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先住民族関連ニュース

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トンコリ奏者OKIの初ベスト、UKのレーベルからリリース

2022-01-29 | アイヌ民族関連
音楽ナタリー1/28(金) 20:00配信

トンコリ奏者OKI(OKI DUB AINU BAND)の初のベスト盤「Tonkori in the moonlight(1996 - 2006)月明かりのトンコリ」が、1月28日にUKのレーベル・MAIS UM DISCOSからCDとアナログでリリースされる。
【動画】「Iso Kaari Irehte」from New Album【TONKORI IN THE MOONLIGHT 1996–2006 月明かりのトンコリ / OKI 】#tonkori#okidub(他4件)
本作には、1996年のデビュー作「KAMUY KOR NUPURPE」から2006年発表の「KLA&OKI」までの8作品の中より、OKIが即興で作った「Tonkori in the moonlight」や、アイヌ歌手・安東ウメ子をフィーチャリングに迎えサックス奏者の梅津和時が参加した「Iso Kaari Irehte」(イソ・カリ・イレクテ)など全11曲が収録される。選曲はMAIS UMのレーベルオーナーが行った。
OKI名義のアルバムとしては初のEU圏でのリリースとなり、日本国内では輸入盤としてOKI主催のレーベル・チカルスタジオのWebストアや、タワーレコード、diskunionなどで販売される。
YouTubeでは「Iso Kaari Irehte」のミュージックビデオを公開中。
■ OKI「Tonkori in the moonlight(1996 - 2006)月明かりのトンコリ」収録曲
01. Drum Song
02. Kai Kai As To (Rippling Lake)
03. Iso Kaari Irehte (Bear Trap Rhythm) / OKI feat. Umeko Ando
04. Yaykatekara Dub (Love Dub)
05. Tonkori In the Moonlight
06. Afghan Herbal Garden from 2004「DUB AINU」
07. Iuta Upopo (Pestle Song) / OKI feat. Umeko Ando
08. Cup Kamuy Ho (Wake Up Sun) / OKI feat. Umeko Ando
09. Battaki (Grasshopper Dance) / OKI feat. Umeko Ando
10. Oroho Raha Mokor Mokor (Sleep sleep) / Kila & OKI
11. Wei Ne
https://natalie.mu/music/news/463500

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『民藝の100年』展に見る、デザインとしての民藝運動|土田貴宏の東京デザインジャーナル

