散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

「さくらのこえ」〔堀江菜穂子)からいくつか紹介

2015-12-31 15:31:53 | 日記

2015年12月31日(水)

 「さくらのこえ」から、堀江君へのメールに記した4編を紹介する。これらを含む6編が、同じ2014年8月14日に作られている。何と創造的な一日だったことだろう!

 

「まんてんのほし」

 まんてんのほし

 ひとつぐらいいなくなっても きがつかれない

 いちばんちいさいのをひとつ ぽけっとにぬすむ

 ぜったいにばれていないはずなのに

 すぎたときには おおさわぎになっていた

 どうしてばれたのかとおもっていたら

 ぽけっとのなかのほしが いなくなっていた

 じぶんでそらにかえって みなにほうこくしたのだ

 まんてんのほし どれひとつとっても

 じぶんのものにはならない

(2014年8月14日)

 

「きみにきかせるために」

 きみにきかせるためにうたをつくった

 どんなフレーズにしようか

 とことんなやんでつくった

 きみに もしきかせることができたなら

 このうたは もうぼくのものではない

 きみにきかせて

 きみの心にひびいて きみのうたになる

 そんなきみへのうたを

 いつかきっときかせてあげたい

(2014年8月14日)

 

「せみのなくころ」

 せみのなくころ にほんはまけた

 ながくつづいたせんそうも

 きっとかつとしんじて たたかってきたのに

 せみたちはいまもむかしも なにひとつかわらずにないている

 そのこえは

 まるでせんそうなんて はじめからなかったかのようだ

 せみのなくころ せんそうはおわる

 そしてせみのなくころ

 にほんじんの心は いつもないている

(終戦記念日をまえにして 2014年8月14日)

 

「とおいむかしに であった人と」

 いまはなつ

 むかしをおもいだしていた

 せみのなきごえとともに よみがえるきおく

 あせをかき 水をもとめた しろシャツのひと

 とおいきおくで いまにもぼやけてしまいそうなそのかおを

 そっとおもいだす

 そう、あれはなつのひ

 あのひがさいごとなった

 わたしとほんとうの ちちとのであい

(2014年8月14日)


同窓会の効用(「さくらのこえ」補遺)

2015-12-31 15:31:44 | 日記

2015年12月31日(水)

 「さくらのこえ」について書いたから、これでようやくリアルタイムに戻って年を越せる。実はこれ、11月の高校同窓会の喜ばしい産物だった。著者・堀江菜穂子さんの父・堀江君が、高校2・3年の同級生だったのである。僕が欠席した同窓会に彼は出席して、お嬢さんのことを皆に披露した。これに感じたM女史が僕にも伝えてくれたというわけである。

 堀江君はおとなしい人だったし、進路その他にも重なりがなく、卒業後は一度も会っていない。それでも記憶には鮮やかなので、さっそくメールしてみた。ブログ掲載については了解をもらえたから、やりとりをそのまま掲載する。

 この世に苦難があり困難があるいっぽう、これに立派に耐え続けている人々がいる。この人々によって、自分らも支えられている。理屈にはならないが、確かな実感である。

***

堀江 様

  お久しぶりです。

 本日、Mさんから「さくらのこえ」を手渡されました。拝読し、驚きと感動でいっぱいです。イメージの豊かさ、感情移入の広さと深さ、ことばの自然な美しさ、ほんとうにすばらしいと思いました。

 「まんてんのほし」は清冽、「きみにきかせるために」は愛おしく、「せみのなくころ」は痛切で、「とおいむかしに であった人と」は不可思議です。ひとつひとつ、かけがえのない星のようにキラキラしています。

 Mさんから、お父様としての貴兄の御苦労についても伺いました。どんなにか深い思いに満ちた、この数十年だったことでしょう。心から敬服し、またねぎらいたい気持ちです。

 

 高校時代、貴兄とお話しする機会はあまりありませんでしたが、現国の作文で貴兄が発表された仏像への讃辞は、その冒頭の印象をよく覚えています。美しい女性を形容するかのような出だしが、実は仏像への讃仰だったことが明らかになるカラクリでしたよね。そのくだりで教室中が湧いたことを思い出します。

