散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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講談と幽霊画/家庭は嗜好品?

2020-02-27 07:21:28 | 日記
2020年2月26日(水)
 マスクはいわゆる咳エチケットに資するもので、被感染の予防にはほとんど役立たない。それなら外気に触れた方がよほど健康によい理屈だから、咳が出ない限りマスクは装用しない派で通してきたが、別の意味で路線修正した方がよさそうである。
 マスクをしない人間に対する装用派の視線が日増しに厳しく、うっかり花粉症のクシャミでもしようものなら非常停止ボタンを押されかねない。明日はマスクをして出よう・・・家にまだあったかな?
 
 2.26、今年はこの日が灰の水曜日にあたった。24日(月)に小講演、昨25日(火)で今年度の放送教材の収録を終え、今日はありがたくも代休である。「疲れ」というものの実態だか本質だかは、いったい何なのだろう。疲労物質というものがあるのか、心身の状態とみるほかないのか。粒子説と波動説みたいだが、ここに相補性原理は存在するかしらん。何しろこの数ヶ月、見方によっては一年半近くのツケを、身体が取り立てに来ているらしい。借金取りぐらい怖いものはない。

 録画してあった囲碁対局、ついでにその後の講談を見る。神田陽子「応挙の幽霊画」、学ぶところが三つあった。
 一、 講談師は今では過半が女性である。
 二、 円山応挙は幽霊画を頻りに描いた。
 三、 「死後は無であると思っていたが誤りであった。娘御はこのように霊となって死後に孝養を尽くしたのだ」という応挙の言葉。(実際に応挙がこう語ったかどうかはこの際不問)
 講談は落語同様「話芸」であって、それ自体が深い思想を伝えるものではないとしても、こうした話芸に親しむことで往時の庶民が歴史や伝承に触れ、楽しんだり考えたりする素材を得たことは間違いない。
 ところで応挙の幽霊画は凄いな・・・


円山応挙「返魂香之図(はんごんこうのず)」

***

 これも久しぶりにゆっくり新聞を眺めていたら、これが案外おもしろい。耕論のページが「「パラサイト」のリアル」と題してホットである。
 「格差社会をテーマにしながら「家族」を描いている。その家族像があまりに古いのです」(ハン・トンヒョン氏)と、これは件の映画の話か。
 紙面下の別コーナーでは、編集委員氏(いずれも女史と書きたいのだが、ホイッスルが鳴りそう)が現首相の「ウイルスの政治利用」を痛撃している。
 決定打がその前のページの投書欄、投書者は14万円の月給で一人暮らししている28歳の男性で、むろん楽ではないがカメラを趣味とし、欲しいレンズを買うためなら節約は全く苦ではないというしっかりした御仁。そのポイントは:

 「昇給の見込みは微々たるもの。だから、結婚して家庭を築こうとは思わない。「可哀想な若者だ」と思う人もいるだろう。だが私には家庭も、たばこやお酒同様の嗜好品に思える。金銭に余裕がある人がつくれば良い。私は自由に生き、自立していることに満足している。社会への不満もない。」
 「お正月、親戚に「良い仕事に転職を」「結婚はした方がいい」とアドバイスをいただいた。私は間違っているのだろうか?」

 「家庭も嗜好品」・・・これには唸った、なるほどねぇ。
 僕にとっては家庭は必需品であって嗜好品ではないが、それはまさしく「人それぞれ」の問題で、彼が間違っていると断ずる根拠も資格も僕にはない。もしもこの人が家庭を必需品と感じていながら、金銭的な理由でそれを営めないのだとしたら、援助も改革も必要になるが、そもそも必要を感じないとしたら話は根本的に違ってくる。
 などとあっさり感心している僕とは違い、5件のレスポンスのうち4件までは何かしら疑義を ~ 投書者の自立の姿勢には敬意を表しながら、その諦めの良すぎることについて、あるいは人の考えや嗜好は変わり得ることについて、穏当な忠告を返している。これまたなるほどである。読み返してみれば、「昇給の見込みは微々たるものだから結婚しようとは思わない」が主文であって、「家庭は嗜好品」はこれを合理化する副次的な理由のようにも読める。

 ここから学んだ/確認したことが、また三つ。
 一、 若い人々の地味な貧困が、家庭形成への意欲を著しく殺いでいる。
 二、 「家庭は嗜好品」と考えて、人生の選択肢から外すというやり方がある。
 三、 一から生じるはずの政治・社会的軋轢を二が緩和しており、そのことから利益を得る者が当事者とは別に存在する。

 さしあたりここまでにしておこう。

Ω 
 

 

