2020年4月22日(水)
『殺人狂時代』の邦題で知られるチャップリンの映画、原題は "Monsieur Verdoux" である。
主人公が処刑される直前の有名な台詞、
"One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify."
「一人殺せば悪党だが、百万殺せばヒーローだ。数が多けりゃ崇められる。」(私訳)
”sanctify" の和訳は難しい。「聖別する」「聖化する」といった意味のすぐれて宗教的な言葉で、むろんチャップリンはそれを承知で使っている。それもそのはず、これはもともと英国国教会牧師 Beilby Proteus(1731-1809)の言葉だそうだ。字幕翻訳者も悩んだことだろう、「数が(行為を)正当化する」とやっていて、日本語ではこれぐらいしかないかもしれない。"sanctify" は痛烈な皮肉で、ムシュー・ヴェルドゥーがこの言葉を吐いた直後に神父が監房にやってくる。
1947年制作の作品、これが1952年の国外追放の伏線になったなどとは今日では信じ難いが、そこから逆に時代の空気を知ることができる(赤狩り!)。制作に要する時間を考えれば、進行中の戦争について早くからシニカルな見方をしていたものであろう。1940年には、まだ戦争など他人事の時期のアメリカで、『独裁者』 "The Great Dictator" を公開した同じ人物である。月並みな表現だが、特定のイデオロギーに追随停滞することなく、常に時代の一歩先を行っている。それが非凡なのだ。
上記のような引用を含め、チャップリン作品は警句満載である。
「絶望は麻薬に似ている。人の心を麻痺させる。」
これも『殺人狂時代』から。
麻痺した心は叫ぶことも書きとめることも止めてしまうから、絶望に真にうちひしがれた人々の思いは決して表には出てこない。いま我々が直面している困難についても同じことである。
かつて助けた女性に助けられ、庇護下に入ろうとする寸前に被害者の家族に発見されて、ムシュー・ヴェルドゥーが車窓越しにさよならを告げる。
どうするつもり?
「運命に従います」と字幕に出るが、彼の言葉は "I'm going to fulfill my destiny." だった。fulfill は単に従うこととは違うだろう。
旧約と福音との連続性を重視するマタイ福音書が、くどいように付け加える「預言が実現するため」あるいは「成就するため」という言葉、この「実現する」「成就する」はギリシア語 πληροω の和訳であり、これが英語の fulfill にあたる。
この語によって、マタイは神意が過(あやま)たず果たされることを証し、ムシュー・ベルドゥーは突きつけられた盃をせめて自ら飲み干そうとした。
ゲッセマネのキリストが重なって見える。
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