2022-01-29 | アイヌ民族関連
Casa BRUTUS.com1/28(金) 11:55配信
東京国立近代美術館の『民藝の100年』が話題になっている。圧倒的なボリュームで民藝の美しい「もの」を紹介すると同時に、この運動にまつわる豊かなストーリーを伝える貴重な展覧会だ。
柳宗悦没後60年記念展『民藝の100年』が〈東京国立近代美術館〉で開催されている(~2022年2月13日)。従来、民藝をテーマにした催しは、創始者である柳宗悦の眼力や思想にフォーカスするものが大半だった。それに対して今回の展覧会では、このムーブメントにまつわる多様な試みや社会背景を俯瞰的にとらえたのが特徴だ。展示総数450点以上という圧倒的なボリュームに加えて、当時から現在に続くさまざまなストーリーを伝えている。
民藝という言葉が初めて生まれたのは1925年。後に日本民藝館の初代館長になる柳宗悦と、同志である陶芸家の濱田庄司や河井寬次郎が木喰仏(江戸時代後期の木喰上人による木彫りの仏像)を求めて旅する途中、彼らの会話の中でこの言葉が現れたという。
民藝とは「民衆的工藝」、つまり無名の職人たちが手作りする、大衆向けの日用品を主に指す言葉だ。彼らはそこに、趣向を凝らした伝統工芸や限られた人々に向けた美術品にはない、健やかな美しさを見出したのだった。
展覧会は、そんな彼らが出会う以前、柳が同人として参加した文芸雑誌『白樺』にまつわるエピソードから始まる。
1910年代、『白樺』が彫刻家オーギュスト・ロダンを特集した縁で、彼から贈られたロダンの彫刻が柳の家にあった。それを見るため家を訪ねた朝鮮在住の浅川伯教は、土産として小さな壺を持参する。柳が「陶磁器の美に開眼する契機となった」というその壺《染付秋草文面取壺》(瓢形瓶部分)や、きっかけになったロダンによる彫像も、最初のセクションに展示されている。当時の柳は、後に民藝運動に加わるバーナード・リーチの影響もあり、詩人のウィリアム・ブレイクはじめヨーロッパの芸術思想に造詣を深めていた。
民藝運動は幅広い手仕事を対象にしていくが、そこから柳たちがものを選ぶ上で重視したのは本質的な美しさだった。そのため柳は、先入観なく「もの」に対峙し、それを直観することの重要さを説く。ただし一方で彼は「メディアを駆使して物の見方を示す、優れた『編集者』でもあった」とこの展覧会は看破する。そして、たとえば酢や酒などを入れる業務用の陶磁器に描かれる文字に着目し、「民藝フォント」と呼ぶべき文字の探求を行っていたという。
こうした視点は会報誌の『工藝』『民藝』、また『月刊民藝』などを通じて広められた。会報誌の造本やグラフィックもまた、柳らの美意識を反映して高度にデザインされたものだった。
民藝運動の創設期にあたる1920年代から1930年代にかけては、他にも昔ながらのもの作りや民衆の生活習慣に注目する動きがいくつもあったという。『民藝の100年』では、そうした動きの代表的なものも紹介している。
例えば芸術家の山本鼎は、ロシアを旅した経験をもとに1910年代末に農民美術運動を興し、農閑期の農民の副業にしようと早くから活動して実績を上げた。しかし柳は、海外のクラフトを規範とする地方色の希薄な農民美術には否定的だった。1930年代に入って民藝運動が本格化すると、その地で生まれた手仕事によってもの作りの活性化を目指す民藝への賛同者が優勢になっていく。
ちなみに『カーサ ブルータス』2022年1月号でも紹介された北海道八雲町発祥の木彫り熊も一種の農民美術であり、山本が八雲町で講演したこともあった。北海道の民藝として紹介されるのが専らアイヌの手仕事であることには、そんな背景があったのかもしれない。
民藝として提示された「ものの見方」について、おそらく最も有名なのは「用の美」だろう。この言葉は、展覧会の中であえてテーマとしては立てられていないが、全体を通してさまざまに体感できる。
特に象徴的なのは、囲炉裏の上に鍋などを吊るすための自在鉤や、簡潔な絵柄を施された行灯皿(行灯の下に置く油の受け皿)。また江戸時代の金属製の燭台も、独特の曲線が美しい。こうしたものに関して柳らは、「用」の痕跡を美的要素として提示していたという。さらにこうした道具が、1930年代の時点で世界的に民族美術として認められ、広まりつつあったことにも触れられている。
この展覧会では、民藝運動が推進された背景のひとつに「旅」を挙げる。大正から昭和初期にかけて鉄道が整備されたことで、民藝運動の創設メンバーは積極的に日本各地に足を運び、その地の民藝を発掘・蒐集していったという。
その成果を象徴するのが、1941年に制作された《日本民藝地図(現在之日本民藝)》。北海道を除く日本全土が描かれ、どの場所にどんな民藝が存在しているかを25種類のアイコンを使いながら明らかにした。描いたのは染色家として有名な芹沢銈介だ。
また柳や濱田は、1920年代から朝鮮半島、イギリス、スウェーデンを訪れるなど海外も旅して知見を深め、ものを集めた。展覧会中、彼らの活動は「ローカル/ナショナル/インターナショナル」と表現される。こうした姿勢は第二次世界大戦の最中も本質的には変わらなかった。やがて民藝の価値観はユニバーサル(普遍)へと至って日本に根づいていく。
『民藝の100年』で最も興味深いのは、1939年に『月刊民藝』に掲載されている「民藝運動の三本の柱」に注目した点だろう。その3つの柱とは、「美術館」(日本民藝館)、「出版」(会報誌『民藝』などの刊行物)、「流通」(たくみ工藝店というショップ)を指す。
従来の民藝に対する見方は、卓越した審美眼をもつ宗教哲学者で思想家の柳宗悦と、濱田庄司をはじめとする陶芸家や芸術家を中心に据え、その美意識と思想が各地へと伝播して実践に転じていくイメージが強かった。しかし「三本の柱」からは、民藝運動がその波及のあり方まで意図されたプロジェクトだったことがわかる。その姿を展覧会では「編集」と捉えているが、仕組みのデザインとして評することもできるだろう。
新しい価値観や美意識を打ち立てるだけでなく、出版や流通も積極的に行った例としては、民藝のひとつのルーツといえるイギリスのアーツ&クラフツ運動がよく知られるところだ。また作風は民藝と対照的だが、1919年に開校したドイツのバウハウスも、機関紙の発行や商業活動を行っていた。
民藝運動は、そんな世界的なデザインのムーブメントに比べて遜色ないほど、もの作りにかかわる人々の間で今なお創造の指針になっている。その影響力が約100年にわたり持続してきたのは驚くべきことだ。今回の展覧会により、民藝運動は「もの」に関してだけでなく、「こと」のデザインとしても省みられる機会が増えていくに違いない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8aa72e4561bd8d1d85a8938585f0a67e29eb7fd7

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ジャカルタからジャングルへ…インドネシア「首都移転狂騒曲」に潜む現実的な問題点

