散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

サルも知る「公平」の起源

2016-02-26 07:44:31 | 日記

2016年2月26日(金)

2・2・6という数字からそのことを直ちに連想する人が、今どのくらいいるんだろう。冷え込みは厳しいが、雪ならぬ快晴の朝。

最近いちばん笑ったネタを書き忘れていた。

『隣のサルとの不公平を指摘し怒るサル』 

http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/animal_pet/p8942a5a7d929e6b618c64db19935e6c1

通して見ても面白いが、キモの部分は13分あたりからである。

Ω


訂正と謝罪 / ケネディ教書転載

2016-02-25 11:16:49 | 日記

2016年2月25日(木)

 「担当課の辞書に『情状酌量』の語はない」と書いたこと、事実誤認でありました。

 堅く口止めされているので具体的には書けないが、出入りの業者ととある職員が多忙の合間を縫って運動画策し、僕のミスを部分的に埋め合わせてくれた。

 ごめんなさい、そしてありがとう。仕事を動かすのは人間であることを、今回また確認しました。

 海外で盗難に遭って難渋しているわが家の豚児も、人々に支えられて生き延びているらしい。渡る世間には鬼もいるが、お地蔵様もいるのである。

 ***

 謝罪というか自己批判というか、ひとつのお手本として、長いけれど http://www.arsvi.com/d/m01h1963k.htm から拝借して貼り付けておく。

 

精神病・精神薄弱に関するケネディ大統領教書

(Message from the President of the United States relative to Mental Illness and Mental Retardation)

 野田正彰 2002:263-276より引用

 

 健康改善の分野において、わが国の最も緊急な課題に関する教書を、簡潔に議会に対して送るものである。ただ2つの問題に限ってであるが、この2つは非常に重大であり、かつ悲劇的なものである故に、しかも公的措置によってこの2つが改善され得る可能性が、従来払われていた注意に比べ、はるかに大きいものであるが故に、新らしい国策として議会に提出する特別教書に価するものである。このいわば双生児的な問題とは、精神病と精神薄弱の問題である。

 公衆衛生局の初期の時代から、国立精神衛生研究所の最近の研究に至るまで、連邦政府は保健問題に対処するため、公的エネルギーを援助し、刺激し、その道をつけることをその責任としてきた。伝染性疾患については、今やおおむね制御が可能となり、主な身体疾患のほとんどが、その原因と治療を見出そうとする人類のたえまない努力の前に敗北しつつある。しかし、精神障害に対する公衆の理解や、その治療・予防は、近代史の初期以来、未だこれに比肩すべき進歩をとげていない。

 しかも、精神病および精神薄弱は、われわれの直面する保健問題のうちで、最も火急のものである。この2つは他の疾患よりもはるかに頻度が高く、多数の人々をおかし、きわめて長期にわたる治療を必要とし、患者の家族に極度の苦痛を与え、きわめて大量の人的資源を浪費し、国家財政および個々の家族の大きな経済的負担となっている。

 こういう患者のうち、約60万人は精神病院に、約20万人は精神薄弱施設におり、あわせて80万人の患者が病院・施設に収容されており、毎年150万人に近い患者が、精神病院と精神薄弱施設において治療を受けているのである。患者の大多数は、時代おくれの巨大で超満員の州立病院に、すし詰めの状態で閉じこめられ、患者の治療費は一日僅か4ドルの平均支出である。この額は患者一人にとって余りに少額で、これではほとんどなにもしてやれないのである。しかし、精神衛生関係費を有効に使うという点でいえば、全体的に少額とはいえない。州によっては、平均一日2ドル以下しか支出できぬところもある。

 納税者である国民に課せられたこの税金の総額は、年間24億ドルをこえ、これが直接公的経費にあてられているのであって、約18億ドルが精神病、6億ドルが精神薄弱の対策にあてられている。これに福祉対策費や人的資源の浪費という間接的な公的支出を加えれば、さらに莫大なものになる。しかも患者自身と家族の苦悩は、こういう財政的な数字を超えたものである。ことに精神病と精神薄弱はいずれも幼児期に発病することが多く、一生患者にとって障害となり、その家族には生涯の苦労となるのである。