地上の鳥、空の獣

2020-02-25 16:22:59 | 日記
2020年2月25日(火)
 テレワークやテレビ会議が一挙に促進される機運、幸い今の職場はもともとそれに適しているが、スタジオ収録ばかりは足を運んでいくしかない。街中も職場も人が少ないが、もともとこれぐらいでよいのだと感じる。行き交う人々のマスク装用率は8分の5といったところか、思ったより低い印象。
 朝の晴天が午後はどんよりしてきた。LINE で届いた自宅近隣の風景、ユリカモメらしい。写真では隅に空席があるが、満席だと後から来たのが前のをどかして居直る場面もあるそうで、力関係やら社会構造やらに興味がもたれる。

 

 情報を探していたら、『洗足池と花鳥風月』という目の覚めるようなサイトに出会った。野鳥の写真が多々掲載されている中で、ユリカモメはやはり同様の挙動を示している。毎夏の帰省時に瀬戸内の防波堤で行列しているのは、あれは何、セグロカモメ?
http://senzokuike-photo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-d8f2.html 

 そうそう、3月号のグリーンパワー表紙が良い。

   
https://www.shinrinbunka.com/publish/greenpower/ 

 モモンガだそうである。何てカッコイイの!

Ω

ダニエルと朋輩たち

2020-02-23 11:43:51 | 日記
2020年2月23日(日)
 新バビロニアのネブカドネツァル2世はエルサレムを陥れてユダ王国を滅ぼし、多大の財宝を奪ってバビロンへもち去るとともに、住民の多くを同地へ強制移住させた。いわゆるバビロン捕囚であり、通常はBC586年のこととされるが、実際にはBC597年から577年にかけて数次にわたったらしい。新バビロニアに代わってオリエントの覇者となったアケメネス朝ペルシアの王キュロス2世が、民の帰還と神殿再建を許可したのはBC537年とされるから、捕囚は短く数えてちょうど40年(長く見れば60年)に及ぶ。「荒野の40年」の再現である。


https://thejewishmuseum.org/collection/26577-the-flight-of-the-prisoners

 2月に入ってからイザヤ以下の預言書を順に教会学校で扱ってきたのだが、このあたりの歴史がざっとでも頭に入っていると話がわかりやすい。粗雑にまとめてしまえば、イザヤはユダ滅亡に先立ってこれを予言し、エレミヤはネブカドツァルの侵攻とユダ滅亡を同時代人として目撃し、エゼキエルは捕囚の民の中で幻を語った。 ante - intra - post の整然たる時系列になっている。
 続くダニエルと朋輩らの位置取りがまた興味深い。ダニエル書に現れる有名な場面のうち、「燃えさかる炉」の逸話(ダニエル書3章)はネブカドネツァルの宮廷で起きたこと。一方「獅子の穴」の逸話(同6章)はキュロス王の宮廷のできごとだから、ネブカドネツァルに見いだされたダニエルは覇権交代を生き延びてキュロスに仕え、捕囚からの解放を目撃したわけである。預言者ダニエルの実在性やモデルとなる人物(たち)の詳細については、さしあたり問わない。何しろ post からさらに下って次のステージへの転換点を画する世代が、ダニエル物語の背景だったのだ。

***
 ネブカドネツァルの戦利品の中で、ソロモン以来の財宝にまさってひときわ覇王を喜ばせたのは、知的・霊的に豊かな資質をもつユダの若者たちであったかと思われる。

 「ネブカドネツァル王は侍従長アシュペナズに命じて、イスラエル人の王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷に仕える能力のある少年を何人か連れて来させ、カルデア人の言葉と文書を学ばせた。王は、宮廷の肉類と酒を毎日彼らに与えるように定め、三年間養成してから自分に仕えさせることにした。」
(ダニエル書1章3-5節)

 英才教育であり、エリート養成である。ユダの遺伝子をカルデアの環境で育てるという社会生物学的実験の性質も見てとれる。しかし、そこに葛藤が起きずにはすまない。
 支配者は若者らにカルデア風の名を与えた。

 「この少年たちの中に、ユダ族出身のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの四人がいた。侍従長は彼らの名前を変えて、ダニエルをベルテシャツァル、ハナンヤをシャドラク、ミシャエルをメシャク、アザルヤをアベド・ネゴと呼んだ。」
(同6-7節)

 名は体を表すというわけで、これをもってカルデア化の総仕上げ、上から下まですっかりバビロン風の若者ができあがったと、王はさだめし満足したことだろう。
 しかし、ことはそう単純ではなかった。

 「ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し、自分を汚すようなことはさせないでほしいと侍従長に願い出た。」
(同8節)

 「汚す」云々はもちろんユダヤの律法に関わることである。ダニエルらは外側がカルデア色に染まっても、内面は聖書の民であり続けようと決断した。ここで侍従長は「野菜と水だけで少年らの顔色が悪くなろうものなら、王の機嫌を損じて自分の首が危ない」とあわてており、要するに外貌しか気にしていない。つやつやした顔色と利発な言動を見て、王も自分の調教が成功したものと思い込む。「ういやつばら」とかわいがったことであろう。
 だからこそ「黄金偶像崇拝」事件で若者らの本心が知れたとき、王の怒りはあれほど激しく燃え上がったのである。

