散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

始まりと終わり/幻

2013-06-29 08:45:23 | 日記
昨日、S君が送ってくれていた朝のメール:

おはようございます。今日6月28日はサラエボ事件がおこった日、そしてベルサイユ講和条約が結ばれた日だそうです。

第一次世界大戦の始まりと終わりが、同じ日だったのか。

*****

そういえば、誕生日に亡くなる人がときどきある。
有名なところでは、シェイクスピアかな。
・・・いまWikiを見ると、「正確な誕生日は不詳」とある。
1564年4月26日に洗礼を受けた記録があるから、この日までには生まれていたわけだ。命日は1616年4月23日。謀殺説というのがあったな。

誕生日に亡くなった人を、もうひとり知ってると思っていたが、記憶違いだった。
サミュエル・クレメンスこと、マーク・トウェイン。
1835年11月30日 - 1910年4月21日だから、同じ日どころか、かけ離れている。
何でかなと考えて、わかった、思い出した。

マーク・トウェインは、ハレー彗星がやって来た年に生まれ、次にやって来た年に死んでいるのだ。しかもその日というのが、

ハレー彗星の最大接近日 ・・・ 1835年11月16日
マーク・トウェインの誕生日 ・・・ 同11月30日

ハレー彗星の最大接近日 ・・・ 1910年4月20日
マーク・トウェインの命日 ・・・ 同4月21日

どちらも非常に近い。このことと混同したのだ。

没年については、トウェイン自身、強く意識していた。
「ハレー彗星が再びやってくるその時に、自分も人生を終えたい。それを過ぎて生き延びるなら、自分にとって大きな落胆となるであろう。」
というようなことを、どこかに書きのこしている。

米国ミズーリ州ハンニバル、セントルイスからドライブで2時間余のこの小邑は、僕の大好きな場所だった。マーク・トウェインが生まれ育ったここには、彼の小さな記念館がある。3年間の滞在中に6~7回も出かけただろうか。
途中の道沿いが、ハックルベリー・フィンを生んだアメリカ中西部の原野である。

この記念館に、確かハレー彗星のことも書いてあった。

 

*****

今日はCMCCの総会だが、残念ながら出席できない。

この活動は現在、東京・横浜・三重に限られている。

大きく拡げることはできないか。

そういう幻が先日からちらついている。


教育は国の礎

2013-06-28 22:49:22 | 日記
古風なことを、と言い給うな。
本気の本気なんだから。

① 三度繰り返す吉田満の言葉
「この手記をまとめることを思い立ったとき、二年間にわたる不毛の戦塵生活からのがれてきたばかりの弱冠二十二歳の私が、曲がりなりにもこの筆馴れない文体と修辞をもって全編を貫き得たことを、戦前の行き届いた国語教育の賜物として感謝したい。」
『戦艦大和ノ最期』昭和49年のあとがきから。

② 金本位制復帰に伴う超緊縮予算の中で、浜口・井上の民政党コンビが義務教育費についてだけは増額を固守したこと。

③ あわせて、次の文に注意を払いたい。
「ここで、日本の場合を考えてみましょう。十九世紀半ばの明治維新当時のことです。
ヨーロッパが一世紀をかけて経験してきたような近代的な工業化や経済発展は、日本ではまだ緒についたばかりでした。それにもかかわらず、日本人の識字能力の水準はヨーロッパを凌駕していました。
明治時代(1868-1911)における日本の発展初期においては、このような人間の潜在能力の発展が主眼とされました。たとえば、1906年から1911年にかけては、日本全国の市町村予算の43%が教育費にあてられていたわけです。
この時期における日本の初等教育の普及はたいへん急速でした・・・(以下略)」
『貧困の克服』アマルティア・セン(集英社新書)

著者は、アジア人として初めてノーベル経済学賞を受賞したインド人である。
(1933年ベンガル地方の生まれとあるから、今日ならばバングラデシュ人であったところか。)

④ 日本の教育費(OECD 2011)、正確なデータ
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2011/10/07/1311502_8_1.pdf
日本の教育機関に対する公財政支出の対GDP比は、前年と変わらず3.3%。
OECD加盟国(31か国)中最下位。
(初等中等教育段階に関しては32か国中30位、高等教育段階に関しては31か国中最下位)

