2021年2月22日(月)
「またなんとか理屈をつけたのかね」と鈴木君があいの手を入れる。
「うん、実にずうずうしい男だ。吾輩はほかに能はないが意志だけは決して君がたに負けはせんと強情をはるのさ」
「一枚も書かんのにか」と今度は迷亭君自身が質問をする。
「無論さ、その時君はこう言ったぜ。吾輩は意志の一点においてはあえて何人(なんびと)にも一歩も譲らん。しかし残念なことには記憶が人一倍無い。美学原論を著わそうとする意志は十分あったのだが、その意志を君に発表した翌日から忘れてしまった。それだから百日紅の散るまでに著書ができなかったのは記憶の罪で、意志の罪ではない。意志の罪でない以上は西洋料理などをおごる理由がないといばっているのさ」
『吾輩は猫である』旺文社文庫版 P.150
大著のどこかにあったはずとパッと開けば、ずばりその頁、こんなことは生涯に何度もない。
記憶に罪をなすりつけて意志の罪を逃れる言い抜けは、わが迷亭君をもって嚆矢とする。漱石一流の諧謔の味だが、一世紀も後の国権の最高機関で大真面目に同じ主張が繰り返されようとは、「滅びるね」の文豪も予見しなかったに違いない。
Ω