 お嬢様の言葉のセンスは、ひょっとしてお父様ゆずりかもしれませんね。

 師走の声を聞くと共にめっきり冬めいてきました。美しい空の下、厳しい寒さが募っていきます。どうぞお嬢様と共に、お元気でお過ごしくださるようお祈りしています。

石丸 拝

***

石丸 様

  こちらこそお久しぶりです。(まさか詩集が石丸さんの手に渡ろうとは、思いもしませんでした)先日のクラス会では、それそれが人生を語り、楽しい時を過ごしました。石丸さんとにお会いできなかったのが残念です。

 また娘の詩にまで過大なお言葉を頂き恐縮です。娘は「詩は多くの方に読んで頂きたい。そして読まれた方によって、様々なとらえかたをされる事が楽しい。」と申しております。早速にメールを読んで聞かせたところ、満足そうなに笑顔を見せておりました。本当にありがとうございます。

  ブログ等の件は、どうぞ気になさらずご利用下さい。新聞の力とは恐ろしいもので、思わぬ方から引用の御案内を頂いています。ご存知かもしれませんが、慶応大の斎藤慶典先生が著書「死の話をしよう」で詩を引用して下さいました。私も拝読したのですが、チョット、ハードルが高くて(笑)。

 でも詩集を形にした娘には感謝しています。娘の障害を隠してきたつもりはありませんが、同情を買うかのような後ろめたさもあって、なかなか口に出す機会はありませんでした。しかし記事、詩集をきっかけに、積極的なカミングアウト(?)が出来、おかげで私自身の社会との接し方が変化しているような気がしてます。

 今後とも宜しくお願い致します。そして来年のクラス会でお会いしましょう。

 追伸: 現国作文の件は忘却の彼方にありました。そういえば法隆寺・夢違観音をテーマに書いたような・・・

堀江


さくらのこえ

2015-12-31 15:11:54 | 日記

2015年12月5日(土)・・ようやくここまで戻りました。

  すっかり日が経ってしまったが、年が改まる前にどうしてもこれは載せておきたい。

 11月末の多摩SCの面接授業はいつもながら疲弊した。実際に学生と顔を合わせて勉強するのは掛け値なしに楽しいのだが、85分の授業を2日間で8コマというのが、どうやってもこうやってもしんどいのである。僕は座って話すことができず、熱をこめずに淡々と話すこともできないので、一日立ちっぱなしのしゃべりっぱなしになる。今度こそ省エネとか思って始めてみたところで、終わってみれば相も変わらぬ肉弾消耗戦、11月30日(月)は抜け殻みたいで何の使い物にもならなかった。

 僕のあの脳みそ、どこに行ったんでしょうね。(これはパクリである。え?いや、そうじゃなくてね、パクリなのだ。)

 

 次の週も今度は渋谷SCで面接授業だが、これは一転楽ちん、というのも3人で分担するからである。桜美林の種市先生が2コマ、今はICUの清水先生が3コマで、僕が最初の2コマとまとめの1コマ。3人の講師の話を聞けて受講側にはお得感があり、こちらも加重負担を避けられる。たぶん一つの理想型である。

 金曜の晩に翌日の準備をしていたら、同窓会がきっかけでメールをやりとりするようになったM女史から連絡あり、渡したいものがあるという。土曜日は13時過ぎに解放されると返信したら、朝になってメールが入り、それではその頃その辺に行っているからとファジーなメッセージ、「お昼ご飯食べたら、お宮で遊ぼうね」・・・むろん最後はケータイ頼りで、たぶん35年ぶりぐらいの再会となった。

 渡されたブツが、なるほど貴重である。詳細は下記に挙げる記事や写真を見てもらうとしよう。要は、重度の脳性麻痺で生まれてこのかた寝たきりの生活を余儀なくされてきた20歳の女性の、詩集が完成発行されたという内容である。記事はいずれも朝日新聞だが、うちは夕刊をとっていないこともあって気づいていなかった。「ことばやいしがあることをしって」とあるが、「さくらのこえ」をめくってみて驚いた。「ある」どころではない、輝いている。

 つくづく思うのだが、足があって手があるなら、言葉はさほど必要ないという一面がある。歩み寄り、肩をたたき、振り返ったらにっこり微笑んでみせれば良い。それで気持ちはたっぷり通じる。歩くことができず、肩をたたくことがままならなず、豊かに表情を作れない状況だからこそ、言葉が力を発揮する。おしなべて順境では言葉の役割は小さい。逆境を超えさせるのが言葉の力である。

