散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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ワルトトイフェル/ワルトハイム

2017-11-30 10:13:49 | 日記

2017年11月23日(木・祝)・・・先週書きかけていたお話

 前夜ふと思いついてやってみた。流行の小鍋料理、これは豆腐と豆乳の豚肉鍋に豆苗を添えたもので、豆づくしが目にも体にも良いでしょう。食べて寝たら、休日を良いことに10時間も熟睡した。加齢と共に睡眠時間が短縮するなんて、エビデンスに支えられた偉い先生の説でもやっぱり腑に落ちない。

 起きてふらふら歩いていたら、ふと「ワルトトイフェル」という言葉が浮かんだ。これがアタマの仕組みの不思議、なんで今、この時ここでワルトトイフェル?

 「スケーターズワルツ」を嫌いな人は少なかろう。小学校の音楽の教科書に記された作曲者名がそのまま記憶に定着し、大学でドイツ語を習った時に思い出して意味を調べた。Wald(森)+Teufel(鬼)・・・森の鬼!これは大したミスマッチだ。

 ドイツ人は森の民、ほんとは怖いグリム童話も、無意識のように広く冥府のように深い森の世界が原風景。ローマの軍団はトイトブルクの森でゲルマン人に殲滅され、怒濤のモンゴル軍はシュヴァルツバルトの森でついに行く手を阻まれた。

 ドイツ語らしくヴァルトトイフェルト発音すれば、ちょっと怖い感じが出るかなと思ったら、実はこの人、フランス人である。さてはと思いつくとおり、独仏係争地はアルザスの出身。以下、Wikiからコピペ。

 エミール・ワルトトイフェル(フランス語: Émile Waldteufel, 1837年12月9日ストラスブール - 1915年2月12日パリ)は、フランスの作曲家。大衆音楽、とりわけワルツ『スケートをする人々』『女学生』やポルカなどのダンス音楽の作曲家として知られ、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世にならって「フランスのヨハン・シュトラウス」「フランスのワルツ王」と呼ばれた。

 ストラスブールにて、ユダヤ人の家庭に生まれる。出身地アルザスはドイツ語圏であり、1793年以前および1871年から1918年まではドイツ領であったが、ワルトトイフェルもその名が示すとおり、シャルル・ミュンシュ、アルベルト・シュヴァイツァーらの多くのアルザス人と同じく、ドイツ系の文化圏に生まれ育った・・・(以下略)

***

 Wald と言う言葉から、もう一人のドイツ語人を思い出した。国際連合の4代事務総長、クルト・ヴァルトハイムである。僕の年代では第3代のウ・タント(在任1962-71)が記憶の首座を締め、その前のダグ・ハマーショルド(同 1953-61)が視察中にアフリカで墜落死してウ・タントが就任したことを後で教わり、ウ・タントからワルトハイム(と発音された)に変わる場面を中学卒業間近にテレビで見た。ヴァルトハイムはオーストリア人、青年時代にはナチ突撃隊員だった経歴があり、「にもかかわらず」のオーストリア大統領・国連事務総長歴任が多くの人に多くのことを考えさせたに違いない。

 僕はよく知らない。時間のあるうちに知っておきたいことの一つが Waldheim(森の家)氏の胸の内である。

Ω


帰る

2017-11-21 05:51:25 | 日記

2017年11月21日(火)

もし、あなたが帰るならば、

わたしのもとに帰らなければならない

(エレミヤ書 4:1)

 帰らなければなりません。帰る、ということから始めなければなりません。帰るべき一点を見失って、いたずらにかけめぐり、疲れ果てているのですから。

小島誠志『朝の道しるべ』11月21日

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悠久の大義に生き、死を見ること帰するがごとし。

 もうそろそろ、この言葉を歴史的な呪縛から解き放ちたいものだ。快晴の朝、北関東では夜半に初雪が降ったそうな。

Ω

 

 


四股体操が体に良いこと

2017-11-17 07:10:06 | 日記

2017年11月17日(金)

