散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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家族で午餐、夜は合宿/教会で暮れの掃除、夜は合宿

2013-12-31 23:46:11 | 日記
2013年12月28日(土)

 昨日とは一転、すばらしい好天。
 かねての予定通り、神田のG会館で家族の午餐会と洒落こんだ。実は両親、結婚60周年なのである。結婚記念日などと仰々しく語ることはついぞなく、僕は最近までその年月日を把握していなかった。昭和28年春に父が大学を卒業と同時に就職、その年の暮れのことである。
 皆が貧しく万事質素な時代のことで、そのような人々でもあった。父の遠縁にあたるW氏が農林官僚として活躍中で、郷党の信頼を集めてもいる。この人が自宅へ若い二人と親しい友人数名を招き、ささやかな宴を催してくれた。その家の幼い娘さんたちが室内に万国旗を飾り、心温まる一場を演出してくれたのがわが家の出発点。
 そんな話を聞きながら、年の瀬で人もまばらなG会館のレストランで2時間ほどもくつろいだ。3世代7人の会食、息子達が年長者の話に根気よく耳を傾けるのが、親としては嬉しいところである。ふと見れば、このレストランのこの一画は、過日岳父の叙勲祝いに関東在住の家族が集った同じテーブルである。御縁があるものだ。

 散会後、長男と本屋街へ回って医学書などを見る。正月明けに病理学と薬理学の試験があるので気もそぞろなのだ。僕は文学書のコーナーでアリス・マンローの短編集を一冊買う。カナダのこの女流作家の翻訳が、確か先月は一冊も存在しなかった。店頭にないのではなく、検索しても情報が出てこなかったのだ。ノーベル賞受賞となれば現金なもので、今は何種類も平積みである。訳文は以前から存在していたのか、突貫工事で新たに訳したのか、何でもいいや、ともかく読んでみたかったのだから。もうひとつ、ベイズ統計学のマンガ満載の解説書、条件付き確率のどうにも腑に落ちない部分を、これなら解き明かしてくれるかもしれない。
 夜に向かい、いささか思い屈するところがあった。クリスマス前に両親が上京し、いつもは次男が広く使っている離れた借間に長男と三人で泊まるのだが、そこに座り込んだきり起つ気力が出ない。出るのはため息ばかりである。遅れてやってきた長男と次男が察して、黙ってつきあってくれた。こんなことは初めてだ。
 幼い頃から長男には人の情動に対する鋭敏な直感力があり、次男には底の抜けたような善良さと温かさがあった。それが今夜はこちらに向いた。
 助かった。

2013年12月29日(日)
 CS合同礼拝の説教があたっている。ルカ福音書2章、「いと高きところでは」の天使の言葉で知られる美しい部分だが、この部分の焦点は羊飼いにある。必ずしも牧歌的な意味合いではない。羊飼いは当時のカナン住民の生活に絶対必要な羊を管理するものであるのに、手ひどく疎外され冷遇されていた。その羊飼いに救い主の降誕が真っ先に知らされる。ベツレヘムの街に新生児が一人であったとは思われない。羊飼いらが救い主を見わけるための「しるし」は、その子が厩の飼い葉桶の中に寝かされているという卑賤のあり様だった。
 「権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ/
  飢えた者を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返す」
(ルカ1:52-3)
 ルカはある種の革命的な歴史観をもち、羊飼いはその視点から選ばれている。そのことはさしあたり置き、人の疎外するものが神の中心的な関心事となることを、言葉を尽して伝えてみる。

 礼拝後に皆で手分けして窓拭きなどし、青天の下を散歩かたがた帰宅する。冬至が過ぎ、早くも太陽が生気を取り戻し始めている感じだ。
 今夜は次男が「倫理と制度」から始まって熱弁を振るう。倫理的なものと政治的なものとの拮抗関係が日本では曖昧になっており、政治の営みの中で倫理的な目的も達成されることが楽観的に予定されている。日本型ファシズムや戦争責任について考えるならば、どうしてもそのことに行き当たるということらしい。もちろん話は宗教に関わり、彼自身の進路選択に関わる。
 次男が風呂に入った後、長男が何やらボソボソと呟いている。
 「こんなところで躓いているわけにはいかない」とか、「最近まったくものを考えてなかった」とか、そんなことだ。やがて枕をボンとひとつ叩いた。
 よく分かる。医学部というところは、熱心に勉強することによって何も考えずに済ます現象が、他のどこにも増して起きやすい。それに気づけば、弟と話した甲斐があったというものだ。
 明日はそう、加藤周一と「なだいなだ」の本を、手許にあるだけ渡してやろう。
 なださんは今年他界されたのだったな。医者にも偉い人はいるのだ。