 こういう事態は、今まで余りにも長い間、放置されてきた。それは、われわれ国民の良心の痛みであったが、また、口にするのも不愉快で、容易にあとまわしにでき、しかもその解決はほとんど絶望的な問題であった。連邦政府は、その問題が国策的に重大であるにもかかわらず、解決を州政府にまかせ、州政府はその解決を監置的な病院や施設にまかせてきた。これらの病院・施設は、職員不足、過剰入院、居心地の悪さといった点で、恥ずべき状態にあり、この施設からのがれ出る唯一の確実な希望は死のみであった。

 今や大胆で新しい対策の望まれるときがきた。新しい医学的、科学的、社会的技術を彼らに適用することが可能なのである。議会、行政当局、関連する民間団体によって行われた一連の総合的研究が実を結び、その結論のすべてが同一方向を示している。

 連邦、州、地方のあらゆる段階における行政府は、民間財団や個々の市民とともに、この領域におけるおのおのの責任を果たすべく、立ち上がらなければならない。われわれの主な攻撃目標は、次の3点におかれる。

 第1に、精神病と精神薄弱の原因を追及し、これをなくさなければならない。「1オンスの予防は1ポンドの治療にまさる」のであり、予防のほうが関係者にとってはるかに望ましいからである。それは、はるかに経済的で成功の可能性が高い。予防をすすめるには、既知の原因に対する特別計画が必要であり、精神薄弱と精神病に関連する不利な環境条件を有効に排除・矯正できるような、基本的な地域社会対策、福祉対策および教育計画の強化が必要である。以前に私が議会に送った教育に関する教書と、近いうちに送る予定の国民健康に関する教書に述べた諸提案がこの目的達成に役立つであろう。

 第2に、将来、長年にわたって行われる精神障害に対するわれわれの闘いを開始し、これを持続させるために、必要な知的資源の強化、とくに専門家の増強を行わなねばならない。各種の専門職員が精神薄弱者のために役立つのであり、現存する訓練計画を充実させ、新しい諸計画を推進させなければならない。なぜならば今後十年以内に、これらの領域に働く専門職員を数倍に増やさない限り、われわれの努力は実を結ばないからである。保健関係職員の訓練・教育に関する私の提案は、この目標に不可欠である。すでに提案されている青少年雇傭計画と国家的サービスとは、ともにきわめて有力な助けとなるものであり、また、精神の欠陥や障害を予防し治療する方法を知るためには。研究への努力を拡充強化しなければならない。

 第3に、精神病者と精神薄弱者対策ならびに施設改善をはからなければならない。とくに精神障害者が治療され、その機能をできるだけ回復させるように、時宜を得た、しかも集中的な診断、治療、訓練およびリハビリテーションが強調されねばならない。精神病者と精神薄弱者に対する対策を、地域社会に直結したものとし、地域社会の要求にこたえるものとしなければならない。

 私はここに目的を置いて、新しい精神病・精神薄弱対策を提案する。この対策は、大まかにいえば、州、地方自治体ならびに民間活動を促進させるために、連邦政府の資金を投入する企図である。これが実行されると、従来の監置的隔離という冷たいやり方に代わって、開放的で温かい地域社会の関心と能力が示されるようになるだろう。患者を施設に閉じこめ、衰えさせてしまうという無関心さは、予防、治療およびリハビリテーションにとって代られるであろう。

 減税期における国内支出削減の努力のなかで、私は新規計画を延期し、あらゆる分野で追加支出をできるだけ削減してきた。しかし、精神障害に対する国策の転換は、一刻も延期できない。監置主義の施設にいる多数の精神障害者や、地域社会にあって援助を必要とするさらに多くの人々を、十分な治療もせずに放置しておいて、「資金が足りない」「将来の研究に待つ」「今後を約束する」といった口実で、余りにも長い間正当化されてきた。われわれはもう一刻の猶予も許されない。ここに国家的精神衛生計画および精神薄弱に対処する国策を提案し、速やかな議会の関心を要望するゆえんである。

 

 1 精神衛生に関する国策

 私は精神病者の医療にまったく新たな重点施策と方針を打ち出すために、国家的精神衛生対策を提案する。この対策は、多くの精神病者が在宅のままで有効な治療を短期間受け、有用な社会の一員として復帰できるようにした最近の研究と発見、すなわち新しい知見と新薬にその多くを負っている。