2022-01-29 | 先住民族関連
現代ビジネス1/28(金) 6:02配信
 インドネシアの国会は1月18日、首都を現在のジャカルタから北に約1200キロ離れたカリマンタン島の森林地帯に移す「首都移転プロジェクト」を承認する法案を可決、成立させた。
 国内の主要なマスコミは新首都建設を歓迎して「国民の夢の実現への第一歩」と肯定的に伝えているものの、一部メディアや法案に反対した野党、財界などから「巨額の新首都建設費用の手当の不透明性」「カリマンタン島の原生林、熱帯雨林を大規模に開発することに伴う“環境破壊問題”」「開発予定地に居住する住民対策の欠如」などを指摘され、もろ手を挙げて喜べる状況にはないと冷静な見方をしている。
 インドネシアの「首都移転狂騒曲」に潜む問題点を探る。
東南アジアでは2方式の首都移転
 首都の移転は、人口の集中やインフラ問題など様々な要素を理由として実施される。東南アジアでの首都移転は過去、「ミャンマー方式」「マレーシア方式」の2通りのパターンで実現されている。
 ミャンマーはかつての首都ヤンゴン(旧名ラングーン)から、2006年に当時の軍政が中部に新たに建設した都市ネピドーに移転させた。
 移転理由は軍政幹部が頼る占い師の「お告げ」によるとの説や、軍政に厳しい姿勢を表明していた米国の海軍艦艇によるアンダマン海マルタバン湾からのミサイル攻撃を危惧し、その射程外に移すという説が有力視されていたが、真相は不明だ。
 政府機能のほぼ全てをネピドーに移転し、政府職員も移転を余儀なくされたが、各国の大使館などは、ネピドーの不便さを嫌いヤンゴンを動いていないという現実がある。
 マレーシアは2001年に首都クアラルンプールから南約25キロのプタリンジャヤに大統領官邸、首相府、政府機関の大半を移転させた。国会議事堂はクアラルンプールにあり、各国大使館も移転していない。首都は依然としてクアラルンプールである。
 政府機能を“丸ごと移転”するミャンマー方式と、“一部移転”のマレーシア方式、2つの方法がある中で、インドネシアの首都移転構想は、その実現性はともかくとして、首都ジャカルタにある経済・金融関係を除くほぼ全ての政府機能を移転させる計画となっている。
先走る移転狂騒曲
 首都移転は国会での法案が成立したばかりとは言え、2019年にジョコ・ウィドド大統領が東カリマンタン州への首都移転方針を明らかにして以降、建設工事も着工する以前から様々なことが進んでいる。
 政府は当初、移転する中央省庁に勤務する約8000人の政府職員、公務員が新首都に移動することに伴う家族を含めた移動費(航空運賃、レンタカーなどの交通費、日当)などを全額負担することを明らかにしており、移転に対する優遇を公表している。
 新首都には公務員、軍兵士、警察官、その他の住民など、最終的な人口となる32万人のために住宅10万戸の建設も予定しており、移転を嫌う公務員への対策として優遇策が示されたといえる。
 建設予定地である東カリマンタン州北プナジャム・パスル県にはすでに「ようこそ新首都へ」と書かれたゲートだけがジャングルの中にポツンと立っているが、「ヌサンタラ(群島)」と命名された特別自治区となる新首都予定地には、著名彫刻家がデザインした大統領府、国会、各省庁、商業施設などの「イラスト」「青写真」が次々と公開され、ムードの盛り上げに一役買っている。
 その一方で、首都建設予定地周辺では地価が高騰し、不動産投機が過熱しているとの報道もある。東カリマンタン州の地方事務所などによると、新首都建設予定地周辺の地価が2019年の「建設発表」以前に比べて5~10倍に跳ね上がっているという。
 北プナジャム・パスル県では、かつて1ヘクタールあたり1~2億ルピアだった土地が、現在では10億ルピアになっているというのだ。一部報道はこうした現状を「砂糖に群がる蟻」と表現している。
熱帯雨林の大規模破壊の懸念も
 新首都「ヌサンタラ」は、これまで明らかになっている計画によると首都圏面積が25万6142ヘクタールに及び、中核となる政府関連地区は5万6180ヘクタールとなるとしている。
 政府は公有地が多く土地収用などの必要性が少ないとしているが、建設予定地の大半は熱帯雨林のジャングルで、そこには先祖代々住む少数民族の存在もある。
 インドネシアは2021年11月に英グラスゴーで開催された国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)で、2030年までに森林破壊をゼロとする共同声明にジョコ・ウィドド大統領が署名した。
 しかしその直後、インドネシアのシティ・ヌルバヤ・バカル環境林業相が「この目標は不適切で不公平であり、できない約束だ」と反論した。
 開発に森林破壊は避けて通れないというインドネシアの立場を内外に示した結果の反論だが、その念頭には大規模に森林を破壊せざるを得ない「新首都建設」があったとの見方が有力だ。この反論を、森林破壊をゼロにするという国際目標にインドネシアは与しない免罪符にしようとしているのだ。
 建設予定地の熱帯雨林にはダヤック族やパセ・バリク族などの少数民族が居住しており、先祖伝来の土地を守っている。
 報道によると、彼ら「先住民族」の人々は、土地の所有権を示す書類や登記などとは無縁の生活を続けてきており、政府による強制的な土地収用に抵抗する術がなく、居住地を追われる事態に直面しているといい、こうした問題への政府の真摯な取り組みが求められている。