 夏過ぎから四股にこっていて、あれこれ工夫しながらせっせと踏んでいる。モニターとにらめっこで流れが滞った時とか、漫然とTVを見流している時とかに最適で、ゆっくり丁寧にやるのは舞の海さんの勧めるところ。呼吸法と組み合わせるのがマイ工夫で、手なり脚なりが天に向かう時に息を吸い、地に向かう時に息を吐くのが良い。特に脚を踏み降ろした後は、腰を割りながらしっかり息を吐ききる。小気の出入りが天地と接続する感じで、骨盤回りの大きな筋群に気もちよい刺激がある。寒くなってきてからは、5~6回も踏むうちにすぐに体がポカポカしてくる。そのうち画像入りで YouTube にでも上げようかな。

 やっているうちに手足の動きの関係がよく分からなくなり、あらためて確認したのが九州場所初日・二日目の横綱土俵入り。知りたいことは一目で分かったが、踏み降ろす動作が今日日は意外に小さいのが残念。それで思い出されるのは何と言っても千代の富士で、相撲の強さが傑出してくる以前、四股の際に上がる足の高さで喝采を浴びた力士だった。相撲界の沢村栄治かと、一人面白がっていた昭和50年代を思い出してのTV桟敷。

 そこへ降って湧いた日馬富士の一件、軽量をスピードでカバーする相撲っぷりが好きなだけに、目が離せない。進行中の事件だから軽々に何も言えないが、経過の中で疑問・不可解の多すぎることがどうも気になる。渦中の貴乃花親方、父親は言わずと知れた軽量の名大関・貴ノ花、1975年の春・秋と二度優勝したがついに綱には手が届かなかった。日馬富士の相撲の取り口はこの貴ノ花が目ざしたところと重なるとも思われ、往年の貴ノ花ファンとしてなおさら心が痛む次第。今日は進捗があるだろうか。

 

http://aganism.com/sumou/ikemen-rikishi/#i-18

Ω


診療雑記 20171027 ~ ミミズの災難、国政選挙、肩こりの癒し方など

2017-11-12 11:37:16 | 日記

2017年10月27日(金)~11月12日(日)

 毎度のことだが診療に関連する記事については、ことの性質上かなり話を変えてある。無用の注釈とは思いますが、文字通り真に受けたりしないでくださいね。私、そこまで責任負いませんから。

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 イナカで育ったから、雨上がりにはミミズがいっぱい出てくるんですよ、それもみんな太いの!東京のミミズは栄養失調ですよね。太いミミズを捕まえて、注射器で注射するんです。そうするとムクムク膨れて、星の王子様のウワバミみたいな形になっちゃうの。

 そう、それ!ミミズは血液あるけど血管がないから膨れるんですね。色ですか?色水注射したら色が変わるかって?そこまでやりませんよ、先生ひどいこと考えるのね、ミミズかわいそう・・・

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 投票ですか?今回は行きました。友達がQL党に投票してくれってうるさく言ってくるので、

 <入れたげたんだ?>

 いえ、QL党以外の党に投票するために行ったんです。だって、ほんとにしつこいんですよ、久しぶりにアタマに来ちゃった。

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 そろそろ疲れのたまってくる午後4時頃、待合室のMさんに声をかけたあと首を回したりさすったりしていたら、それを見るなり、

 「先生、肩こりですか?もんでさしあげましょうか?」

 気遣わしげな声に、トーンといきそうになった。さぞや心地もよかろうが、さすがにそれはアウトというもの、お気持ちだけありがたく受けとり、行儀よく診療を進める。

 それにしても強烈なものだ。ハスキーで柔らかい声、言葉の内容と完全に一致した表情と声調、義理や外交辞令ではない本心からのねぎらいは、一触で心の土台を覆す力をもつ。これって、ほんとにただの言葉?

 「もんでさしあげましょうか?」という表現の奥ゆかしさも、実は一撃の破壊力をいや増している。すましかえったセレブの言葉のようだが、違うんだな、これが。親との関係が体をなさず、初めから平穏無事とはほど遠いMさんの生活史。湘南あたりで相当やんちゃしながら、きわどく40数年を生き延びてきた。ぎりぎり高校は卒業したものの、学歴とも系統だった勉強とも無縁の女性である。

 ただ「読む」という作業は大好きで、国語の教科書が配られると、そこに載っている小説・随筆・詩・論説など端から貪るように読み尽くし、授業が始まる頃には早く次の教科書もらえないかなと待ち遠しかったそうな。この一点で意気投合、<屋根の上のサワン?> 「読みました!」 <杜子春?> 「中学2年!」 <国境警備の兵隊同士が仲良くなって、そのうち二つの国が戦争になって・・・> 「小川未明さんですよね、えっと、えっと『一輪の薔薇』それとも『野ばら』?、泣いちゃった・・・」などという具合。そうして蓄えた豊かな日本語が窮境の彼女の支えになり、「もんでさしあげましょうか?」という美しい表現をごく自然に紡がせるのである。