年の瀬の健康問題(続き)

2013-12-30 23:06:43 | 日記
2013年12月27日(金)

 健康上の問題を指摘された、などとうっかり書いたので、何人かの読者から御心配をいただいた。ブログを日記代わりにするのでこういうことが起きる。
 ただ、これは何か顕示的・露悪的な動機からしているわけではなくて、たとえば胃カメラにしても・・・出かける時間だ、あとは後で。

***

 たとえば胃カメラにしても、往時とは比較にならない楽ちんの上に、目の前のモニターが自分の消化管内を鮮やかに映し出し、居ながらにして自身の体内へ入り込んでいくというのはなかなかスリリングな体験だ。(『ミクロの決死圏』!)
 しかも要所で撮影された静止画像は、即日受付で渡してくれるんだからね。これをブログに掲げて報告したいのはヤマヤマだけど、やはりやり過ぎという気がする。見て楽しいものでは・・・ないよね、ふつう。なので止めました。十二指腸の入り口、見返りのブラインドコーナーにでっかいキノコがあったとだけ報告。組織検査の結果が分かるのは年明けだが、悪性の懸念はきわめて小さく、この件は特に心配していない。そっちではなくて、ですね。

 さて診療日、ここにまた別の健康上の小問題あり。子どもの頃から乗り物は大好きだった。今も毎日のように利用する東急各線で、最前部の運転士席脇から前方を眺めてワクワクするほどなのに、首から下は少し意見が違うらしい。長距離電車で腰を痛めることがままあり、21日から23日にかけての和歌山往復で見事にやってしまった。昨日・今日と座骨神経症状が進展し、今朝は着替えにいつもの4~5倍の時間がかかる始末で、珍しくも朝食抜きで出かける羽目になる。
 診察室の椅子の上で動作のぎごちないのを、二人目の患者さんに手もなく見破られた。三人目からはこちらから白状し、今日はいつもと様子が違うかも知れないが、どうぞ御勘弁をと詫びて進める。今日も患者さん達は真剣で細やかに、いろんなことを教えてくれた。
 オードリー・ヘップバーンが摂食障害を抱えて難渋していたことは、他でも聞いた気がする。ポランニーの一族がきわめて質素であったことなど。
 ギリシア正教会では、正教以外キリスト教と認めない風が今でも強いと、これはまた別の人。それで分かった。『戦争と平和』に出てくる篤信の正教徒が、れっきとしたカトリックのフランス兵を評して「キリスト教徒じゃなくても、温かい血が流れているんだ」と語る場面。35年目の納得である。
 それやこれやで、どうやら腰痛は忘れて過ごすことができた。
 
 

聖夜

2013-12-25 08:37:48 | 日記
2013年12月24日(火)

  光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネ:1-5)

 新共同訳は「理解しなかった」と訳す。歴代の聖書が苦慮する箇所である。

  光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。(文語訳)
  光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(口語訳)

 「悟らざりき」⇒「勝たず」⇒「理解せず」と二転した原語は ου κατελαβεν、もともと「理解する、悟る」と「うち勝つ」の両義をもつ動詞だから厄介なのだ。文脈からもどちらの訳もあるところで、英・独・仏など各国語の聖書も同様に苦心している。ルター氏がラテン語聖書のドイツ語訳を志したとき既に問題は存在した筈で、ルター訳がどちらを採ったかいずれ確認しておきたい。
 ラテン語訳は comprehendo という動詞をあてたのだが、ギリシア語からラテン語に訳した人(々)はどう考えていたのか。というのも comprehendo は κατελαβεν < καταλαμβανω に似て「理解する」と「うち勝つ」の両義に親和性をもつものの、子孫にあたる comprehend(英)、comprendre(仏)からも分かるとおり「包含する」を原義とする。そこから「理解する、悟る」と「取り押さえる、拘束する」の両義が派生するが、どちらかといえば前者が優位で、後者から「うち勝つ」を連想するほうがやや遠い話のように思われる。この理解が正しいとすれば、ラテン語訳の時点でひとつの解釈的決断が行われていることになる。
 「うち勝つ」という訳は、ラテン語からの転訳を避けてギリシア語原典に直接挑む時、より魅力的に浮上する選択肢なのではあるまいか。