国費で賄えない建設費用
 国会で可決成立した「新首都法」では、12条第1、2項で、新首都ヌサンタラを特別地方政府として従来の州や県とは異なる特別の地位、権限を付与するとしている。
 その特別権限として首都移転に伴う「準備・建設・移転」の経費に関して「サポートエリア建設などを支援する個人の投資、許認可、ビジネスに便宜、財務上などのインセンティブを与える」との権限を有するとしている。
 要するに、首都建設に関わる費用を負担する個人などに特別配慮をするというもので、費用負担に「付帯特権」を公然と与えることを示したものとして注目されている。
 こうした特権を公にしなければならない背景には、深刻な財政上の負担がある。
 開発に伴う財源に関しては、試算で466兆ルピア(約3兆7000億円)が少なくとも必要とされているが、財務省は国家予算だけだは賄えず官民、内外の投資に頼らざるを得ないとして不安を抱えているのが現状という。
 政府は首都建設に伴う財政負担に関しては、466兆ルピアのうち19%を政府が拠出し、残りを官民連携事業、民間投資で賄うとしている。
 新首都には主に政治機能に関わる省庁、機関の移転を予定しているが、金融関連機関やビジネス拠点など経済の中心は現状のままジャカルタに残すとしている。日系企業約1600社をはじめ各国企業が新首都への移転には消極的であり、各国大使館も現状ではジャカルタの残る可能性が高いという。
 こうした状況でどこまで内外の民間投資が集まるのか疑問視する声も出ており、投資への「特権付与」に期待せざるをえない側面があるといえる。
 一部メディアはこうした財政の裏付けがあいまいな状態で、首都移転が政府主導の「夢の実現」という楽観的ムードで進むことに警鐘を鳴らしている。
 首都移転に関する世論調査では、全国平均で約36%が「賛成」なのに対して、約40%が「反対」を表明している。さらにジャカルタ市民に限ると、約96%が「反対」との結果が報告されている。
大統領が「遷都」に踏み切った理由
 そもそもジョコ・ウィドド大統領が首都移転に踏み切った理由は、1)人口過密、2)それに伴う慢性的な交通渋滞、3)地下水汲み上げによる地盤沈下、4)地震、海面上昇、洪水などの自然災害、としている。
 ジャカルタは約1000万の人口を擁し、周辺の首都圏には3100万人が集中、しかも年々増加している。ジャカルタでは膨れ上がる人口に対する雇用機会が不十分で、その結果として失業者があふれる事態にもなっている。
 ジャカルタ中心部の主要道路や近郊の工業団地を結ぶ高速道路はどこも慢性的な渋滞が酷く、それによる経済損失は年間で約10兆ルピア(約8400億円)に上るとの試算もあるほどだ。
 上下水道の整備が遅れており、多くの住民が地下水を汲み上げて生活用水として利用するため、地盤沈下が深刻となっている。加えて地球温暖化に伴う海面上昇もあり、ジャカルタ北部では慢性的な洪水、海水流入という事態が続いており、現状では2055年までに水没する世界で初めての都市になるとさえいわれている。
 日本と同じく火山国であるインドネシア。ジャカルタ周辺に活発な活火山はないものの、ジャワ島には常に噴煙を上げている活火山が多く存在し、地震に襲われることもある。
 1月14日にはジャカルタ西方のバンテン州でマグニチュード6.6の地震が発生、家屋倒壊などの被害が確認され、ジャカルタも大きく揺れた。
 こうしたもろもろの理由を背景からジョコ・ウィドド大統領は「遷都」に踏み切ったという。
次期大統領の重要な「踏み絵」に
 新首都建設構想を発表し、積極的にこの国家的大プロジェクトを推進している政権2期目のジョコ・ウィドド大統領だが、その任期は2024年までであり、規定により3期目には立候補できない。
 このため2024年の大統領選で選ばれる新大統領がこの遷都構想を継承するのか、一部移転に変更するのか、はたまた中断するのかが今後の焦点となる。
 現在ジャカルタでは中心部で都市高速鉄道(MRT)の延伸工事が進んでいる。このほかにも軽量高架鉄道(LRT)や近郊の工業団地を結ぶ高速道路の改良、そして日本を袖にして中国が受注して建設が進むジャカルタ~バンドンの高速鉄道、国内線が主体のハリム空港の改修工事など大規模インフラ整備が進行中である。
 こうした現状から首都移転には「ジャカルタの都市機能拡充との整合性がない」「地盤沈下や海面上昇、洪水、渋滞などジャカルタが直面する諸問題の解決から逃げようとしている」などの批判が起きていることも事実だ。
 次期大統領選挙に名前が取りざたされている人物の中には、ジャカルタ首都圏でもある西ジャワ州のリドワン・カミル知事や、首都ジャカルタ特別州のアニス・バスウェダン州知事も含まれている。
 これまで「地元」として開発や整備に尽力してきた首都や首都圏から新首都建設にシフトすることができるのか、有権者がそれを許すのか、などを含め次期大統領にとって首都移転問題は一つの「踏み絵」になるのは間違いない。
大塚 智彦(PanAsiaNews記者)
https://news.yahoo.co.jp/articles/64b0fd63bb62e4fa381b92e223ee623534cc21d1?page=1

