散日拾遺

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平安をつくり出すもの

2020-03-26 18:37:59 | 日記
2020年3月26日(木)
 どんな優良銀行も、すべての預金者が一度に預金を引き出そうとすれば、たちどころに倒産する。すべての住民に行き渡るはずの商品も、何割かの消費者がまとめ買いに走れば、必然的に店頭から消える。共同体の経済は住民の自制とわきまえがなければ一日たりとも立ち行かない。
 新型コロナウィルスは危険な強敵だが、ペスト・天然痘・コレラ・チフスといった超弩級の歴史的疫病に比べれば、ずっと対峙しやすいものだ。ウィルスより恐ろしいのは、たやすく自制を失い衝動的に行動するわきまえのない隣人たちである。

***

 「昨日は新型コロナウィルスの感染防止のため、屋内でのサロンは中止とし、代わりに京都府庁の中庭で過ごしました。
 開花のいちばん進んだ容保桜の下でそれぞれが語り、二階の廊下を一周した後、またお会いしましょうと約束して集いを終えました。
 こんなに静かな桜の中庭は初めてです。ほとんど貸し切りの贅沢なひとときでした。
 お写真添付します。 皆さま、どうぞお気をつけてお過ごしください。」

 「ふらっと」の様子を、竹内香さんが知らせてくださった。
 容保桜は幕末期の會津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)に因んで命名されたもので、京都府庁は京都守護職上屋敷の跡地に建っている。松平容保は京都守護職として京都の治安維持にあたり、その際に薩長と激突して恨みを買ったことが、数年後の苛烈な會津攻めの伏線になった。
 會津松平家の祖は3代将軍家光の異母弟にあたる保科正之で、その見識と仁政から日本史上屈指の名君とも評される。
 江戸城に天守閣がないのは、1657年の明暦の大火(いわゆる振り袖火事)後の復興にあたり、天守閣の再建を後に回して江戸町民の救済を優先した、保科正之の果断によるものである。結局天守閣は再建されず、8代将軍吉宗が土台だけを据え直して後事を後生に託した。現存するこの土台の上に小記念館を作り、保科正之の功を顕彰したらよいのにと前々から思っている。
 容保桜は一見すると山桜のように見えるが、山桜と大島桜の特徴を併せ持つ珍種だそうだ。

 とりわけこの混乱の日々に、平安をつくり出す人々は幸いである。

 

Ω

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1 コメント

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平安を取り戻せました (kokomin)
2020-03-27 10:06:52
大河ドラマ「八重の桜」で松平容保の悲しい運命に深く感情移入した記憶や、昨年の石丸塾in京都での楽しい記憶がよみがえり、ささくれだった心に平安を取り戻せました。石丸先生、竹内さん、ありがとうございました。
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