2019年8月29日(木)
この夏、珍しく胃の痛むことがあり、しばらくぶりに胃カメラをやってもらうことにした。たぶん3年ぶりかなと思い、6年経っているのを記録に見て仰天。時間の流れがこんなに速くなっているのか、濁流に押し流されるようにまもなく人生が終わってしまう。濁流と言えば九州の人々の難儀なこと、7月に訪れ足かけ4日も親しんだ佐賀駅も水につかった。川縁とか低地とかは思えなかった場所である。地理環境に対する認識を根本からあらためねばならない時期に来ているらしい。
胃カメラの検査手技は年々進歩していて、抗コリン剤の筋注などというのもとっくにやらなくなっている。麻酔はキシロカイン入りのキャンデーを舐めるだけ、効いてくるにつれて唾を飲みこめなくなる時間帯が実はいちばん苦手である。咽頭から食道入り口が麻痺しているだけで、呼吸には影響ないとわかっていても、息が詰まってくるのではないかという慮外の不安が募って抑えがたい。ヒステリー球 globus hystericus は誰の喉にも備わっている。
内視鏡の画像がモニターで示されるようになったのは大きな進歩で、苦痛から注意を逸らす効果があるうえ、画像そのものが興味深い。大腸検査の時は、結腸特有の規則的な構造が神殿の天井か何かを見上げるようで、神々しさすら感じた。
「やつの胃袋の方が、やつの脳ミソよりよっぽど高尚だぜ」
この台詞、いつか登場人物に語らせてみたい。大概の人間の場合にあてはまることである。
もっとも胃は結腸とは違って皺だらけの無定型な袋物で、建築のような確固とした律動性が備わっていない。それだけに、ちょっとした充血などを見るにつけ、次第に申し訳ない気もちが募ってくる。
幽門前庭あたりだろうか、やや血色悪くあれてみえる一帯あり、術者から組織検査の合図とともに、腹部に軽く引っ張られる感じが起きた。
「糜爛(びらん)ですね、心配ないでしょうが念のため・・・」
胃ガンなどではないとしても、やっぱり苦労をかけているのだ。胃も身のうちとやら、ごめんね、これからはもっと大事にするからとマウスピースを噛みつつ念じた。
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朝浴(午前6~7時)
朝食(午前8~8時半)
パン、卵2個、牛乳1合、コーヒー1杯、果物
昼食
紅茶、菓子
夕食(午後6~7時)
ご飯、吸い物、魚、野菜、果物
就寝(午後10~11時)
僕ではない、渋沢栄一翁90歳の日課である。父が送ってくれた切り抜き中の、愛媛大学(院)抗加齢医学講座教授・伊賀瀬道也氏の連載記事(下記)から引用した。
朝食にヨーグルトを加え、夕食の魚をときどき肉に代えて良ければ、献立は達成可能な範囲にある。ただし以下の記載に注意。
「第一に不断の『活動』 ~ 計画を立てて60歳から90歳まで活動する、第二に『節制』 ~ 活動が過度にならないよう注意する、この両者を『車の両輪のように調和させる』ことが健康長寿の秘訣であると(渋沢翁は)述べています。さらに大事なものは『精神の平和である』とも記されています。」
さらにまた
「最後に渋沢栄一は私利私欲のために生きなかったことも知られています。」
ほんとにごめんね、僕の胃袋・・・
Ω
『加齢に対抗するために』98、愛媛新聞2019年6月28日