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白老東高3年生、地域学の成果発表 制作した動画披露 アイヌ文化や商店街をPR

2022-01-29 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2022/1/28配信
 白老東高校(高野隆広校長)の3年生22人が地域のアイヌ文化や商店街について学び、発信する授業「地域学」の成果を25日、同校で発表した。地元経済・商業の関係団体代表らを招いた会場で、生徒は制作したアイヌ文化や大町商店街のPR動画を披露し、白…
この続き:578文字
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https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/68504/

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エジプトのミイラを包んでいた布(リネン)には大量の文字が書き込まれていた

2022-01-29 | 先住民族関連
カラパイア2022年1月28日 22:00

 1798年、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がエジプトで軍事作戦を開始した。このとき、兵士や軍関係者だけでなく、サヴァンと呼ばれる学者や科学者などが大勢帯同させられた。
 戦争に巻き込まれたこうした学者たちが、ヨーロッパ人の古代エジプトへの関心を煽り、エジプトマニアを生み出す結果になった。
 やがて、古代エジプトの遺物、像やパピルス、ミイラまでもが、ナイルをさかのぼり、ヨーロッパの美術館に輸出されるようになった。
 こうして送られた多数のミイラのうち、とくに興味深いミイラがあった。そのミイラを包んでいたリネンには大量の文字が書かれていたのだ。
 このミイラを包むリネンは「ライバー・リンテウス」(ラテン語で"リネンの本")として有名になった。現在、クロアチアのザグレブ考古学博物館に所蔵されている。
お土産としてヨーロッパに持ち込まれた女性のミイラ 1848年、ハンガリー王室大使館事務局ののクロアチア人職員であるミハイロ・バーリは、職を辞して、旅に出た。
 エジプト、アレキサンドリアにいたとき、バーリはなにか土産を買おうと思い立って、女性のミイラが納められた石棺を購入した。
 ウィーンの自宅に戻ると、バーリは居間の隅にこのミイラを直立の状態で置いた。ミイラを包んでいたリネンの包帯は取り外し、別のガラスケースの中に入れて展示した。
1859年、バーリが亡くなると、スラヴォニアの司祭だった弟のイリヤがミイラを受け継いだ。
 イリアはミイラには興味がなかったため、1867年にクロアチア、スラヴォニア、ダルマチアの研究機関(現在は、ザグレブ考古学博物館として知られている)にリネンもろとも寄贈した。
 この時点では、誰もミイラを包んでいたこのリネンに文字が書かれていることに気がつかなかった。
リネンに書かれた大量の文字「ライバー・リンテウス」 1867年、ドイツのエジプト学者ハインリッヒ・ブリュッシュがミイラを調べて、初めて文字に気がついた。エジプトの象形文字に違いないと考えたが、ブリュッシュはそれ以上、詳しくは調べなかった。
 それから10年後、ブリュッシュは友人のイギリス人探検家、リチャード・バートンと話す機会があった。
 ルーン文字のことに話題が及んだとき、ブリュッシュは、ミイラのリネンに書かれていた文字は、エジプトの象形文字ではないことに気がついた。
 文字がなにか重要なものかもしれないことには気づいたが、ふたりはエジプトの死者の書をアラビア語に書き直したものであると誤解した。
 1891年、ライバー・リンテウスは、ウィーンに送られ、コプト語の専門家ヤコブ・クラルによって、徹底的に調べられた。
 最初、クラルは書かれている言語は、コプト語、カリア語、リビア語ではないかと考えたが、よくよく調べてみると、エトルリア語で書かれていることが判明した。
 エトルリア語は、イタリア半島の先住民族、エトルリア人が使用していた言語だ。
 だが、リネンの断片を適切な順番に並べ直してみても、文章をちゃんと翻訳することはできなかった。
ミイラを包んでいたリネン、ライバー・リンテウスにはエトルリア語が書かれて
いた / image credit:public domain/wikimediaなぜ、エジプトミイラにエトルリア語が書かれていたのか? ほとんど文字が残されていないため、今日でさえ、エトルリア語は完全に理解されていない。それでも、このリネンに書かれている文字からライバー・リンテウスを示す特定の言葉をいくつか拾うことができた。
 文章全体から見つかる日付や神々の名前をベースにすると、ライバー・リンテウスはどうやら宗教的な暦だったと考えられる。
 しかし、エトルリアの儀式の書が、エジプトのミイラとなんの関係があるのだろう?
 このミイラはおそらく、紀元前3世紀ごろ(ライダー・リンテウスはこの時代にさかのぼるものであることから)、ローマに併合されたエトルリアからエジプトに逃げてきた裕福なエトルリア人ではないかという説がある。
 エジプトで亡くなった、ほかの裕福な外国人と同じように、この若い女性も埋葬前に防腐処理されたののだろう。
 ライバー・リンテウスの存在は、エトルリア人の埋葬習慣の一部として、死者のための記念だと説明できるかもしれない。だが、大きな問題は、ミイラと共に埋葬されていたパピルスの巻物の断片だ。
 その巻物によると、死者はネシ・ヘンスという名のエジプト人女性で、神に仕えるテーベの仕立て屋パヘル・ヘンスの妻だという。
 よって、エトルリア語が書かれたライバー・リンテウスとミイラ本人であるネシ・ヘンスは無関係のようで、この女性を黄泉の国へ送る準備をするのに、エンバーミング(遺体防腐処理)を行った職人がこのリネンしか手に入れることができなかったのではないかと思われる。
 こうした歴史の偶然から、ライバー・リンテウスは、現存するエトルリア語の最古のテキストとして知られるようになったというわけだ。
References:The Liber Linteus: An Egyptian Mummy Wrapped in a Cryptic Message / written by konohazuku / edited by parumo
https://www.excite.co.jp/news/article/Karapaia_52309785/

