散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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「絶対」とは?

2015-05-25 09:11:27 | 日記

2015年5月25日(月)

 

 高校時代にMという友人があり、僕はこいつと驚くほど多くの時間を一緒に過ごした。

 言葉の使い方にうるさい男で、相当鍛えられたものである。議論の中でうっかり頭に血が上って、「それは絶対に・・・」などと言おうものなら、即座の失笑と共に辛辣な反問が返ってきたものだ。

 

 「絶対、って、何で言えるの?」

 

 言葉の意味知ってる?国語辞典で引いてごらん、とまでは言わないが、失笑のうちに明らかにそのことがあったのだ。

 言葉は正しく使いましょう、アタマも正しく使いましょう、とね。

 

 自衛隊が米国の戦争に巻き込まれて戦闘行為に及ぶなどということは、「絶対にありえない」のだそうである。

 一般に「絶対にありえない」という言明は ~ 「人が永遠に死なないことは絶体にありえない」といった一連の限られた命題や、語義矛盾である場合を除いて ~ まずもって成立しない。「絶対にありえない」という主張こそ、ありえない主張である。

 さらに進んで、複雑怪奇を本来の性質とする国際政治に関わる現実において、「絶対にありえない」ことなど「絶対にありえない」

 M君、これなら文句ありますまい?

 そもそも、そういうリスクがないのなら、大騒ぎして法制度を整える必要もない理屈なのだ。

 

 とはいえ、論者の不可思議な自信のありかはうすうす分かっているのである。もしもそういう事態が起きたときには、「あれは米国に巻き込まれたのではない、われわれ自身の平和を守るために必要な行為だったのだ」と言い抜ける、おおかたそういう魂胆であらせられよう。

 ウソと坊主のアタマは「絶対に」ゆわない、という次第だ。

 

 M自身の御託宣を聞いてみたいが、彼は僕のブログなんか読みはしない。この点は「絶対に」断言できることである。


2015年5月23日、ジョン・ナッシュ夫妻交通事故死

2015-05-25 08:30:50 | 日記

2015年5月25日(月)

 

 ジョン・ナッシュが亡くなった。

 この言い方だと、わかる人は少ない。僕自身、昨夜そのように聞かされても「誰だっけ?」と思っただろう。

 

~ Wikiからコピペ:

 ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニア(John Forbes Nash, Jr. 1928年6月13日 - 2015年5月23日[1])は、アメリカ人の数学者。専門分野は微分幾何学でありリーマン多様体の研究に関して大きな功績を残している。

 1994年、ラインハルト・ゼルテン、ジョン・ハーサニとともにゲーム理論に関して大きな功績を残したとしてノーベル経済学賞を受賞しており、彼の証明したナッシュ均衡の存在が非常に有名であるため、ゲーム理論がナッシュのライフワークと思われていることもあるが、ナッシュがゲーム理論の研究をしていたのは博士課程在学中とその後のわずか数年間だけである。2015年にはアーベル賞を受賞した。

 ハリウッド映画『ビューティフル・マインド』は、彼の天才数学者としての偉業と成功及び後の統合失調症に苦しむ人生を描いた作品であり、このため世間での彼の知名度は高い。

 

***

 

 Wiki の記載がたぶん正しい。朝日の記事は「統合失調症を長く患いながら研究実績を挙げ」と書いているが、これはおそらく不正確である。

 数学者のできあがりは早い。ナッシュはその天才的な働きを、20代半ばの発症前にほぼすべて成し遂げている。「統合失調症を抱えながら、それゆえに天才的な仕事を」というのは、ありがちのロマンティックな思い込みだが、そんな甘いものではない。苦しい、つらい病気なのだ。

 ただ、統合失調症を発症することになった彼の精神/脳の事情と、その天才的な業績との間に関係があるかと問うなら、これは熟慮を要するテーマである。

 関係はあるかもしれない。僕らの廻りにも数学頭をもった小天才達があり、どうやら彼らのモノの見え方は僕らとは違っているようだった。その種の違いを生む脳内事情が、ひょっとしたら統合失調症の発症背景と一脈通じているのかもしれない。今は何とも言えないことであるけれども。

 

 映画の中で、元教え子のアリシア夫人との絆は大切な横糸となっている。結婚を解消し、しかし妻ではない者としてナッシュを支えることを決意した彼女は、自分の決断に忠実だった。映画に描かれない後日の実生活の中で、2001年に再度結婚していたことを新聞記事で初めて知った。

 その二人がタクシーに同乗していて事故に遭い、車から投げ出されて二人とも死んだ。

 ジョン・ナッシュ86歳、アリシア夫人82歳。

 


初夏爽々

2015-05-23 10:02:55 | 日記

2015年5月23日(土)

 

 「だいぶ調子はよくなって、落ち込むことはもうゼンゼンないんです、ただ、逆にちょっとイライラするようになって、ウツの後によくあるんですけど」

 ちらりと上目を使って口ごもり、顔全体で小さくニヤッと笑った。

 

 イライラの件、双極Ⅱ型とみたてたのもそのあたりなんだが、それよりもですね。

 この女性は確かネコ嫌いだと言ったが、今のニヤリは何だかネコに似ている。悪さを隠しているニヤリだ、ひょっとして・・・

 

 「イライラして彼氏に暴力しちゃうとか?」

 「え~先生、わかります~?」

 