以上、とりあえずのメモとして。

もちろん、金をかけさえすれば良いというもんではないが、金のかけ方を見ればその社会が何を重んじているかが分かるというものだ。

三人の息子たちが義務教育を通過していく様子を見ていて、あれこれ疑問や文句もあるものの、日本の学校の先生達は今までのところ大いに健闘してくれていると思う。
「ろくに金をかけてもらえず、そのくせ仕事は年々キツくなり、お上からは無理難題を押しつけられ、モンペの突き上げに胃の痛い思いをしながら、現時点ではどうにかこうにか耐えている」
という意味だ。
いつまでもこれが続くとは、とても思えない。現に学校教員のメンタルヘルスは、かなり深刻な状況にある。

三男が通っている区立中学校に対しては、本当は親として言いたいことがいろいろあるんだよ。
しかし、先生達の苦労を見ていると舌鋒も緩めざるを得なくなる。
それではいけないのだろうけれどね。

負の遺産/継承/ほたるぶくろ

2013-06-27 12:19:10 | 日記
2013年6月27日(木)

留守中の新聞をざっと見直す。

6月22日(土)の天声人語が土光敏夫氏の「メザシ」に触れているが、これは僕も聞いた覚えがある。
当時は経団連の会長と聞くだけで、しょせん僕らと無縁の人種とばかり情報入力を遮断していた・・・つもりだったが、印象があれば記憶には残るんだね。

『男子の本懐』の読書メモの方にいろいろ書いたから重複は避けるが、「増税なき財政再建」という土光氏の持論は、浜口・井上コンビが金本位制復帰時に目指していたことと、基本的に通底するのではないかしらん。だとすれば、もう少しマジメに聞くべきだった。

繰り返すが僕は経済音痴だから、どちらが正しいかの見当は簡単にはつかない。
しかし少なくとも、どちらを選択するかについての議論はしっかりすべきだし、それなしにひたすら後の世代の負担を増やしている現状は、大人(=われわれ)の無責任・無定見と言われても仕方がないと思う。

*****

教団のWさんから電話あり、初対面(?)だが話は聞かされていたので。
「継承」ということを、婦人達が本気で考えてくれているようで、ありがたい。

持論では、「継承」こそ男性性の(=男の子の)本分ということにしてあるから、ちゃんとお手伝いしないといけない。

だけどおかしいな、理屈からいけば耶蘇教は「継承」には強いはずだと思うんだが、現状は違うよなぁ。
学会の人たちなんか、その点では大したもんだ。

Fさんがメールをくださった。
『癒しの風景』パンフレットは目下好評のよし。安堵した。
せいぜい汗かこう。

(「汗かけや!」という怖いタンカを、大阪SCのH所長から教わった。汗、かきます!)

*****

S君から朝の挨拶。

こちら関西から四国へ決まったコース、その間S君は初めての出雲で講演+観光、全国区で偉いなあ。

ほたるぶくろのうつむく花に かくしおくほどのかすかな恥ずかしさあり
(鳥海昭子)

ホタルブクロって、初めて知った。
細長い釣り鐘型の花、写真でみる色合いも、ほんのりはにかむような桃色だ。


読書メモ 001 『男子の本懐』

2013-06-27 11:35:14 | 日記
6月27日(木)

代休の午前。
2週間ほってあった『男子の本懐』ハイライトとメモの転記。

◯ 著者・城山三郎の筆法に、「対位法」とでもいうような分かりやすい表現の妙がある。
たとえば下記。

「その浜口が、しみ入るような誠実さによって狭い世界で深く知られ、井上は溢れるような奔放さで、広い世界で浅く知られていく。」(2069-)

◯ 浜口・井上ともに歌心のあること、またともに妻と家族を非常に大切にしていること、印象的である。この時代、結婚は(恋愛を含まぬ)見合いであったことに留意したい。
E. フロムが「愛するということ The Art of Loving」の中で、愛は意志と創意によって作り出すものであって、互いの相性には(ほとんど)依らない、というようなことを書いていた。
現代人があらためてよくよく考えねばならないことだ。

