環状線。

 そんなステレオタイプをリストアップするだけでも楽しそうだ。幸い京葉線への乗り継ぎには支障なく、長い会議の一日が始まった。そこで行われているのが迷惑処理かトラブル対応か、はたまたある種の点検なのかは判然としない。それを決定するのに必要な情報が決定的に不足し、憶測するしかないのである。変転する車内放送から起きた事実を推測するようなものだ。

 ふと見れば、国会レベルでも似たようなことが起きているらしい。それがいちばん困るのである。

Ω

 

 


人気作の「残念」

2017-03-20 14:14:46 | 日記

2017年3月20日(月)

 御多分にもれず推理小説は嫌いではなく、車内広告に「シリーズ一の面白さ」とあるのを見て、読んでみる気になった。もっとも『クロノスタシス』はシリーズ6冊目で、他の5作がどれほど面白いのか読んでいないからわからない。ある程度以上面白い推理小説は、読み始めて途中で置くのが難しい。これも一昼夜のうちに読みきってしまったから、総体として面白かったのだろうと思う。

 惹かれたもう一つの理由は「過労死・過労自殺」をテーマにしていることで、物語は文科省のとある部局に属する主人公が、ある医学者の考案した「過労死バイオマーカー」の信頼性を検証すべしという仕事を与えられるところから始まる。広告帯には「相手は過労死隠しのブラック霞が関」とあり、まだ記憶に新しい過労自殺事件や文科官僚の天下りなどが織り込まれていて、野次馬根性を十分満足させてくれる。

 主人公の折節の冴えた推理に舌を巻き、それらを人物の口に入れストーリーを構成する作家の頭の中は、どういう構造になっているんだろうと感心する。ただ、過労死のリスクを単一の数値に集約し、これに全く例外を生じない厳密さを期待するという発想はやっぱり無茶だし、マーカー考案に心血を注ぐ医学者の動機の説明もちょっとあり得ない。そんなことは歌舞伎の黒子と同じで「見ない約束」にすれば良いだけのことだが、残念なのは「統合失調症」という病気が現実のそれとはだいぶ違った形で描かれていることだ。

 作品のかなり早い時点から「統合失調症」が必ずしも正確とはいえない付記とともに言及されるのは、まだしも良いことにしよう。クライマックスに至ってこの病気がカラクリの重要な部分を担いつつ本格的に登場してくる、その部分に重大な誤解ないし無理解が含まれているのである。これは困るでしょう。作品を読んだ人は統合失調症という病気について、「ストレス性の心因疾患であり、妄想は現実逃避のための心理的防衛の産物である」と信じかねない。クロノスタシスの欠如やワーキングメモリーの障害が「重度の統合失調症の症状」と言いきる(P.340 )のも misleading である。

 「命を脅かされるほどの辛さから、妄想により現実逃避する。自分と同じ理由で苦しんでいる誰かが、犠牲になったと信じることで、上司を完全に悪者扱いできます。自分が悪いと思いがちな、真面目な人ならではの責任感を軽減し、一時的な待避を得てるんです。」(P.342)

 「でもきっと回復できます。もう現実を認識できているんだから。妄想なんか怖がる必要ありません。幸せはいつも自分の心が決めるんです。」(P.346)

 これは僕らが知っている統合失調症の現実とは大きくかけ離れている。そんなものではないのですよ、誰がこんな情報を著者に与えたのだろう・・・

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 「クロノスタシス」は作品のタイトルになっていることから分かるとおり、書き手としてはトリック(?)を成立させる重要な決め手に使っているようである。ただ、僕のような凡庸な読み手はそうしたアクロバティックな仕掛けよりも、霞ヶ関を支配する分厚い閉塞感の中で若い女性主人公がへこたれることなく、頭脳の冴えと良心を頼りにかすかな光明を求めていく姿のほうがずっと共感できるし、それでほぼ十分なのである。どうしてもクロノスタシスを使いたければ、「クロノスタシス欠如症候群」とでも命名した架空の病気を想定し、その潜在的な危険を雄弁に書き込めば良かったのだ。そうすれば一種SF的な魅力を作品に盛り込めたかもしれない。入院だけで20万人近く、全国で70~80万人に及ぶ人々が現に苦しんでいる実在の病気をわざわざ例にとり、これについて不正確で偏った情報を散布する必要はなかった。

 面白く書かれた人気作であり、冒頭に「劣悪な職場環境による過労死が根絶されるよう強く願う」と記す通りのスタンスであるからこそ、残念なのである。

Ω