 僕?僕は「うち勝つ」派だ。
 空間をとっぷり閉ざす巨大な暗闇の中で、一本のろうそくはいかにもはかなく見える。しかし、見つめれば目を眩ますほどに芯の強い一点の光源を、暗黒(くらき)はどうしても消し去ることができない。微かにも輝き続ける光源が、おし包む暗黒の力をいつの間にか押し返し、逆に暗黒をおし包んでこれを無力にする。
 大いなる正午が昇ってくる。

*****

 24日の夜、この日この時ばかりは、教会が外の人々であふれかえる。第一部は礼拝、第二部は昨年に続いてT女学院のハンドベルチームが楽しい演奏をきかせてくれた。教会員のFさんが指導する生徒達で、演奏後のFさんの挨拶に「遠方の子ども達もおりますので、失礼ながら『ひき逃げ』をお許しいただきます」とあって皆が顔を見合わせた。
 この夜、ベツレヘムの厩で生まれた幼子の、生涯の終わりを僕らは知っている。それが僕らの救いであることも、また知っている。司会の次男がそんなふうに祈りを結んだ。
 礼拝後のキャロリングはここ何年か休止中。玄関で振る舞われるココアが温かく美味しい。

 クリスマスおめでとう

一週間に起きたこと

2013-12-23 22:37:32 | 日記
 何がどういう順序で起きたのか、自分でも頭を整理してみたい。

17日(火) 
・ 聖学院で死生学について話をする。(会場に向かう道すがら、途方もない大木を見た。)

18日(水) 
・ 早暁、平山先生他界。こちら朝一番に御茶ノ水で胃カメラをのむ。
・ その足で千葉の放送大学へ向かい、いくつか用を足す。風雨が強い。
・ 帰途、横浜の病院へ回り ~ 千葉の帰りに横浜に「回る」も妙だが ~ N教会のIさんを見舞う。

19日(木)
・ 朝、虹を見る。直後、Fさんより平山先生の訃報入る。
・ 午後診療。健康上の問題について、H先生より指摘あり。
・ 夜、CATで映画『息子の部屋』をめぐって懇談。

20日(金)
・ 終日診療。

21日(土)
・ 和歌山学習センター出張、卒研生の精神科看護に関する研究を審査。

22日(日)
・ Iさん他界。こちら出張先のT教会でクリスマス礼拝にあずかる。

23日(月)
・ 東京への帰途、膝の不調顕著。帰宅しN先生からのメールでIさん他界のことを知る。

 混乱するのは、親しい人々 ~ 特に教会筋 ~ の死、巨木や虹といった生命徴候、自分自身の健康問題などが、折り重なるようにして訪れてきているからだ。しかも季節は冬至、従ってクリスマス。
 死に向かっているのか、生へ呼び戻されているのか、どちらも同じことなのか、何が何だかまるで分からない。

 ついでのことに21日朝の富士山は雪化粧が美しく、東横線の綱島あたりでも、新幹線の富士市あたりでも、見事な景観が窓外にあった。
 新幹線では御丁寧に車内アナウンスがあり、てんでにカメラのシャッターを切る。いっぽう東横線内の風景はバカバカしいようなもので、ずらりと座席を占める若者達が一様に首うなだれてスマホをいじり、頭上はるかに望む富士など誰も気にとめない。もちろん、目の前に超高齢の女性 ~ シスター ~ が立っていることに気づくはずもなく、というより気づかずに済むようスマホに没入している次第か、これなど生の徴候か死の徴候かよく分からない。
 話題の巨大地震が今この場所を襲ったらと想像するが、むろん若者達は生き伸びやすく、老齢のシスターが逃げ遅れることだろう。世界遺産がどうしたって?
 そういえばこの写真、富士山の腰のあたりに漂う雲の層に向かって、工場の煙が左下から立ち上るのをたまたま捉えている。田子の浦をヘドロで埋めた我らが文明の活動の証左である。


訃報

2013-12-20 07:46:41 | 日記
 虹の画面を閉じたと同時に、Fさんからのメールが入ってきた。

 平山正実先生他界、18日(水)午前5時過ぎ。

 聖学院でグリーフ・ケアに関する踏み込んだ質問が出たので、「私の手に余ります。平山先生は、今日はどうしていらっしゃらないんでしょうねえ」と言い、皆が明るく笑ったのが17日の夕だった。
 先週、教会のH兄からいただいた先生の著書を読んだところで、読書メモに挙げようとPCの横に置いてある。

 今年お母様を送られ、そのことを放送大学のインタビューでも語ってくださった。半年を経ずに旅立たれたのは、いかにも孝心厚い先生らしい。

 感謝と惜別、ともに尽きない。