先住民族関連ニュース

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アイヌ文化の担い手育成へ ウポポイ運営財団と札幌大学が協定

2022-01-14 | アイヌ民族関連
NHK 01月13日 20時18分
アイヌ文化の担い手の育成などに向けて、「ウポポイ」を運営するアイヌ民族文化財団と札幌大学が協定を結びました。
協定の締結式は13日、白老町にあるアイヌ文化の発信拠点「ウポポイ」で行われ、アイヌ民族文化財団と札幌大学のそれぞれの理事長が協定書に署名しました。
協定ではアイヌ文化の担い手の育成やアイヌ民族など先住民族に関する調査や研究で互いに協力するとしています。
札幌大学はアイヌ文化の担い手を育成する団体「ウレシパクラブ」でアイヌの歴史や文化の研究と教育に力を入れています。
13日は締結式のあと、ウレシパクラブの学生とウポポイの職員がさっそく顔をあわせ、アイヌ舞踊の合同練習を行いました。
アイヌ民族文化財団の常本照樹理事長は「協定を結ぶことで札幌大学の授業に職員を派遣し、より一層担い手の育成が行える。また、札幌大学にはアイヌ文化の専門家がいるので財団の事業にはこれまで以上に協力してもらえると考えている」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220113/7000042182.html

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アイヌ文化普及へ協力 民族文化財団と札大が協定

2022-01-14 | アイヌ民族関連
北海道新聞 01/13 22:39 更新

 【白老】アイヌ民族文化財団(札幌)と学校法人札幌大学(同)は13日、アイヌ文化の担い手育成などを柱とする連携協定を結んだ。アイヌ文化の復興や発展、知識の普及などに向け、相互に協力する。
 協定には、アイヌ民族と海外先住民族の調査研究、先住民族間の交流促進などにも協力して取り組むことを盛り込んだ。担い手育成では、同財団が胆振管内白老町で運営するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」での札大生のインターンシップ受け入れなどを継続する。
 ウポポイで同日開かれた調印式で、札幌大学の荒川裕生理事長は「アイヌ民族の歴史文化に関する教育をさらに進めることができ、大変意義深い」と強調。同財団の常本照樹理事長も「学生に指導することで職員も新たな発見がある。今後も深く関わっていきたい」と述べた。(小林彩乃)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/633072

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献上鮭づくり、ジオラマに 別海町郷土資料館職員が制作 加賀家文書館で展示

2022-01-14 | アイヌ民族関連
北海道新聞 01/13 18:17
ジオラマを制作した(左から)麻郷地麻美さん、沼田明美さん、高橋智美さん
 【別海】町郷土資料館は、江戸時代後期に将軍に贈られた「献上鮭(さけ)」づくりのジオラマを完成させた。当時の文献をひもといてリアルに再現し、加賀家文書館(別海宮舞町)で常設展示を始めた。石渡一人学芸員は「町の重要な歴史の一つ。たくさんの人の目にふれ、知ってほしい」と話す。
 ジオラマは「ニシベツ献上鮭(さけ)」と名付け、縦70センチ、横75センチ。江戸時代末期の地域の風俗を記録した日本遺産の構成文化財「加賀家文書」などの記録を参考に、1861年(文久元年)の様子を再現した。縮尺は50分の1で、建物の大きさも計測している。
 献上鮭の起源は1800年(寛政12年)にさかのぼる。西別川河口のニシベツ(現町本別海)の海岸で大量のサケを捕獲し、選別して塩漬け。良質なものは専用の蔵に運搬し、会津藩士の立ち会いのもと献上鮭に仕上げる。ジオラマでは、にぎりめしを食べながら作業にあたるアイヌ民族の姿も再現し、当時の激務を伝えられるようにした。
 資料館職員の麻郷地麻美さん(52)、高橋智美さん(49)、沼田明美さん(46)が制作に当たり、石渡学芸員が監修。3人で分担して半年で完成させた。同館で展示している酪農、漁業などのジオラマは3人によるもので、今回が9作目。3人は「文献だけで、見本がないものをどう作るか。船一つ作るのも大変だけれど、楽しい」と話す。
 加賀家文書館の入館料は隣の郷土資料館と共通で350円。高校生以下無料。(小野田伝治郎)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/632991

