2015年12月24日(木)・・・これも振り返り
偶然が思いがけない結果を生むことは珍しくなく、もちろん皆さん経験済みに違いないのだが・・・
3~4年前の暑い季節に、名古屋で修論指導を行った。この時は東海や近畿在住の学生が多く、東京・名古屋・大阪と月ごとに場所を移してゼミを行っていたのである。愛知SCはJR名古屋駅から地下鉄を乗り継いで行かねばならず、慣れれば何でもないがこの頃はまだ自信がなかった。名古屋駅近くで中学校の同窓女子数名と合流し、早めの夕食を一緒にする予定だった。女子らの大半は卒業以来39年ぶりとか、そんな久々の機会である。
この時、ゼミ生中にお隣の岐阜から参加したものがあり、「先生こっちですよ!」と確信もって誘導するのについていったところが、後から考えればまるで見当外れだった。炎天下をわざわざ地上に出て乗り換え、料金も時間も余計にかかると来ている。彼女も何でこんなことを思いついたものだか。
ところが何と、地上に出たとたんにバッタリ出会ったのが、これまた件の中学校の別の同級生である。Mというこの男は名古屋の高校を出て医科歯科に入っていたので、本来タメだが大学の先輩という込み入った関係になった。ただ、卒業後はUターンして名古屋大学の耳鼻科に入局したから、彼の結婚式などわずか数回しか会ったことがなく、このバッタリも少なくとも10年以上ぶりのことであった。施設入所中の御母堂の見舞いに行くとかでその場で別れたが、「せっかくM君に会ったんなら、なんで連れてこんの!」と女子一同の御叱正にあずかったりした。
何てことはないのだが、正しい路線で正しく乗り換えていたら生じなかったであろう、不思議な再会である。
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事はずっと小さいけれど、24日(木)にも少し似たようなことがあった。木曜の午後はたいがい御茶ノ水で仕事なんだが、この日は事情があっていつもより30分早く出た。目黒線に乗り込むとすぐ、近くの座席から高齢の紳士が立ち上がってやってきた。実名で御紹介、棟居(むねすえ)勇牧師である。
勇先生は公益社団法人・好善社(http://www.kt.rim.or.jp/~kozensha/)の代表理事でいらっしゃる。木曜日の午後は同社へ出勤なさるらしく、僕の乗車駅が先生の通勤経路上にあるので、電車でお目にかかることはこれまでも何度かあった。ただこの日は、こちらがいつもより30分早く出ているので出会うことはあるまいと思ったところ、見事に命中したのが面白い。
こういう時、いつも思い出すのが例の「死神」の話である。インターネットでは、ジェフリー・アーチャーの『死神は語る』という短編が出てくるが、たぶんこれはアーチャーが翻案したもので、原型は中東あたりの寓話として存在するのだ。ヴィクトール・フランクルが『夜と霧』の中で書いている。そちらを引用する。
「裕福で力あるペルシア人が、召使いをしたがえて屋敷の庭をそぞろ歩いていた。すると、ふいに召使いが泣き出した。なんでも、今し方死神とばったり出くわして脅された、と言うのだ。召使いは、すがるようにして主人に頼んだ、いちばん足の速い馬をおあたえください、それに乗って、テヘランまで逃げていこうと思います。今日の夕方までにテヘランにたどりつきたいと存じます。主人は召使いに馬をあたえ、召使いは一瀉千里に駆けていった。館に入ろうとすると、こんどは主人が死神に会った。主人は死神に言った。
『なぜわたしの召使いを驚かしたのだ、恐がらせたのだ』
すると、死神は言った。
『驚かしてなどいない。恐がらせたなどととんでもない。驚いたのはこっちだ。あの男にここで会うなんて。やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに』」
(『夜と霧』新版 池田香代子訳 みすず書房 P.93-4)
これは単なる偶然の話ではなかったね。むしろ自己実現的予言というか、「ある結果を避けようとして選択した行動が、かえってその結果の実現を促進する」というモチーフだから、「名古屋乗り換え事件」とも「勇先生同乗事件」とも正確には重ならないが、まあそんな見当だ。ともかく勇先生がいつものようににこやかな様子で、10分ほどの間にいろいろと教えてくださった。その中に「菊池事件(藤本事件)」と呼ばれる、冤罪を疑われる事件のことがあった。少なくともこの事件の存在について、これまで知らなかったことを恥とする。
藤本事件 - Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/藤本事件)
菊池事件とは? - www5b.biglobe.ne.jp/~naoko-k/whatkkch.html
さて、勇先生がコートの大きなポッケから取り出されたのは、先ごろ弟さんが訳された本である。
『ルターのりんごの木 ― 格言の起源と戦後ドイツ人のメンタリティ』 Martin Schloemann (原著), 棟居 洋 (翻訳) 教文館
「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える」これは本当にルターの言葉なのか?それとも「似て非なるルター」がいたのか?膨大な歴史史料・時代証言・アンケートから読み解くドイツ心性史の試み。 (amazon の商品説明から)
この言葉はずっと前にブログで扱ったことがある。滅びるのは「明日」、りんごの木を植えるのは「今日」なのに、どちらも「明日」または「今日」つまり両者が同時生起するものと勘違いして、見当外れの論究やら論難やらしているサイトが結構あった。しかしこの本は、そもそもこれが本当にルターの言葉かということを問題にしている。ちなみに訳者はフェリスの中・高の校長を歴任された、この道の先達である。
こういうのは大好きな領域だから瞬時に読むことに決めた。これも「偶然の乗り合わせ」の実りである。

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今年最後の御茶ノ水は無事に仕事納め。イヴ礼拝に間に合うようさっさと乗り込んだ三田線に、とっても小さなおばあさんが歩行器を押しながら乗り込んできた。席はちょうど塞がっており、優先席から離れていることもあってか誰も譲ろうとしない。
「立ってらして大丈夫ですか?」
「ほんと、座った方が良くない?」と居合わせた中年女性が調子を合わせる。
おばあちゃん、周りを見回して、
「座るって、どこに座るんだい!」とこっちに噛みついてきた。やれやれ、まただよ・・・
「すみません、誰か座らせてあげてくれませんか?」
誰も動かず2秒ほど、いちばん近くにいた女性が無言で立ち上がった。吊革を握った手に顔を埋めるようにして、しんどそうである。あたりに座っていた人々の中で、いちばん相応しくない人が籤を引いた形になった。
「すみませんね、ありがとね」
おばあちゃんが座り、後は平静に戻った室内。乗客のほとんどが身じろぎもせずスマホを覗き込んでいる。
みんな大事なんだね、スマホ、お棺に入れてあげましょうね。