 わかるとかいうんじゃなくてね、あなたがそう言ったんだよな、フンイキで。

 

 「殴ったりなんかしたの?」

 勢いよくかぶりを振った。

 「ゲンコツで殴ったら、自分の指が痛いじゃないですか。だから・・・」

 「思いとどまった?」

 「いえ、肘で」

 「・・・」

 

 白鵬だよ、それじゃ。

 ものの見事にアバラに決まり、肋骨2本ヒビが入ったというのだが、

 

 「彼氏ったら、その時すぐ言わないんです。後になって言うもんだから」

 「怖くて、とても言えなかったんでしょう」

 「言わないから訳がわからなくって、何ヘンなかっこしてんのとか、荷物持たせたりいろいろしちゃって。何しろ、ウツはすっかり良くなったみたいです、はい、私のウツです。」

 「一度お話を聞きたいって、彼氏にお伝えください、ね。」


麗しの君 / 漢字を感字と為すなかれ

2015-05-23 09:09:58 | 日記

2015年5月23日(土)

 

 善君さん、台湾は高雄の出身。

 麗君さん、中国湖南省の出身。

 日本国三重県津市の一隅で、仲良く精神医学の授業に出席している。それだけのことが、僕にはとても嬉しい。

 「君」の字は何となく男性的な印象を受けるのだが、察するところ中国語では女性の名前に使われるのだね。僕が思いつくのは王昭君ぐらいだが、それでも既に2000年の伝統がある。(ATOKは「おうしょうくん」を正しく変換しない。古典教養に問題アリだ!)

 

 質疑応答の時間に、メンタルヘルスにおいて「感謝」が占める重要な役割に話が及んだ。

 皆、大きく頷いている。ヒット!

 

 ふと、「日本人は『ありがとう』というべき場面で、しばしば『すみません』で代用する」ということを思いだし、両君に尋ねてみた。そういう印象は確かにあるという。

 「ありがとう」は素晴らしい言葉だから、もっと大事に使ったらいい。「有り難し」の意味をもつ上に、ポルトガル語の「オブリガード」に触発されてできたというなら、これほど日本文化にふさわしい言葉はない。

 

 台湾は小さい国だが、複雑な民族構成をもつ。善君さんに訊いてみた。

 「私は先祖代々ずっと台湾の人間、たぶん高砂族の子孫だと思う。日本?悪い気持ちないですよ。それより先生、応用編の授業いつやってくれますか?」

 

***

 

 名前と言えば、木曜日の書店散歩で『キラキラネームの大研究』(新潮新書)という本を見つけ、面白そうなので買ってきた。

 著者・伊東ひとみ氏は僕と同年の文筆家だそうで、以前僕が「万葉仮名への先祖がえり」との表現で粗雑にまとめたところを、詳細かつ丁寧に論考している。用例が素晴らしく豊かで、行を追うにつれ驚くやら呆れるやら、笑うやら考え込むやら、大変である。

 「神様、読めません・・・」という帯のフレーズがピッタリの快著だ。

 

 十分な共感を働かせての考古・考現の末、「『漢字』を『感字』にしてはいけない」と締めくくるところに、満腔の賛意一票。

 善君さん、麗君さんの命名者には、縁のなかった葛藤であり、悩みであろう。


人物往来

2015-05-21 10:47:55 | 日記

2015年5月20日(水)

 

 家に帰ったら、まず『うがい、手洗い、皿洗い』

 今はそういうのだと、フロア秘書のHさんに教わった。もちろん亭主族に向けた戒めである。

 「うがい、てあらい、さらあらい」

 リズムが良いなあ、「い」で終わる三つの言葉がほどよく韻を踏んでいて、おまけに七五調である。これだから日本語はやめられない。

 

***

 

 実行しようと思いながら帰宅したら、友人から転勤を報告するハガキが届いていた。ある県の地裁・家裁に勤めていたT君が、東京高裁の判事として帰京の由。「栄転」といって良いのだろうが、良心的な裁判官を送り出す側の気持ちを推し量ると、その言葉を使うのがためらわれる。高裁の仕事と地裁の仕事に、必ずしも質の高低があろうとも思われない。

 このT君はまもなくアルメニアへ赴任するT君ともちろん別人だが、実は学生時代からの仲良しである。月初のT君壮行会の時、T君は既に東京にいたはずで、そうと知らなかったのは痛恨事。さっそくT君に電話してT君のアルメニア行きを伝え、T君からT君に連絡するよう勧める・・・何が何だかわからないね。

 発つ者があり、帰る者がある。出会いの不思議、交わりの幸い。やがて皆いなくなるのだ。今日をこそ楽しむべし。

 

***

 

 それにしても、インターネットは確かに人生のありようを変える。松江でバイオリンを教わったO先生の令嬢に、一片のネット情報からたやすく連絡が取れたのは、もう2年前になるのかな。

 昨日はある人から40年ぶりに連絡があった。非常に懐かしい人で、それこそインターネットを通じてこちらの動静を追ってくれていたのである。

 この人が敢えて人づてに伝言を託された理由は、幸せなものとはいえない。僕の職業ゆえの相談事である。

 構いはしない。懐かしい人々の力になれるなら、これも身の幸いというもので。

 インターネットが、ちゃんと役に立つこともあるというわけだ。