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星野リゾート「界ポロト」が14日開業 ウポポイに隣接

2022-01-14 | アイヌ民族関連
北海道新聞 01/13 22:33 更新
 【白老】星野リゾート(長野県軽井沢町)は13日、胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」隣接地に14日開業する高級温泉旅館「星野リゾート 界 ポロト」の報道向け発表会を開いた。「界」は同社が全国展開する温泉旅館ブランドで、道内には初進出。
 ウポポイに近いポロト湖畔に、鉄筋コンクリート4階建て延べ床面積4951平方メートルの施設を新築。42室ある客室はアイヌ民族の伝統的な家屋「チセ」をモチーフにデザインされ、すべての部屋からポロト湖と樽前山を見渡すことができる。
 モール温泉の大浴場は宿泊者限定と、日帰り入浴も可能な2種類を設定。食事は道内産食材を生かした会席料理を提供する。
 宿泊料は1泊2食付き2人1室利用で1人2万8千円から。予約、詳細は界(電)0570・073・011へ。(小林彩乃)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/632970

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南ア警察、「先住民族の王」逮捕 大統領府前で大麻栽培

2022-01-14 | 先住民族関連
AFP 2022年1月13日 16:07 発信地:プレトリア/南アフリカ [ 南アフリカ アフリカ ]
南アフリカの首都プレトリアの大統領府前で、大麻草を押収する警察官に抵抗する「先住民族コイサンの王」(手前、2022年1月12日撮影)。(c)Phill Magakoe / AFP
【1月13日 AFP】南アフリカ警察は12日、首都プレトリアの大統領府前の芝生で先住民族団体が栽培していた大麻草を根こそぎ押収し、リーダーと他3人を逮捕した。AFP記者が確認した。
 団体は2018年、コイサン語の公用語化を求めてテントを張って座り込みを開始。半年ほど前に大麻の栽培を開始した。
リーダーは伝統的な下帯を身に着けており、「南アフリカの先住民族コイサン(Khoisan)の王」と名乗った。
 王は「警察よ、宣戦を布告したな」と叫び、「われわれはここで平和的に過ごしてきた」と訴えた。
 活動家の1人はアフリカーンス語で「狙いは草か? 草なのか? 制服を着たくずどもめ」と声を荒げた。
 警察によると、逮捕されたのは22~54歳の男3人と女1人。大麻の取引と違法栽培、警察官の指示にもかかわらず公共の場でマスクを着用しなかった容疑がかけられている。(c)AFP
https://www.afpbb.com/articles/-/3384893

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世界有数の農業生産地カリフォルニアの誕生、そして水が枯れるまで