 こうして突破口が開かれ、患者を社会から隔離し、長期、ときには半永久的に、巨大で憂鬱な精神病院に押し込め、われわれの視野から抹殺し、忘れ去っていくといった従来の治療法は、今や古めかしいものとなった。私はこのような病院の状態を改善しようと努めた多くの州の努力や、病院職員の献身的奉仕に対し敬意を払うものである。しかし1961年の精神疾患および精神健康に関する合同委員会が指摘するように、こういう仕事は座折しがちであり、その成果も明るいものではなかった。

 州によっては、五千、一万、時には一万五千人の患者を、職員不足の巨大な施設に詰め込まざるを得ない状態である。その多くが経済的理由のためとされているが、こういうやり方は、人的にも損失であり、真の経済的見地からみれば高価につく。このことは次の統計が明らかに物語っている。

 州立279施設の5分の1近くは火災の危険にさらされて非健康的であり、その4分の3は第一次世界大戦前に開設されたものである、州立精神病院に入院中の53万人の患者の約半数は、3000床以上の施設におり、個人的な医療や考慮が払われることは、およそ不可能である。これらの施設の多くは、必要な専門職員数の半ばにも達せず、患者630人に対して、1名の精神科医がいるかいないかという状態である。しかも入院患者の45パーセントが10年以上継続して入院している。

 しかし明るい材料もある。それはここ数年、次第に増えていた施設へのつめこみ傾向が逆を向いてきたことである。それは、新薬の使用、精神病の本質に対する公衆の理解の増大、総合病院における精神病床、昼間通院施設(デイケア・センター)、外来精神科施設などを含む地域社会施設が設置されるようになったことによる。地域社会の総合病院では、1961年に20万人以上の精神科患者を治癒退院させているのである。

 私は確信する。もし医学的知識と社会の理解が十分に活用されるなら、精神障害者はごく少数を除いてほとんどすべてが、健全で建設的な社会適応をかちとることができる。精神病のなかでも最も多い精神分裂病が、3人のうち2人までは治療可能であり、6カ月以内に退院させることができることが実証されている。だが現在のような状況では精神分裂病の入院期間は平均11年に及んでいる。11の州では近代的な技術によって、精神分裂病の入院患者は、10人のうち7人までが9カ月以内に退院している。さらに一例として、ある州では要入院の患者に対してあえて入院に代わる方法を計画した結果、患者の50パーセントを在宅のままで治療するのに成功した。精神障害に対する一致した国策が今こそ可能であり、意義あるものとなった。

 広汎な新しい精神衛生対策を押し進めるならば、10年か20年のうちに、現在監置的医療を受けている患者の50パーセント以上を減らすことができよう。多くの患者が自分自身にも、家族に対しても、苦しみを与えずに家庭で生活させられるようになり。入院患者の社会復帰も促進されるだろう。患者はほとんど例外なしに、有益な人生をとりもどすことができ、精神病にともなう家族の不幸をなくすことができる。そしてわれわれは公的資金を節約し、人的資源を保存することができるのである。

 

 総合的地域社会精神衛生センター

 新しい精神衛生対策の中心は、総合的な地域社会対策である。現行の入院保護は時代おくれであり、これに対して引き続き国費を注ぎ込むだけでは、従来のやり方と大差がない。必要なのは新しい型の衛生施設であり、精神衛生対策をアメリカ医学の主流にもどし、同時に精神衛生サービスを向上させることである。ここに私は議会に対して次の諸点について許可を与えるよう勧告する。

(1)各州に対し1965会計年度から、総合的地域社会精神衛生センターを建設するための予算と、計画に要する費用の45ないし75パーセントを連邦政府が提供すること。

(2)総合的地域社会精神衛生センター設立当初の職員充足費として、短期補助金の75パーセントを連邦政府が計上し、その後漸減する方針で、4年程度の期間に前記経費の提供を打ち切ること。

(3)国立精神衛生研究所の指導のもとに、新しい地域社会対策の準備を促進させるため、建設または職員任用に要する準備費として、420万ドルを計上すること。この計画資金は1963会計年度に承認された同種の予算額に追加して、私が提案した1964会計県土予算に包含されている。

 総合的地域社会精神衛生センターの基本概念は新しいものであるが、そこに組まるべき要素は、現在でも多くの地域社会に見出すことができる。即ち、診断、判定期間、精神科緊急病棟、外来診療所、入院設備、昼間通院施設、夜間病院、里親保護、厚生指導、地域社会の他機関への相談指導および精神衛生の広報並びに教育活動などである。

