散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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グラウンドに降臨!

2020-09-28 10:06:19 | 日記
2020年9月28日(月)
 マンションの西側が区立中学校のグラウンドに面していて、ベランダは特等席の位置にある。体育の授業や部活が「うるさい」という声もあるらしいが、中学校があったところへ後からマンションが建ったのだから、通らない話である。1973年の入居当時、教頭クラスの先生方が運動会前に頭を下げて回っていたのが、気の毒というより理不尽に思われた。
 中学生という年代は、体は大人になりつつあるのに頭の中(特に男子の場合)は小学生と大差ないから、甚だアンバランスかつ厄介、自分で自分をもてあます態である。我が身を振り返っても、よくぞ周囲が忍耐してくれたと思う。そんな中学生が群れ遊ぶ様子をベランダから見物するのはなかなか面白く、ちょうど動物園で猿山を見物する楽しみに似ている。

 そのグラウンドで、拡声器のくぐもった声に続いて時ならぬ咆哮が響いた。ん、と首を傾げ、それからドタバタとベランダへ飛び出した。

 「カマテ カマテ ホーッ、カマテ カマテ ホーッ」

 ハカ、オールブラックスのウォー・クライ、耳を疑ったが誤りではない。三人の屈強の白人が、中学生を前にハカを演じている。秋晴れの下、東京目黒にマオリの神々の降臨である。
 演じては指導し、生徒たちが怪しげな腰つきで真似をし、また模範演技。ちゃんと舌を突き出しているかい?1時間、あるいは2時間、南半球の太古の叫びが紅葉前の新緑の樹々を力強く揺らし続けた。
 撮影してここに挙げたい気もちはやまやまながら、ぐっとこらえるのがマナーと心得、既存の動画に譲る。引き上げていく彼らの背中にベランダから呼びかけたい衝動を、なぜか抑えたのは自分もいくらか歳をとったかな。

 オール・ブラックスのメンバーか、また別のNZ人か、いずれにせよコロナ禍でグラウンドでのコンタクトが制限される状況を活用して、公立中学校まで足を運んでくれたのであろう。
 近隣住民より、心から感謝の朝。

Ω

スティグマ

2020-09-28 09:33:01 | 日記
2020年9月23日(水)
 スティグマ stigma という言葉がせっかく緩徐に浸透しつつあるのに、新型コロナ関連での用例を寡聞にして知らない。
 人々は(=われわれは)、「新型コロナ」という感染症を恐れる以上に、それによって付与されるスティグマを恐れている。スティグマを付与されることへの恐怖が、先手をとって他者にスティグマを付与しようとする浅慮に結びつく。ことの仔細はスティグマの社会学が夙に明らかにした通りで、それを援用すればずいぶん思考過程を省力化でき、予防にも資するだろうに。

 八月に東京を発つとき、「知ったことか」と宙に向かって吐き捨てた。
 人に伝染(うつ)そうがクラスターを起こそうが「知ったことか」と言ったのではない。
 これだけ準備もし熟慮を重ねての決断に対して、人がどう言おうと「知ったことか」と肚を決めたのである。
 誰も何も言いはしなかった。それどころか、少数ながら関わりの生じた人々の理解と配慮がありがたかった。
 何か言いたそうにしていたのは、遠巻きに眺めて関わろうとしない「縁者」の方である。
 コロナ禍は、実にさまざまなものを明るみに出す。

Ω


クモはコミ、蝶はナビ

2020-09-27 09:41:00 | 日記
2020年9月10日(木)
 以前、「ヘビ」という言葉について素人談義を書いてみたことがある。
HxByは何の徴? https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/3e88f2dbff1895da02cbb9117675a206

 「H_B_」は南方系の言葉で、毒性の強いヘビ一般を表わすのではないかと当て推量した。従ってまた、半島ではヘビを表わす言葉はまた別であるに違いないと考えてみた。
 実際には、
 韓国・朝鮮語で、ヘビを 뱀 (ペム)と呼ぶらしい。案外似ているではないか。

 人が怖がるものと言えば、ヘビでなければクモということになるが、こちらは 거미(コミ)という。K_M_ という子音がぴったり重なっている。関連がないとは思えない。

 蝶はどうか?
 これが残念なところで、韓国・朝鮮語には 나비(ナビ)という固有語があり、今でも使われている。然るに本朝では、ハエ・ハチ・バッタ・トンボ・セミなど昆虫を表わす固有語の豊かなコレクションがあるのに、蝶・蛾に関してはナゼか漢語に置き換わってしまった。
 古くは「かはひらこ」「ひひる」「ひむし」といった固有語があり、「てこな」「てんがらこ」「かはびらこ」などとも言ったとインターネットの安直情報。
 「てこな」は「真間の手児奈」の「てこな」だろうか、可憐な美少女の儚い運命に似つかわしい名であるけれど、万葉集には蝶を詠んだ歌が一つもないという指摘が載っている。「てこな」という言葉そのものが、少女とともに消えてしまったとでもいうことか。
 蝶という生き物にはトンボなどと違って、どこか舶来もののバタ臭さがある ー ようにナゼか感じてしまう。同じ感性が古代人をして、舶来語である「蝶」を選ばせたのだとしたらおもしろいことだ。
 