2022-01-14 | 先住民族関連
MITテクノロジー2022.01.13by Mark Arax
カリフォルニア州は農業に適した土地だとされている。しかし、初めから農業に向く土地だったわけではない。山の向こうにある川から水路を引き、地下水を汲み上げるなどの人工的な工事によって、農業に欠かせない水を確保してきたのだ。そして今、カリフォルニア州を空前の干ばつが襲っている。
昨夜になって風向きがようやく変わり、燃え盛るシエラ・ネバダ山脈の煙が一掃された。ここカリフォルニア州の平地では、かつては花崗岩の山を別世界の避難場所くらいに思っていた。だが、そのような隔たりはもう存在しない。無数の松の枯れ木がすべて野火に焼かれ、灰じんと化したシエラ・ネバダ山脈は私たちの目と鼻の先にある。
私たちは抜け目なく空を観察することを学んだ。空を見て危険性を読み取るのだ。日によっては、世界一ひどい空気を吸うことになる。脳や肺を傷つける心配をせずに戸外を歩ける日はめったになく、行き交う人々とあいさつを交わすときには、新たな祈りの言葉を紡ぐようになった。「風向きが変わりますように」と、私は隣人に告げる。あるいは、「粉塵が舞うのはアーモンドの収穫のときだけでありますように」、と。とりあえず、HEPAフィルターの空気清浄機を止める勇気は私にはない。空調音は新生活の音だ。
サン・ホアキン・バレーで最も過酷な夏が、ようやく終わった。6月以来、38度を超えた日は67日間。新記録の達成だ。カリフォルニアの干ばつは今後も続きそうだ。過去10年間のうち8年は、特に干ばつが酷かった。引きこもり生活を始めてからひと月経った10月の朝、私は郊外の自宅を出て、灌漑が作った最大の砂漠、カリフォルニア州中部を見て回ることに決めた。田舎の空気は秋の匂いがする。秋の到来を祝いに、旧友のマスモトを訪ねることにした。彼は、デル・レイにある0.3平方キロメートルほどの土地で農業を営んでおり、レーズンの箱詰めの終盤を迎えているところだ。
収穫末期のフレズノを出て、世界で最も工業化が進んだ農業地帯の疲弊した畑を走り抜けていると、どうしても水のことを考えずにはいられない。水の存在や感覚、雨雪となって空から降ってくる形を。そして人間がダム、溝、運河、水路、ポンプ、散水管など、高度な技術を発明・導入して、水を獲得してきたことを思う。水は生物も無生物も活性化させる。今目の前にあるブドウ畑、果樹園、綿花畑、住宅地など、万物に力を与える。水は多すぎても少なすぎても私たちを滅ぼしかねない。必要な量だけを確保する利水など夢物語だ。
私はカリフォルニア州と水について何度か文章を書いており、必要ならば昔の話を繰り返すこともある。新しい言葉を探しながら、私は何度となくハイウェイ99号線でサン・ホアキン・バレーを走ってきた。サン・ホアキン・バレーを指して地質学者は「史上最も大きく人の手で改変された風景」と呼ぶ。今私の目に映るのは、新しい改変の傷痕だ。水不足を解消するために、なりふり構わず続けてきた所業の結果である。
カリフォルニア州の獲得は、決して簡単ではなかった。それは、米国で最も繁栄していた先住民族の抹殺にかかっていたからだ。立ちはだかる先住民族には1万年以上続く文明があり、30万人の住民がいた。ヨクト族、マイドゥ族、ミーウォク族、クラマス族、ポモ族、チュマシュ族、クミアイ族など、ほんの一例でもこれだけ挙げられる。熱に浮かされたような過去175年の足跡を振り返るとき、私たちはカリフォルニア州の先住民族の慎み深さを理想化しがちだ。とはいえ、先住民族は人数が多く、豊かで広大な土地を持っていたにもかかわらず、戦利品目当てに相争うことがなかったのは間違いないだろう。彼らは、地球にほとんど負担をかけない暮らしをしていた。自然が変化すれば自分たちが住処を変えた。洪水で引っ越し、干ばつでまた引っ越した。森の間伐が必要になると、雑草や下枝を焼いてからすぐに鎮火した。