春暁の別れなまめく古き妻(井上準之助)(2465)

宴会があっても、浜口は早く抜け出し、夕飯は家で家族といっしょにとるようにした。(2558-)

◯ 浜口の中の「無量の蛮性」が、いま静かに爆発をはじめていた。(3754-)
これ全編の白眉である。そして有名な下記の場面につながる。

医師が思わず、
「総理、たいへんなことに」
とつぶやくと、浜口はうすく目を開けていった。
「男子の本懐です。」(-4012)

◯ 浜口・井上らが全般的に過激とも思われる緊縮財政をとりながら、その中であえて「義務教育費の増額」(3082)を行っていることに注意を要する。

確か昨日のラジオニュースだが、政府予算に占める教育費の割合について日本はデータの得られるOECD加盟国中で『最下位』なのだ。これが恥でなくて何だろうか。
(註:読み直して冷や汗、「予算に占める割合」か、「国民一人当りの教育費」か、それともその他の指標だったか、正確に記憶していない。うろ覚えでものを言うものではないな。ただ、意味するところは変わらないはずだ。)
いわゆる「事業仕分け」の際に、例の高名な担当大臣がある地域の下水道整備計画を一言で切って捨てたことがある。「浄化槽でやってください」と。浄化槽がどんなものか、御存じでおっしゃってました?
国は何のためにあり、何のために税金を取ることを許されるのか。
「下水」に象徴される生活インフラを整え、人格形成の根幹である教育を保障するためではないのか。

『戦艦大和ノ最期』(吉田満)昭和49年のあとがきから。
「この手記をまとめることを思い立ったとき、二年間にわたる不毛の戦塵生活からのがれてきたばかりの弱冠二十二歳の私が、曲がりなりにもこの筆馴れない文体と修辞をもって全編を貫き得たことを、戦前の行き届いた国語教育の賜物として感謝したい。」

もう一度書くよ。

「戦前の行き届いた国語教育の賜物として感謝したい。」

◯ 軍政と軍令の軋轢のこと(3668)、足立謙蔵といった人物の存在(4503-)、昭和初年に日本の政治家自身が労働組合法や婦人参政権法を構想していたこと(4363-)など、知らないことばかりだ。

◯ 最期に、以下のやり取りは80年以上前のこととは思えない。
「金が無いからどうにも仕事をしないというなら、大蔵大臣はだれにでもできる。」と三上忠造。
「公債を発行する、借金はする、剰余金はつかってしまうというような大蔵大臣なら、お安いことだ」と井上準之助。(4227-)

この一冊は、読んで良かった。掛け値なしだ。

***** 以下、抜き書き *****

6月11日(火)

「何でもないことだ、週末に静養すれば良い」(291-)

「現代の青年は余りに多く趣味道楽に耽って居るのではあるまいか」(323-)

日露戦争の戦費など(400)
・・・昭和初年になお、20年前の日露戦争の戦費が財政負担になっていたのだ。「後年度負担」の恐ろしさよ。

軍部の膨張(403)

本音なのだが、やはり記者たちには通じなかった。(459)

冷房はもちろん(475-)

『死線を越えて』や『英雄待望論』(530-)

宗教家になりたかった浜口(543)

神戸第一高等女学校(653)

使徒か伝道者の(655)

見渡せば酒も肴もなかりけり/裏だなめきし秋の夕暮(664-)

「明日伸びんがために、今日は縮むのであります。」(683)

がっぷり組んだ四つ相撲が得意である。(774-)

「男らしい人間になっておくれ」(802-)

「雲くさい」(824)

なるほど容貌は問題だが、男は顔ではない(837-)

剣客らしい気合いのこもった攻め(843-)

三高の移転(857)

「勉強を積むことである。とくに、これからの政治家は、なにより財政経済に明るくなくてはならぬと、」(897-)

養母が(944)

出戻り・・・(981)

高山樗牛(1001)

当時、大分の山奥と仙台とでは、外国に離れ住むほどの遠さがあり、新鮮さがあった。(1009)

なぐられること(1029)

井上のたのみには耳をかさなかったくせに、自分の都合で同居しに来る。(1093)
・・・註、実母のことだ。

虎の門女学館出身(1137-)

山形から松江へは(1160)

筋を通しながら、どちらの顔も立てるという井上式調停の一例である。(1373-)

1374の記載は、先行する逸話と両立しない。

早く帰ってあそべ、というのはない。日常業務から解放されて、個人の時間を持ち、大所高所に立つ勉強もせよ。そうして一人一人の質を高めることが、銀行のため、ひいては国のためになる、という考え方である。
 こうして営業局には新風が立ち、同時に角が立った。(1422-)
・・・見たか聞いたか、この見識を!