Ω


うなりの結び目

2020-09-17 11:07:21 | 日記
2020年9月17日(木)
 「転気」とはわれながら面白い造語だが、何だか落ち着かないと思ったら…
 「転失気(てんしき)」という言葉があるのだった。古典落語の題目にもなっている。一字違いか、やれやれ。
https://www.bing.com/videos/search?q=%e8%bb%a2%e5%a4%b1%e6%b0%97&docid=608027108539105314&mid=D3223857C441AEDA7CDFD3223857C441AEDA7CDF&view=detail&FORM=VIRE

 気を取り直してこの季節を顧みるに、もう一つの標識が大相撲九月場所(いわゆる秋場所)である。初日はまだまだ蒸し暑いのに、千秋楽は肌寒い。15日間にはっきり季節が進むことを体感させる貴重な年中行事であり、その間に風景が一変することについて、1976年頃の鮮やかな思い出がある。
 さて、この「転気」プロセスの中核をなすのが秋分の日。夏至と冬至の間で振動・周回する太陽の運動のヘソみたいなものか、ヘソとは違う、もっと良いたとえはないかと考え、思い当たったのが下図である。いつも当ブログを追ってくれている小豆島の室崎さん、全盲のあなたにこれをどう伝えたものか、悩みながらともかく掲載しますね。

 まず単振動 single vibration:


 数学頭はもちあわせないが、数学に含まれる美しさについてはいくらかの感受性があるものと自負する。その自分に強く訴える美しさの一つが単振動 である。その形が素朴に美しく、単位円の周回が投影操作によって波動に変換され、無限の一形式が他の形式に姿を変える不可思議さに魅了される。

 ついで「うなり」beat:

 こちらは単振動を重ね合わせるところに生じるもので、この形は後に脳波検査において見慣れたものになった。安静閉眼覚醒という条件下で後頭部優位に出現する基礎律動、いわゆる α 律動がこの姿をしている。無数の脳細胞の発信する電気信号が、ランダムな加算の結果として「うなり」を生じることが何とも不思議であった。楽器のチューニングなどに関連づければ非常に面白い話になるが、その件はインターネット上に多々見られる諸家の優れた解説に譲る。
 さて、ここからが物理音痴ならではの飛躍になるのだが、このグラフを見ると決まって、季節の変動というものをこのグラフに重ねてみたい気持ちになるのである。とりわけ「うなり」の振幅が大きくなり小さくなって一瞬ゼロになる、その結び目のような点には呼び名があるものと思われる(たとえば node とか)が、調べがつかない。何しろこのポイントが春分であり秋分であるような、そういう変換ができないものだろうか。
 気象パターンが激変し、異常気象が平年標準になりかわりつつある昨今であっても、九月中旬の転換点は昔に変わらず恒常的に保たれているところに安心を見出している。春秋の equinox は正気を保つための大事な結節点である。その日に生まれたことが少なからず嬉しく、いずれ生涯を終えるのもおおかたその時期ではあるまいかと、期待をこめて思い描いている。

Ω
 

天気の転機、あるいは9月中旬の「転気」のこと

2020-09-16 10:38:04 | 日記
 2020年9月14日(月)
 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだが、秋の彼岸に先立つ9月15日頃に転換点があるのを、20代の頃から感じていた。最高気温の数字より、体感がはっきり変わる。暑さの芯が抜けたように大気が鎮まり、ホッと息がつけるようになる。
 頭よりも体がよく知っているというのは、このあたりを境にむやみに睡眠時間が延びるからだ。眠りが気持よく、いくら眠ってもまだ眠い。夏の間の睡眠負債を取りもどすかのようである。

 主観的にはこのように気持よいのだが、どうやら危険な時期でもあるらしい。だいぶ前に教会名簿を整理した際、教会員の命日を月別にまとめてみたことがある。すると8月の物故者はきわめて少なく、戦災を除けばほとんどいなかった。対照的に9月・10月に召される人が多いのである。夏の盛りには体も力一杯抵抗する。暑さをやり過ごしてほっと脱力したとき、たまった疲れが出るものだろうかと考えた。家庭内でそのことを確認することになろうとは、むろん予期していなかった。