虐殺が進むにつれ、カリフォルニア州の先住民文化は、スペイン人による宣教活動、メキシコによる占領、米国人入植の3段階によってゆっくりと消し去られた。残虐行為が、当時のあらゆる手段(毛布、天然痘、梅毒、松明、ナイフ、コルト45口径など)で実行された。最初に訪れたのは、セラ神父率いるフランシスコ会の修道士たちだった。セラ神父は奴隷商人でありながら列福された人物で、先住民族を労働奴隷として所有・使役して、初期の簡素なダムや運河を建設した。川がなかった場所に川を出現させ、サンディエゴからソノマにかけて21の伝道所を築いたのだ。サン・ガブリエル伝道所では、得た水で大量の穀物、野菜、異国の果物を育て、約0.7平方キロメートルのブドウ園「ラス・ヴィーニャ」を作った。
次にやってきたのは、メキシコの有力者たちだった。ただしスペインから独立したメキシコ勢力とカリフォルニア州の小競り合いは、1821年から1848年までの四半世紀しか続かなかった。欧州人、メキシコ人、米国人の血が入り混じった住民たちは、自らをカリフォルニア人と呼んだ。彼らはカリフォルニア州の多彩な自然を手なずけるのではなく、広大な土地を手に入れ、自らが土地に順応した。遠く離れた入植地で、カリフォルニア人は毎日1頭の子牛を殺して食べ、大量のワインとブランデーを飲み、王の名の下で結婚式を開いた。結婚式は、ずっと花嫁学校に閉じ込められて暮らしてきた娘たちが、ようやく太陽の下に出られる機会だった。カリフォルニア人は親愛のしるしとして、残った原住民に宣教師の土地と伝道所の水源を譲ると誓ったが、そのような契約が守られることはなかった。
米国の入植者たち、猟師や毛皮商人、偵察者、測量者らは、何十年もの間カリフォルニアの様子をうかがっていた。米国人の意図がついに明るみに出たのは、1846年の夏のことだ。入植者の背後にいた政府が、公式には一切発砲することなく、南北約1600キロメートルに及ぶ大陸西端のカリフォルニアをもぎ取ったのだ。地質的に11の地域に分かれ、緯度10度分にまたがり、地域によって年間降水量約5センチから350センチとばらつきのある土地を、いったいどうしたものか? 各地域が、それぞれの豊かさと制限の中で共存するという方針も取れたかもしれない。しかし米国人は、多様な地域を丸ごと線で囲い込み1つの州として宣言し、地域差を埋めるために無限の取り組みを始めた。
マニフェスト・デスティニー(米国の西部開拓を正当化する標語)は、カリフォルニア州にも着実に向かっていたが、1848年、突如金発見のニュースが世界中にとどろいた。金発見というニュースがもたらした激震は桁違いだった。一夜にして金の採掘に取りつかれた人々が、世界中から何万人も海を越えて押し寄せ、大半は一度も金を採掘できずに世を去った。採掘者はバール片手に山や川へ向かった。金の採掘には工業規模での水の確保が欠かせないことを知ったのだ。
「水!水!水!」とジェイムズ・メイソン・ハッチングズは大声で叫んだ。彼は傑出した季報『ハッチングズのカリフォルニア州画報』を1850年代に発行していた英国人である。「どこの山頂でも湧水は見つかる。必要なのは飲料水ではなく、作業用の水だ。作業者は金混じりの土をすくい取る。すくい取った金混じりの土は、渦流で処理されることになる。渦流処理が富をもたらすことになる。だから私たちは、強欲に『よこせ、よこせ』と叫ぶのだ。だがここで欲しいのは水だ!水!水!」
1862年の大洪水のときには、ハッチングズの雑誌はすでに廃刊していた。洪水がもたらした結果を説明したのは、イェール大学出身で、カリフォルニア州の天然資源を調査するため西部にやって来たウィリアム・ブルワーだ。「この広大な地域にあるすべての家屋、農場が無くなった」とブルワーは記している。「今回の洪水は、米国がかつて経験したことのない悲劇を生み出した」。ブルワーはやがて、カリフォルニアの人々特有の何事にも耐え抜く不屈の精神を理解し、こう述べた。「カリフォルニアの人々ほど災難に強い人々はいない。彼らは災難に慣れているのだ」。
人々は、干ばつを忘れるのと同じような無頓着さで、洪水のことも忘れ去った。洪水や干ばつを忘れてしまうことで、奇妙な回復力が備わった。採掘者 …
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https://www.technologyreview.jp/s/264453/how-we-drained-california-dry/

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