白湯は沸騰点に達し、(1461)

「ナノヨ」(1668)

「ナイノヨ」(1669)

「・・・デホシイノネ」(1669)

「只健康ト家庭ノ楽シミサエアレバ」(1697)

「上品ニ愉快ニ」(1754)

「又ハ常ニ失敗シ苦シンデ一生終ル事モアル可キ乎。禅学ニ運鈍根ト・・・」(1783)


6月12日(水)

井上は古くても、設備が悪くても、とにかく大きな家を好んだ。(1866-)

杉や松など安い材料を(1889)

不運を拾いに行くような就任劇であった。(1927)

本物の純粋さ(1957-)

何彼と二人(2017)

浜口にとって、不遇はいまさらのことではなく、また恥ずべきことでも、心臆することでもなかった。この旧友からも、学べるものは学ぼう、という姿勢であった。(2022-)

もちもと強気の男が、外へ出て、さらに強くなることをおぼえた形で(2039-)

東洋文庫(2054)
・・・そうだったのか!

イギリスの(2054)
・・・モリソンは豪州出身ではなかったか?大学がイギリスなのだ。

その浜口が、しみ入るような誠実さによって、狭い世界で深く知られ、井上は溢れるような奔放さで、広い世界で浅く知られていく。(2069-)

「勉強は一生つきまとう。他のことは、いつでもできる」(2151)

井上らしく、人々が見守っている一番のティ・ショットだけはうまいが、あとは楽しみと健康のためのゴルフである。(2161-)

「こういう時は身辺を荘重にしなければいけない」(2246-)

泥色の熱湯(2259)
・・・註:関東大震災で日銀も火災に巻き込まれる。井上準之助は既に転出が決まっていたが、消防隊を率いて鎮火のため銀行内に入る。消防の放水が火炎とぶつかり、煮えたぎって落ちてくる様を著者がこう表現したのである。

これも、ある意味での「ワンシング・ワンス」(2271-)

このころから、井上と高橋は、政策的に反対の路線に立っていた(2289-)
・・・ここだ。

井上の車と、井上を追う後藤の車は、炎天下、罹災者の溢れている皇居前ですれちがった。(2296)

この日、閣議の終わったあと、井上は後藤をその私邸に尋ねて、あらためて意のあるところを述べ、言葉づかいなど失礼のあったことを詫びた。
 そこがまた、井上らしいところでもあった。(2392-)

「世に貧乏ほど強きはなし」(2411)

「春暁の 別れなまめく 古き妻」(2465)

・・・早世した井上の長男は、何の病気だったのか?当時、若者の最も恐るべき病気は結核だったはずだが、やや経過が違うように思われる。家族愛の強い井上の心中、察するに余りある。(2530)

聞き上手(2544)

宴会があっても、浜口は早く抜け出し、夕飯は家で家族といっしょにとるようにした。(2558-)
「憶良らは今はまからむ、子泣くらむ、それその母も吾を待つらむぞ」

「人生は込み合う窓口の列」(2564)
・・・「重荷を背負って坂道を上るがごとし」(家康・・・実は違うと言うが)と対比されるような。

「為すべき規律的の仕事を有しなかった為にか、精神が何となく弛緩してしまって、」(2618-)

「学究相手には、実務家としての見聞を話し、実業家相手には、理論的な見通しを話すなど、井上は自分の中に在る理論家・実務家・政治家の面を器用に使い分け、明快に、そして要領よく話した。」(2772-)

「常識」(2815)

「財界の世話でなく、日本の経済の世話をしたい」(2669)

義務教育費の増額(3082)
・・・!!!