 このセンターは地域社会の諸資源に焦点をあわせ、精神衛生対策のあらゆる面において、よりよい地域サービスを提供する。治療とともに予防も主たる活動になる。センターが自分自身の地域社会内に存在していることは、患者の要求をよりよく理解し、その回復によりふさわしい環境を保つことを可能にする。患者の要求が変わるに従い、異なったサービスへ、なんらの遅延も困難もなしに患者は動くことができ、診断サービスから治療サービスへ、厚生指導へと移動することができ地域にある別の施設へ移る必要がなくなる。

 連邦の援助を受ける総合的地域社会精神衛生センターは、地方のさまざまな組織の援助を受けることになる。連邦政府はかつて有効だったヒル・バートン方式によって、その建設を進め、公共基金または民間の非営利基金に釣り合う支出を与える。理想的には、このセンターを地域社会の適切な総合病院に設置するのが望ましい。総合病院の多くがすでに精神科病棟を持っており、こういう総合病院の医療設備をいちどきにまたは数段階に分けて、補充することによって総合的な計画を遂行することができる。あるいは現在の精神科外来診療部がこういうセンターの中核となって、仕事を拡大し、地域社会にある他の機関との統合を図ることもできる。センターその他種々の援助のもとに、たとえば州や郡政府または非営利民間団体の援助のもとに、州立精神病院分院のような形ででも、効果的にその機能を発揮することができる。

 開業医、精神科医および他の専門医を含む非常勤医はすべてセンターの仕事に直接参加ないし協力することが望まれる。これによって初めて多くの開業医は外来治療にも入院治療にも、直接かつ迅速に動員できる専門助力職員の配置された精神衛生施設で、自分の患者を治療する機会を持つことになる。

 このセンターは本来は地域社会の精神衛生上の要望に応えるために計画されるが、精神薄弱者に対しても、情緒的な問題があれば来所できるようにすべきである。センターはまた専門治療家の指導や、親や学校や保健所その他の公的・私的機関など、精神薄弱者に関係する機関への相談助言を提供すべきである。

 センターによって提供される医療は、他の医療費や入院費と同じように扱われねばならない。かつては精神病の予後が例外なくわるく、長期の、時には終身の治療を必要とすることが少なくなかったので、一般医療費と同じに扱うのは適当でなかった。しかし精神安定剤や、新しい治療法によって精神病は今日では比較的短期間に、何年というのではなく何カ月とか何週間とかで、きわめて高い治癒率でなおるようになった。

 その結果、患者の個人負担金、個人保険、団体加入保険、第三者による医療負担、民間の援助、州・地方自治体の援助は、これらの対策が整備され次第、患者の医療のための継続的負担にたえられるようになる。長期にわたる連邦政府の財政補助は不必要であるばかりでなく、望ましいものではない。しかし多くの地域社会にとって、新しく着手する高価な事業なので、センターを設置し運用するための初期段階の負担に見合う連邦の臨時援助資金が望ましい。この援助は目的に適った刺激であり、漸減の方針で数年後には打ち切りにする。

 地方財政および民間財団によるこの方式の成否は、健康保険計画とくにわが国経済における民間企業の健康保険が十分に整備されているかどうかにかかっている。最近の調査によると精神衛生のための医療、とくに新しいセンターの事業の重要部分である診断及び短期治療の費用は、比較的廉価に保険化できることがわかっている。

 私は健康・教育・福祉省長官に対し、民間の任意健康保険の拡充を援助して、精神衛生医療をそのうちに含める措置を研究するように指示した。私はまた、連邦政府公務員に対する健康管理計画のような現行の連邦の保険計画を検討し、精神衛生医療を増強するために、新しい処置が必要かつ望ましいかどうかについて検討をはじめた。

 この総合的地域社会衛生センターの準備ができ次第、できるだけ早く活動し始めなければならない。必要な人的資源と設備が準備され次第、計画の初期数年間にすべての主な地域社会に拡大されるよう、大きな努力を展開することを提案する。

 ここ数年のうちに、州および地方自治体の援助により増強された精神衛生保険計画と、州精神科施設からの州レベルの資源の再編成とがあいまって、地域社会中心の精神衛生対策を確立し、国民に役立てるというわれわれの目標達成を促進させる。

 