 9月12日(土)は前日の暑さから一転して、じっとりした小雨の一日。北千住の一室に18名が集った。大半は年配の女性で、ブラジル育ちという司会者だけが青年を卒業しつつある風情の男性である。
 午後の2時間のうち、「最初に30分お話しいただき、それを受けて質疑応答を」とメールの依頼。やや珍しい時間配分で、1時間30分の間違いではないかと思ったが、さにあらず。小講演を受け、参加者全員にマイクを回して一言ずつ語ってもらうという趣向で、この部分にこそ定例会の意義があったのだ。
 実際、集う人々は皆話したいことをたっぷり抱え、語り合うために集まってくる。断酒会や浦河べてると同じ方式で、ピアサポートの要諦ともいうべきものである。主催者の示唆に従って「自己愛」について短く話した中から、皆それぞれ必要なものを読みとり噛みとって、自分の栄養にしていくのがスピーチに窺われた。
 この人々が背負っている人生は、口先小手先のちまちました工夫では、どうにも動かしようのない重みをもっている。この場で自分が話をさせてもらい、感謝してもらえることがいちばんの不思議である。
 帰宅するや畳に横になり、短く深く眠った。

 9月13日(日)晴のち曇
 「使徒言行録の17章16節、使徒パウロは今アテネにいます。アテネは古い学問の都で、アクロポリスの丘の上には壮大なパルテノン神殿がそびえています。街の中には他にも大小の神殿がたくさんあり、住んでいる人々の信心深さが窺われます。ただ、神殿には実にさまざまな神々が雑然と祭られており、人々が何を大事に拝んでいるのか、よくわかりません。ふと道端を見ると、『誰だかわからない神さまへ』と刻んだ碑(いしぶみ)がありました。
 そこでパウロは話し始めました。『アテネの皆さん、あなたがたの信心深さは実に素晴らしい。けれども残念なことに、その信心深さをどこに向けたら良いか、はっきりしていないようです。そこで私の話を聞いてください。あなたががたが心を向けるべきは、人間の造った神殿の中に住まう小さな神々ではなく、私たち人間と宇宙万物を造られた創造の神なのです・・・』
 これは、昔々のギリシアのお話ですが、同時に私たちの住む今の日本のことでもあります。外国人が日本を訪れると、巨大な神殿や大小さまざまな神殿があることに驚きます。靖国神社の大鳥居はパルテノン神殿の円柱よりも高くそびえ、明治神宮の広大な敷地は自然の森をまるごと中に抱えています。街中の至る所に神社や祠があり、それを見て外国の人々は、日本人は何て信心深いのだろうと感心します。でも、そこで何を拝んでいるかと訊かれると、当の日本の人々は『さぁ・・・』と首を傾げるのです。
 もしもパウロがいまの東京を訪れたら、昔アテネを訪れた時と同じことを感じて語るに違いありません。日本の皆さん、あなたがたの信心深さは実に素晴らしい。けれども皆さんは、その信心深さをどこに向けたら良いか、わかっていらっしゃるでしょうか・・・」

 帰宅してTVの碁を見始めたが、30分でどうにも眠気を支えきれなくなり、ごろりと横になって目が醒めたら3時間経っていた。頭痛がひどく、首から背中が鉄板のように固まっている。囲碁の続きは非常な熱戦の末、山下敬吾九段が伊田篤史八段に半目競り勝った。「私の一手」は2手目の5ノ五、とりわけ白番では今どき彼以外にあり得ない打ち方である。
 「自分自身、十数年ぶりに打ちました。AI登場以来、星・三々入り・小目から二間ビラキと布石の型が決まってしまい、それが碁の魅力を殺いでしまっているように感じます。今日は結果がついてきて幸いでした。また打ちます。」
 と「私の一手」で振り返る。
 誰も彼もがAIになびく中にあって、平成四天王の一人である羽根直樹さんは自分の流儀を少しも崩さず、それで井山・芝野の二強に割り込み碁聖を保持している。山下さんは棋士人生最悪の絶不調に悩んでいたのが、コロナ休みで憑き物が落ちたか、休み明けから一転絶好調。羽根さんと対照的な棋風の彼が、同様に自主独立の孤高を行く姿がむやみに嬉しい。

 長すぎる午睡の後にもかかわらず、夜また8時間熟睡。14日の明け方に覚めたときは胸の裏側に澱がたまったようで、このまま心臓が鼓動を止めるのではないかと思われたが、午前の時間が過ぎるにつれ、体がほぐれて柔らかくなっていった。夏の疲れが取れ始めている。山下九段が5歳児のように胸を張る姿が、あらためて目の前に浮かんだ。

 12日は母の命日。翌13日が両親の受洗記念日と知っていたのに、両日の関係にナゼかこれまで思いを致すことがなかった。たまたま今年は9月13日が日曜日であり、しかもその日にC.S.礼拝の説教当番にあたったことから、初めて気づいたのである。そもそも1981年の9月13日は、九月第一主日に置かれるはずの振起日礼拝が、何かの事情でこの日に移され、それを覚えつつ両親とW姉が洗礼に与ったのだった。
 12日の午後、母は安らかな午睡のさなかに天に移された。「不自由になった体を脱ぎ捨てて」と、もうひとりの母が評したとおりである。
 あくる朝(あした)は受洗記念の13日、心機一転の天の目覚めがあったことだろう!
 今年は他ならぬ親戚筋から思いがけない石を投げられ、それもまた夏の疲れを増幅した。それもこれもすっかり脱げた。二周年の喪が明けた。

Ω