散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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義務教育全員終了

2014-01-31 11:11:17 | 日記
2014年1月31日(金)

 仕事前に連絡があり、三男の高校入試が早々に片づいた。
 切に志望していた先でもあり、本人と共に喜ぶのはもちろんながら、また別の感情が働いているらしく、しばらく考え込んだ。
 これで息子達が全員「義務教育」を通過したという思いが、どうやら無視できないもののようである。昭和47年には高校進学はまだアタリマエではなく、殊に山形の中学校ではそうだった。卒業と共に家業の農業に入る者もあり、集団就職で上京した者も多かった。農業高校や工業高校に入る者は、それぞれ卒業後の就職を明瞭に意識していた。普通高校に通えること自体、ある種の贅沢として羨望の対象であった。山形から転校した名古屋では、事情はかなり違っていたけれど。
 中3の夏に帰省した時は、愛媛で中学教員になっている二人の叔父のうち、下の叔父から「何で高校に行くの?」と訊かれた。
 弁護士か医者か、そんなものになりたいのだけれど、どちらも大学に行かなければなれないし、大学に行くためには高校に行かねばならないから(必ずしもそうではないことは後に知った)、そんな答えをしたように記憶する。むろん叔父はナマイキな甥の将来をそこそこ嘱望してくれていて、それだけに「高校進学」ということの意味やそれに伴う責任について、教育者らしく考えさせようとしたのに違いない。
 こういうことは忘れないもので、時代はすっかり変わったけれど、僕は息子達の高校進学にあたって必ず同じことを問うようにしていた。親としての義務はここまでで終わり、学校側にも生徒を選ぶ権利が発生する。ここからは自分の決断と計画に従って学校に進むのだし、その他の道もある中での選択だ。高校へ行きたいなら援助はするが、それは「親として当然自明の義務」などではない。それゆえ、まずは自分の希望を聞かせよ、云々。
 時代錯誤と言われそうだが、面白いもので、今の時代には40年前とはまったく違う文脈でこの問いが意味をもち得るだろう。損のないやり方だと思いますよ。
 
 ともかくそんな風だから、息子らがこの地点を通過したことは、僕にとっては小さからぬ一里塚を過ぎたことを意味する。ある種の point of no return、要するに一段階年を取った ~ 取らされたということだ。

 ちょっとヘンだな、高校の行き先が決まったことと中学を卒業することは、密接に関連しているが同じことではない。この際はまあいいか。

 おめでとう、よく頑張りました。

雲騰致雨 露結為霜 ~ 千字文 005/灼熱の氷惑星

2014-01-31 07:39:06 | 日記
2014年1月31日(金)

◯ 雲騰致雨 露結為霜(ウントウチウ ロケツイソウ)
 雲は空に騰(のぼ)って雨を降らせ、露は凝結して霜と為る。

[李注]
 「雲行き、雨施して、天下平らかなり」(易経)
 雲や雨が感応するのは、すべて君主に徳があることによるのである云々。

 露は草や木を潤す。露が凝結したものを霜という。その気は凛烈としていて、すべての草木を枯らす。秋の露は、夕暮れには結んで露となり、朝には凝(かたま)って霜となる。

***

 地球という惑星の大きな不思議は、水という物質が著しく大量に存在することだそうだ。しかもこの水 H2O という物質はユニークな特性をいくつかもっており、分子量が小さいわりに沸点が非常に高いこと、凝固点よりも温度の高いところで比重が最大になる(つまり、凍るときに水底からではなく水面から凍る)ことなどはその一例だ。それらいちいちの特性が、生命体の揺籃として至適格好の条件を水という物質に与えている。
 なぜ地球上にこれほど水が多いかということについて、かつて高橋実という人が「氷の塊である小天体Mが地球に衝突した」とする説を本にしたことがある。とても面白く読み、「想像を逞しくする」とはこういうことではないかと思ったりした。

 今日もガラス窓に大量の結露、拭って遠くを見れば冬枯れの木々が、早くも春に向かって蠢動を始めているようだ。

原著で読む/閏餘成歲 律呂調陽 ~ 千字文 004

2014-01-30 07:46:18 | 日記
2014年1月30日(木)

 5時に布団の中で目が覚めた。理由の見当はついているが、まだ起きたくはないのでどうしようかと考え、そうだ、いいことがあった!Kindle なら暗いところでも読める。目に良くないかな、たまにならいいよな。
 で、H君ゾッコンの「ヒューマン・ファクター」に読みふける。昨日から読み出して止まらない。あと少しというところで6時半になった。早起きのH君とメールを数往復。
 どの訳で読んだの?と訊ねたら、「原著で何度も」と。これは僕がバカだった、H君なら当然そうだろう。その後、日本語訳も購入したが通読はしていないと。

