散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

冬眠しないの?

2023-01-27 07:34:29 | 日記
2023年1月27日(金)

> 先生のおうちのカメさんは,冬眠しないのですか??
 よくわかりませんが、現在のこの低活動状態が「冬眠」なのではないでしょうか。

→「冬眠と一口に言っても、動物種によってその体の状態はさまざま。うちで冬眠させているカメ類の場合、代謝が落ちているだけで、呼吸もしていますし、場合によっては、ゆっくりと動くこともあります。」

Ω

氷の天井

2023-01-26 08:28:15 | 日記
2023年1月25日(水)
 最強レベルの寒波襲来で全国が難渋している。兵庫の親族らも雪で公共交通が止まり、遅れて出勤するやら、雪景色の写真を送ってくるやら。
 東京西部は思いのほか穏やかな晴天に恵まれ、ただ気温だけがグンと低い。日差しが明るいのでうっかりしていたが、見ればベランダの亀の洗面器が氷で閉ざされている。押しのけて首を出すことができなければ、亀といえども窒息してしまうだろう。あわてて表面を押してみると、丸い形のままゴボリと抜けた。厚さ12mmの氷の蓋である。


 御本尊は水の底でピクリとも動かない。氷は明け方までに張ったに違いなく、日中もそのまま融けることなしに、こちらが気づいたのは午後4時を回っていた。その間、息継ぎをする必要もなかったということか。いつもながら変温動物の省エネルギー性に感服する。ひき比べてわれら恒温動物は、どんなに怠けているときでも基礎代謝レベルでアイドリングをかけているのだから、地球生命体の視点からは無駄を絵に描いたようなものである。
 ずっと前から気になっていたのだが、亀は水の冷たさをどのように感じるのだろうか。
 恒温動物の場合、自身が最適とする狭い範囲に体温が保たれており、それと比較して外気の温度が高ければ暑いと感じ、低ければ寒いと感じるのであろう。自身の体温が外部の温度によって決定される変温動物の場合、こうしたズレによる暑さ・寒さは意味をもたないはずで、水の冷たさの感覚もずいぶん違っているのではないかと思われる。
 追体験のしようもないことのようだが、たとえば感覚器官の構造から機能特性を分析し、亀の感覚様式を推測することはできるかできないか…などと夢想しながら鍋で暖をとるのどかな食卓。その間、関西では最長10時間の列車立ち往生があり、16人が救急搬送されたことを翌朝知った。
 どちらを向いても申し訳ないばかりである。

Ω

ユダについてのM師の教え

2023-01-23 11:09:00 | 日記
2023年1月22日(日)
 カトリックに七つの秘蹟があり、その一つが告解すなわち罪の告白と赦しの秘蹟である。宗教改革は秘蹟を二つにまで絞り込み、その過程で告解は秘蹟から外された。
 これが適切だったかどうか、議論も分かれようし個人的にも思うところがある。世俗のカウンセリングや心理療法が主としてプロテスタント圏で発展してきた事情は、遡れば宗教改革が告解を秘蹟から外したことと関連するとの持論がある。
 それはさておき、罪の赦しはキリスト教信仰の核心であって、宗教改革者らもゆめこれを軽んじはしなかった。個別の告解に代えて礼拝式文そのものの中にそれを織り込んだのは、軽んじるどころか礼拝共同体の公同の行為として、告解を一段高める趣旨であったとM師の説教のまずはイントロ。

  続くマタイ福音書の連続講解が27章に入り、1-10節はユダの自殺のくだりである。ユダのことは気になっている。数年前に義母から贈られた本が手許にある。
荒井献『ユダとは誰か』講談社学術文庫

 そこに記される通り、ユダの「裏切り」に対する呪詛の調子は福音書の成立年代に沿って比例的に厳しくなる。
 そもそもマルコにはユダが自殺したという記載がない。「裏切り」は端的に「引き渡した」ことに留まり、復活の主の顕現にガリラヤであずかった弟子たちの中にユダが含まれていたとの推測すら可能である。
 マタイはちょうど今朝読まれた箇所において、イエスの処刑に先だってユダが後悔の念から縊死したと伝える。「自殺」説の唯一の根拠である。
 ルカは福音書の続編にあたる使徒言行録の冒頭で、ユダが「不正を働いて得た報酬で買った土地」で無惨な転落死を遂げたことを記す。
 ヨハネはユダの死について直接言及しないが、その動機と行為の「悪魔化」は他の福音書と比較して最も強い、ざっとこんな具合。

