散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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海岸線の長さを競う

2015-09-30 07:45:13 | 日記

2015年9月30日(水)

 電車内で楽しむ日能研問題。

 各都道府県の海岸線の長さを長い順に掲げる。括弧内は面積についての順位である。

 1 北海道 (1)

 2 長崎 (37)

 3 鹿児島 (10)

 4 沖縄 (44)

 5 愛媛 (26)

 どっかの学校の入試問題で、ポイントは2位の長崎が面積では37位と小さな県であることから、どちらも1位の北海道などと比較して、ナゼ海岸線がそんなに長いかを論じさせるものである。長崎はその特徴が突出しているが、沖縄や愛媛も「小さい割に海岸線が長い」という点は同じだよね。

 リアス式などと言われる海岸線の湾曲・凸凹は重要なファクターだけど、典型的なリアス式海岸をもつうえに面積の大きい岩手などが登場しないのは、そもそも海洋との接触面が限られているからだ。愛媛などはその反対で、四国の中でもたとえば徳島の海岸が県の東側に限られているのに対し、愛媛は北・西・南と至るところで海にせりだし、全体として半島に近い形をしている。

 もうひとつのファクターは島の存在で、島は全周が海岸線だからきわめて効率的に海岸線の長さを伸ばす効果がある。それも、島が小さいほど良い。大きな島がひとつある代わりに、同じ形の小さな島が10個あるとすれば、仮に総面積が同じだとして海岸線は・・・え~っと、ちょっと待ってね、すぐに計算するから・・・ともかく、うんと伸びる。島の効果がいちばんはっきり出るのは沖縄のはずだから、もしもこの問題を空所補充で出されたら、僕だったら2位が「沖縄」と答えちゃったかもしれない。地図を一見すれば、長崎が上に出る事情はすぐさま納得できる。なるほど佐賀と地続きではあるものの、全体としては複雑に入り組んだ半島と島の集合体である。

 海洋との接触面、海岸線の形状、島(特に数多くの小さな島々)の効果、そのあたりで答えになりましたでしょうか?

***

 郷土豫州はは第5位、なるほど海の国であり島の国であったのだ。目の前の鹿島、沖合に望む中島、松山沖のかつて桃の名産地だった興居島(ごごしま)、東に目を転じて「しまなみ海道」を構成する夥しい数の島々、南の宇和海には藤原純友一党の根拠地だった日振島(ひぶりじま)まで。宇和海のリアス式海岸は、海岸線延伸の最大要因だろう。真珠貝の養殖では愛媛は既に全国一になっているが、そのラインアップは、①愛媛県(宇和海)、②三重県(英虞湾)、③長崎県(対馬)、④熊本県(天草)で、この4県が全国生産量の90パーセントを占めるという。リアス式+島という地形の効果が明瞭に現れているが、地の利を生かす人の働きがあってこそに違いない。

 「瀬戸の島山」と題された郷土資料集を、確か中学校の社会科教員である叔父(二人いる)の一方から手渡されたのが、今も背後の本棚にある。読んでみようかな。45年ぶりぐらいだ。

  日振島

 【宇和島市観光協会】宇和島市観光ガイド

http://www.uwajima.org/course/index10.html


東海林さん

2015-09-29 08:25:12 | 日記

2015年9月28日(月)

 「大学の窓」で紹介してくれることになり、今日はその収録があった。趣味がジョギングとか口を滑らせたので、まずはグラウンドでアナさんと軽く走るところから始まり、研究室へ移ってからは碁の面白さを熱弁する。『私の研究』というタイトルだったはずだが、結局何の話をしたんだかよく分からない。インタビューの後は、必ず「ああ言えば良かった」「これも話したかった」と後悔が先に立つ。まあ仕方ないよね。

  2006年1月8日、谷川真理ハーフマラソン5kmの部

 

 カメラマン氏が「私は碁は全然わかりませんが、息子らが近所の高尾さんという人にときどき教わってまして」「高尾って、高尾紳路さん?」「ええ、その高尾さん」。こちらの目が三倍ぐらいの大きさになったはずだ。高尾さんは確かに千葉の人だが、こんな近場にそんな話があるとは知らなかった。いいなあ、すごいなあ、うらやましいなあ。

   高尾紳路九段(日本棋院HP)

 

 帰りに事務に寄ったら異動があったとのことで、先日連絡をくれた担当者とは別の若い人が対応してくれた。名札に「東海林」とある。どう読みますか?

