散日拾遺

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夜桜の記憶

2018-04-04 11:07:43 | 日記

2018年3月23日(金)

  この日に撮ったきり、ほったらかしてあった。肉眼に映った朧な美しさはこれとは微妙に違う。違うものに置き換えてしまうのが惜しかったのである。あらためて開き、しばらく眺めた。肉眼の記憶の方は既に何ほどか抽象化され、具(つぶさ)には思い出せなくなっている。

 逆さのようなのは、遊歩道で頭上の桜を見上げて撮ったからだ。逆さにするとまた趣が変わり、小さくするとこれまた別に見える。蛍光染色の顕微鏡写真を思い出すようだ。

 小さなピースが無数に集って大きな図を描く様相には何か共通の、胸をときめかせるものがある。個別の相貌と共通の法則、その関わりのどこにどう注目するかで、芸術と科学の諸分野が分かれ立つ。それらがまた大きな図を描いて広がっていき、そこにもまた規則性があり法則の影が垣間見えている。法則は確かに存在するのに、その全容は決して知り得ない。

 宇宙という池の面の、終わりのない波紋を連想する。

Ω


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1 コメント

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自然と宇宙 (被爆二世)
2018-04-05 09:33:58
石丸先生は、桜の花びらから規則性、法則を見出し、宇宙という池の面の、終わりのない波紋を連想されるんですね。さすが、科学者なんだなあと感心いたします。
センチメンタルに亡き父の想いを感じる私とは、随分違うと驚きました。違った連想ですが、やはり自然は宇宙と繋がっているのかもしれません。
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