散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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学長はビジネスマン/トロアスで方向を変える

2014-06-29 07:13:00 | 日記
2014年6月29日(日)

 朝日の一面は「学長まるで社長」、つい苦笑したのは思い出があるからで。

 実名は控えるが、Aという親しい知人が大学院で勉強したいと一念発起、しばらくいろいろと苦労した。
 というのも、この人は非常なビジネスの才のある人だが、若い頃から学問に憧れていたのに機会を得なかったためか、学者の前に出るとひどく緊張して挙動不審になってしまうのである。いっぽう、ビジネスなら規模は小さくとも世界水準の実力があるから、社長とか経営者とかには少しも臆するところがない。
 いろいろ調べて是非B大学で勉強したいと思い、まずは人を介してこの大学の女性教授C先生に面会を申し込んだ。助言を受けたいと思ったからだが、案の定ひどく緊張してしどろもどろになり、かえって怪しまれてしまった。
 「いや、たいへんでした、ひどい目に遭いました。」
 報告するAの様子にそれこそ苦笑しながら、ふと疑問が湧いた。
 「でも君、B大学の学長にも遭ったんだったよね?あの時は別に緊張したような話でもなかったけど?」
 するとA、当たり前でしょうと言わんばかりに答えたものだ。
 「D学長ですか?ええ、全然平気ですよ、あの人は学者じゃありませんもの。ビジネスマンなら私、ビル・ゲイツだって怖くないですから・・・」

 僕?僕の前でもAは緊張しないらしい。
 学者じゃないものね、ビジネスマンでもないけれど。

***

 使徒言行録16章6~10節。
 第二宣教旅行の途上、いわゆるマケドニア人の幻に導かれて、パウロ一行が小アジアからバルカン半島に渡る。
 この道がアジアからヨーロッパに伝わる、歴史的転換点だ。方向転換 = メタノイア = 悔い改め・・・
 うまく話せるかな、小学生たちに。

 下調べしていて、面白いことを知った。
 6節までの主語は「彼ら」、トロアス(トロヤ)でパウロが幻を見た後、10節以降の主語は「わたしたち」である。
 使徒言行録の記者である医者のルカ、彼がトロアスで一行に加わった証拠というのだ。

 ルカは恩人。僕にとって聖書とは、ルカ福音書24章のことだから。
 昨夕の Coro Sono、締めくくりの "Abide with me" はとても良く歌えていた。
 名曲である。

「科学」という言葉/ドイツ人、先を行く

2014-06-28 10:02:05 | 日記
2014年6月26日(木)
 村上講演、付記。
 フロアからの質問に関連して、science を科学と訳したのは、どこの誰かということが話題になった。
 「私もかなり調べたんですが、これはよく分かりません、定説がありません」と、村上氏がきっぱりおっしゃったのが意外だった。
 いつも思うのだが、ヨーロッパ由来の述語に漢字を当てて漢字文化圏で使えるようにしたのは、先人らのたいへんな偉業である。中国人の功績もかなりあるが、幕末あたりからの日本の知識人の貢献は目覚ましい。単独個人の仕事ではなく多くの人々が関わっており、たとえば「哲学」は西周(にし・あまね)の造語であり、主要な精神医学用語は呉秀三に依るといった具合に、大体の言葉は出自の見当がついている。それらの多くが中国・朝鮮にも輸出され用いられた。恩返しというものだ。
 そんな中で、「科学」が由来不明とは知らなかった。手許の『翻訳語成立事情』 ~ 柳父章(やなぶ・あきら)氏の名著! ~ を見ても、なるほど「社会」「自然」「権利」「自由」などはあるのに、「科学」は見えない。今度訊ねてみようかな。

 ちなみにドイツ語の Wissenschaft は近代ドイツ人の苦心の産物で、僕らが science を科学と変換するのと同様の作業を彼らも余儀なくされたのだ。ただし、よく似た作業をしているようでも、精神医学に関してはドイツ人の方がだいぶ先を行っている。単に用語を充てるだけでなく、自分らの言葉で自前の精神病理学を創りだす努力をした点で先行しているのだ。
 ヤスパースの「自我障害」が、ego- ではなく ich-stoerung であることを、日本人学徒はたいがい見落としている。「自我障害」ではなく、「私(わたくし)障害」とでも訳す方が適切であろう。

 僕自身の関心事としては、「交感/副交感神経系」の「交感」をめぐる疑問がある。ひとつひとつ解いていかないと、あっという間に人生が終わってしまう。
 
 一寸の光陰、軽んずべからず・・・

村上氏講演『科学史から見た精神医療』/長生殿縁起

2014-06-27 23:32:10 | 日記
2014年6月26日(木)

 今年度の精神神経学会が今日から開催。みなとみらい線のおかげで、横浜の会場が我が家からすこぶる便利になった。怠けの虫が動き出す前に、早々に出かけて入場手続きを済ます。ちゃんとポイントをもらわないと、専門医資格がなくなったら大変だからね。