 これを「しょうじ」と読む例は、「ショージ君」の東海林さだを氏はじめ数多く、こちらの方が多数派らしい。(ただし漫画家の実姓名は庄司禎雄さんである由、Wiki 情報。)この字配りで、どうして「しょうじ」かと不思議だが、平安・室町期に荘園の司を意味した荘司・庄司という官職名が、ある地域でこの役職を世襲していた東海林氏の読みに転じたという説を、知恵袋のやりとりで見つけた。「もし、その庄司が「西海林」姓だったら「西海林」で「しょうじ」だったかもしれませんね」という質問者のコメントが愉快である。

 我らが同僚は「とうかいりん、です」と名乗ってくれた。「立ち入ったことを失礼だけど、ひょっとして御出身は・・・」「親が山形です」と笑顔で教えてくれる。やっぱり!

 山形市立第六小学校に転校していった時、クラスに東海林悟(とうかいりん・さとる)君という少年がいた。頬に大きな黒子のある気の優しい子で、1968年秋のある放課後にでっかいお好み焼きをおごってくれたっけ。山形には「とうかいりん」姓がかなりある。

 懐かしいな。

   手許の「ショージ君」から


週刊『碁』に大幻滅

2015-09-28 22:59:50 | 日記

 2015年9月28日(月)

 太閤殿下の喪中に騒ぎはいかがなものかと、家康が武断派の面々をたしなめた。もっともであるけれど、少々違う話で。

 先ほどの週刊『碁』の記事である。再掲する。

 「結城が不戦勝でV - 決勝の組み合わせは25世本因坊治勲 - 結城聡九段の顔合わせとなったが、決勝戦収録当日、夫人の危篤に付き添っていた治勲から不戦敗の申し出があった(翌日逝去)。テレビ棋戦の決勝戦で不戦敗が出るかもしれないという異例の事態を受けて、主催者・(株)囲碁将棋チャンネルと日本棋院、関西棋院が協議した結果、後日結城の不戦勝ということに決まった。」

 事実経過を告げるのは新聞だから当然、問題はその後である。

 「結城の竜星戦優勝は、10年ぶり二度目。『決勝を打つつもり満々でいましたので、ちょっと変な気持ちですが、でもやはり優勝は嬉しいです。

 本戦を振り返ると、パラマス戦で3勝をあげてギリギリ決勝トーナメント入りしたものの、森田道博九段との一局はひどい内容で、まさかの逆転勝ち。決勝トーナメントに進めただけで運が良かった。他にもまずい碁がいくつかあり、今回の優勝は本当に運に恵まれたと思います。』(編集室)」

 

 以上、である。何かおかしいと思いませんか?

 故人に対して片言の弔辞もなく、決勝戦を返上して夫人をみとった棋士・趙治勲に対して隻句のねぎらいもない。これでは「生イカを食べて腹痛を起こしたため不戦敗の申し出があった」というのと変わりないではないか。テレビ棋戦の決勝がキャンセルされることばかりを「異例の事態」と騒ぎたて、人の命に関わる趙夫妻の事情には味もそっけもなく「翌日逝去」って、それはないでしょ。

 さらに記事後半の字面をそのまま追えば、優勝者の結城九段は趙の最大の不幸から生じた事態を「ちょっと変な気持ち」で片づけ、「幸運」のひとつに数えさえする勝ち負けの亡者のように見えてしまう。そんなはずがないのだから、なおさら記事が大バカだというのだ。そういうつもりで書いたのではないだろうけれど、そう読めてしまいますよ。

 10年ほど毎週のように愛読してきたが、もうやめた。この種の配慮の欠如は僕にとって些末なものではない。「棋道」そのものに関わることである。

 


治勲さんの不戦敗

2015-09-28 21:38:47 | 日記

2015年9月28日(月)

 数ある棋戦の中で竜星戦は独特の面白さがある。この方式は何というのかと思っていたが、調べてみると「パラマストーナメント」または「ステップラダー」方式というらしい。後者は stepladder だが前者の語源がわからない。何しろ、あらかじめ参加者を序列化しておく。最下位2者が戦って、勝者がすぐ上位の者に挑戦する。これを繰り返していくのである。下位序列者の負担が重いという意味では不公平なのだが、その代わり下位の好調者が上位者を次々に薙ぎ倒していくことが時々起き、これはなかなか圧巻である。

 通常の棋戦は、予選を勝ち上がった者がリーグを構成して総当り戦を行う。王道と言えるやり方で実力者の碁をじっくり見られる良さがあるが、新進の若者がリーグに登場するには時間がかかってもどかしい。その点、ステップラダー方式では彗星のように現れた新鋭が、当代の一人者に挑戦することも可能になる。今年それを成し遂げた若手陣の筆頭は許家元、その勢いを辛くも止めたのが治勲さんだった。

