北海道新聞 01/14 21:42 更新
「先祖に良い報告ができてうれしい」と表彰を喜ぶ帯広カムイトウウポポ保存会の酒井奈々子会長
本年度の文化庁長官表彰に、帯広カムイトウウポポ保存会(帯広)の酒井奈々子会長(70)が選ばれた。長年にわたり、帯広に伝わるアイヌ古式舞踊を伝承してきた功績が認められた。酒井さんは「母がのこした歌や踊りを次の世代に伝えたい」と決意を新たにしている。
帯広市の伏古コタン(現在の西帯広地区)で生まれ育った。幼い頃から母や祖母が踊るリ■セ(踊り)やウポポ(歌)を見て覚え、6歳の時には、同保存会の前身団体「十勝アイヌウポポ愛好会」に加入。コタンの大人に交じって古式舞踊の練習に励んだ。
2003年から会長を務める。後継者育成に力を入れ始めたきっかけは、同会で一番の歌い手だった母が亡くなったこと。コタンの年長者から直接ウポポを習った会員がほとんどいなくなった状況に危機感を覚え、「私がやらなきゃ誰がやる」と自ら会長に立候補した。
現在は週2回、帯広市生活館(柏林台東町2)で古式舞踊を指導する。和人を含む会員約40人とともに、全国各地の催しにも積極的に参加。18年に札幌で開かれた北海道150年記念式典では、天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)の前でウポポを歌い上げた。
アイヌ民族への差別は昔に比べて減ったものの、完全にはなくなっていない。30年ほど前、中高生だった息子と娘から言われた「お母さん、新聞に載らないで」という一言が今も胸に突き刺さっている。「私のせいで学校でいじめられたのかもしれない」。同会の活動に顔を出さなくなった時期もあったが、舞踊の練習は欠かさなかった。「母の美しい歌声を覚えているのはもう私だけ」という強い責任感が、酒井さんを突き動かしてきた。
表彰式は昨年12月に東京都内で開かれ、今では会員となった娘や孫とともに参加した。「私は100歳まで生きますよ。一人でも多くの後輩に大切な伝統を伝えないと」。優しい語り口に決意がにじむ。(三島今日子)
■はカタカナの小さい「ム」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/633613
「先祖に良い報告ができてうれしい」と表彰を喜ぶ帯広カムイトウウポポ保存会の酒井奈々子会長
本年度の文化庁長官表彰に、帯広カムイトウウポポ保存会(帯広)の酒井奈々子会長(70)が選ばれた。長年にわたり、帯広に伝わるアイヌ古式舞踊を伝承してきた功績が認められた。酒井さんは「母がのこした歌や踊りを次の世代に伝えたい」と決意を新たにしている。
帯広市の伏古コタン(現在の西帯広地区)で生まれ育った。幼い頃から母や祖母が踊るリ■セ(踊り)やウポポ(歌)を見て覚え、6歳の時には、同保存会の前身団体「十勝アイヌウポポ愛好会」に加入。コタンの大人に交じって古式舞踊の練習に励んだ。
2003年から会長を務める。後継者育成に力を入れ始めたきっかけは、同会で一番の歌い手だった母が亡くなったこと。コタンの年長者から直接ウポポを習った会員がほとんどいなくなった状況に危機感を覚え、「私がやらなきゃ誰がやる」と自ら会長に立候補した。
現在は週2回、帯広市生活館(柏林台東町2)で古式舞踊を指導する。和人を含む会員約40人とともに、全国各地の催しにも積極的に参加。18年に札幌で開かれた北海道150年記念式典では、天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)の前でウポポを歌い上げた。
アイヌ民族への差別は昔に比べて減ったものの、完全にはなくなっていない。30年ほど前、中高生だった息子と娘から言われた「お母さん、新聞に載らないで」という一言が今も胸に突き刺さっている。「私のせいで学校でいじめられたのかもしれない」。同会の活動に顔を出さなくなった時期もあったが、舞踊の練習は欠かさなかった。「母の美しい歌声を覚えているのはもう私だけ」という強い責任感が、酒井さんを突き動かしてきた。
表彰式は昨年12月に東京都内で開かれ、今では会員となった娘や孫とともに参加した。「私は100歳まで生きますよ。一人でも多くの後輩に大切な伝統を伝えないと」。優しい語り口に決意がにじむ。(三島今日子)
■はカタカナの小さい「ム」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/633613