2024年10月28日(月)
15時過ぎに診療が途切れ、目の前にぽっかり空間が開けた。
「笑い」というものについて、何か書くことができるだろうか。
何が必要といって、笑いほど大事なものはない。人はいずれ死ぬに決まっているが、和やかに笑って死ぬことができるなら、死の怖さも不快も超えやすいものになるだろう。
笑うというより笑むと言いたい。「笑む」は「咲む」とも書くことまでは、週末に調べがついている。「花のつぼみが咲きほころぶように、頬が明るく開きこぼれる」のが「ほほえみ」である。
微笑みの讃頌を記せないかと思ってみるが、この主のことを賢(さか)しらに言挙げしようというのが野暮な話で、くどくど書かかれた千万言も、幼子の無心な一笑に軽く吹き飛ばされるだけである。
それでも何か、書けないかしらん。
「先生、あの」
「はい?」
「モリグチさんからお電話がありまして、」
「はぁ」
「犬がお薬をかじってしまったんだそうで、」
「犬?」
「はい、愛犬にお薬を食べられてしまって、足りなくなった分を処方していただきたいと」
「はぁ」
「でも犬も具合が悪くなって、これから病院に連れていくので、今日は来られないから、明日処方していただきたいのだそうで」
「はいはい」
いつもの調子で淡々と報告する女性事務長が、見あげて目が合った途端たまらず笑いくずれた。おっちょこちょいの美人さんが、愛犬を抱えて右往左往する姿が目の前に浮かんだ。
「何をどれだけ食べちゃったのかわかりませんけど、大した薬は出てませんから心配要らないかな。そう言ってあげましょうか?」
「たぶん、もう受診してらっしゃる頃かと」
朝からの鬱(ふさ)ぎの虫が、これであらかた融けて流れた。
どうぞお大事に。
Ω