散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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おそらく歴史的なスピーチ

2015-04-30 08:19:22 | 日記

2015年4月30日(木)

 

 「日本の総理大臣としては初めて」、米国の上下両院合同会議で演説したそうである。

 お疲れさま、さぞ誇らしかったことだろう。

 

 朝のラジオニュースが、45分間にわたる英語スピーチから随所を紹介した。

 英語は、そうだなあ、はっきり言って褒められない。ゆっくりハッキリを心がけたのだろうが、一、二語毎に区切って読む(んだよね、原稿を?)もんだから、かえってひどくわかりにくいのである。しかも、たとえば by the / time という具合に、前置詞と冠詞をくっつけて冠詞と名詞を切り離すような区切り方をしているから、ネイティヴ・リスナーにはさぞかし聞きづらかろう。冠詞と名詞は、パンツと中身ぐらいに不可分なのだと昔教わりました。

(帽子と頭、だったかな?実際彼らは、決してそこでは分けない。)

 

 それから母音の弁別、これは僕など人の批判をできたものではないが、country を大きな「ア」で読み、war は口をすぼめた「オー」なので、文脈から推測するのでないと聞き取れないものと思われる。僕に聞き取れるのは、光栄にも首相と同じ日本語訛りをもっているからだ。

 

 そんなことは小さいことである。米国議会が送った拍手は、心からのものだったに違いない。そのことが重要だ。

 だって、「これからはアメリカを軍事行動において孤立させはしない、どこまでも一緒だよ」という心温まるメッセージなんだからね。それだけは、あらゆる障壁を越えて確かに届いたに違いないのだ。大成功である。

 

 さて、日本にどこで何を分担してもらおうか、アメリカ側ではさっそく具体的な検討に入ることだろう。(というか、既に入っているに違いない。)

 そして映像はイスラム過激派も当然見ている。彼らの側で日本とアメリカがバッチリ同一視されても、そのことに対して文句は言えない。

 何度も繰り返すように、アメリカとの同一化 identification は安倍外交の基本線なのだから、文句を言うどころか、正確な理解を褒めてやらなきゃいけないのだ。彼らもまた具体的な検討に入ることだろう。

 

 「よくできました」

 

 高くつくよ、これは


紈扇員潔 銀燭煒煌 ~ 千字文 105

2015-04-28 07:27:49 | 日記

2015年4月28日(火)

 

 紈扇員潔 銀燭煒煌

 

紈(がん)は「白い練り絹」のことだそうだ。

そもそも僕は「練り絹」が何だか知らない。さっそく調べてみる。

 

1. 繭糸を数本合わせて接着したのが生糸であり、糸から表面に膠着しているセリシンを除いたのが練絹である。

(世界大百科事典)

 

この意味で、練り絹は「生糸 vs 練り絹」ということで、素材に関する概念なんだが、転じて

 

2. 生糸で織ったあと精練した絹布。また、練糸で織った絹織物。

(大辞林 第三版など)

 

できあがった布(製品)に関する言葉としてもつかわれる。

さらに、織ってから精練するのと、精練してから織るのと、二通りの方法があることも分かる。

それからまた、

 

3. セリシン

「染色された絹糸や絹織物は、精練工程を通ることによって、セリシンを除去しほとんどがフィブロインばかりになっています。(セリシン、フェブロイン→)生糸でも絹紡糸でも紬糸でも全てそうです。」

「このフィブロインってえやつは、一本一本の繊維は強いのですが、その繊維の束ン中に水が入り込みやすく(それが保湿性、保水性の良さでもあるのですが)、細い細い一本の単繊維に割れてしまい、そこで摩擦されると繊維一本一本が切れてケバケバになってしまうって訳なんです。」

「他の繊維ならそれでも良いのかも知れませんが、何せ表面の光沢感あっての絹です。台無しになってはトホホです。また、染色堅牢度においても最も弱いのが湿摩擦堅牢度です。(反応染でも赤系統など)色によっては2-3級程度が限界だったりします。(絹は低染色堅牢度?→)とにかく、できるだけドライ表示にし、手押し洗いの場合でも、ウオッシャブル加工→など(後述)を付与したもので対応すべきです。」

(http://www.brandnewsilk.com/story/01.htm)

 

・・・だそうだ。

ここでセリシンに関心が向くのは自然の勢いというもので、

「セリシンは、絹になるフィブロインを取り囲むタンパク質です。 古来、中国には、繭を煎じて薬として飲む習慣があり、糖尿病の治療に用いていたと言われています。 創業当時から絹を取り扱ってきたセーレンは、絹に携わっている人たちがなぜか若々しく、健康で、きれいなことに着目。 研究の結果、セリシンが大きく関与していることを突き止めました。」

(セーレン株式会社 :: 製品情報 :: セリシン研究報告 セリシンとは www.seiren.com/products/medical/sericin/sericin02.html)

 

セリシンの命名が気になるが、案の定、アミノ酸のセリンを30%以上含むとあり、これと関係するらしい。

 「セリシンのアミノ酸組成は肌の天然保湿因子(NMF)とよく似ている為に、例えば、お肌のバリア機能を低下させる活性酸素の発生や、シミの原因となるチロシナーゼの働きを抑制する効果が有り、その一方、肌への刺激も少なく、保湿・保護・美白に優れたスキンケア成分として注目され、現在「セリシン」は有用物質として様々な分野で活用されています。、現在セリシンは有用物質として様々な分野で活用されています。」

(セリシンとは何? http://ruby07.com/serisin-siruku/cat0001/1000000002.html)

 

セリシンを取り除かずに絹を着用することは、できないのかな?

