2019年12月17日(火)
午後から我孫子で小講演。最寄り駅で予定の電車に乗り込んだところに車内放送が入る。
「後続の電車が大幅に遅れているため、当駅で時間調整をいたします。」
そのまま7分間停車した後、ゆるゆる動き始めた。
かねがね思うのだが、これは適切なことだろうか? ラッシュ時に混雑を平準化する目的なら理解できるが、今は午前11時台で車内もホームもがらんとしている。この状況で「後続遅れによる時間調整」を行うのは、先行電車まで無用に遅らせることによって、不便を被る人間を増やす意味しかないのではないか。
早い話が、これでは我孫子の講演に遅れてしまう。慌てて主催のSさんにメールするやら、代替経路を検索するやらあたふたした。結果的には早めに家を出たのが幸いし、余裕をもって到着できたが、昨今の電車移動にはこんなリスクがある。
この件は危険管理や迷惑の配分について、考えどころのある素材を提供する。
「後続遅れによる時間調整が適切と判断されるのは、どのような条件がある時か勘案せよ。」
入試の論述問題に使ったら面白いだろうと思うが、50万人の受験生に一律に実施して公平客観的に採点しようというのは、どだい無理な相談である。
講演題は「心の健康を支えるもの」で、副題が「からだ・あたま・なかま・たましい」というのである。数年来、繰り返し論じてきたネタで、今年で6年目になるACOVAシリーズではグルッと原点に戻った観がある。
「そもそも魂って何ですか? お墓でフワフワ浮いてる? あれは人魂か・・・」
笑えない難問が突きつけられたのも、確かケヤキプラザ7階のこの部屋だった。 そんな経緯も記憶にあり、spirit / spiritual とは何ぞやについて少し丁寧に話してみる。するとさっそく、同世代と思われる男性から反応があった。
spirit は宗教や良心に関わる高尚な側面だけでなく、「元気」「活気」といった感情のエネルギーに関わる、即物的な意味を含んでいないかというのである。「元気」「元気」と繰り返しながら、両手で自分の体をもちあげるような動作をしてみせてくれる。なるほどと膝を打った。
fighting spirit は「敢闘精神」、(in) high spirits は「意気揚々」、強い酒(酒精度の高い蒸留酒、ウイスキー・ブランデーなど)を spirits と呼ぶなど、英語にはその種の用法が多々ある。 spirit というピラミッドの頂が聖霊 holy spirit であるなら、これらの用法はその広い底辺を形作るだろう。質問者は黒人霊歌にも言及したが、これなどは頂と底辺の渾然一体たるものかもしれない。
終了後にSさんが寄ってこられた。
「spirit に『郷愁』といった意味合いは、ないでしょうかね?アメリカに連れてこられた黒人たちが、はるかアフリカを望んで抱く深い望郷・・・」
なるほど、なるほど。
ドイツ語の Heimat / heimatlos といった言葉が思い出される。この種の望郷は魂の震撼を伴うもので、psychological とか emotional とかにおさまらない spiritual な性質をもつものに違いない。
人前で汗かきながら話すと、質疑応答の中に必ずこうして御褒美がある。睡眠について触れたことへの反応に、「コーヒーを飲んでから昼寝をするのはどうか」というのがあった。昼寝は健康のために推奨されるが、長すぎると夜の睡眠の妨げになる、30分未満に抑えよとは専門家の一致した御託宣である。そこで予めコーヒーを飲んでから一眠りすれば、2、30分経つうちに吸収されたカフェインが脳に回って覚醒効果を発揮するから、ちょうどよいタイミングで目が覚めるというのである。
誰か有名人がTVででも語ったのだろうか、この説には何人か同調者があった。発想が面白いが、僕の場合はいくらコーヒーを飲んでも不思議と眠気が覚めない、紅茶か緑茶でやってみましょうと答えたのだった。
***
大岡昇平の『無罪』という短編集を読みふけりながら帰宅すると、高校の同級生から出来たての著書が送られてきていた。
加藤万吏乃『心理療法と音楽療法があれば認知症はこわくない』(アグネ承風社サイエンス 003)
先日のクラス会でこの本の話になり、「認知症、やっぱりこわいから」と言ったら、「こ・わ・く・な・い・の」とコワい顔で睨まれた。人類進化や脳科学に言及しながら、親しみやすい語り口の好著である。
夕食後に楽しくページをめくっていたところ、何かが耳に入ってきて不意に背筋がゾッとした。何だろう? TV画面では某局の番宣時間帯、いま映っているのは『アナザー・ストーリーズ』
・・・アナザー・ストーリーズ ?
分かった、それだ。分かったら寒気に吐き気が加わった。
「別の話」を意味する another story に「裏話」「秘話」あるいは「分岐点を別の方角へ進んだと仮定してのタラレバ話」といった含みをもたせて『アナザー・ストーリー』、そこまでは良い。調子に乗って、話は一つではない、たくさんあるのだから複数にしてやれと「ズ」を付けたのだろうが、これはいけない一発アウトだ。
another は もともと an + other、つまり 「別の一つ」の意味で無論単数である。英語は日本語と違って単数と複数の区別に厳格であること、中一以来イヤというほど教わってきた通り。だから another の後には必ず単数が来る。複数にしたいなら other stories でなくてはならない。こんなのさしづめ基本のキといったところで、視聴者中の英語の先生や在留英語人がよく黙っているものだ。「チョイスする」などと同じで、日本人がまたやってるよと、マジメに取り合いもしない図か。
入試への民間試験導入が見送られたのは良いとして、さしあたり今年度はセンター試験の英語の配点を、マークシートとリスニング1対1にするという。リスニングの比率を大幅に引き上げるわけだが、現下の状況に鑑みて「異議あり」である。
公共放送の担い手を自負して憚らない大TV局が、こんなデタラメをやらなくなる程度にまで、読み書きの基本を徹底させるのが先決、ついでに言うなら英語より日本語が先先決である。
(翌日の新幹線車内にて、乱文御免)
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