記者はわかっていながら、わざとこういう論法で井上を責めてきたとしか思えない。(3318)

無産党がこぞって反対したこと(3329-)
・・・!

そこでも、国際平和の推進というだけでなく、各国民の負担軽減という見地から、(3364)
・・・これがせっかく、当時の国際社会の雰囲気であったのに・・・

岡田啓介(3580)

軍政と軍令(3668)
・・・この軋轢は、日本のシステムの得意な問題点を象徴するのではないか。

浜口の中の「無量の蛮性」が、いま静かに爆発をはじめていた。(3754-)
・・・全編の白眉

委員長(3771)
・・・誰が、なぜ?

政治家は国民の平均的標準ではなく、国民の理想であるべきである。(3823)

遊行寺(3843)
・・・不況下に炊き出しが行われたのだ。今は箱根駅伝の中継で見る。

医師が思わず、
「総理、たいへんなことに」
とつぶやくと、浜口はうすく目を開けていった。
「男子の本懐です。」(-4012)

「なすことの 未だ終わらず 春を待つ」(4144)


6月13日(木)

井上は終始感情をおさえ、やじも怒号も一切耳に入らぬかのように、淡淡としゃべり続けた。(4224)

「金が無いからどうにも仕事をしないというなら、大蔵大臣はだれにでもできる。」と三上忠造。
「公債を発行する、借金はする、剰余金はつかってしまうというような大蔵大臣なら、お安いことだ」と井上準之助。(4227-)

「私は総理大臣に対して一言の御慰労を申しあげたい。(中略)健康をこの上御回復せられんことを祈ります」(-4302)
・・・政敵浜口に贈る犬飼の挨拶である。しかし浜口の命数はまもなく尽き、犬飼も翌年同じ運命に見舞われる。

政府提出法案72件は、すべて衆議院を通過したが、その中、進歩的法案と見られた労働組合法案・小作法案については審議未了、婦人公民権法案は否決という形で、いずれも貴族院において葬られた。(4363-)
・・・何と、わが国独自の足取りでここまで来ていたのだ。あと一歩、それが遠かった。

内務省と足立内相(4366-)

元老筋が浜口内閣の財政や外交路線の持続を望んでおり、大命がふたたび民政党に降下するのは確実、(4381-)
・・・ではなかったわけだ。

「チェコスロバキヤでも、金解禁で大蔵大臣が殺られた」(4460-)

足立内相(4503)
・・・その後、どうなったのか?
→ 第二次若槻内閣の破綻をめぐって重要な役割を演じている。その後、民政党を離脱して国民同盟を結成。極東モンロー主義・統制経済を主張したが党勢を拡大することはできず、同盟は後に解党となる。内閣参議、大政翼賛会顧問などを経て、1942年政界を引退。1948年没。
足立謙蔵(1864-1948)、この人物に注目して戦前の政治を見直してみることは、たぶん意味がある。

リンカーンやウィルソンの(4598)
・・・理念に殉じたという共通点があるな。井上のイメージとはズレるように思うが。

トマト入りの味噌汁。(4624-)
・・・味噌汁かぁ、せめておすましでいきたい。

似たもの夫婦(4934-)
・・・というか、似てくる(きた)のだろう。幸せなことだよ。

一月五日からの「東京朝日」紙上で、井上は三回にわたって、「金の再禁止について」論じた。(4943-)
・・・熟読を要す。

以上







父の魂胆、ネズミの困難/二畳間立志伝

2013-06-26 11:24:27 | 日記
「魂胆」という言葉は、現在ではろくでもない意味に使われることがほとんどだ。
「ははぁ、そういうコンタンか」「コンタンが見えすいている」等々、バックレの背後に透けて見える本音という意味だよね。
だが「魂」「胆」という字面をあらためて眺めてみれば、いずれ劣らず堂々たる人の真価に関わる文字である。その組み合わせには、たぶん本来もっとマシな意味があるのだろう。