 もちろん原著で読むのが最高だが、僕は大して経験がない。
 翻訳より先に原著を読んだものとしては、M.スパークの『Memento Mori』、これはすごく面白かった。あとはウェルズ『タイムマシン』、スタインベック『エデンの東』、ロンドン『荒野の呼び声』、フランスの短編をいくつか、それぐらいしか挙がらない。
 何をやってたんだろう、ちょっと恥ずかしいな。

◯ 閏餘成歲 律呂調陽(ジュンヨセイサイ リツリョチョウヨウ)
閏月(うるうづき)によって一年を完成させ、律呂によって陰陽をととのえる。

 太陰暦では満月から満月までを一ヶ月とし、「365日と四分の一」という太陽公転周期とのズレを、19年間に7回の閏月を置くことで調節した。閏月のある年は、一年が十三ヶ月になる。ここで言う太陰暦は中国式のそれと思われるが、中東などの太陰暦ではどうだったのかな。
 月を暦に使うのは、自然の中で生きる場合には至極あたりまえで合理的な発想だ。空が晴れている限り、夜になれば天を見上げるだけで月齢が分かる。月齢を知って営みを始めるとすれば、夕刻から一日を始める中東の流儀もまた自然である。
 太陽の秩序と月の秩序の間にちょっとした緊張関係のあるのが面白い。潮の満ち干は、両者の相互作用の産物だ。

 律呂とは「ハ長調、ニ短調」などという時の「調」にあたるもので、律が陽調、呂が陰調だそうな。そういえば音階というのも不思議な現象だ。不思議なことがたくさんあるものだ。
 

☆ 横井型と小野田型(大事な宿題)

2014-01-29 09:46:03 | 日記
2014年1月29日(水)

 少し考えをまとめて、後から書こう、などと思っていてそのままお蔵入りのネタが既にたくさんあるので、ここはまとまらないまま書き留めておく。

 先に横井さんと小野田さんを対比して書いた後、H君とやりとりしながら内心で確認したのは、この人々が戦時下のイメージをもって南洋の島々に潜伏し続けたことそのものよりも、その行動とありようを通して「内地」の「現実」の日本人のある側面を鮮やかに映し出していることの重要性だった。
 日本の南の空に巨大なスクリーンが現れ、そこに僕ら自身が「投影」されているような具合。(附記:心理力動論のさまざまなツールの中で、「投影 projection」というコンセプトは、ひときわ利用価値が高いもののように思われる。)
 戦中・戦後の日本人(もっと一般化して良いのかもしれないが、さしあたり)の適応の様式として、横井型と小野田型があると考えてみたいのだ。社会が強制してくるものに対する、受動的で心の底まではコミットしない反応様式と、能動的で内心の同一化を伴う反応様式とでも言うのかな。だからこそ、外から吹く風の向きが変わる時には、当然ながら前者の方が適応が良いことになる。このことの射程が、最近の「新型うつ」ぐらいのところまで達しているのではないかと思ったり。(あの現象は、狭い意味での精神病理学では解ききれない。)
 兵卒型と将校型、庶民型とインテリ型、農村型と都市型、さまざまに重畳し交錯しつつ、アナクロから超モダンにわたって、いろいろ考えてみたい対照があるようだ。大事な宿題として自らに課す。

 以下は自分自身の資料として、H君とのやりとりの大略。

*****

1/22 H君より

 ・・・確か山本七平と司馬遼太郎が、横井さんと小野田さんについて(比較していたかは忘れましたが)、書いていたのを大学時代に読んだ記憶があり、再読したい気持ちです。

 もう一つ興味深いのは、小野田さんは中野学校で促成教育された残置諜者(第8師団参謀付き?)だったようですから、当時レイテ決戦も終わり、敗色濃厚。参謀本部にいれば正確な情報は入っていたでしょう。玉砕するなという師団長命令が、どの時点で、いかなる目的で発せられたかがポイントですが、敗戦になっても、諜報活動を続けろという命令だったかもしれません。