2 州立精神科施設における改善された医療

 地域社会精神衛生センター計画が十分発展するまでは、既存の州立精神科施設における医療の質の向上が要望される。施設の治療的機能を強化し、地域社会に役立つ開放された施設になることによって、この多くの施設は過度的役割を立派に果たすことができる。州立精神病院が集中的なモデル的研究や試験的研究を行って医療の質を向上させ、これらの施設に配置する職員の現任訓練が行えるよう、連邦政府の物質的援助が可能である。これは入院治療と現任訓練との実験計画に、特別交付金を与えるという形で行われるべきであり、この目的に対して、1000万ドルの支出を提案する。

 

3 研究および人的資源

 精神衛生に関する主な国家計画を提出したとはいえ、まだまだ知らねばならぬことが沢山ある。心理過程の基礎ならびに応用的研究、治療、精神疾患に関する他の研究分野に活動する開拓的な研究者を支援する努力を怠ってはならない。さらに多くの研究結果を実践に移し、それを改善していくことが必要である。私は精神疾患および精神衛生における臨床的研究、実験研究、地域調査を拡充していくことを提案する。

 われわれがいかに速やかに研究成果を拡大し、精神衛生の分野における新しい行動計画を推進させることができるかは、訓練された人的資源が利用できるかどうかにかかっている。現在、人的資源の不足は中心的専門職および補助職員のほとんどすべての範疇におよんでおり、精神科医も臨床心理職も、ソシアルワーカーも精神科看護者も不足している。計画を成功させるには、これらの分野における専門職の人的資源を急増しなければならない。すなわち、1960年当初の4万5000人から1970年にはおよそ8万5000人の供給が必要になる。この目標に対する対策として、私は年度会計よりも1700万ドル多い6600万ドルを、職員訓練費として充当することを勧告する。

 さらに私は、精神科施設および地域社会センターに雇傭する精神科看護助手とその補助員の研修を援助するため、人的資源開発訓練法規(The Manpower Development and Training Act)を発動するように指示した。

 しかしこの特別訓練計画を成功させるには、計画がすべて基礎的訓練の上に立てられていなければならない。この新しい精神衛生計画の成功のためには、議会が医師および関連領域の保健職員を訓練する援助を裏付ける法律を制定することが不可欠である。

 その対策は、間もなく議会に提出する衛生教育のなかで、相当ページにわたって論じられるであろう(第2章には「精神薄弱に対する国策」が述べられているが、ここでは略す)。

 われわれは国民として、今まで長い間、精神病者および精神薄弱者を無視してきた。このような無視はわれわれが同情と尊厳の理念を守り、人的能力を最大限に活用しようとするならば、すみやかに是正されなければならない。

 この伝統的な無関心さをなくして、国中のあらゆる層、地方、州、個人、すべての行政機関の段階において、力強い遠大な計画を実行に移さなければならない。

 そのためにはわれわれは次のことを実行しなければならない。

 すべての精神障害者に、社会のあらゆる恩恵をわかち与えること。

 精神病および精神薄弱の発生を、いついかなる場所においても防止すること。

 精神障害者になったものを、早期に診断し、社会においたままで持続的かつ総合的な治療・看護を行うこと。

 精神障害に対する州立・私立の病院・施設における治療・看護の水準を向上させ、地域社会中心の計画に切り替えさせること。

 これらの施設に閉じこめられた人びとを、数年にわたって、毎年数百人、数千人とその数を減らしていくこと。

 精神病者と精神薄弱者を地域社会内にとどめ、また連れ戻し、すぐれた保健計画と強力な教育・リハビリテーション活動によって、かれらの生活に再び活気を与えること。そして、この問題に対処できるように、地域社会の意志と能力を強化し、こんどは地域社会が個人やその家族の意志と能力を強化できるようにすること。われわれは能力の限りをつくし、あらゆる手段を用いて、国民の精神的・身体的健康を向上させなければならない。

 これらの重要な目的を果たすために、私は以上の勧告を議会が承認することを要請する。

1963年2月5日 ジョン・F・ケネディ

 


同い年のCCCで当事者さんたちと盛り上がったこと

2016-02-25 07:58:54 | 日記

2016年2月13日(土)・・・10日後の振り返り

 日記代わりのブログ、日記と同じで、充実していた日に限って記載が遅れがちになる。1月後半からのプチ講演ラッシュ、締めくくりはCCC(キリスト教カウンセリングセンター)主催の講演会。『統合失調症が問いかけること』というタイトルがヒットしたようで、定員100人の予定を超える出席者があったようである。一時的に気温の上がった南風の強い日で、めったに降りない目白駅から学習院とは反対側、西へ向かって歩いて行けば、ここは教会が多いのだね。目白通り北側の聖公会など、ちょっと目を見張る感じに美しい。