 「こういう人のためにこそ、言葉があるんだねえ」と言ったら、

 「そう、そのことよ!」と辛口のM女史が膝をたたくように反応した。

 この件、項をあらためる。

  「さくらのこえ」表紙

  2015年4月6日 朝日新聞夕刊1面

  2015年7月25日(土) 朝日新聞夕刊社会面

 

 


年賀状について / ブリの荘厳 ~ エラと視神経

2015-12-30 23:32:52 | 日記

2015年12月30日(水)

 クリスマスが終わるとようやく年賀状を書く段取りになる。例年通り、図案を決めたら先に表書きをしてしまう。ヒマを見ながらこれに足かけ三日かかった。昨夜から通信面にとりかかり、今朝からかかりきりで午後2時に完了。喪中の連絡のあったところを除いて全86枚。学生さんは別枠で、これは元旦から受け取った順に返事を出すようにしている。 

 表書きと通信面と、両方手書きだと一人あたり5分やそこらはすぐに経ってしまう。時間を節約するために印刷するのがアタリマエになり、僕も自分の住所・電話番号などは印字するが、それ以上PCの厄介になるつもりはない。時間を節約するなら年賀状の意味はない、かける時間が貴重なのだ。

 年賀状だけのつきあいになった人々も多く、そういう場合はなおさらである。年賀状を書く間だけは、世間のことも生活のことも忘れて当の相手のことを考える。思いがけず古い記憶がよみがえったり、伝えたいことが浮かんだりする。一年に5分間だけ、しかし排他的にその相手に捧げる時間、それが年賀状に意味を与えている。両面印刷済みのものをPCに登録済みの住所録に従ってプリントし、そのままポストに放り込むなら数百枚を分単位で片付けられるが、自分が誰に出したかすら意識せずに過ぎてしまう。おおかたそんな事情で、当方の名前の間違いが何年経っても修正されなかったりする。そんなことなら、年が改まる瞬間に「アケオメ」メールを一斉送信する今どき流のほうが、まだしもよっぽど heartwarming だ。

(かける時間が貴重というのは、プレゼント選びと通じるところがある。何を贈ったら喜ばれるか、役に立つかと考えめぐらしながら右往左往する、その時間が見えないプレゼントなんだよね。そういうのは、どこか伝わるものだ。)

 年賀状をやめる人が増えていると、今更らしくどこかが記事にしていたが、年の変わり目にお互いを想起する習慣を別の形式に移し替えるというのだったら、まことに自然で結構な流れである。両面印刷方式をべんべんと続けている方こそ、いささか見識を問われるだろう。僕は紙に文字を書くことが好きだから、当分のあいだ年賀状を続けるつもりである。ただその趣旨からして、表にも裏にも肉筆が一字もないものは、特段の事情(たとえば御高齢)のない限り、受け取らなかったものとして扱う。先方が「想起の時間」を全く使っていないのに、こちらだけがそれを捧げるほど人間ができてないのでね。

***

 年賀状を書き終える寸前、宇和島の叔父さんから恒例のブリが届いた。全長70cm弱、みっちり太った堂々たる姿である。これをさばくのは僕の仕事だったが、昨年教えるつもりで長男にやらせたら、初めての彼の方がよっぽど上手いことが判明した。よってめでたく世代交代、今年は祖母の監督下に長男が出刃を振るい、ついでに弟たちに講釈を垂れている。カブトの内側に顕わになったエラの構造を見て、高2の三男が賛嘆の声を上げた。表面積を最大化する微細な凹凸構造、堅牢な枠としなやかな組織のコンビネーション、頭部の大半を占めるその大きさなど、陸生脊椎動物の肺と好一対の酸素獲得器官が、好奇心のツボを刺激したらしい。

 肺とエラにはいろいろな対比のポイントがあるだろうが、その一つは、前者では酸素の供給源(=空気)と栄養のそれ(=飲食物)が別の素材であって、別々のルートから入ってくるうえ、相互に隔絶している必要がある(すくなくとも飲食物が肺に入るのは厳禁)のに対して、後者では酸素も栄養も同じ海水からもたらされ、従って通過ルートを兼用できることだ。口から吸い込まれた海水は、まず口・喉で食物を濾し取った上でエラに送られ、今度はそこで酸素が吸収される。同一マテリアルを直列系で活用するから、構造は単純になり誤嚥性肺炎型のリスクが減る。魚類・両生類(の一部)がエラを使い、両生類(の一部)・は虫類・ほ乳類が肺を使うので、何となく肺呼吸の方がエラ呼吸よりエラい(^o^)ような気がしていたが、そういうことではなかったようだ。エラ呼吸は水から酸素を取り出すシステム、肺呼吸は空気から酸素を取り込むシステムであって、両システムそのものの間には高等も下等もない。システムの効率から見たら、案外エラの方がエラい(^o^)かもしれない。