 ところがそのヨハネ福音書で「イエスの「引き渡し」は、神の定めに従うイエスの意思の結果であることもまた同時に最も強調されている」(荒井、上掲書)というのである。
 それならば「ユダはユダで託された役割を忠実に果たしたのではないか」というのがアマチュアの素朴な感想というもので、いずれにせよ自分の内側に素直な目を向けるなら、敵の手にわが主を引き渡す弱さも卑しさもいやというほど見えるのだから、「ユダはあちら側、自分はこちら側」などというのんきな位置どりは到底成立しない。逆にユダにこそ、他の誰に対するより同情も共感も最も容易である。
 太宰は太宰らしくこの点を見逃さず、『駈込み訴へ』という名品を遺した。「全文、蚕が糸を吐くように口述し、淀みもなく、言い直しもなかった」との美知子夫人の証言があるという。

 「主より大事なものがあるとすれば、私たちもまたユダと同じ危険をもつものでありましょう」とM師。
 「神さまより大事なものがあっちゃいけないから」という若者の言葉を思い出す。
 「ユダの方では、逆に主イエスに裏切られたと感じて憤っていたかもしれません。」
 なるほどそうに違いない。
 そして何より、
 「ユダの自殺は自分自身に絶望した結果であり、ユダの心はついに主イエスに向かって開かれることがありませんでした。」
 目のさめるような結びである。
 自殺や絶望について、ということは希望を抱いて生き続けることについて、ある真理を指し示す言葉でもある。

Ω

SS往来 #1 ~ 「立ち上げる」再論

2023-01-22 09:53:53 | 日記
2023年1月22日(日)

 大事な一日をお迎えのこと、気温は昨日並みに低いけれども、風がないだけ体感は楽なようですね。どうぞお気をつけておいでください。
 詩編121にてお見送りいたします。

ところで、

> 「立ち上がる」という言葉は、コンピュータ屋さんオリジナルなのではないかと勝手に推察します。

 これは間違いなくそうですよ。
 『お言葉ですが』のどこかで高島俊男氏も書いておられましたが、私自身ピンポイントで思い出すことがあります。そして「立ち上がる」には何の問題もない、問題は「立ち上げる」です。

 1986年から87年にかけてのある日、福島県のとある病院の医局で某医師が秘書さんに、
 「診療部長室のコンピュータを立ち上げておいてください」
 途端に全身が総毛立って拒否反応を起こしました。この言葉を聞いた人生最初の瞬間であり、繰返される小悪夢の始まりでした。
 「立ち上がる」は正しい自動詞のセット。
 これを他動詞化するなら、「立ち上がらせる」か「立て上げる」か、どちらかのはず。
 なのに「立ち上げる」って何?それなら「起き上がる」の他動詞は「起き上げる」ですか?
 イエスが中風の病人を「起き上げた」って?
 そんな言語センスで精神科臨床やるんですか!

 …とまぁ、続きは後ほどゆっくりやりましょう。
 行ってらっしゃい
 行ってまいります
***
【都に上る歌】
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ
わたしの助けはどこから来るのか
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから
どうか、主があなたを助けて
足がよろめかないようにし
まどろむことなく見守ってくださるように
見よ、イスラエルを見守る方は
まどろむことなく、眠ることもない
主はあなたを見守る方
あなたを覆う陰、あなたの右にいます方
昼、太陽はあなたを撃つことがなく
夜、月もあなたを撃つことがない

主がすべての災いを遠ざけて
あなたを見守り
あなたの魂を見守ってくださるように
あなたの出で立つのも帰るのも
主が見守ってくださるように
今も、そしてとこしえに

詩編 121
Ω

ザクロとザグロス

2023-01-09 09:04:24 | 日記
2023年1月9日(月・祝)