 僕のめざすのはそこではなくて、その少し先を南へ折れたここ。

   こちらも立派でしょう。

   証拠写真

   これまた証拠写真

 会場では賀来先生が、まだ早いのに出迎えてくださる。僕は賀来先生に私淑していて、こうしてお目にかかれるのが嬉しいので、講演やら執筆やらのお手伝いをしている。

  こちらが賀来周一(かく・しゅういち)先生

 昨年はルーテルの牧会セミナーで使っていただいた。今年も実施されたそうで、テーマは「十字架の神学」だったかな。「贖罪」だけで良いのかどうか論じられたというので、ちょっと驚いた。

 「主の十字架に、贖罪以外の意味があるのですか?」

 「不条理という視点から考えようという動きがあるんです。」

 ははあ、こいつは驚いた。なるほど不条理には違いない。不条理と言えばヨブ、『ヨブへの答え』とはキリストに他ならぬというのがスジではあるが、十字架そのものを不条理として理解すると・・・ん~、ちょっとイヤな予感もある。世俗化=人間化=矮小化のひとつの形でなければいいんだけれど。

 わが家族も含めて続々と参加者が部屋を埋め、会場が満杯になった。斎藤友紀雄先生の御挨拶があり、今年CCCが創立30周年であることを知る。「実は私も医者になって30周年で・・・」と自己紹介したら、おおっと会場が湧いて自然に拍手が起きた。今日の聴衆はノリが良いと思うと、こちらも自ずと気合いが入り、「2時20分には終えます」と約束して始めたのに、珍しく時間超過して ~ フロアの了解を得ながら ~ 2時40分に及ぶ。いずれは『精神分裂病の世紀』というタイトルでまとめたい諸々の思いの丈を、聴衆に甘えて共有してもらった形である。

 冒頭、ほんの1~2分の呼び水に語るつもりだった三春のMさんのことが、思いがけず長くなった。発病の経緯、入院の顛末、その後の回復と結婚、今日に至る交流まで、一緒に歩いた半生を振り返ることになったのだが、これで良かったんだな。Mさんのこと/Mさんとのことの中に、語るべきすべてのことが含まれている。教科書的に定義・学説や数値を語るより、事実に語らせた方がよっぽど良い。

   こんな感じでありましたのですが、本当は僕の方からの写真を撮りたかった。というのも

 質疑応答に入ってフロアの盛り上がりがすごかったのである。

 まず、前列に座っていた若い女性が勢いよく手を挙げた。

 「私は何年か前から精神科に通って、統合失調症の診断を受けています。これまでそれを受け入れることを拒否してきましたが、これからはまっすぐ向き合って病気を治していきたいと思います。」

 これに触発されたように、フロアのそこここから自己開示の発言が続出し、他の発言者に対する助言やエールのレスポンスも活発で、当事者集会さながらの熱気が室内に充満した。笑いと拍手が随所に混じり、この様子を向谷地さんに見せてあげたい気持ちである。

 それにしても、スティグマの現実の深刻であることには驚いた。

曰く、「公の立場にある人から、『あんたなんか尖閣諸島でも行って小屋がけして、そこで死になさい』と言われた」

曰く、「症状の安定を理由に障害年金の等級を下げられた。精神障害者枠の雇用ではきわめて限られた仕事しかさせてもらえず、生計が維持できない」

曰く、「精神保健福祉士の資格を取って某病院に職を得たが、既往について上司にうちあけたら、翌日退職勧告された」

 すべてがそのまま事実であるかどうかは、この際問わない。仮に割り引いたとしたところで、僕らの社会はまだまだまだなのである。講演で述べたとおり、精神病者監護法と私宅監置は『坂の上の雲』の裏話にあたる。それが当時の日本としてやむを得なかったと考えるなら(僕はそうは思わないが)、今こそは謝罪と償いの時なのだ。別に日本(人)だけが酷薄だったわけではない。世界中どこでもそうであったのが、20世紀も後半に入ってようやく反省が生まれてきたのである。

 ただ、何においても「追いつけ追い越せ」を身上としてきた僕ら日本人なのに、この点においては追いかける意欲があまりに乏しい。ライシャワー大使事件は1964年3月、歴史的なケネディ教書が発表されたのはその前年の1963年2月である。僕らは選択的に取り入れ、選択的に無視したのだ。1900年においてのみならず、1964年においても!

