散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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飽飫烹宰 飢厭糟糠 ~ 千字文 103 / アレクサンダーの美食法

2014-12-26 07:34:21 | 日記

2014年12月26日(金)

飽飫烹宰 飢厭糟糠 (ホウヨ・ホウサイ キエン・ソウコウ)

 飫(ヨ)は飽きるに同じ。

 烹宰(ホウサイ)は食物の料理、割烹と同義らしい。僕の世代は、まだ小学校あたりで「割烹着」を着ていた。

 糟糠は「妻」に感謝するフレーズ限定で生き残っているが、これもそろそろ死語なのかな。

 糟は酒粕、糠はぬかで、あわせて「まずい食物のたとえ」とある。酒粕は美味しいじゃないかと一瞬思ったが、あれはアルコールをたっぷり含んだ上等な粕を商品化しているからで、文字通りの絞りかすはさぞ味気ないものに違いない。

 「満腹の際は美味にも飽き、飢えたときには粗末な食事でも口に合う」

 ごもっとも。桃尻誤訳では、

 「たらふく食って料理に飽きる、飢えたときには糠でも食らう」

 だと。

***

 アレクサンダーの美食法というのが、『対比列伝』に出ていた。朝食を粗末にすることで昼食が美味となり、昼食を粗末に済ますことで夕食が美味となる。この流儀でマケドニアからインドまでを制覇したのだ。

 そうか、食事の話じゃないんだな。

 前途に広がる未知の世界を夕べの饗宴のように夢見るとき、現在の禁欲はかえって喜びとなる。目の前の小欲を我慢できないのは、大きな希望を見失っているからだ。

 そういうことだ。

 

 


収録終了/クリスマス・イヴ

2014-12-25 10:05:20 | 日記

2014年12月24日(水)

 放送授業2回分、それに科目紹介の小番組をまとめて撮り終えて、テレビ教材の収録を一気に終了した。軽い虚脱感と達成感。さっそく映し出されるできあがりを見て、自分は不全感の塊であるけれど、スタッフは一様にニコニコしている。

***

 「2本撮り終えて午後2時っていうのは、滅多にないんですよ」とKプロデューサー。

 「初めてと思えないぐらい上手いです。内容的にも、お得感満載、って、表現が軽薄ですけど、学生さん得しますよ。二度とやらないなんて言わないで、ぜひまたやってください。ゼニの取れる授業ですから・・・」

 自分のことを言われている気は、全くしない。最後まで褒め上手な人たちだと感心するが、収録が短時間で終わったのは事実らしい。それというのも・・・

 

 「先生の場合、スタジオでの台本直しがないですからね」

 「そうそう」

 「スタジオで、台本の、直し・・・?」

 

 驚いたが、けっこうあるんだそうだ。皆いい度胸している。

 もっとも、その場での反射神経というか順応性みたいなものは、どっちに転んでも必要になる。どれほど周到に準備しても、思惑通りに時間は流れない。「次のセクションで1分縮めてください」とか、「残り45秒で振り返りコメントを」みたいなことに、どうしたってなる。

 それは意外に苦にならないし、だから準備もわざと大ざっぱに抑えたりしたけれど、台本そのものの流れを当日修正するってのは、考えられない、ありえない・・・

***

 慣れてきたのも確かだ。10月に最初の1本を撮ったときは、帰る電車の中で首が回らないぐらい肩が凝った。2回目は、翌日背中が痛んで悪い病気ではないかと心配になった。12月3日の2本取りはやはり少し肩が凝ったが、ワイシャツとネクタイの選択を間違えたのが一因だった。今日は運動後みたいな感じで、昨日までの凝りがかえっていくらかほぐれている。現金なものだ。

 「慣れてきた頃に終わっちゃう、って、皆さんおっしゃいますよ」

 その通りだ、何でも。人生もそうなのかな・・・

 スタッフに恵まれたのは間違いない。Sディレクターが、「内容が面白くて、技術さん達も楽しみにしていました」とメールをくれたが、こちらからするとスタッフ一同が笑顔だから、こちらも自信がもてるのである。

 「先生、礼拝に間に合いますか?」

 クリスマス仕様のシュークリームを振る舞ってくれたうえ、心遣いで見送ってくれた。同業者の御主人と、今夜ぐらいはゆっくり語らえるのかな。

 フロアディレクターのOさんは、仕事を終えたその足で御家族と西へ向かう。奥さんがSMAPの追っかけで、名古屋だか大阪だかのイヴのイベントに出るのだと。その間、1歳2ヶ月のお嬢さんと父娘水入らずのひととき。

 既に国民行事のクリスマス、それぞれの過ごし方である。

***

 こちらは所属教会の聖夜礼拝。二部ではT女学園のハンドベル・チーム15人が、今年も初々しい演奏を聞かせてくれる。ここ何年か、次男が二部の司会を拝命している。その友人の若者が誘いに応えてやって来た。卒論はハイデッガーで書いているのだと。昨夜上京の両親と70年近い齢の違いも、主の目には微かなことだ。

 ちょっとくたびれたが、サンタを迎える準備は欠かせない。その甲斐あって、今年もちゃんと来てくれました。

 Merry Christmas!