 村上陽一郎氏の特別講演『科学史から見た精神医療』、今日はこれが聞きたかったのだ。
 もっとも御本人はのっけから「羊頭狗肉」と逃げを打っておられ、それは御謙遜としても確かに肝心の問題を、解くのではなく提示して終わったようである。肝心の問題 ~ 心と体の関連に関するデカルト以来の原理的疑問、いわゆる心身問題のことだ。最後のスライドでようやくこれに触れ、さらりと解説。
 因果関係説・・・カテゴリーを異にするものの間に、因果関係を設定できるか?
 並行関係説・・・合理的ではあるが、説明になっていない。
 唯心論/唯物論・・・問題解決の断念に他ならない。

 村上氏自身は「無理やり一つの理論で全体を説明できなくともよいのではないか」とおっしゃる。上記三説を場面に応じて使い分けることが許されてよいのではないかというのだが、ホントにホントですか?
 小講演で安直に結論をパクろうという根性が甘いかな、氏の著作などじっくり読んでみなければね。

 途中にちりばめられた逸話・挿話が面白いのは、語り手の力量の証左である。たとえば・・・
 菊池寛に『順番』という作品があり、そこに座敷牢のあり様が活写されているそうだ。
 Virchow(ウィルヒョウ:Rudolf Ludwig Karl Virchow、1821 - 1902)は近代病理学の基礎を築いた偉人だが、一方では例のゼンメルヴァイスの「手洗い励行による産褥熱予防」を批判して、彼を窮地に追い込んでもいる。ともかくそのウィルヒョウに、「結核を癒すのは医療ではなく政治」という金言があるという。
 いちばん面白かったのは、以下の逸話である。

 氏が高校教科書「物理」の執筆に携わった時のこと、「慣性」の定義として「物体がその運動を続けようとする性質」という具合に書いたら、執筆者仲間から異議が出た。執筆者中の大学人たちは何も言わず、ある高校教諭から出た異議だという。
 いわく、「続けようとする」との表現はあたかも物体に意志があるかのようであり、これは典型的な擬人主義である。科学教育の大きな目的は、この種の擬人主義を徹底除去するところにある(?)からして、この表現は容認しがたい。そういう趣旨で強硬に修正を求めたのだそうだ。
 さてさてどうなんだろう。この日頃、教育への関心を表明している次男君に、意見を聞いてみたいところかな。
 科学教育の目的は、擬人主義の排除にあるのかどうかが、無論ひとつのポイントである。
 ケストラー(Arthur Koestler、1905 - 1983)なる人物が、擬人主義 anthropomorphism をもじって擬鼠主義 ギソシュギ ratomorphism という言葉を創出したと、これも良いことを教わった。ケストラーはハンガリー生まれのユダヤ人で、後にイギリスに帰化している。
 これは精神医学関係者には、かなり大きな教訓的意義をもつことが直感される。文明論的な警句としても卓抜だ。科学一般には・・・え~っと、どいうことになるのかな、難しいな・・・

 村上氏がカトリックの信徒であることは存じ上げていたが、あらためてプロフィルを見たら三男の高校の先輩、次男にとっては大学の同学科の先輩にあたられるようだ。満78歳、ますますの御活躍を期待する。

***

 「長生殿」という銘菓がある。和三盆というのか、たいへん美味しく風味も口当たりもよい砂糖菓子だ。金沢の銘菓だが、松山のデパートで見つけて母が買いおいてくれた。
 これを見るといつも思い浮かぶ想定問答がある。

 たとえば僕の留守中、家族がこれをつまんでみたが、あまりに美味しいので全部食べてしまった。
 帰宅して空の箱を見た僕は、何と言ったでしょう?

 答え・・・「この恨み綿々として尽くる期(とき)なけん」

 出来た人、座布団2枚。
 答えを見ても意味の分からない人、『長恨歌』(白居易)を読み直すこと!

天候不良/残心

2014-06-26 06:58:01 | 日記
2014年6月25日(水)

 帰りの便は25分遅れた。
 使用する飛行機が羽田から到着するのが遅れたからで、それというのが「羽田空港周辺の天候不良と空路混雑のため」という。何となく不得要領だったが、離陸時にこちら向きに(つまり機の後方に向かって)着席したスチュワーデスが、目の前の男性と声高に会話しているのを聞いて納得した。
 羽田を飛び立ち、あるいは羽田に着陸する飛行機が使用する空の道筋が何本かある。そのうちの一本が、昨日来の雹や大雨に関連した大気の不安定で使えないらしい。本来このルートを使うべき便がすべて他のルートへ回らねばならないため、混雑を生じているということなのだ。だから待たされるが、件の一本以外は天候上の問題はないので、安全に関しては「どうぞご安心ください」ということである。
 それにしても女性の声はよく通る。
 出身地に略歴、平均的な週間スケジュールまでみんな聞こえちゃってますけど、大丈夫ですか?
 知らないぞ~・・・