 ザクロ(石榴、柘榴、若榴、英名: pomegranate、学名: Punica granatum
 よく茂る緑の若葉が美しく、紅の花と実がこれによく映える。おまけに育てやすいので、庭木にも盆栽にもよく利用される。胡林(こりん)と名づけた作業部屋の窓の正面にその古木があるのだが、気の毒なことに庭の北西隅で陽当たりが悪い。挿し木や取り木で殖やせるとあるから、そのうち南側に子を植えてやりたい。
 この植物の魅力を増すのがその名前である。原産地は西南アジア、南ヨーロッパ、北アフリカなど諸説があるようだが、いずれにせよ3世紀までに中国に伝わり、それが西暦923年(延長元年)に本朝に渡来したとWikipediaがピンポイントで記す。この年に何があったか、手許の日本史年表にはこれといったできごとが見つからない。大唐帝国が907年に滅び、これと連動して926年に渤海が契丹に、935年には新羅が高麗にそれぞれとって代わられた。東アジア動乱の10世紀であり、その時期に誰のどんな目的での渡航に伴ってザクロが伝わったか、にわかには想像がつかない。
 ともかく初めに中国の誰かが西域からザクロをもちかえった。その際、イラン高原にそびるザグロス山脈にちなみ、これを現地音に近い「石榴」の字で記したのがザクロとなったというのである。少なくともそういう説がある。胡林に逼塞する目の前が、やおら時空を超えて拡がりはじめる。

 Wikipediaが923年渡来説の出典に示しているのは下記の文献で、著者は島根県の産婦人科医であらせられる。

 水田正能「エストロゲンと鬼子母神」『日本醫事新報』第3991号、2000年10月、 43-44頁

 産科の先生のこうした論文にザクロが扱われる事情は、Wikiが「文化・神話・宗教」の項に列挙するおそろしく多彩な逸話の内に窺われる。
  • 初夏に鮮紅色の花を咲かせ、他の樹木が緑の中で目立つため、王安石は『万緑叢中紅一点』(咏石榴詩)詠んだ。
  • 花言葉は「優美」「円熟した優美」「優雅な美しさ」「愚かしさ」
  • 日本の一部の地域では凶事を招くとして忌み嫌われるが、種子が多いことから豊穣や子宝に恵まれる吉木とされる国や地域が多い。
  • トルコでは、新婚のとき新郎がザクロを地面に投げて割り、飛散した種子の数で、その夫婦のあいだに生まれる子どもの数を占った。
  • ギリシャでは、新年に玄関前でザクロを床や玄関に叩きつけ、その年の幸運と繁栄を祈る風習がある。
  • 古代ローマでは、婚姻と財富を象徴する女神ジュノーの好物とされていた。
  • 色が似ている宝石のガーネット(石榴石)、その英名 garnet は中世ラテン語の grānātum(種の多い)に由来する。
  • スペインのグラナダ (Granada) の地名は、ザクロの木が多く植えられていたことに由来する。スペインの国章の下部のザクロも過去のグラナダ王国を表す。
  • 火薬と金属破片を内蔵し、爆発とともに破片を散らして敵を殺傷する爆弾の事をGrenade(英)/榴弾と呼び、この語はザクロに由来する(和訳も同じ)。球形の弾体が裂けて破片をこぼす様をザクロに見立てている。
  • エジプト神話では、戦場で敵を皆殺しにするセクメトに対し、太陽神ラーは7,000 の水差しにザクロの果汁で魔法の薬を作った。セクメトはこれを血と思い込んで飲み、酩酊して殺戮を止めたという。
  • ギリシャ神話の女神ペルセポネーは、冥王ハーデースに攫われ、6つのザクロを口にしたことで、6か月間を冥界で過すこととなり、母・デーメーテールはその期間嘆き悲しむことで冬となり、穀物が全く育たなかったが、ペルセポネーが戻ると花が咲き、木々には実がついたという。このため、多産と豊穣の象徴とされている。ローマ神話ではプロセルピナといい、ザクロは復活の象徴となっている。
  • キリスト教では『聖母子像』でイエスがザクロを持っている図像もあり、後のキリストの受難を表す。
  • ユダヤ教では、虫がつかない唯一の果物として神殿の至聖所に持ち込むことを許された。
  • 釈迦が、子供を食う鬼神「可梨帝母」に柘榴の実を与え、人肉を食べないように約束させた。以後、可梨帝母は 鬼子母神として子育ての神になった。柘榴が人肉の味に似ているという俗説も、この伝説より生まれた。
 何とまあ、人の想像力と長い帯同の歴史をもつことか。そこに「生殖」と「破壊」の両面があることも生命樹のイメージにふさわしい。
 「キリストの受難」は、花実の色が鮮血のそれに似ていることに由来するだろうか。
 もう一つ、絵には描かれていないがザクロの枝にはそこそこ鋭い棘がある。それがキリストの頭(こうべ)に置かれた荊冠を連想させるものかと思われる。

Fra Filippo Lippi, 『聖母子とマリア誕生の物語』1452年頃

Ω