 

***

 

本題に戻って、

 

員は圓に同じ。煒煌は光輝くさま。なので、

 

紈扇員潔 銀燭煒煌

すなわち

「白い練り絹のうちわは丸くて清潔である / 銀の手燭は光り輝く」

 

***

 

また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

(マタイ5:15-16)

 

 

 

 


食卓往来

2015-04-27 08:29:36 | 日記

2015年4月27日(月)

 

  4月6日(月) ハンバーグ

  4月8日(水) チキンカレー

  4月9日(木) 豚肉生姜焼き

  4月12日(日) 田舎からの荷物

  4月25日(土) 田舎からの荷物、オオデマリ、コデマリ、マンサク

 

 いい季節だ・・・

 

 


妾御績紡 侍巾帷房 ~ 千字文 104 / 大和路あるいは高縄山

2015-04-26 08:00:08 | 日記

2015年4月26日(日)

 

 2月16日以来の再・再開、残り20回ほどで止まっていた。

 

 妾御績紡 侍巾帷房 

 

 そうだった、前回この字面を見て、何となくつっかえてしまったのだ。

 いわゆるフェミニズムに別段思い入れはないが、もっと素朴なレベルで、女性が大事にされないことへの自然な反発がある。何を今さらと言われそうだが、そういったものでもない。職場での不平等も問題だろうが、それ以上に家庭でどうなのか。

 「夫に養ってもらっていますから」というフレーズを、何度となく聞かされてきた。

 どこかが何かおかしい。微妙に倒錯的なのである。当然、これに対する反逆も生じ、これまた同程度に倒錯的である。

 「千字文」の時代だから、という単純な話ではない。

 

 妾(おんな)の仕事は績紡すなわち糸を紡ぐこと

 侍巾は「巾櫛(きんしつ)に侍る」で、巾(てぬぐい)や櫛(くし)をとって夫に仕えること

 帷房(いぼう)は帷(とばり)垂れぎぬの下りた部屋だから、婦人の居室である。夫の部屋ではないのか等、いろいろ考えてしまう。

 

 「チャタレー夫人の恋人」を読めば分かるように、英国貴族の家庭の場合、夫婦の寝室は別であるのが原則だった。一方が他方に通ったわけである。招待もあり、謝絶もあったに相違ない。緊張を孕み、相当ドラマチックである。「ダウントン・アビー」でも三女の死にあたってこのことが起きた。

 イギリスの中流家庭がどうだったか知らないから単純な比較ができないが、ダブルベッドを鉄則とするアメリカ方式は、文化革命としてかなり大きな意味をもったのではないかと想像する。

 

 ちなみに「チャタレー夫人」の「夫人」は Mrs. ではなく Madam でもなく、Ladyである。そこにD. H. Lawrence の挑戦もあったもので、「チャタレー令夫人」ぐらいに訳さないと、本当は意味が通じない。

 そこいらの「チャタレーさんちのおかみさん」の浮気話では、なかったのだからね。

 

***

 

 用があって関西の長男に電話し、様子を聞いて目を丸くした。

 学業もだいぶ忙しくなってきた中、珍しく半日で授業の引けた金曜の午後、ふと奈良へ行ってみようと思い立ったそうな。

 結構な話だが、彼が思い立ったのは、兵庫県T市から奈良県奈良市まで自転車で行くということである。それなりの支度と経験と時間があれば何でもない話だけれど、彼のはまさに思いつきで、午後もいい時間になってから買い物用のチャリにまたがり、初めての道を勘とスマホ頼りにふらりと出かけたのだ。

 

 なんとまあ

 

 天候に恵まれ、迷うこともなかったが、生駒の山道にかかってさすがに無理を悟ったらしい。大阪と奈良の境あたりで自転車を駐め、あとは電車でめでたく奈良の空気を吸った。夜になればネットカフェという便利なものがあり、翌朝自転車を拾って土曜の日中には無事帰還したとのこと。

 何が彼をそうさせたか気になるところであるけれど、それこそいちばんの大事、個人的な秘密に属するものである。

 

 それでこれまた、ふと思い出した。

 敗戦後の旧軍属への冷遇で、5年ほども履歴の後戻りを余儀なくされた父が、たぶん大学進学の受験勉強をしていた時期のことである。夜半に思い立って高縄山に登ったことがあったらしい。

 松山と今治を隔てる円形の半島の頂きにあたり、標高986m。遠足のコースにできるぐらいの「おらが山」だが、思いついたが早いか用意もなく勢いのまま、暁暗かまわずやってのけるのが若さの証明である。

 今の長男より、少し若いぐらいの頃か。

 

 若さを受け止めてくれる山があり、道があることの幸せを思う。

 地方選挙の投票日、東京山の手は晴れ、アメリカハナミズキが満開である。

 


奈良でカミユと出逢う(予告篇)

2015-04-21 11:31:26 | 日記

2015年4月21日(火)

 

 放送大学の学習センター所長は、いずれ劣らぬ一流の学者揃いであること、これまで何度も記してきた。この方々から客としてもてなされるのは真に分不相応というもので、そこで触発啓発されることは、他では得がたい大きな役得である。

 今回また期待に違わず、すぐにも書きとめておきたいんだが、明日まではどうしても手が空かない。

 

 4月から奈良学習センターの所長に着任された三野博司(みの・ひろし)先生、フランス現代文学が御専門である。同時に画才がおありなのだ。

 サインペンとボールペンの下絵に水彩を施し、ハガキに仕立てたものが所長室の前に置かれ、「ご自由におもちください」とある。遠慮も慎みもなく、端から順にいただいてきたものを掲載する。

 

 この三野先生から、カミユについて他いろいろと教えていただいた。

 (続く)