あくまでそのような意味での、「父の魂胆」である。

どうやら、後片づけにかかっているらしい。
人生の後片づけ、である。

大量の写真やメモ、古い書籍や雑誌が出てくるたびに、
「こんなものは、置いといても役に立ちゃあすまい?」
と、相談とも確認ともつかない問を投げる。
「焼いてしまうか」
「待ってよ、古い記録は貴重だよ」
「置いといたって、誰も見やぁすまいが」
「そんなことないよ、現に僕が見てるじゃないの」
「置いといたって、役に立ちゃぁせん」

押し問答である。

しかし実際、貴重なのだ。
家族の写真や記録が、家族の歴史にとって、重要な資料であるのは言うに及ばず。

たとえば、祖父(=父の父)が南支派遣軍の将校として、中国大陸を10年にわたって転戦する間の写真や、現地で作成されたガリ版刷りの広報冊子。
あるいは、地主であった曾祖父(=父の父の父)が細かく記した、年貢米の取り立て帳。
これらはそれ自体、貴重な歴史資料ではないか。

保存状態の良いのにも驚かされる。
銀塩フィルムに記録された白黒写真は、概して解像度が高いうえに劣化しにくい。
最近のデジタル写真が、お手軽に印刷できてもみるみる褪色していくのと好対照だ。
曾祖父が精魂込めて縄張りした日本家屋は築80年を経てびくともせず、僕自身よりも間違いなく長生きするだろうと思われる。
その屋敷の中に、この種の古い記録がひと塊、眠っている。
医者になるのでなければ歴史をやってみたかった僕などには、宝の山に見えるのだ。

しかし、いま父の目は「捨てる」方向に向かっている。
物を捨てられない僕と違って、もともと思い切りの良い面はあったが、今回の「ブーム」にはそれを超えた意図があるらしい。
身辺をさっぱりと片づけて、旅立ちの支度をするつもりなのであろう。

その魂胆や良し、もって範とすべし。ここにも死生学の実践がある。
だけど、捨てちゃダメだよ、もったいないよ。

さぁ急がなくちゃ。
親父さんが物を捨てる時は、電光石火だからな。

競争だ。

*****

ネズミの通過する穴がひとつ、南側の二畳間の天井に見つかったことは先に記した。
もちろん、穴はすぐ厳重に塞いだ。
二畳間ってのは妙なようだが、昔の家にはけっこうあったんだよ。
玄関脇などにあって、下男・下女(ひょっとして今は使えない言葉?)の居室などとしてよく使われたようだし、もちろん家族が使うこともある。

松江の小学校時代に住んでいた社宅にこれがあって(もちろん下男も下女もいない、部屋だけだ)、僕は机を置いて勉強部屋にしていた。
子どもにはさほど狭くも感じられず、大人であっても必要なものだけをもちこんで作業に没頭するには、なかなか良いのである。二畳あれば作業はできる。四畳半なら生活できる。どちらも正方形、基本単位だ。
「立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」・・・ well said!

六月の帰省は、目覚ましい勢いで伸びる草々を草刈り機で制するのが主な目的。
初日は屋敷内の、二日目はミカン畑の、若竹や雑草と格闘した。
三日目は飛び地の小果樹園で草刈りの予定だったが、梅雨の本降りに降り込められたのを幸い、二畳間を掃除する。
聞けば旧制中学校入学当初の2カ月ほど、父はこの部屋を使い、ここから20数km南のM市まで通学したんだと。70年以上前の話だ。

本棚や引出しから、古いもの、新しいものが、出てくること、出てくること。
野上弥生子『秀吉と利休』!
これ、先週神田の三省堂で「絶版」と知って絶句したんだよ。
仕方なく、邦光史郎の『利休と秀吉』を読み始めたところだった。
だから掃除は楽しいのさ。

*****

そういえば今日は、朝っぱらからネズミが足もとを駆け抜けた。
二畳間の天井の塞いだ穴を見上げて、ふと思いつく。
夜行性のネズミが、朝からうろうろしてるなんて、変じゃないか。
穴は塞いだのに、どこから出てくるんだろうと思ったが、そうか、逆なんだな。
穴を塞がれたので天井裏に戻れなくなって、台所の隅あたりに縮こまっているんだろう。

フクロのネズミ、だけど、窮鼠は猫を噛む

さて、どうしたもんだろうか。

知恵比べだ。