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国旗のデザインを変更するべきか? 議論が過熱するオーストラリア

2022-01-29 | 先住民族関連
ワールドボイス 2022/01/28
英国旗であるユニオンジャックと南十字星、7つの角がある七稜星が配されたオーストラリア国旗。(Credit:baona-iStock)
1月26日は「オーストラリア・デー」という、日本で言うところの「建国記念日」に当たる祝日だった。近年、このオーストラリア・デーの「お祝いムード」には、陰りが見えている。その理由は、昨年、書いたコラム「建国記念日は、侵略の日か?オーストラリア・デーの苦悩」をお読みいただければと思うが、手短にまとめると以下のような感じだ。
英国の植民地としたこの日は、先住民の人々にとっては、「侵略された日」といえるのではないか―
今年は、先出のコラムにも書いた「先住民の男性4人が、連邦議会前にThe Aboriginal Tent Embassy(先住民大使館)を建てて抗議した日」から、ちょうど50周年に当たることから、豪国内主要都市で大規模なデモ行進が行われた。(参照)
また、オーストラリア・デーに先駆けた25日には、先住民の旗(アボリジナル国旗)の著作権を連邦政府が2千万豪ドル(約16.2憶円)で買い取り、オーストラリア人なら誰でも自由に使えるように、公に解放すると発表された。(参照)
「建国記念日」には付きものの「国旗」だが、これに合わせるように、著名コラムニストのピーター・フィッツシモンズ氏が、自身のツイッター上で、「オーストラリア国旗のデザイン変更に関する議論」を展開。これをメディアが取り上げるなどして、大いに白熱したやり取りが行われた。(参照)
オーストラリアにおける国旗のデザイン変更に関する話題は、1988年の建国200周年を迎える直前からあったようだが、とくに活発に議論されるようになったのは、1900年代に入ってから。なかでも、1991年に第24代首相となった労働党のポール・キーティング氏が、彼の政権下で公に提起するなどして、度々、議論されてきたこの国の根幹に関わる課題だ。
新しい国旗が必要だという意見と、今のままで良いという意見が対立
新しい国旗が必要だとする意見で、最も多いのが、ニュージーランド国旗とビクトリア州旗に似通い過ぎている、というものだ。
英連邦の国々には、ユニオンジャックと呼ばれる英国旗をあしらった国旗を持つ国が数多くあるが、大半の人がとくに困惑するのは、ニュージーランドの国旗とそっくり!ということではないだろうか。

左がニュージーランド国旗、右がオーストラリア国旗。この画像ではクロスさせているため、ニュージーランド国旗が反転しているが、実際は、ユニオンジャックの位置がオーストラリアと同じく左上となる。違いは南十字星の色。そして、オーストラリア国旗には、南十字星の5つ目の小さな星とユニオンジャックの下に6州と特別地域から成り立つ連邦国家を表す七稜星が描かれている。(Credit:studiocasper-iStock)
もうひとつ、近年、国旗のデザイン変更を支持する意見の中心となっているのが、オーストラリア・デーへの反発と同じく、先住民の人々の感情に配慮したものだ。
現在のユニオンジャックが配されたデザインは、オーストラリアの歴史の中で、「先住民の権利が見過ごされていた時代の、没収と抑圧を象徴するものである」と言う見解への賛同が、年々大きくなっている。
今年は、コラムニストのフィッツシモンズ氏の試みに呼応するように、オーストラリア国立大学の国際安全保障とインテリジェンス研究を専門とするジョン・ブラックスランド教授も自身のツイッターで新しい国旗のデザイン案を披露した。
ユニオンジャックに代わって、そこに描かれているのは、豪先住民族の伝統民具であるブーメラン。現在の国旗にあしらわれている南十字星と青色のデザインを生かしつつ、豪先住民のアボリジナル国旗のカラーを配したものになっている。
こうした声の高まりにつれて、度々、国旗のデザイン変更に関する話題が取り上げられてきたが、なかには、馴染みのあるデザインに対する愛着や使用されてきた歴史を鑑み、「変えたくない、今のままで良い」という人が大勢いるのも事実。オーストラリア国旗協会は、そうした「現在の旗を維持しよう」という声を代表している団体のひとつだ。
果たして、この「国旗のデザイン変更」問題は、どういう解決を見るのだろうか。個人的には、ニュージーランドの国旗と似ていて紛らわしいので、変更したらいいのではないかと思っているけれど...
オーストラリアが抱える内在的な問題を平和的に解決できる日は、もうすぐそこまで来ているのだろうか...それとも、まだまだ遠くで足踏みをしているのだろうか...?〈了〉
https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/hirano/2022/01/post-42.php

