散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

インターミッション

2017-02-26 09:58:13 | 日記

2017年2月26日(日)

   二・二六の朝、ジュンペイ君の件その他もろもろいったん置いて小旅行中。壁の模様を眺めているうち、最初はアクシュミとばかり見えたものが、ふと違う感じに迫ってきた。草間彌生さんには描けないモノトーンの連続模様・・・いま僕はどこにいるの?

Ω

 

 

   


帰り道の思い出とジュンペイ君の天晴れなコダワリ

2017-02-24 09:37:25 | 日記

2017年2月25日(土)

 学校の帰り道は社交場でありドラマの舞台であり、思い出を形づくる不可欠の要素である。電車通学にもそれがないわけではないが、全長が徒歩の長い帰り道には趣深さにおいて到底およばない。前橋、松江、山形、名古屋、それぞれの帰り道の思い出を田舎の風景とともにじっくり振り返ったら、それだけで一冊の画集になりそうだけれど、まずは名古屋の中学校。

 部活がない日など、校門を出るときは結構な大集団。それが一人また一人、「バイバイ」「またね」と散っていく。バス通りまでは汐路小の校区、市大薬学部前のバス停のところで信号を渡ると陽明校区に入る。「バイバイ」「またね」を繰り返して、とうとう4人に減った。象さんみたいにでっかいジュンペイ君は、中1の砲丸投げで名古屋全市の二位に輝いた。ちびっこい生ちゃんはサッカーのドリブル名人で、コマネズミみたいにすばしこい。練習と称して自分よりでっかい下級生たちにしきりにボールをぶつけている。僕と同じ中型サイズの八ちゃんはフォークソングと中間小説(わかる?)が大好きで、うちの真ん前に住んでいる。密柑山のバス停のところでジュンペイ君に「バイバイ」、生ちゃんに「またね」を言って、八ちゃんと二人で坂を上がると帰り道はとうとうおしまい、1970年頃の毎日の風景。

 生ちゃんとは、15年後に東京お茶の水で劇的な再会を遂げた。八の字ヒゲの似合うがっしりした出版編集者になっていた。八ちゃんはどうしているんだろう、今では誰も消息を知らない。ジュンペイ君は電気に詳しいので、東京の高校に進む直前に電話してお伺いを立てた。「名古屋で買ったラジカセ、そのまま東京で聞けるかな?」「大丈夫だと思うよ」彼の言ったとおり、大丈夫だった。

 それから45年ぶりにジュンペイ君と会った。不思議なことに象さんのように大きくはなく、すっきりしまって落ち着いた紳士になっていた。Facebook で「いいね!」の御褒美に、懐かしさてんこもりのCD2枚組を渡してくれたのは先に書いたとおり。しかしこの紳士の奥行きはそれだけではなかった。数多い彼のシュミの一つに、こんなものがあったのですよ・・・・・

(拝借先は後ほどあらためて)

Ω

 


「メルボルンの夜空は明るいか問題を検証」しているK氏におりいってお願いがあること

2017-02-24 07:48:38 | 日記

2017年2月24日(金)

 勝沼さん、少々間延びしてしまいましたが、「明るい夜空」の件で重ねてのコメントありがとうございました。勝沼さんのブログにとても印象的な写真が掲載されているのですが、どうやらリンクを張るのを遠慮してくださったようですね。そういうマナーがあり得ることに気づいておらず、ネチケットについてひとつ教わりました。御礼とともに、私の方から御紹介しておきます。「好きを好きに書けるシェアブログ」っていうコンセプトがいいですね。

 「メルボルンの夜空は明るいか問題を検証する」 http://knowlog.site/

 こだわり博学の勝沼さんに、ひとつお願いがあります。以前にも話したかと思いますが「阿吽」の件です。「阿吽」自体はサンスクリット語のα(アルファ)とω(オメガ)に由来し、始めと終わり、呼気と吸気、発散と蓄積等々のバランスにかかわるものと了解していますが、私が知りたいのは阿型と吽型を律儀に対照させる作法がいつ、どのように成立したかということなんです。日本の寺社はどんな場末の祠やお堂でも、この作法を外しているのを見たことがありませんが、逆に中華街の獅子などは対のものでも「阿吽」にはなっていない、てんで関心ないみたいなんです。靖国神社の境内に一対だけ「吽吽」の狛犬がありますが、これは日清戦争の戦利品として中国から運ばれた由、これも以前に書きましたか。

   その後も未解決の「阿吽」の作法、日本文化の標徴とでもいおうか、ちょっとしたカギみたいな感じがしているのですね。急ぎませんので、いずれよろしく御高説をお聞かせください。


いくつわかる?

