散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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始末・才覚・算用 / ひざを屈する

2017-10-27 07:41:11 | 日記

2017年10月26日(木)

 船場の商人の商いの秘訣は「始末・才覚・算用」にあるという。「しまつ・さいかく・さんよう」いずれも s 音で始まる頭韻も工夫のうちか。

 始末: 単なる節約・吝嗇にあらず、無駄な出費を抑え、生きた金をドンと使う。

 才覚: どこに商機があるか見きわめ、他人のやらないことをやる。

 算用: 金勘定ではなく大きな帳尻を合わすこと、「損して得とれ」はこの機微である。

 これは人生訓に通じるかなと、思わず書きとめた昨日の朝ドラ。

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【足を洗う】

 「たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。」(ヨハネ 13:5)

 イエスは弟子たちの足もとにひざまずきます。彼らの足を洗うために。そうしなければ足の汚れをぬぐうことができないからです。

 その人の前にひざを屈しなければ、人の汚れをぬぐうことはできません。

 自分も汚れる覚悟なしに、人を変えることはできません。

 こちらは夜に読む、小島誠志『朝の道しるべ』(10月26日)

Ω


日々に怪しい報道の意味

2017-10-25 12:11:36 | 日記

2017年10月26日(木)

 分からないことだらけの先の選挙、報道のあり方についても分からないことがいくつかあった。

 ひとつはNHKの出口調査、えらく力を入れて実施かつ宣伝し、「投票締切と同時に詳しい現状分析と当落予測を公表する」と連呼のうえ、大河ドラマの放送時間帯を繰り上げて「公約」を実行した。正確・迅速であることは実に見事。

 しかしこれ、必要なんだろうか?翌日まで待てばすべて判明することである。緊急事態の報道と違って分秒を争う意味はなく、そのためにべらぼうな人と金をかけて「全国で数十万人の投票者に出口調査を実施する」ことのプラスがまるで分からない。この調査にいくらかかったか、その方がよほど気になる。そんなの節約して、実質的に税金と化している視聴料を少しはマケたらどんなものか。

 もうひとつは選挙の意味づけである。「今回の選挙は現政権の5年間の施策に対する評価が問われるもの」ということを、これまた選挙期間中くりかえして聞かされた。ことさら言われなくても、国政選挙はいつだってその時の政権の施策に対する評価を問うのが、主目的の一つである。ただ、その他のことも実質的には重畳混在しているわけで、その中からある側面だけを取り出して連呼することは、実は報道(現状の報告・伝達)ではなく誘導(意味の創出)である。それを報道のスタイルで行う分だけタチが悪い。

 そこから最大の利益を引き出したのが政権与党であることは言うまでもない。一括して「国民の信を得た」と解釈し、加計も森友も国会軽視もすべてまるめてお蔵入りにできる。サルトルが「アマルガム(合金)法」と皮肉った例の手法である。

Ω


映画で盛りあがると止まらない・・・

2017-10-25 12:06:20 | 日記

2017年10月24日(火)

 勝沼さん、早いですね。映画の話題だとチョー早いですね。

> 子どもの頃ムーの愛読者だった私はスティグマといえばまず聖痕のことで、スティグマの一般的な意味を知ったのは今の仕事をしてからでした。

 やっぱり普通の子どもじゃなかったんだ。

> 聖痕のような宗教的な奇跡は受動的に受けるだけでなく、能動的に役割を担うという意味合いがあるのではないかという話を誰かとしたように記憶してるのですが、石丸先生とじゃないですよね?  誰とそんな話をしたのだろう。。。

 私じゃないと思うけれど、私であっても良かったかな、だってこの主張はあまりにも正しいですから。「能動的」という言葉の意味が問題ですけれど、たとえば「おお太陽、偉大な天体よ、汝の至福もそれを贈り与える相手がなかったならば、いったい何であろう」(ツァラトゥストラ)などというカラクリがあるとすれば、最高に受動的であることによって能動者を意味あらしめるという逆転が、奇跡には必ず伴うわけですから。(そういう意味じゃなかったらごめんなさい。)

> そういえば『スティグマータ 聖痕』という映画があるのですが、ある人に起きた聖痕をバチカンの神父が調査して、信仰なき者に聖痕が起きるはずはないのでこれは神の奇跡ではないと結論づけるシーンがあったのを思い出しました。

 ちょっと妖しいですね、『カラマーゾフ』作中の『大審問官』を連想しましたよ。これは見た方が良い映画ですか?勝沼さんの推薦なら見てみますが。

> 実は私は『クレイマー・クレイマー』も『マディソン郡の橋』もちゃんと見てなかったのですが、『マディソン郡の橋』はつい先日昼のテレビ東京でやってたのを見たばかりなのです。