***

 機内で流す『もうひとつのニッポン』、4月はドイツ出身の漫画家、カロリン・エックハルトだった。今日は誰?
 ニュージーランド出身の武道家、アレキサンダー・ベネット。『日本人の知らない武士道』ほか著書多数。今年五月に上梓された『Hagakure: The Secret Wisdom of the Samurai』は、世界に向けて武士道を発信している。
 高校生の時、何となく知った日本と日本語に憧れて留学、部活の剣道部が初めは地獄と思われたのに、ある日の地稽古でふと有卦に入り、気がついた時は限界をはるかに超えた自分を見出した。以来この道に専心、剣道七段、薙刀五段、居合二段。薙刀では2011年度の世界選手権で準優勝を遂げている。

 詳しくは著書を読むとして、映像で語られた彼のキーワードは「残心」だ。
 これは即物的には、「技をかけ終えた後、力を緩めながらも注意を払い続ける状態」を指す。倒れたと思ったのが相手の擬態である可能性もあり、止めを刺すまでは油断禁物という勝負心得が源にある。

 折りえても 心ゆるすな 山桜 さそう嵐の 吹きもこそすれ

 しかし「残心」はそれを超え、勝負を超えた良き緊張の持続や所作の美しさ、さらには試合と勝負を成立させてくれる相手への感謝までの内包するものとして、武道のみならぬ日本の芸事の基本的なマナーとして発達した(棋道も同じだ!)。勝者のガッツポーズとは対極にある思想で、高校野球の勝者が挨拶もしないでマウンドに駆け寄り、申し合せたように人差し指立ててはしゃぎ回る見苦しさは、要するに残心が欠けているのである。
 ベネットは「残心」こそ武道の要諦だという。夫婦(日本人の奥さんがいる)の間でも残心が大事だと。そういう彼を評して、かつての剣道の師匠が「日本人よりも日本人らしい」というのは、ありがちの表現であり最高の賛辞でもあるのだが、考えてみるとちょっとおかしいのだな。
 「日本」とか「日本人」とかは、生物学的な血統の概念ではなくて社会学的な文化の概念ではないか。(「人種」と「民族」の違いについて、国語辞典でも百科事典でも引いてみたらよい。)だとすれば、「日本」の伝統をよく理解し、生活万般にこれを体現しようとするベネットの輩こそが正真正銘の「日本人」なのである。そうあるべきだし、それで良い。横綱がモンゴル生まれ、本因坊が韓国あるいは台湾出身、「残心」を説く武道家がNZ系の白人、少しも、ちっとも構わない。顔だけモンゴロイドで日本について何も知らない者と、比較にも何もなりはしない。

 彼は日本に対する愛国心すら、映像の中で語る。それでいて時に窮屈になると、カナダ出身の茶道家ランディ・チャネルの店へ出かけて「いつものコーヒー」を喫するという。これがまた面白いだろう、彼らは武道を通じて知り合った無二の親友なんだそうだ。カナダ人とNZ人が日本で義兄弟になっている。

***

 疲れもあり、早く休むつもりがつい遅くなったのは、『百年の孤独』の最後20頁を明日に残す気になれなかったから。
 傑作、快作だ。怪作でもある。
 
 

何がイヤなのかというと・・・

2014-06-25 13:57:18 | 日記
2014年6月25日(水)

 雲が多いが晴れの朝、締切近い校正原稿を父に頼んで近所から出してもらう。
 ヤマト便を扱うのは親しい農家の御夫婦で、着払い伝票を扱うのは初めてと、わざわざヤマトに確認しておられた由。好きだなあ、この感じ。
 残りは東京でやるとして、午前中は喬木の枝おろしなど。梯子から降りたところで、アシナガバチの巣を発見。巣は今しも成長中である。そういう季節と見える。

 今夕東京に戻るのが、気が進まないことおびただしい。
 東京という街のことではない。僕は江戸も東京も好きだし、気に入っている。ただ、自然からの距離が遠すぎる。正確にいえば、自然からの距離が遠くなった人々が多すぎる。
 電車の中にカナブンが飛び込んだだけで、大のおとなたちが大騒ぎする風景の馬鹿馬鹿しさと言えば良いか。もちろんそういう風景が毎日見られる訳ではないけれど、そのように反応するであろう人々の挙措動作に、自然との絆を喪失した哀れな結果がいちいち現れており、しかも本人達はそれを恥ずかしいとも思っていないのを見て、こちらが恥ずかしくなるということなのだ。
 毎度しつこいぐらいボヤいているスマホ問題もイヤホン問題も、実はその延長にある。体軸のねじれたヤスメ姿勢も同じことだ。「滅びるね」の世界、もちろん『三四郎』の広田先生ですよ。

 サッカー日本代表、お疲れ様。
 ゆっくり休んで、また頑張ろう!