 そんなことを考えながら三男の手許を見ていると、でっかい魚の眼がふと気になった。

 「視神経の走行を追ってみたらどうかな?」

 人間の眼は非常な発達を遂げた感覚器官で、その入力を伝える視神経は出雲大社のしめ縄になぞらえたいような巨大な繊維束である。魚の眼なら視神経の太さも知れているかと思われるが、しかしこのギョロ目なら案外な逸物かもしれない。三男は昆虫恐怖症でホラー恐怖症だが、生き物一般との距離は決して遠くないし解剖実習も苦にならないらしい。今日も直ちに乗ってきて、小要塞のようなブリの頑丈な頭部と格闘を始める。長男ものぞき込んで小一時間、見事にエラの奥から目玉の内側に到達した。ピンセット(もとは電子顕微鏡のセクション作成用)で持ち上げられた視神経は、径5~6mmほどもある白々とした太い束だ。眼球後面には他に複数の肉色の束も付着しており、これは目玉を動かすための外眼筋と思われる。6本ずつの外眼筋と、これを動かすための3対の脳神経(12対のうちの3対!)、目という情報収集器官を制御するためにこれほどの内的資源が動員されている。そしてその構造は、魚も人も基本的に変わらない。

 荘厳の気が一瞬背中を走る。息子たちが片づけをしながら、カブトに向かって一礼した。

(良い局所写真がとれているんですが、ドン引きされそうなので自粛。かわりに以下)

    もう一枚は家人のクレームにより削除・・・(T_T)


偶然のいたずら / ルターのりんごの木 / イヴの電車内

2015-12-29 14:03:01 | 日記

2015年12月24日(木)・・・これも振り返り

 偶然が思いがけない結果を生むことは珍しくなく、もちろん皆さん経験済みに違いないのだが・・・

 3~4年前の暑い季節に、名古屋で修論指導を行った。この時は東海や近畿在住の学生が多く、東京・名古屋・大阪と月ごとに場所を移してゼミを行っていたのである。愛知SCはJR名古屋駅から地下鉄を乗り継いで行かねばならず、慣れれば何でもないがこの頃はまだ自信がなかった。名古屋駅近くで中学校の同窓女子数名と合流し、早めの夕食を一緒にする予定だった。女子らの大半は卒業以来39年ぶりとか、そんな久々の機会である。

 この時、ゼミ生中にお隣の岐阜から参加したものがあり、「先生こっちですよ!」と確信もって誘導するのについていったところが、後から考えればまるで見当外れだった。炎天下をわざわざ地上に出て乗り換え、料金も時間も余計にかかると来ている。彼女も何でこんなことを思いついたものだか。

 ところが何と、地上に出たとたんにバッタリ出会ったのが、これまた件の中学校の別の同級生である。Mというこの男は名古屋の高校を出て医科歯科に入っていたので、本来タメだが大学の先輩という込み入った関係になった。ただ、卒業後はUターンして名古屋大学の耳鼻科に入局したから、彼の結婚式などわずか数回しか会ったことがなく、このバッタリも少なくとも10年以上ぶりのことであった。施設入所中の御母堂の見舞いに行くとかでその場で別れたが、「せっかくM君に会ったんなら、なんで連れてこんの!」と女子一同の御叱正にあずかったりした。

 何てことはないのだが、正しい路線で正しく乗り換えていたら生じなかったであろう、不思議な再会である。

***

 事はずっと小さいけれど、24日(木)にも少し似たようなことがあった。木曜の午後はたいがい御茶ノ水で仕事なんだが、この日は事情があっていつもより30分早く出た。目黒線に乗り込むとすぐ、近くの座席から高齢の紳士が立ち上がってやってきた。実名で御紹介、棟居(むねすえ)勇牧師である。

 勇先生は公益社団法人・好善社(http://www.kt.rim.or.jp/~kozensha/)の代表理事でいらっしゃる。木曜日の午後は同社へ出勤なさるらしく、僕の乗車駅が先生の通勤経路上にあるので、電車でお目にかかることはこれまでも何度かあった。ただこの日は、こちらがいつもより30分早く出ているので出会うことはあるまいと思ったところ、見事に命中したのが面白い。