 外部からの各種情報に(おそらく)接していながら、上官の(任務解除)命令がなかったという理由で、長期間、任務を継続した、その精神と心理は興味深いです。外部情報は全て謀略と考えた時期があったとしても、戦後しばらくまででしょう。そうだとすると、敗戦はありえないとの前提で、日本側の謀略と考えたか、あるいは、敗戦は正統性があるとして、しかし、事実上、旧勢力は温存され復活しているから、いつ大日本帝国が復活するかは分からないと考えたのか・・・。
 彼の立場に立って、間接的な情報のみを通じて認識形成をしていることを考慮すれば、戦後の国際情勢と国内情勢の変化は、任務は継続すべしという信念を揺るがすものではないように思います。
 実際、現在では徴兵制以外、ほとんど復活しているのですから。(海外からながめていると、そう見えるでしょう。)だからこそ、帰国後の日本に適応できなかったのでしょう(彼の心理、精神、生理もちろんリンクしますが)。

 横井、小野田比較論は、いろいろな論点をたてて検討したくなりますね。
 たとえば、戦陣訓の位置づけ、受け取られ方の分布状況(将校と兵隊間での差異など)。

***

1/23 H君へ

H大兄

 なるほど、預言者はその故郷において敬われず、ですかね~。

(中略)

 比較検討の論点はおっしゃるとおりで、関心がほぼ重なっていると思います。小野田氏の場合、鉱石ラジオを自分で組立てて日本のニュースを完全にフォローしており、投降2年前に部下の小塚氏が射殺されるまでは、二人で競馬の勝ち馬を当てて興じていたというんですから、単純な情報欠乏の結果ではありえないですよね。すべてを傍受(=傍らで受信)していながら、本国の人々とは別の(あるいは裏側の)現実を生き続けた人物というのは、才能があれば一大小説の素材にできるもののように感じられます。

 同じく密林に潜んでいても、発見されることを恐れ、ひたすら来援を待ち続けた「横井」と、孤独な戦闘を継続した「小野田」は心理的な構えが全く違います。「受動的」と「能動的」の違いと言ってみたらどうでしょうか。「受動的な横井」のほうが適応良好であったことを、かつて群馬大学で実施された統合失調症の生活臨床研究で、「受動型」の方が「能動型」よりも適応良好とされたことと関連づけてみたくなります。

 同じことは「戦後の本国」でもあったわけで、意志と信念をもって能動的に生きようとする者は、運命に受動的に流される者よりも、得てして適応が困難になるでしょう。能動型の方が圧倒的少数なのだろうと思います。小野田氏を称揚するのではありませんが、ある種の畏怖と敬意を感じるのはそのあたりです。(横井氏に対しては、むしろ同情と申し訳なさを感じる、といったら変でしょうか。「階級的偏見の裏返しだ!」と突っ込んでくる人間がいなくなったのは、40年の時の流れですかね。)

***

1/23 H君より

 小野田さんが、そこまで傍受していたとは知りませんでした。シリアスな小説にもなるし、お笑い風に脚色もできるし、戦後日本社会史・風俗史を絡めて、昭和19年頃から昭和50年頃までを、本土とフィリピンの密林に分けて、適宜、クロスさせながら書くと面白そうです。ベトナム戦争を小野田さんがどう解釈していたかとかね。映画も面白そうです。日本映画全盛期なら、傑作ができた可能性がありますね。

 小生、スパイとか二重スパイには、昔から関心があって、グレアムグリーンの「ヒューマンファクター」という二重スパイ小説は、何度も読みましたが、どうも、昔風に言うと分裂気質というか微分回路的なパーソナリティは、スパイに親和性がありますね。参謀や官僚とスパイはまた違うけど。

 リヒャルト・ゾルゲにも多大な関心があります。篠田正浩の「スパイ・ゾルゲ」は傑作です。篠田監督のエッセイ(『私が生きたふたつの「日本」』)は面白いですよ。たしか、去年の正月頃にNHKのラジオ深夜便だったか別の番組で聞いた講演も、非常に迫力がありました。

 どうも話が脱線していくので、この辺で。

寒來暑往 秋收冬藏 ~ 千字文003

2014-01-29 08:05:48 | 日記
2014年1月29日(水)

◯ 寒來暑往 秋收冬藏
(カンライショオウ シュウシュウトウゾウ)

寒さがやって来れば、暑さは去ってゆき、
秋には作物を刈り取り、冬にはそれを蔵に収める。

[李注]
 春は青陽といい、風気は温和である。
 夏は朱明といい、風気は炎熱である。
 秋は白蔵といい、風気は清涼である。
 冬は玄英といい、風気は凛烈である。
 四季が交代して五穀が成熟する。作物は春には芽ばえ、夏には成長する。秋には穀物を取り入れ、冬には蔵におさめる。これが一年のことである。

***

 大寒を過ぎ、凛烈たる玄英のさなか、そうだ、寒中見舞いを書かなくちゃ。