2023年10月10日(火)
大事なものをすっかり忘れていた。秋分がすっかり旧聞になってしまった。
書くだけ書いておこう。
秋分 旧暦八月中気(新暦9月23日頃)
秋分の日は、国民の祝日です。秋彼岸の中日にもあたるので、お墓参りに出かけて、ご先祖様や亡き人たちの霊をしのびます。
春分と同じように、この日は昼と夜の長さがほぼ同じになります。厳しい残暑もおさまり、過ごしやすい時節となります。
果物、秋の野菜、魚と食べものがおいしくなってくる、実りの季節でもあります。
(『和の暦手帖』P.76-77)
七十二候
秋分初候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)新暦9月23日~27日
秋分次候 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ) 新暦9月28日~10月2日
秋分末候 水始涸 (みずはじめてかるる) 新暦10月3日~7日
「夏-入道雲-雷」という定番の連想が、すっかり説得力を失った気がする。沖縄の遠浅の海の沖合に泳ぎ出たところで「ゴロゴロ」を頭上に聞いた時は、生きた心地がしなかった。
「水始涸」は田の水を抜く謂らしい。「蟄虫坏戸」は「啓蟄」と対を成している。
そう、啓蟄は春分直前。
自分が「ほぼ春分」の生まれなので、その裏側の秋分にも何かなし親近感がある。昼と夜の長さがほぼ同じになるというのはいわば暦の結節点、不動の軸の両端が春分と秋分というイメージである。春分に生まれたなら、秋分に去るのも悪くない。マーク・トウェインはハレー彗星の大接近に際して、その年の誕生日に他界することを熱望したと読んだ気がしていたが、誕生日云々は自分の脚色だったらしい。
Mark Twain こと Samuel Langhorne Clemens、筆名はミシシッピなどの水先案内人の「水深二尋 "by the mark, twain"」という合図の言葉から取られたものだ。1835年11月30日-1910年4月21日、日付にはこだわらず、ただハレー彗星とともに去ることを望んでそれを果たしたのである。
『ハックルベリー・フィンの冒険』は昔も今も大好きだが、原文で読もうと試みた時にはさすがに絶望的な気持ちになった。ハックやジムの使う言葉そのもので書かれた、その英語のすさまじいこと!
トウェイン事実上の遺作ともいえる『不思議な少年 The Mysterious Stranger』について、人はどの程度真剣に受けとめてきているか。
それこそ絶望しか残さないこの作品を、作者は55歳の年から書き始めて死に至るまで改稿を繰り返した。ゲーテにおける『ファウスト』に相当する力闘の所産だが、かの「悲劇」のような輝かしい救済は作中にかけらも示されていない。真剣に読むなら気がおかしくなりそうで、望んだ年の作者の死は偶然ではないような気が、ふとしてくる。
大相撲秋場所、例年その初日は残暑が厳しいのに、千秋楽は秋めいて肌寒くすらあるはずのところ、今年9月24日(日)は松山も神戸も31℃で蒸し暑かった。この年限りの例外であってほしい、尋常ならぬ2023年の夏。
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