2017-02-23 20:44:28 | 日記

2017年2月23日(木)

 わが友ジュンペイ君のタイムマシン・セレクションを、許可をいただいて転記。全てに YouTube 音源のリンクを貼りつけたいけれど、それはヒマな時の楽しみに。

 

【1960年代】

1 GET IT ON (CHASE) https://www.youtube.com/watch?v=t7HKPV8LeHQ

2 悲しき鉄道員 (ショッキング・ブルー)  https://www.youtube.com/watch?v=WTxbKktwwN8

3 悲しき恋心 (ショッキング・ブルー) 

4 Green Tambourine (Lemon Pipers)

5 悲しき天使 (メリー・ホプキン) https://www.youtube.com/watch?v=6e_5SaFui4M

6 天使のらくがき (ダニエル・ビダル)

7 悲しき初恋 (パートリッジ・ファミリー)

8 シェリーに口づけ (ミッシェル・ポルナレフ)

9 ザ・トレイン (1910フルーツガム・カンパニー)

10 ミスター・マンディ (オリジナル・キャスト)

11 天使の兵隊 (オリジナル・キャスト)

12 今日を生きよう (Grass Roots)

13 西暦2525 (ゼーガーとエバンス)

14 二人のシーズン (ザ・ゾンビーズ)

15 夜明けのヒッチハイク (ヴァニティ・フェア)

16 恋の炎 (エジソン・ライトハウス)

17 イエロー・リバー (クリスティ)

18 ノックは3回 (ドーン)

19 孤独の世界 (P.F. スローン)

20 幸せの黄色いリボン (ドーン)

21 男の世界 (ジェリー・ウォーレス)

22 恋のかけひき (ハミルトン、ジョー・フランク & レイノルズ)

 

【1970年代】

1 シーズン (アース・ウィンド&ファイアー)

2 魔法 (ルー・クリスティ)

3 霧の中の二人 (マッシュマッカーン)

4 キリ・キリ・ウォッチ (ザ・カズンズ)

5 ビーナス (ショッキング・ブルー)

6 25 or 6 to 4 (Chicago) https://www.youtube.com/watch?v=XvnDd-meR6M

7 Make Me Smile (Chicago)

8 Questions 67 & 68 (Chicago)

9 Tnemptation Eyes (Grass Roots)

10 Two Divided by Love (Grass Roots)

11 Sooner of Later (Grass Roots)

12 White Room (Cream)

13 Early in the Morning (Cliff Richard)

14 Easy Come, Easy Go (Bobby Sherman)

15 Mr. Lonely (Lettermen)

16 Sealed with a Kiss (Lettermen)

17 Spinning Wheel (Blood, Sweat & Tears)

18 ナオミの夢 (ヘドバとダビデ)

19 20th Century Boy (T. Rex)

20 Mamy Blue (Pop Tops)

Ω


談論「風」発/メアリー・ポピンズとピヘルシュタイナー

2017-02-23 07:54:45 | 日記

2017年2月21日(火)

 風の強い週である。今日は大学で事務雑務を片づけることにあて、これは案外はかどって2~3時間でケリがついたが、昼過ぎの本部図書館前で体が浮き上がるほどの強風に煽られ、出かけるのをしばらく控えていた。

 4時過ぎ、そろそろおさまってきたかと腰を浮かせかけたところへY先生、ついで会議を終えたO先生がいらして何となくの歓談が始まった。デキる先生たちというのは例外なく話題が豊富で、おおむね話し好きである。小俣先生との間でお互いの姓に関する情報交換したことなど話したら、連想の宝庫に火がついて御両所の談論が止まらなくなった。O先生は長く名古屋にお住まいで、その名古屋で先週末に僕の同窓会があったことも話題に油を注ぎ、気がつけば6時前である。もちろんシラフなのに、何だか少し酔ったような帰り道になった。

 帰宅して、先日45年ぶりに再会したJ君からもらった60~70年代ポップスのCDをかけたら、頭の中の可燃物に本格的に引火爆発してしまった。「音楽はタイムマシン」とはJ君の御託宣だが、よく言ったものである。シカゴにショッキング・ブルー、ポルナレフ、ダニエル・ビダルにメリー・ホプキン、へドバとダビデが日本語一点なのね、当のJ君が当時、「ヘド・・・ロ?」と怪訝な顔をしていたのを覚えているんだな。Wiki からコピペしておこう。

 1970年は、J君と僕が汐路中学校2年G組で同級生になった、ちょうどその年だ。初夏の頃、階下のおねえさんに連れられて『ローマの休日』を見に行った。夏には京都の叔父の家に泊めてもらって大阪万博を見に行った。冬にかかる頃、三島由紀夫の例の事件が起きた。皆、あの年のことだったんだね。ヘドバ・アムラニ(当時26歳)はアメリカで健在、ダビデ・タル(同28歳)は1999年に麻薬中毒で他界とある。Naomi は旧約聖書にも登場するヘブル語の女性名で、それが日本名としても通じることを彼らがどんなタイミングで知ったか、興味がもたれる。