 「「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
 ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。」
(同3章16-23節)

 ないがしろにされた権力者の怒りとは、かく凄まじいもので、少々突飛ながら『地獄変』を連想したりする。この作品は、絵仏師良秀の人道に外れた芸術至上主義をテーマと見るのが普通のようだが、作中では明示されない邪悪な動機 ~ 「如何にも口惜しそうな容子で唇を噛みながら、黙って首をふった」娘の姿で暗示される ~ をもって、意のままにならぬ相手を焼き殺す者の方が、よほど嗜虐的でおぞましい。情欲を巡る内密のドラマと、民族のアイデンティティに関わる歴史劇とを並べるのは無茶なようだが、「怒り」に焦点化してみると卑小も壮大も捨象されて重なってくるのが、面白くもあり怖くもある。
 ともかく歴史の現実の中では、どれほどの者が焼かれ獅子に喰われたか、あるいは生き延びるために内心のカルデア化を受け入れねばならなかったか。バビロン捕囚は分岐点であったが、少なくともある者たちはそこで古来のアイデンティティに立ち返り、捕囚以前よりもはるかに純粋な「ユダ」として帰郷することになる。シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは、名を変えられても内心を変えることがなかった者たちのシンボルであろう。

 これについて、今日のわれわれには考えるべきことがいろいろとある。

Ω
 

風が吹いて桶屋がさまざま

2020-02-22 10:45:38 | 日記
2020年2月21日(金)
 御家族が突然の難病を宣告され、涙が止まらなくなって駆け込んできた女性は、この3週間ですっかり自分を取り戻した。「薬のおかげでしょうか」と御本人は控えめだが、そんなことではない、薬にできることなどタカが知れている。
 初診時に必ず訊くことにしているストレス解消法について、この人は「映画館で映画を観ること」を挙げていた。最近何か観たか訊ねると、苦笑が浮かんだ。
 「『パラサイト』を観たいんですが、新型コロナウィルスのことがありますから。」
 治療法の関係で病人の感染抵抗力が落ちており、家族として細心の注意が必要なのだという。

 定期的に処方を受けにやってくるお嬢さん、こちらは年配の御家族が洗面所で転倒し、あっけなく大腿骨頭を折ってしまった。幸い救急搬送から手術まで迅速にことが運び、リハ段階に進んだのだが、
 「こんなこと言ったら、世間様に申し訳ないんだけど・・・」
 入院した家族からメールやLINEで頻繁に指示が入り、希望の物品を調達するやら、交代で病院に持参するやら、留守宅組のストレスが募る一方であった。そこへ感染予防のため「不急の面会は原則禁止」と病院の発令があり、正直ホッとしたというのである。

 久々のミルクワンタン、O君は『パラサイト』について「好きじゃないな」と一言。見終わった瞬間の気もちが良くなかったという。これは是非とも見ねばならないが、映画館に足を向けるのは当分やめておこう。学生の時分に映画を見に行っては風邪を引きこんだものだった。自分はともかく、現下の状況では患者さんに義理が立たない。

Ω

雄甲雌甲の梅日和

2020-02-14 12:26:01 | 日記
2020年2月13日(木)~17日(月)
 家人を空港まで送って帰った午後、裏棚の枝に残った八朔やデコポンを10個、16個と採り入れる。雲一つなく晴れ渡り、気温は16℃まであがった。待ってましたと梅の開花。例によって中央のピントが甘い。弘法は筆を選ぶまいが、ヘタクソはスマホだとピント制御ができないのだ。ともかくほんのり紅のさす、これが当家の紅梅である。

 
 下が白梅。接写は断念して背景を入れてみた。コブのような小山が二つ、向かって左奥が雄甲山(おんごやま)239m、右前が雌甲(めんご)山189m、仲良しの夫婦山で、山頂には河野氏が山城を築いていたというが、恥ずかしいことに僕は登ったことがない。中世瀬戸内の雄・河野氏はまさしくこの地の発祥であるが、室町期に道後・湯築城を築いて松山平野に進出したから、その後は山城も意味を失ったはずである。


 「雄甲雌甲の梅日和」で七五のオチ、さて上の五文字をどうつけたものかと3、4日もヘボな思案をしていたら、N先生からこれは鮮やかな一枚が送られてきた。


 千葉県の一隅、とある幼稚園の近くに咲いたものだそうである。
 「地方の山をバックにした写真はほっとする感じがします。子供の頃、野山を駆け巡ったからでしょうか。『ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな』という啄木の歌を思い出しました。」
 先生のこのお言葉こそありがたい。もういいや。

風早の雄甲雌甲の梅日和

 風早(かざはや)はこの一帯の古名である。河野氏50余代は、ここ風早郡河野郷から湯築城へ展開し、再び戻ることがなかった。わが家の祖先はどこからか現れて、ちょうど入れ替わるようにここに住み着いたようである。

Ω