散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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アリストテレスがそんなことを言いましたか・・・

2016-10-31 08:52:07 | 日記

2016年10月31日(月)

 「賢者は苦痛なきを求め、快楽を求めず」

 アリストテレスの言葉だそうだが、ショーペンハウアーが『幸福論』で「最高の処世訓」と評しているらしい。いろんなコメントがネットに出ていて、「(短絡的に考えるなら)アリストテレスは『嘘つき』だ」と食ってかかる愉快なものもある。(http://www.a-inquiry.com/ijin/3204.html)

 僕としては、アリストテレスの浩瀚な著作群のどこにそれが書かれているのか知りたいのだが、手元の事情ですぐには調べがつかない。そういう気もちで見渡すと、おしなべて皆、出典確認が甘いようなのが気になる。

 2015年度のノーベル文学賞を受賞したベラルーシのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチに『セカンドハンドの時代』という聞き取り作品があるらしく、ぜひぜひ読んでみたいと思うが、引用に関する限り無自覚なセコハンは間違いのもとで、ろくなことはないとしたものだ。

 

Ω


自己の状況認知に対する即時的かつ持続的な効果

2016-10-30 12:30:12 | 日記

2016年10月30日(日)

 先ほどからアクビを連発している。これまでならば「眠いのかな、たるんでるな」と苦笑で片づけるところ、「脳が覚醒度をあげようと努力しているのだ」と思ってみればいくらか慰むところがあり、さらに「升田幸三の鬼手や虚子の名句が生まれるかもしれない」と考えると動機水準には案外バカにならない影響がある。

 その代わり、アクビが出たからといってあっさり午睡に逃げるわけにはいかない、のね。昨日は帰る早々、竹をたんと伐った。早く片づけて続きをやりたい。この季節の庭仕事は最高に気もちいい。ほどよく疲れるのでアクビもよく出る。しかし眠いのではない、らしい。

   

Ω

 


「棄権」ならぬ「反対」 / How to speak dog

2016-10-30 08:16:57 | 日記

2016年10月30日(日)

 被爆二世様、コメントありがとうございます。お返事する前に一言、28日に伝えられた下記のニュースをどのようにお聞きになったでしょうか。

 「核兵器禁止条約決議案が国連第一委員会で賛成多数で採択/日本は反対」

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161028/k10010747411000.html

 今回の反対は「核保有国と非保有国との間の対立を深めない」ための戦略的判断であると軍縮大使が語ったとのこと、1994年以来23年連続でわが国主導のもとに採択されてきた「核廃絶決議」こそ真に目ざすところであると政府は説明します。それを素直に信じられたらどんなによいかと思います。私どもはさておき、世界はこれを信じるでしょうか?

 微妙な問題を含んでいることでもあり、多弁は控えることに致しましょう。決してお返事を強いるものでもなく、ただ例によって、ニュースを知った直後に被爆二世さんからコメントをいただくという「偶然」が看過しがたくて、ここに書きとめる次第です。27日にはまた、戦争の現実に触れて徹底した平和主義者となった若杉参謀こと三笠宮崇仁親王が他界されました。これらを互いに無関係な別々のできごととして書き並べるのは、この世に生活する生身の人間には無理というものです。

***

 さて「あくび」の話でした。興味深い情報提供ありがとうございます。時実利彦先生がそんなことをおっしゃっていたのですね、脳の自己覚醒の方図ですか。そういえば自分自身もパフォーマンスを控えて緊張した時 ~ 中学校のマラソン大会の号砲直前とか ~ に、生あくびが出たことを思い出します。郷土の先人・高浜虚子がこれを活用していたとは知りませんでした。医事新報が出所のようですが、巻・号などおわかりでしたら教えてください。

 実はここにも面白い暗合があります。少し前のブログで、博士課程入試に使われた面白い英文のことを書きましたね。その後この本を注文し、数日前に届きました。"How to Speak Dog: Mastering the Art of Dog-Human Communication" というタイトルで、『イヌ語をしゃべるには』とでもいうところでしょうか。この中に3頁ほどにわたって、イヌのあくびについて触れたところがあり、なかなか面白いのです。そしてポイントの一つは「(イヌの場合)アクビは決して疲労や退屈の表現ではない」ということなのですよ!