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詩人マヤ・アンジェロウが米硬貨に 貨幣に女性の姿が必要な理由

2022-01-29 | 先住民族関連
Forbes JAPAN1/28(金) 8:00配信
詩人で活動家の故マヤ・アンジェロウが、米国の25セント硬貨のデザインに採用された初の黒人女性となった。米造幣局は今月、傑出した米国人女性をたたえる新たな25セント硬貨を年間で最大5種類発行すると発表した。
詩人マヤ・アンジェロウ(Getty Images)(フォーブス ジャパン編集部)
これは、ようやくといったところだ。米国の硬貨には長年の間、女性が使用されておらず、リーダーになれるのはどんな人物なのかについて子どもたちの中に強いイメージを植え付けていた。
今年の25セント硬貨のデザインとして選ばれた女性にはアンジェロウの他、宇宙に行った初の米国人女性サリー・ライド博士、先住民族チェロキー初の女性首長であるウィルマ・マンキラー、ニューメキシコ州の婦人参政権運動を率いたニナ・オテロウォーレン、中国系米国人初の映画スター、アンナ・メイ・ウォンがいる。
5人の肖像は硬貨の裏側に使用され、表側にはジョージ・ワシントンのデザインが残される。米造幣局が現行の流通貨幣とみなす硬貨の中で、表側に女性がデザインされているものはない。過去には、婦人参政権活動家のスーザン・B・アンソニーが主なデザインに採用された1ドル銀貨が1979年に発行されたり、探検隊を先導した先住民女性サカガウィアの1ドル硬貨も製造されたりしたこともあった。2003年には、ヘレン・ケラーの25セント硬貨が発行された。
米ドル紙幣のデザインに使用されているのは男性のみだ。米財務省はオバマ政権時代、20ドル札に使用されているアンドルー・ジャクソン元大統領を奴隷解放運動家のハリエット・タブマンに変える決断を下したものの、トランプ政権下になると、偽造の懸念により発行が遅延。現在は2030年の発行が予定されている。
現在の米紙幣は1ドル札から100ドル札まで、白人男性の肖像ばかりが使用されている。結果、子どもたちは紙幣では白人男性のみ、硬貨ではほぼ男性の顔を目にしている。これは、米国の価値観や優先事項、男の子や女の子に対する期待に関し、強いメッセージを送るものだ。
子どもの頭に生まれる「ジェンダースキーマ」
硬貨で目にする顔は、私たちが男女について、また自分自身についてどのように考えるかを実質的に左右する。社会心理学では、子ども(や大人)は「ジェンダースキーマ」と呼ばれる精神構造を持ち、これを使って周囲の情報をジェンダーのカテゴリーに応じて整理していると考えられている。
ジェンダースキーマは、自分のジェンダーにとって適切な振る舞いを見極める上で基準となる。子どもは、非常に幼いうちから周囲の情報を使いジェンダースキーマの形成を始める。硬貨からは、「リーダーは白人男性である」というメッセージを受け取り、男性に関するジェンダースキーマにリーダーシップが加わる。
子どもはこの情報を内面化し、学齢期になる頃には、将来の職業についての夢を考える上で、ジェンダーが最も強力な決定要素となる。女の子は、優雅さが必要なバレリーナなどのキャリアや、獣医や教師など人を助けるキャリアを目指すことが多い。
25セント硬貨の裏側に女性を載せることは素晴らしいスタートだが、より多くの変化が必要なのは明らかだ。タブマンが20ドル札の表面に現れる2030年の時点で、いまだに通貨を持ち歩く人がどれだけいるかは分からない。
バイデン大統領は数カ月前、男女平等達成に向けた米国初の国家戦略を発表。国内外で男女平等を達成するための複雑な目標を打ち出したが、貨幣の変更については一切言及がなかった。貨幣のデザインにおける不平等のような、非常にあからさまで毎日目にするジェンダーの偏見は見過ごされがちだ。残念ながら、こうした不平等を正すまでは、女性が男性と同じ位置に立つことはないだろう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b1b852827f54f489efbf7fe75f27495ab3ca651c

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何気ない言葉に隠れた”無意識の差別”を解説する、マイクロアグレッション辞典