 (→ 「精神病・精神薄弱に関するケネディ大統領教書 (Message from the President of the United States relative to Mental Illness and Mental Retardation)」 http://www.arsvi.com/d/m01h1963k.htm これは感動的な文章である。是非一読したい。) 

 

 今年は久しぶりに科研費を申請してみようかな。精神疾患をめぐるスティグマの実態調査というテーマで、認知症その他で同種の計画を進めているI先生やT先生とコラボすれば、コスパ良く作業を進められるかも知れない。

 締めくくりは、Mさんからのプレゼント。照れくさい。

「似てます?」「似てます~!!」と満場一致のお墨付きをいただいた。

 

 

 


☆☆☆ 回復ということ ~ 強迫性から「復活」まで

2016-02-24 10:08:26 | 日記

2016年2月22日(火)

 河津桜がまた少し膨らみ、    紅梅は既に盛りを過ぎて、 

 白梅がいま満開! 

 

 そろそろ個人研究費の執行締め切り、一気に消化してやろうと意気込んで出かけたら、

「え、先週の金曜日に締め切られましたよ」とHさん、そうか、しまった。

「事務に頼んでみますか?」と気の毒そうに言うが、担当課の辞書に「情状酌量」の言葉がないことは年来熟知している。いちおう軽く確認して、さっぱりあきらめた。このところ忙しくて気もそぞろだったのは主として校務のためだから、惜しかったなとは思うが後悔はさらにない。ただ、これが僕のアタマのアンバランスな特性というもので、どうやらこれを受け継いだ息子(ら)が似たような失敗をやらかしているらしいことを、気の毒に思うけれど致し方もない。

 

 午後、約束の来客あり。1月の文京の講演会で「アルコール依存症からの回復とは何か」と質問してこられた、他プログラムの院生Tさんである。資料を持参し、その際のやりとりの続きをしたくてやって来たのだ。こういう客は嬉しいもので、あっという間に1時間あまりが過ぎた。

 文献的根拠もエビデンスもなく、ただ「回復」について自由連想的に語るとすれば・・・

1. さしあたり酒を飲まずに生活できていること ・・・ 身体的回復

2. 酒のことで頭がいっぱいという状態から抜け出せていること ・・・ 心理的回復

3. その人本来の社会的機能を発揮できていること ・・・ 社会的回復

4. 酒以外のものを含め、およそ「強迫的な欲求」や「依存」を克服し、人生において自由であること ・・・ 霊的回復

 こんなふうになるのかな。例の4段階(physical, mental, social, spiritual)はどこへ行くにも付いて回る。

 あわせて、restoration と recovery の違い、依存症の臨床の広く深い意義、統合失調症などと考え合わせた「回復」モデルの一般的意味などについて、語るにつれどんどんイメージが枝分かれし、広がっていく。回復に関する「オリヅルラン」モデルがあるのだそうだが、回復について話し合うこの作業自体がオリヅルランの構造をもっている。

 

 依存性は「強迫」の一形態とみることができる。むろん「悪しき強迫」の亜型だが、実は現代社会は非常な強迫性を前提として構築されていることを銘記すべきである。「締切厳守」もその端的な一例だが、電車の運行などは象徴的なもので、「強迫」という煉瓦をほとんど無尽蔵に消費して構築されるピラミッドのようなものだ。「人身事故」の日常的な発生(=自殺者が他の方法ではなく、鉄道を選んでいるという事実)は、社会を貫徹する強迫性に対する絶望的な抗議という意味がありはしないかと思う。

 「良き強迫」と「悪しき強迫」をとりあえずは区別してみるものの、両者の間には「益虫」と「害虫」に相当する便宜的な区別があるだけで、本質的に良いも悪いもない。そうだとすれば、依存症こそは現代を象徴する時代の病であるのだし、例によって顕在的に病むものと真の問題の所在とは一致せず、ある人々が皆の「代わりに」病んでいるという視点がことのほか重要ではないかしら。(キリストの福音が、律法主義という名の強迫を克服する原理として登場したことを思う。)