 では何の表現か、そのうちヒツマブシ・・・ではないヒマつぶしに当該箇所を訳してみようと思うので、楽しみにお待ちください。ちなみに、高3の秋を迎えて忙しい三男にヒマな父親が出した課題は下記のようなものでした。

 Stanley Coren の "How to Speak Dog" を読んで以下の問いに答えなさい。

問1: イヌのアクビとヒトのアクビの共通点と相違点について、著者の考えを200字以内で説明しなさい。

問2: イヌ同士のコミュニケーションにおいて、アクビはどのような役割を果たしているか、200字以内で説明しなさい。

問3: ヒトとイヌのコミュニケーションにおいて、アクビはどのような場面で見られるか、200字以内で説明しなさい。

問4: ヒトのアクビをイヌはよく観察していると筆者は主張しています。これを筆者が巧みに活用した例が記されている部分を、600字程度でできるだけ面白く訳しなさい。

(2017年度イシマル大学入試問題より)

 ほんとに面白い本ですよ。どうせ訳すならこんなのがいいな。

 

Ω


『闇よ、つどえ』と訳者のこと

2016-10-30 08:15:15 | 日記

2016年10月29日(土)

 へっへっへ、あった、ありましたよ!

   『闇よ、つどえ!』 フリッツ・ライバー著、風見潤訳 ハヤカワ文庫 SF 451

 昭和56年10月31日発行とあるが、ISBN などは記されていないところに年代が表れている。僕は1988年の暮から89年1月末日にかけて読んだらしい。大分から福島に移って、何かとしんどかった時期である。

 インターネット検索で情報が出なかったのは「つどえ」を「集え」と書いたためらしく、正しくひらがな表記で探してみたらちゃんと古書が出てきた。表紙のデザインが、これでは少々残念な感じだ。

 

 2008年の日付でカスタマーレビューが一件だけ載っているのだが・・・

 「「闇・・・・・・」で始まるから、「闇の聖母」と関係のある作品かと思ったが全然違うので、まいった。SFホラーファンタジーと勝手に思い込んでいたので、悪魔と天使の政治がらみのサスペンス的展開とは、いささかまいった。読破後も何も感じられず、いったい何が書いてあったのか思い出せない。きっと、その程度の作品なのだと思う。

 「SFホラーファンタジー」にのけぞり結句に仰天、「その程度の作品」には恐れ入った。僕自身とりたてて好きな作品ではないし、難癖つけようと思えばポイントはいろいろあるが、とてもこうは書けない。自分のアタマがその程度なのだという可能性を全く考えずにいられる夜郎自大ぶりが、何ともまぶしいのである。

 それよりも風見潤というこの訳者、同書刊行の時点でまだ36歳だが、既に多数の訳書があったのだ。その後はどんな風だろうと検索をかけて、出てきた情報に驚いた。wiki の記事自体が推理・SF系の虚構ではあるまいかと空恐ろしい感じに襲われる。コピペしようかと思ったが、やめておこう。

 それよりも、そもそもこの作品のことを思い出したのは「交感/副交感神経系活動の伝染性」の流れだったのだから、その部分を引用して僕の怪しげな記憶の証を立てておく。

***

 「副交感神経系統を刺激する放射線は油断のならぬやつで、人間の本能的・動物的反応を助長する。最初はほんの数人だったが、すぐに大勢の俗衆が身体を揺すり、ねじり、回転させ、半宗教的な恍惚感にひたって踊りはじめた。彼らは動物のように鳴き、叫び、うめき、普通の勤行ではなく、まるで信仰覚醒大伝道集会のようになってしまった。」(P.117-8)

 「逃げる群衆のなかにまぎれこんでいた魔人は、自分の感情がふいに変化したのを感じとった。副交感神経放射線が交感神経放射線に変わったのだ。これはあまり賢い変更とはいえなかった。大聖堂に残って踊りまわり、床を転げまわっていた人々が一瞬にして、動きを止めた。交感神経系は恐怖感を助長するのだ。人々は暴走(スタンピード)する動物のように戸口に押し寄せた。」(P.119)

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 う~ん、せっかくのアイデアがもったいない感じがする。あまりに非科学的すぎるものね、だけど惜しいな、ここから何かを取り出せないだろうか・・・

Ω

 

 


「あくび」について年来の妄想

2016-10-27 10:32:20 | 日記

2016年10月28日(金)

  