 ははあ、僕も『マディソン郡の橋』は見てないんですよ。

> そう。メリル・ストリープが演じていたのは結婚を機にアイオワにやってきたイタリア人女性でした。彼女がカメラマンと一緒に町を出ることを断る時に「残された夫は(噂が広まる)この町で生きていけない。そして、夫はこの町でしか生きられない」と言うのですが、これは当時見てたらちんぷんかんだったと思います。去年のトランプ現象の時に知ったアメリカの地方の人の中では生まれた町で一生を過ごす人がかなりいるという情報によって『マディソン郡の橋』がより深く分かったように感じました。主人公の女性が元々町の人ではないという設定はけっこうあの映画の肝心なところだったように思いました。

 アメリカの田舎町は実に小さいのです。セントルイスに住んでいた私の一番の楽しみが、2~3時間ほどドライブしてミズーリ上流のハンニバルを訪れること、そう、マーク・トウェインの生誕地、トム・ソーヤーとハック・フィンの活躍の舞台です。ハンニバルはその地域のちょっとした中心地なのにそれでも小さい。途上にある町々はホントにホントに小さい。そして意外なぐらい人が動かないということがホントにあるようでした。

> まぁもっともこういう見方も地方に住む人へのスティグマかもしれませんが。。。

 ?それはスティグマ付与とは違うんじゃないんですか?「アメリカの地方の人の中では生まれた町で一生を過ごす人がかなりいる」のも事実なら、フランチェスカの出自が作品の重要なキーであるのも個別的に重要なところですから。

 ところで、私にとって第二の故郷とも言うべき名古屋の中学同窓生には、その生涯の大部分が名古屋市はおろか瑞穂区内で完結する人々がちらほらありましたよ。ここまでは事実で青信号、「だから名古屋人は・・・」とやり始めたら黄信号ですかね。年末にはまた名古屋へ遊びに行きます。違った、仕事に行くんだった。ついでに遊ぶ、ここが大事ですね。

    

Ω


お櫃の櫃は宝箱

2017-10-25 07:21:46 | 日記

2017年10月24日(火)

 「櫃」という字がまた素晴らしい。貴いものを中におさめた木の器 ~ 宝の箱。

 漢和辞典には「大きなはこで、上にむかってふたの開くもの」とある。音読みはキ(gui 4)。素材に応じてつちへんもあるかと探したが、これは見つからない。宝箱に陶器は用いないかもしれないね。

 それにしても、1冊の漢和辞典の収める情報の量がものすごい。手許のは中学に上がったとき、若い女性の国語教諭に「国語辞典は岩波、漢和辞典は小学館」と指定され、さっそくねだったものである。1969年4月、山形市立第六中学校1年8組の教室、先生のお顔は鮮やかに思い出せるが、お名前は残念ながら覚えない。きびきびして声に張りがあり、板書の速さにノートが追いつかなかった。お元気かな。

Ω


お櫃の心

2017-10-24 23:04:05 | 日記

2017年10月22日(日)

 台風21号接近中で教会はさすがに子どもが少なめだが、逆にこれだけの親子連れが集まることにいつもながら賛嘆。午後からは「塾」のメンバーが渋谷で還暦祝いの席を設けてくれた。感謝の一語に尽きる。

 過半が桜美林時代の学生・院生たちで、酉年生まれも少なからず混じっているのに今さら気づいた。二回り下だから三十路半ば、朱夏まっただ中で眩しいばかりである。二回り違いなら親子で通るわけだけれど、実際は息子たちがほぼ三回り下で、今日の面々は息子・娘とみるには大人びすぎ、弟妹というには少々若すぎる。何と呼ぶにせよ可愛くて仕方ないのは、やっぱりこっちが年取ったのかな。

 児童相談所に勤める者もあり、「触法」病棟で働く者もあって、身辺事情を語るやりとりがそのまま憂慮や公憤に展がっていく。人の絆を再構築していくほか、個人も社会も生き延びるすべはない。絆といえば家族だけれど、家族の意味を読み替え読み戻す必要がある。血縁に依らず、信頼によって家族を創り出すものが現在を耐え未来を拓くのだ。よくぞ集ってくれました。

 嵐の中を来てくれてお腹いっぱい、親身の言葉を寄せてくれてデザートまで飽食だが、そのうえいろいろ贈呈あり。幸せを見せびらかすと悪魔が嫉んで悪さするから、一つだけ載せておこう。さあ、これは何でしょう?

 Kokomin さんが選んで皆が贈ってくれたこのものは、「お櫃」である。お櫃は炊きあがった御飯を温かく保存する容器 container、精神分析家ビオンが "contain" を理論の鍵にしていることを、還暦のオヤジに重ねてくれた。そうありたいものだ。

 一次会3時間、二次会3時間、あっという間に時間が過ぎ、あわてて腰を上げ最寄り駅から直行して投票を終えた時、時計は19時50分を指していた。

***

 会場で伝え忘れたこと ~ ニーバーの祈りとも静謐の祈りとも言われる言葉から:

 変えられないものを受け容れる静謐、変えられるものを変える勇気、そして変えられるものと変えられないものを見分ける智恵を、どうぞ皆に与えてください。

God grant me the serenity

to accept the things I cannot change;

courage to change the things I can;

and wisdom to know the difference.

Ω