 

 


冬芽

2014-12-23 09:39:56 | 日記

2014年12月23日(火)

 勝沼さん、コメントありがとうございます。

 件のインタビュー記事、後から読み返してみると、冒頭の引用以外にも釈然としないところが複数あります。個々の言明の当否よりも、論じる姿勢に関わることなので、ちょっと心配です。

 

 ゆっくり書きたいのですが、今日もこれから博士課程のことで休日出勤です。

 雲一つない好天、京葉線からは、北にスカイツリー、西に雪化粧の富士、南に葛西から浦安の海景色が望まれ、やがて臨海公園とディズニーランドが見えてくるのです。今日も大勢出かけることでしょう。わが家も本日は人の移動があり、この天気はありがたいのでした。

 良い一日をお過ごしください。また後ほど。

 

 そうそう、わが家から300mほど向こうに望まれる桜並木の、冬枯れの枝がほんのり樺色を帯びて艶(なま)めかしいようです。枝枝に冬芽がついているのに違いありません。3ヶ月後の開花が、既にこうして準備されているのですね。

 私たちも冬の入り口にあってこそ、春の備えを致しましょう。

 御健闘を祈ります。


12歳の少年

2014-12-21 09:24:24 | 日記

2014年12月21日(日)

 「日本人は12歳の少年のようなものだ」

 ダグラス・マッカーサーが帰米後に言ったとされる言葉だが、たぶんアメリカ人はおおかた誰も知らず、日本では何かと言えば引き合いに出される。昨20日の「オピニオン」でも『永続敗戦論』の著者が劈頭に引用した。

 『永続敗戦論』は鋭いところを衝いた好著で、自分がぼんやり感じていたところを明晰に言語化してくれたことへの感謝と悔しさがあったりする。ただ、この言挙げの仕方はいただけない。そもそもマッカーサーの言い条が何としても気に入らない。

 立場を換えてみたらいい。数百万の犠牲者を出して完敗し、ワシントンDCもニューヨークも焼け野が原になり、サンフランシスコとサンディエゴに原爆を投下され、将軍たちは処刑され、国は主権を失い、国民は餓死の危険にさらされている、そんな状況に始まる数年間に、アメリカ人なら成熟した大人の態度を示せたと言うのか?

 まあ、そんなものだ。戦勝者の驕りと復讐心 ~ かつてフィリピンから撤退を余儀なくされ、"I shall return." (I will ではない!)とのたもうた、自己神格化傾向ありありの最高司令官、その人物が上空から見下したような(上からメセンというんですか、「目線」という言葉、断じて認めないので)侮蔑の言葉が「12歳少年」説である。これも勝者の余得で致し方ないが、それを日本人が嬉しそうに引用するのはどうなんでしょうね。

***

 とはいえ、まったく違った視点からこの屈辱的な評を活用することは、可能だし有意義なのだ。

 負けたにしても、もっと違った振る舞い方はできなかったか。勝者をして、侮るべからずと畏怖せしめるような敗者の道はなかったか。あるいは米さんなんぞに指摘されるまでもなく、明治維新以来自身が悩んできた近代国家/近代市民としての成熟の課題を、これを転機に解決する道があったのではないか。

 それができなかった。その意味で僕らは「12歳の少年」であった、あるいはそのように退行してしまった、そういう反省は可能だと思う。『永続敗戦論』が問うものも、そのような線上にあったのではないかと考えるし、「戦後69年を迎えたいまの日本人は、いったい何歳か」と問う論者の説には、確かにインパクトを感じるのだ。

 だからこそ、マッカーサーの言葉をそのまま自分の問として掲げる、劈頭の引用がいただけない。ちょっと「残念」である。

 


天元戦!

2014-12-21 08:26:22 | 日記

2014年12月20日(土)

 エラいことだ。

 

 11月25日の時点で六冠王井山は、王座戦で村川を、天元戦で高尾を、それぞれ2勝1敗と追いこんでいた。同一棋戦で井山が連敗するなど考えられず、六冠キープで今年を終えること間違いなしと、少なくとも僕は思った。

 ところが、

 12月 8日 王座戦第4局、村川 中押し勝ち (井山白番)

 12月11日 天元戦第4局、高尾 中押し勝ち (井山黒番)

 12月16日 王座戦第5局、村川 1目半勝ち (井山黒番)

 12月19日 天元戦第5局、高尾 中押し勝ち (井山黒番)

 黒星が4つ続き、2週間のうちに二冠を明け渡してしまった。年の暮れのちょっとした椿事である。まったく予想しなかったな・・・

 

 そうは言っても井山は強い。依然、史上二人目の大三冠を維持している。ただ、この流れは「井山には勝てない」という固定観念の縛りから、皆を自由にしただろう。「一強」が崩れるときはこういうもので、いつも菊池寛の『形』を思い出す。(名作だ!)

 もっとも、井山が「鎧」を替えたわけではなかったから、真っ向勝負で競り勝った二人がエラいのである。高尾は「重戦車」の異名通りの重厚な打ち回し、村川は2局続けて気合のコウ争いと、持ち味を活かして四つに組んだ好勝負の連続だった。

 相手が年長の高尾十段と、一年違いだが年少の村川七段であったのも意味深長で、ベテランにも後続にもチャンスがあることを示している。個人的には四天王の復帰を望みたいかな。

 井山: 棋聖・名人・本因坊・碁聖

 高尾: 十段・天元

 村川: 王座

 

 これにて越年、来年はますます面白いぞ~!!