 

 ステップラダーで選ばれた8強が通常のトーナメントで優勝を競う。一方の枠からは許を抑えて治勲さん、他方の枠からは様子も棋風もダンディーな小林覚さんに競り勝って、結城聡九段が挙がってきた。その決勝が行われたはずで、これはさだめし熱戦となったに違いない。新木場のキオスクで週刊「碁」を買って開く手が期待に震える。ところが何ということ、記事を読んで呆然とした。手が震えたのはまったく別の理由だった。

 「決勝の組み合わせは25世本因坊治勲 - 結城聡九段の顔合わせとなったが、決勝戦収録当日、夫人の危篤に付き添っていた治勲から不戦敗の申し出があった(翌日逝去)。テレビ棋戦の決勝戦で不戦敗が出るかもしれないという異例の事態を受けて、主催者・(株)囲碁将棋チャンネルと日本棋院、関西棋院が協議した結果、後日結城の不戦勝ということに決まった。」

 

 治勲さんの奥さんがどんな方であったのか、情報は何一つもたない。けれども治勲さんが奥さんにベタ惚れの愛妻家であったことは、誰だって察しがつく。毎回の「お悩み天国」を読んでいれば分かることだ。あれがノロけでなくて何だろう。最近「お悩み天国」を見かけないし、かといって連載終了の告知もないと思ったら、こんな事情があったのか。しかし治勲さんは竜星戦を打ち続け、勝ち続けた。そしてその内容がすばらしく充実している。

 ほんの数日前、碁はまるで分からない家内に向かって「治勲さんは偉い、すごい、最近の碁はとりわけ純粋で邪念がない」などと知った風なことを語ったところだった。地にカラく、相手の根拠を厳しく奪っていくのが長年の身上なのに、最近は二連星などから模様を張る布石をよく見かける。どんな布石でもいいらしい。ただ、攻めとシノギの集中力は往年に少しも劣らず、ますます溌剌としている。彼の人柄そのままに、石が熱を帯びて躍動するようだ。

 決勝を見事制し、自身のもつ通算タイトル獲得数の記録を75に伸ばして、病床の奥さんを励ましたかったに違いない。けれどもそんなことは、奥さんを見守る一日のかけがえのなさに比べれば、何でもなかったのだ。かつて治勲さんは、自分の車に接触転倒したバイクを気遣い、車から降りたところを自分がはねられた。全身に多数の骨折を負い、それでも不思議に頭と右手が無事であったため、病院を抜け出して小林光一と番碁を打った。

 勝負の鬼、優しい鬼、その胸中を察するに察しきれず、ただ我がことのように無念である。

  日本棋院HPより


秋の憂鬱

2015-09-28 08:24:39 | 日記

2015年9月27日(日)

 勝沼さん、コメントありがとう。

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 ルメイのことを知ったのはジョン・ダワーの『容赦なき戦争』を読んだ時だと思います。この本の中ではアメリカの要人達は「日本人を民族として殲滅する」と公言していました(ドイツやイタリアに対してはそんなことは言わず)。

 戦争中のこういう発言がどこまで本気なのかは分かりませんが、日本人のみならずアメリカ人も終戦を機に180度に近い転換をしたように思えます。

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 結句にハッとしました。勝沼さんの指摘には、いつも盲点を突かれます。そうですね、人(々)は変わるということを考えないといけません。そのうえで、展開の仕方はいろいろありますよね。本当に変わったのか、変わったとすれば何がどう変わったのか、変わったから不問に付してよいのか、問題なのは変わった部分か変わらない部分か、等々。

 僕のクセとして、ひとつにはおよそ変わるものに対する不信・懐疑があるようです。もうひとつ、変わらない部分に注目し、しつこく食い下がっていく傾きがあるのだと思います。あながちいけないということもないでしょうが、自覚していないとね。

 この件に関する最大のポイントはカーチス・ルメイの(あるいはおしなべて戦争の)あっぱれな残虐さではなく、極刑に値するこの大犯罪人を、こともあろうに勲一等旭日大綬章という最高の栄誉で讃えた日本の指導者の精神構造にありました。その倒錯の構造が、今日まで脈々と「変わることなく」受け継がれていることを憂うのです。「昭和天皇はルメイに対して親授を行わなかった。」この短い記載は何を意味するのでしょう。

 自分たちを代表する政府、自分自身の属する国家を信頼できないのは、本当に悲しいことです。