2022-01-29 | 先住民族関連
IDEAS FOR GOOD1月 28, 2022
「マイクロアグレッション」という言葉をご存じだろうか。
「小さな攻撃性」や「微細な攻撃」と訳されるマイクロアグレッションは、人と関わるとき、相手を差別したり、傷つけたりする意図はないのに、相手の心にちょっとした影をおとすような言動や行動をしてしまうことを意味する。
例えば、「LGBTQなの?見えない!意外!すごくまともに見える」といった、LGBTQがまともではないと認識しているような言い方や、「〇〇さんは韓国人だからキムチ常備してるんでしょ?(笑)」といった文化的ステレオタイプなどがそれにあたる。
上記の例のように、マイクロアグレッションはさりげない偏見や無意識の思い込みに基づいている。「もしかしたら自分も、何気ない発言で誰かを傷つけていたかも」とはっとした人もいるかもしれない。
どういった発言がマイクロアグレッションにあたるのか?それを知りたい人におすすめなのが、マイクロアグレッションのオンライン辞書「マイクロペディア」である。
これはカナダのトロントで立ち上がったオンラインユーザー参加型の辞書で、クラウドファンディングで運営されている。ユーザー自身がマイクロアグレッションとされる用語やフレーズ、形容詞と、それらの解説を追加していくのが特徴だ。
このオンライン辞書の目的は、これらのフレーズが使われるシチュエーションや、なぜそれがマイクロアグレッションとなるのかという情報を提供することで、マイクロアグレッションとなるフレーズの認知を高めることだ。
マイクロペディア上のフレーズは、「LGBTQ/年齢/階級/障がい/民族性/ジェンダー/先住民族/人種/宗教」の項目にカテゴライズされており、各フレーズは、そのフレーズがなぜマイクロアグレッションにあたるのか解説されている。
ここでいくつかフレーズとその解説を紹介したい。
I couldn’t tell you were gay/あなたがゲイだったとは気づかなかったよ
ーLGBTQ+カテゴリー
解説:このフレーズは、「ゲイの人はみんな、ゲイであることがわかりやすい共通の見た目をしている」と認識していることを示す。ゲイの人が個人であることを認めていない。その人がゲイであるかどうかを知る唯一の手段は、本人が打ち明けた時である。特徴やその他の方法でその人がゲイであるということを指し示すものはない。
You’re pretty for a Black girl/黒人の女の子にしてはかわいいね
ー人種カテゴリー
解説:このフレーズは、「美しさのスタンダードは黒人ではないと認識している」ことを示す。黒人女性に対して「黒人は本来的に魅力的ではないが、彼女は例外である」と伝えている。例えそれが褒め言葉だったとしても、黒人女性が魅力的であるという事実が驚きであったことを表現してしまっているため、攻撃的である。この言葉を聞いた黒人女性は、自身の美しさに疑問を持ってしまい、「美しさのスタンダードは黒くない肌や特徴である」という概念を持ち続けてしまう。このフレーズは黒人女性に限った話ではなく、他の全てのジェンダーの非白人の人々が経験する可能性があることである。
いかがだっただろうか?何気ない一言の裏に潜む「無意識の偏見」が言語化されており、フレーズのどのような点が相手を傷つけるのかがきちんと可視化されているのがわかる。
これまで受けたマイクロアグレッションの意味を調べるのはもちろん、これから誰かを無意識に傷つけないようにこの辞書を活用してみてはいかがだろうか。
【参考サイト】The Micropedia
【参照サイト】The Micropedia of Microaggressions launches to shed light on a subtle but commonly experienced form of discrimination
【関連ページ】マイクロアグレッション
https://ideasforgood.jp/2022/01/28/micropedia/

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ゴールデンカムイ:テレビアニメ第3期、OAD第1、2弾が配信

2022-01-29 | アイヌ民族関連
MANTANWEB2022/01/28 12:00

「ゴールデンカムイ」のOAD第1、2弾のビジュアル(C)野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会(MANTANWEB)
 「週刊ヤングジャンプ」(集英社)で連載中の野田サトルさんのマンガが原作のアニメ「ゴールデンカムイ」のテレビアニメ第3期、OAD(オリジナルアニメDVD)第1、2弾が、Amazon Prime Video、Netflix、FODほかで配信されることが分かった。1月28日正午から順次、配信される。
 「ゴールデンカムイ」は、2014年から「週刊ヤングジャンプ」で連載中のマンガ。かつて日露戦争で活躍した“不死身の杉元”が、北海道で死刑囚が隠した埋蔵金の手掛かりをつかみ、アイヌの少女らと共に冒険を繰り広げる姿を描いている。
 テレビアニメ第1期が2018年4〜6月、第2期が同年10〜12月、第3期が2020年10〜12月に放送された。第4期が制作されることも話題になっている。第1〜3期は、難波日登志さんが監督を務め、ジェノスタジオが制作したが、第4期は、すがはらしずたかさんがチーフディレクターを務め、ブレインズ・ベースが制作する。
https://news.goo.ne.jp/article/mantan/entertainment/mantan-20220127dog00m200059000c.html

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