***

ヘドバとダビデ(HEDVA & DAVID)は、イスラエルの歌手グループ。

イスラエル軍の音楽隊で知り合い、退役後の1965年にデュオグループとしてプロデビュー。1970年、世界47ヶ国の代表が出場した第1回東京国際歌謡音楽祭(翌年から世界歌謡祭に改称)にイスラエル代表として出場し、ヘブライ語の歌詞の曲『ANI HOLEM AL NAOMI(I Dream of Naomi)』を歌いグランプリを受賞。その後、二人が一週間東京に滞在している間に日本語の詞を付けレコーディングし、翌年1月25日、『ナオミの夢』のタイトルで発売し大ヒットした。1970年代後半に解散。

 

 風が強い日には、決まってメアリー・ポピンズのことを思い出す。彼女は東風の日にやってきて、東風が吹くとまた去って行く。妙な話だと思っていたのがハタと腑に落ちたのもおおかた中学生ぐらいだろう。イギリスは偏西風の国だから、マクロの風は西から吹くと決まっている。本格的な東風がどの程度どんな時に吹くかよく知らないが、おそらくちょっとした非日常なのである。そうした目に見えない非日常に、このスーパー家政婦は属している。

 メアリー・ポピンズの特徴といえば、何といってもその愛想のなさ、とっつきの悪さである。そのくせ抗しがたい魅力があり、バンクス家のマイケル坊やは彼女がやって来たその晩に哀願する。

***

 「メアリー・ポピンズ!いつまでも、いてくれるんでしょう?」

 寝まきの下からはなんのへんじもありません。マイケルは、がまんができなくて、

 「いってしまったりしないでしょう?」と、一生けんめい、いいました。

 メアリー・ポピンズの頭が、寝まきのてっぺんから出てきました。ひどくこわい顔をしていました。

 「もうひとこと、いってごらんなさい」と、おどかすようにいいました。「お巡りさんをよびますよ」

 「ぼくは、ただ」とマイケルは、おそるおそるいいました。「ずっと、いてもらいたいと思って ー 」

***

 おおこわ!たぶんこの怖さのために、メアリー・ポピンズは愛読書の中からは遠ざけがちだったのだね。ところが同じメアリー・ポピンズがボーイフレンドのバート ~ マッチ売りで絵描きのハーバート・アルフレッドとデートするときには、まったく違った顔を見せる。細やかで忍耐強く、言葉の端々に愛情深い配慮をこめた、しとやかでしおらしい恋人のそれである。もちろん、見かけの取っつき悪さとは違って子どもたちにも同様の愛情と配慮があることは、彼女の表情や言葉でなく行動を見ていればわかる。子どもたちはそれをあやまたず感じとって彼女に慕い寄るのだが、それは選ばれた相手以外には周到に秘められている。

 ナゼ?と考えて、ふとこんな異能の女性は、世が世なら魔女として火であぶられる危険があったのだと思ったりした。西洋中世の「魔女狩り」はまことに奇怪な現象で簡単に説明することはできないから、ここでこれ以上立ち入ることはしないけれど。

 「じゅうたんです。」

 「じゅうたんを入れて運ぶの?」

 「いいえ。で、できてるんです。」

 このあたり、訳者の苦心が偲ばれる。"No, made of it." といった原文が隠れているのだろう。読んでみたいな。

 

 風でもうひとつ思い出すのは、ケストナーの『サーカスの小びと』。なぜ「風」かというと、ちょっと(ではない、とても)悲しい物語の説き起こしに関連する。

***

 メックスヒェンは、六つの年に、両親をなくしました。パリでのことでした。まったくとつぜんな、思いがけないことでした。両親は、エレベーターでエッフェル塔にのぼり、美しい見はらしを楽しもうと思いました。ところが、一ばん上の階でおりたとたんに、あらしがおこって、ふたりを空中にさらって行き、あっというまにどこかへ吹き飛ばしてしまいました!

 ほかの見物人たちは、大きかったので、手すりの格子にしがみつくことができました。

 が、ウ・フとチン・チンは、おしまいでした。ふたりがしっかり手をとりあっているのが見えました。やがて、そのまま地平線に消えてしまいました。

***

  質の良いユーモアと強靱なヒューマニズムを身上とする、敬愛するエーリッヒ・ケストナー(イザベルさん、久しぶりに彼の話題になりましたよ!)だが、登場人物の中には生い立ちの痛みをもつ者が少なくない。手塚治虫作品の多くが裂かれた親子関係に場を置くことを連想させ、それが逆に温かさと希望を浮き彫りにするのかとも思う。ケストナー自身の生い立ちの秘密がそれに影響を与えているのかどうか、そのあたりは何とも言えない。

Ω