2021年9月18日(土)から29日(水)にかけてのつれづれ
風雨の夜が明け、門前に吹き散らされた銀杏の葉やギンナンを掃く手がふと止まった。舗装路の真ん中でムカデが大の字ならぬ、S の形にのびている。ゆっくり身をよじるばかりで自慢の百足は動きもせず、「もうダメ」と言いたげである。傷を負った様子もないのに、いったい何が君を弱らせたのか?
ひょっとして、ギンナン?それとも銀杏の葉?
銀杏の葉は防虫剤に用いられる。シキミ酸と呼ばれる有機酸が多量に含まれるそうな。ギンナンの方はビタミンが豊富というぐらいしか知らないが、生きた化石ともいわれる銀杏のこと、何か不思議がありそうだ。
竹箒で掃き飛ばすに忍びなく、坂道をそこで引き返す。見あげる眼に台風一過の空の青さが恐ろしいようである。
「ムカデとギンナン、もっけの不思議」と呟きながら玄関をあがり、ふと自分の声を聞きとがめた。「もっけ」という言葉は、ほとんど「もっけの幸い」専用になっているが、「もっけの不思議」という言い回しのあることをある時知ったのである。あれは…そう、朝ドラで漫才の脚本家が主人公になった時だ。
主人公の両親が愉快な関西人夫婦、中村嘉葎雄と野川由美子が好演した。その息子が思い続けてきた女性がめでたく嫁にやってくる、これが藤谷美和子。もともと親しい間柄で、二人の女性の間に世代を超えて安定した友情の絆があるかに見えたのに、いざ嫁に入ってからは些細なことでいざこざが絶えない。中村嘉葎雄の舅がこれを見て眼を丸くし、「嫁姑の仲良しは、もっけの不思議と言うが、ホンマやなぁ」と嘆ずるのである。(『心はいつもラムネ色』1984-85年)
「もっけ」はもともと「物怪」つまり「物の怪」だという。妖怪変化に思いがけず出くわす、その思いがけなさにウェイトが傾き、予期せざる幸いを言い表すようになったのだと。そう考えれば「もっけの不思議」も理解できる。ムカデという生きものは身近な小妖怪、それが道の真ん中で大往生なんて、どうしてやっぱりもっけの不思議。
室内に戻れば、COVID-19 の在宅患者に往診で治療薬を提供する場面がTVに映っている。今後の積極活用を訴えるマジメで有用な映像なんだが、ふと見ればモザイク処理で顔をぼかした患者さんのTシャツのロゴが、
Do nothing, you will live longer.
偶然のイタズラとはこのことだが、気がついた視聴者は何人いたのかな。
「公に発信されるメッセージの矛盾」がコロナ禍/五輪で取りざたされた。誰かがそれを故意に織り込んだとすれば、イグ・ユーモア賞の有力候補である。
・ 中島みゆき
田舎の家に積まれていた『てんとう虫』九月号、斎藤愼爾が『青春抒情愛唱歌』で中島みゆきの『異国』を採りあげている。行を追って絶句した。
「(山形県人の)母親が療養のため実家に帰省していた昭和四十一年九月、山形市六中三年六組に転入。その頃からピアノを弾き、作った曲の譜を音楽教師に見せていたとか。四ヶ月後に高校受験を前に帯広に帰郷。」
同じ筆法で当方は、
「(愛媛県人の)父親が仕事のため赴任していた昭和四十四年四月、山形市六中一年八組に入学。その頃はバイオリンを止めていたが、クラス歌の作曲を音楽教師に褒めてもらった。四ヶ月後に一学期を終え名古屋に転出。」
残念ながら酷似するのはこの一断面だけ、先様は23歳で『時代』を世に出し、こちらは23歳で学生に逆戻りである。それにしても山六中のあの校舎あの教室、龍山おろしに校庭の熱気、今も胸底をむずむずくすぐる妖気の向こうに、未来の歌姫の残り香があったとは!
・ 照ノ富士と白鵬
序二段から戻ってきた照ノ富士、新横綱の場所で13勝2敗、5回目の優勝。
「土俵の上で頑張っている姿を見せるのが、お相撲さんの仕事」
と優勝後のインタビュー。「お相撲さん」という言葉を何と久しぶりに、何と嬉しく聞くことか。そういえば『心はいつもラムネ色』の中で「漫才さん」という言い方が出てきたな。
翌日、白鵬引退の報。この人の偉いのは、四股・すり足・テッポウという相撲の基本を人の十倍もくり返して、理想的な体と技をつくりあげたことだ。四つ身に組んだ形の美しさには実に惚れ惚れしたものである。粗暴な立ち会いで晩節を汚したこと、残念でならない。
・モルモットの脂肪肝
統合失調症の陰性症状に加えて交通外傷で前頭葉を痛め、自発性というものをすっかり失ってしまったように見える患者さんと、月に一度の面談をくり返す。過ぐる一ヶ月間、「特に何もありませんでした」と毎度の答えに、まぁまぁそうおっしゃらずと話題を探すのがいつものこと。
今回、同伴のお母さんが「話題、あったじゃないの」とつついて語られたのが、
「Nさんがですね、モルモットにバターばっかり食べさせていたら、脂肪肝で死んじゃったんです。」
突っ込みどころ満載の逸話を、あちらからこちらからと突っ込んで時間を過ごしたが、立ち去った後しばらくして語った彼の表情が強く思い出された。
確かに笑っていた。そしてその笑いには、笑いきれない哀しさも、敢えて笑う辛辣さも、見え隠れに確かに備わっていた。この種の笑いとこれらのニュアンスが前頭葉の働きでなくして何だろうか。
彼の笑いをもっと見たい。もっともっと笑わせてみたい。
・サル
郷里の父が上京する者のタクシーを見送り、前庭に面した椅子で日向ぼっこしていると、右手の奥庭から白塗りの屏の瓦屋根の上をひょこひょこやってきた。
サルである。
父は目をこすった。戦前の子ども時代、仕事を引いて戻って以来の30年、この地にサルを見た覚えもなく、サルが出たと聞いた覚えもない。自分がボケて幻覚を見るようになったのか。
否、見まがうべくもない正真正銘のおサルが、屏の屋根伝いに西から東へ、見守る父を警戒するでもなければ威嚇するでもなく、一瞥すら与えずその前を横ぎり、二階建ての納屋の屋根にかるがると上がって東の方へ姿を消した。
後でやってきたケアマネさんにそのことを話すと、「西の方では出よると聞きましたが、ここらにも現れましたんかな」と驚く風でもない。
翌日の電話でこのことを聞いて嘆息した。
「イノシシにマムシ、今度はサルだってさ、うちの庭は動物園かな。ときどきキジも見るよね、桃太郎さんかい。田舎はいよいよたいへんだ」
「田舎だけじゃないよ」
奇しくも同じ今日この日、東京大田区の洗足池で数日前にサルが目撃されたことが、職場で伝えられたというのである。何がどうなっている?
キジ・イノシシ・マムシ、これらは農村の過疎化に伴って里山が荒れ、野生動物の前線が人の生活圏に押し出してきたことで説明される。しかしニホンザルはもともと北予の山野には生息しないものだから、これは話を混ぜられない。どこかのサル山で飼われていたものが逃げ出したに違いなく、同様の話は以前から各地で知られていた。里山荒廃とは別の問題である。
それにしてもこの synchronism、これらの話題からどんな絵を描いたものか。まずは書くだけ書き留めておこう。
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