和歌山の御朱印巡り後半は和歌浦近辺の神社から。
和歌浦は万葉の頃からの景勝地で、当時は海にいくつもの小島が浮かんでいたそうです。現在付近の多くは陸地化され住宅地になっているところもあります。
国道42号で和歌川を渡り見えてくる小さな丘が「玉津島」で、この麓に
玉津島神社があります。

創建年は不詳ですが聖武天皇の頃には既にあったとされています。当時は玉津島自体がご神体とされていたようですが、17世紀に紀州徳川家初代の徳川頼宣によって社殿が整備され現在に至っています。

社務所で御朱印をお願いすると「その間に鹽竈神社もお参りしてはどうですか」とのこと。すぐ海側の岩山の下にあります。

遠浅のこの一帯ではかつて製塩が行われており、製塩の神様として祀られたようです。

1917年に玉津島神社から独立する形で神社となっており、現在も玉津島神社が管理しています。自然に開いた洞穴の中が神殿で、中にご神体が祀られている祠があります。安産の神様として信仰を集めているようです。
お参りを済ませて玉津島神社の社務所で御朱印帳を受け取りました。

こちらが玉津島神社の御朱印です。

こちらが鹽竈神社の御朱印です。
神職さんと話をしたら昨年の台風で屋根が飛ばされたり鹽竈神社の社殿が浸水するなどの被害が出たそうです。
このまま川沿いに進むと和歌浦小学校があり、そのお隣が
紀州東照宮です。

1621年に徳川家康を祀る神社として紀州徳川家初代の徳川頼宣が創建、のちに頼宣も合祀されています。本殿などが重要文化財に指定されています。

・・・また階段ですか?かなりハードな階段です。

上り詰めたところに本殿があります。小さいながら上野の東照宮に似た本殿があります。

なぜか脇には砲弾が。戦前に戦勝のお礼として奉納したものだと思われます。九州の神社ではよく見かけますが関西では珍しいかも知れません。

紀州東照宮の御朱印です。

帰りは「
ユルイ坂」を選びました。距離はかかりますが確かに楽でした。
東照宮のお隣が
和歌浦天満宮です。10世紀に橘直幹が菅原道真の霊を祀ったのが始まりとされています。

道真が太宰府に流される際に漁民が船の綱を円座にしてもてなした、とされていますが、同じ故事が先日お参りした神戸(須磨)の綱敷天満宮にも伝わっています。
須磨に綱敷天満宮、曽根(高砂市)に曽根天満宮があるため、太宰府に向かった道真一行が須磨-明石海峡-曽根と瀬戸内海の山陽沿岸を伝って西に向かったと考えることができますが、和歌浦の場合は紀淡海峡や鳴門海峡で淡路島の南を通過することになります。その先の岡山・香川にある大きな天満宮は香川県綾歌町にある滝宮天満宮ですが、こちらは道真が讃岐の国司(886-890年)であった縁ですので太宰府への左遷とは関係ないそうです。道真が明石海峡か紀淡海峡のどっちを通ったのかはっきりしませんが、ひょっとしたら和歌浦を通ったのは讃岐への赴任の際だったのかも知れませんね。
・・・また階段ですか?

そうします。

楽な方の参道で本殿に到着。17世紀に浅野幸長が再建しており、こちらも重要文化財に指定されています。

和歌浦天満宮の御朱印です。

門からはこんな絶景が見えました。
さすがに山登り3本はきついので帰りはバスでJR和歌山駅に向かいました。
天王寺で内回りに乗り換えて京橋で一杯。刺身も串カツも焼肉も何でもあるのが京橋です。

アテはクジラの刺身です。IWCに何と言われようと食べちゃいましょう。
それでは今回の御朱印情報です(特記ないものは朱印料300円)
粉河寺 2種を本堂納経所で、1種を特別公開の授与所で授与。この他産土神社ほか3種の書き置き御朱印あり。
紀三井寺 2種を本堂納経所で授与。他に塔頭2院で計4種の書き置き御朱印あり。オリジナル御朱印帳あり。
玉津島神社 1種を社務所で授与。
鹽竈神社 1種を玉津島神社の社務所で授与。
紀州東照宮 1種を社務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
和歌浦天満宮 1種を社務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。