 もんでもらったら、どんなに心地よかったかしれない。けれども「もんでさしあげましょうか?」という一言はそれにも増して快い。魂のこりをもみほぐす、妖しく柔らかい真言である。

Ω


上野公園の樹木伐りすぎ/対馬のカワウソ

2017-11-02 08:52:03 | 日記

このところ後回しにしていたのを、順に書き出してみる。

2017年9月28日(木)

 グリーンパワー10月号のヘッドライン: 上野公園の樹木、「伐り過ぎ!」と批判の声

 冒頭を転記する。

 「東京都が管理する上野公園の樹木が伐られている。JR.上野駅公園口前の道路にロータリーを建設するための伐採は、住民の反対運動で止まったが、公園を見渡せば、あちこちでたくさんの木が伐られてしまい、上野の森はすっかり痩せてしまった。」

 以下、小見出し。

◯ 反対署名に2万7千人

◯ 残っていた自然植生が喪失

◯ 景観保全への配慮は?

 伐るにあたってはそれなりの理由・根拠があるものと思いたいが、特に「自然植生の喪失」の項を読む限り、負の面が強く感じられる。上野公園は国の鳥獣保護区にも指定されているそうで、樹木伐採に細心の注意が求められるとするのは全く正論。

 筆者の清水第氏は次のように結んでいる。

 「明治の初め、上野公園の設置を提言したオランダの軍医ボードウィンは「良好な自然景観を保存する」ことを求めた。園内にある銅像のボードウィンは、スカスカになった上野の森をどう見ているのだろうか。」

 これ、僕知ってる。2~3年前、中学同窓のF画伯が例によって都美館展に出してるのを見に行く道すがら、銅像に出会って写真を撮った。え~っと・・・ちぇっ、出てこないや。

 代わりにこちらを紹介しておこう。「上野公園のみならぬ、日本の公園の生みの親」とある。オランダにはだいぶ恩があり、明治期に掌返してドイツ医学に鞍替えしたのが、時代の流れとはいえいささか遺憾の念を呼び起こす。

 『上野の歴史を知る ~ 公園の生みの親、ボードワン博士像が建立されるまでの、時代背景・人々の思いがうかがえます』 http://www.ueno.or.jp/history/history_02.html

 

 初めの胸像が兄弟違いであったことなど、何かと面白い。フランス系というから元々の発音は「ボードワン」だろうが、オランダ語なら「ボードウィン」が正しいという。

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 グリーンパワー10月号、もうひとつの目玉は「森林文化通信」のページ、『対馬で生きたカワウソを確認/もともといた? 人が放した? 韓国から?』

 カワウソは僕の人生の最も古い記憶を構成すること、たぶん前に書いた。愛媛県の県獣がニホンカワウソであり、絶滅が告知された後も変更されていないこと、これも書いたと思う。それやこれやでカワウソへの思い入れは深いが、「愛媛/高知で滅んだものが対馬に生き残っていた」と単純にイメージしているわけではない。案の定、対馬のは半島由来のユーラシアカワウソらしいという話だが、それがこのニュースの嬉しさを減じるわけでもないのである。

 何というのかな、そう、超知能をもつ宇宙人が地球を外部から観察し、残念、ネアンデルタール人は絶滅しちゃったのか、あれは捨てがたい味があったが、まあ現生人類にも別の面白みがあるから、当面あたたかく見まもってやろう、などとブツクサ言ってる図が浮かぶといえば、少し伝わるだろうか。

 伊豫松山のわが家の前を流れる河野川、ここに昔はカワウソが住みホタルが群がった。カワウソは知らないがホタルは覚えている。今はホタルも見えないが、それでもカワセミは宝石のような翼を翻して飛び過ぎ、多種多様な蜻蛉が入れ替わり立ち替わり姿を現す。まだまだ先は長いのだ。

 そうそう、四国山中にニホンカワウソが生き伸びている可能性、僕は案外あると思っている。人の生活圏が大きく後退する21世紀、別の豊かさがそこで復活するかも知れない。

Ω