 アクビ、である。ポイントは二つ。

① 誰もが知るとおり、アクビは伝染(うつ)る。

② 人間だけでなく、動物もアクビする。

 ②はとりわけ不思議でもないようだが、知りたいのは動物のアクビも同種の動物間で、あるいは異種の動物間で伝染るかどうかという点だ。

 ①に戻って言えば、アクビがなぜ、いかなるメカニズムで伝染るのかについて、未だに説得力のある説明を読んだ/聞いた覚えがない。ただ、「なぜ/いかに」をとりあえず棚上げしてアクビが伝染るという事実から出発した場合、僕にはこれが「多くの生理現象はそもそも個体間で伝染しやすい性質をもっている」という一般則の証拠であるように思われる。「生理現象」というのが曖昧に過ぎるとすれば、「自律神経系の支配下にある現象」と言ってもよい。アクビの厳密は「なぜ/いかに」がさしあたり不明だとしても、そのメカニズムに自律神経系が介在している(あるいはそのメカニズムを自律神経系が担当している)ことは疑いようもないからである。

 ここにひとつの不思議がある。自律神経系のシステムは交感神経系と副交感神経系が拮抗する仕組みになっている、これも周知。これらを英語で何と呼ぶかとみれば、sympathetic/parasympathetic nervous system なのね。これは「共感/副共感神経系」と訳したって良かったような言葉だ。もっとも今なら「empathy が共感、sympathy は同情でしょ」と横やりが入りそうだけれど。

 そこでまた(大きな)疑問、英語の(あるいはその背後にある別の欧語の)命名者は、なぜこのようなネーミングをしたのか?「自律神経系の司る現象は、個体を超えた強い伝染性をもっている」という認識があったからではないか?この点を裏づける文献証拠がないか、もう20年も前から気になっているのだけれど見つけられずにいる。誰か御存じであれば是非とも教えてほしい。

 もうひとつの(小さな)疑問、これらをおそらくは明治期に「交感/副交感神経系」と訳したのは誰なんだろう、そこにどんな苦労があっただろうか。けっこう知恵を搾ったに違いないのだ。

 この一連のこだわりの理由は単純なもので、人と人との気もちが「伝わる」ということには身体的な基礎があり、そもそも情動は伝わるようにできている(設計されている)に違いないと確信するのだ。スポーツ観戦などはそれを最大限に生かして楽しむお約束だが、伝わるのが自律神経系にレベルでがっちり仕込まれた本性であるだけに、その伝染性を節度をもって制限するのが大脳連合野の役割(=マナー)であるということになる。どんなスポーツであれ、観衆のほぼ全てが一方に肩入れし、会場全体が一色に染まるというのは基本的なマナー違反、反文化的なことだと思いますよ。

 不安も安心も伝染性のものである。アッシジのフランチェスコの顰にならって、「不安のあるところに安心を生み出すものに祝福あれ」と言っておこう。

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トリビアのトリビア①: "Gather, Darkness!"

 Fritz Leiber (1910-92)というアメリカのSF作家に、"Gather, Darkness!" という有名な作品がある。『闇よ、集え』というピッタリのタイトルで邦訳されたのを昔読んだ記憶があるが、確かこの作品の中に群衆の心理を交感/副交感神経系を介して操作するという設定があった。違う作品と混同していないか確認したいのだが、「闇よ、集え」で検索すると日本人作家のハロウィンコミックが出てきて、ライバー氏の方は見つからない。家のどこかから探し出すほかなさそうだ。

   http://www.goodreads.com/book/show/561311.Gather_Darkness_

トリビアのトリビア②: アクビはなぜアクビと言うのか?

 ・・・正確な語源は未詳だが、『枕草子』にもある動詞「欠ぶ(あくぶ)」の名詞形が有力。 「欠ぶ」の語源は未詳で、「開く(あく)」と同系とも考えられている。 「欠」の漢字は口を開けてする動きを表す文字で、「欠伸」はあくびをして背伸びをすることを意味していた。

 その他、「飽く」と関連づけた説も多く、「飽くぶ(あくぶ)」の名詞形、「飽吹(あくぶき)」の約、「飽息(あくいき)」の約などがある。「おくび(げっぷ)」と共通語源に由来することも示唆されている・・・

(「語源由来辞典」より http://gogen-allguide.com/a/akubi.html)

Ω