 あるいはまた、健常者にとっての「回復」とは何かと考える。「健常者 = 発症準備状態にあるもの/潜在的に病んでいるもの」と考えるなら、回復は既に発病した者だけの課題ではないわけで、そのことは上述の社会全体の「強迫性」を考えるとき、ひときわ強く意識される。実際、「強迫性」は地球生命体全体を蝕む病となりつつある。中井久夫が『分裂病と人類』の中で生き生きと記述したエチオピアのような「非強迫性」社会はほぼ消滅し、モンゴルの遊牧民がオートバイで疾駆する時代が来ている。「強迫」の津波が、ほどなく地球表面を残るくまなく呑み込むだろう。人工衛星は僕らの行住坐臥を絶え間なく監視し、インターネットの迷宮から導き出してくれるアリアドネの糸はどこにも見当たらない。

 

 去り際の会話で、Tさんがカトリックの信徒であることを知った。

 「私たちにとっての回復の最終段階は、『永遠の命』に入ることかもしれませんね」

 送り出しながらつぶやいた。レントである。

Ω

 

 

 


コケコッコーで始まって14,000歩あるいた日曜日

2016-02-24 07:59:39 | 日記

2016年2月21日(日)

 エーコの訃報を読んだのは夜になってからで、朝はまず幼稚科さんへのお話から始まった。ペトロの否認はレントに相応しいテーマだが、この逸話が4つの福音書すべてに記されていることに、いま初めて気づく。教会の代名詞となった使徒筆頭の、取り返しのつかない裏切りの物語で、これが福音書の必須の題材となっていることを、その筋の論者ならあっさり精神分析的に解釈することだろう。深い罪責感の代償が「復活」という妄想を生んだと。

 

 幼稚科で話すのが、昔は苦痛だったが今はそこそこ楽しい。相手に通じる言葉を、その場で探りながら進むのがね。

「ペトロさんは、おっちょこちょいでさ」

「おっちょこちょい~?」

「あわてんぼさんだったの」

「あわてんぼ~?」

「皆はさ、お着替えのとき、片っぽの足にクツシタ両方はいたりしない?」

「あはは、しないよ~!」「しない」「する!」「え、しないよ」

「行ってきま~す、って言ってさ、見たらズボンはいてなかったりして」

「そんなのしない~」

「ペトロさんは、そっち系だったのね」・・・ほんとかな

  http://flyingcat69.seesaa.net/category/22954401-1.html 

 どこまでもついていくと言い張るペトロに、主イエスが「鶏が鳴く前に、三度わたしを否むであろう」と告げる。胸痛む場面だが、ここでまた問題。

「ニワトリさんがコケコッコーって鳴く前にね」

 子どもたちがポカンと口を開けて僕の顔を見ている。分からないのだ、ニワトリさんのコケコッコーが。そりゃそうでしょ、今どき東京で、と言われそうだがちょっと待った。僕自身は地方都市の育ちでコケコッコーを聞きながら育ったが、同世代でも東京生まれの友人たちは、実際の鶏鳴をそうは聞いていないはずである。それでも「コケコッコー」は誰でも分かった。なぜかといえば実際の鶏鳴以上に、たとえば『ブレーメンの音楽隊』を通して知っていたからだ。

 ひょっとして今の子どもたちって、『ブレーメンの音楽隊』を知らない?・・・などと頭の隅っこで考えながら、

「田舎ではさ、朝になるとニワトリさんがコケコッコーって鳴いて、そうすると朝が来るの。朝になるまでに3回、『イエス様なんか知らない』ってペトロさんが言うよ、イエス様はそうおっしゃったんだよ・・・」

 郷里の隣家には、夜中の3時前にドラ声で時を作る迷惑な鶏がいたっけ。わかりにくそうな話を、子どもたちが黙ってよく聞いている。漁師あがりの大男のペトロが、身を震わせておいおい泣いたところまで、よく付いてきてくれました。

 http://matome.naver.jp/odai/2137394493981715401/2137394519481905303

 

 帰宅して、車で一往復して、また徒歩で往復して、午後は「塾」の勉強会へ。アシュトン・マニュアルを読み終えたので今日はオープンの話題にしたら、皆がそれぞれの現場の体験談をもちよって充実した放談会になった。魂のポットラック・パーティーといった感じである。電話相談の担当者、病院のMSW、学校教員、スクールカウンセラー、薬剤師に臨床心理士、それぞれの現場の息吹を携えて、渋谷の談話室にちょっとしたつむじ風が生まれた。これもひとつの当事者活動で、AAのミーティングやべてるの家の風景と基本的に変わらない。

 またやりましょう!今日は14,000歩あるきました。