 こういう時、いつも思い出すのが例の「死神」の話である。インターネットでは、ジェフリー・アーチャーの『死神は語る』という短編が出てくるが、たぶんこれはアーチャーが翻案したもので、原型は中東あたりの寓話として存在するのだ。ヴィクトール・フランクルが『夜と霧』の中で書いている。そちらを引用する。

 

「裕福で力あるペルシア人が、召使いをしたがえて屋敷の庭をそぞろ歩いていた。すると、ふいに召使いが泣き出した。なんでも、今し方死神とばったり出くわして脅された、と言うのだ。召使いは、すがるようにして主人に頼んだ、いちばん足の速い馬をおあたえください、それに乗って、テヘランまで逃げていこうと思います。今日の夕方までにテヘランにたどりつきたいと存じます。主人は召使いに馬をあたえ、召使いは一瀉千里に駆けていった。館に入ろうとすると、こんどは主人が死神に会った。主人は死神に言った。

『なぜわたしの召使いを驚かしたのだ、恐がらせたのだ』

すると、死神は言った。

『驚かしてなどいない。恐がらせたなどととんでもない。驚いたのはこっちだ。あの男にここで会うなんて。やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに』」

(『夜と霧』新版 池田香代子訳 みすず書房 P.93-4)

 

 これは単なる偶然の話ではなかったね。むしろ自己実現的予言というか、「ある結果を避けようとして選択した行動が、かえってその結果の実現を促進する」というモチーフだから、「名古屋乗り換え事件」とも「勇先生同乗事件」とも正確には重ならないが、まあそんな見当だ。ともかく勇先生がいつものようににこやかな様子で、10分ほどの間にいろいろと教えてくださった。その中に「菊池事件(藤本事件)」と呼ばれる、冤罪を疑われる事件のことがあった。少なくともこの事件の存在について、これまで知らなかったことを恥とする。

藤本事件 - Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/藤本事件)

菊池事件とは? - www5b.biglobe.ne.jp/~naoko-k/whatkkch.html

 

 さて、勇先生がコートの大きなポッケから取り出されたのは、先ごろ弟さんが訳された本である。

『ルターのりんごの木 ― 格言の起源と戦後ドイツ人のメンタリティ』 Martin Schloemann (原著), 棟居 洋 (翻訳) 教文館

「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える」これは本当にルターの言葉なのか?それとも「似て非なるルター」がいたのか?膨大な歴史史料・時代証言・アンケートから読み解くドイツ心性史の試み。 (amazon の商品説明から)

 この言葉はずっと前にブログで扱ったことがある。滅びるのは「明日」、りんごの木を植えるのは「今日」なのに、どちらも「明日」または「今日」つまり両者が同時生起するものと勘違いして、見当外れの論究やら論難やらしているサイトが結構あった。しかしこの本は、そもそもこれが本当にルターの言葉かということを問題にしている。ちなみに訳者はフェリスの中・高の校長を歴任された、この道の先達である。

 こういうのは大好きな領域だから瞬時に読むことに決めた。これも「偶然の乗り合わせ」の実りである。

 

***

 今年最後の御茶ノ水は無事に仕事納め。イヴ礼拝に間に合うようさっさと乗り込んだ三田線に、とっても小さなおばあさんが歩行器を押しながら乗り込んできた。席はちょうど塞がっており、優先席から離れていることもあってか誰も譲ろうとしない。

「立ってらして大丈夫ですか?」

「ほんと、座った方が良くない?」と居合わせた中年女性が調子を合わせる。

おばあちゃん、周りを見回して、

「座るって、どこに座るんだい!」とこっちに噛みついてきた。やれやれ、まただよ・・・

「すみません、誰か座らせてあげてくれませんか?」

誰も動かず2秒ほど、いちばん近くにいた女性が無言で立ち上がった。吊革を握った手に顔を埋めるようにして、しんどそうである。あたりに座っていた人々の中で、いちばん相応しくない人が籤を引いた形になった。

「すみませんね、ありがとね」

おばあちゃんが座り、後は平静に戻った室内。乗客のほとんどが身じろぎもせずスマホを覗き込んでいる。

みんな大事なんだね、スマホ、お棺に入れてあげましょうね。