JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

亀戸御朱印巡り④

2025-01-14 | 御朱印めぐり
亀戸周辺の御朱印巡りの続きです。

亀戸天神社から北に歩くと龍眼寺があります。

1395年に良博大和尚が創建した天台宗の寺院です。もとは柳源寺を名乗っていましたが、寺の湧き水で目を洗うと眼病が治るとして信仰を集め「龍眼寺」と改名しています。

「萩寺」としても知られ、秋には萩の花を観賞できるそうです。

龍眼寺の御朱印です。


龍眼寺から少し歩くと押上駅です。引き上げましょう。

半蔵門線に乗りましたので、水天宮前で降りて「玉ひで」の親子丼にします。現在「玉ひで」は建て替え中で、人形町駅の出入口近くに親子丼のみのテイクアウト兼イートインの小さな仮店舗を出しています。

シンプルに鶏肉と卵だけ。余計な物がなにもないけど美味しいです。


今回の御朱印情報です。
稲毛神社   1種を社務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
中山法華経寺 2種を寺務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
東覚寺    3種を寺務所で授与。
亀戸香取神社 1種を社務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
亀戸天神社  1種を授与所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
龍眼寺    2種を寺務所で授与。

亀戸周辺もなかなか面白いので歩いてみることをオススメします。
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亀戸御朱印巡り③

2025-01-12 | 御朱印めぐり
亀戸周辺の御朱印巡りの続きです。東覚寺のすぐ近くに亀戸香取神社があります。

665年に藤原鎌足がこの地に太刀を納め、香取神宮を分霊したのが創建とされます。その後藤原秀郷が平将門討伐の戦勝祈願をし、見事討ち取ったことから弓矢を奉納し、以後頼朝や家康などからも崇敬を集めました。

近年はスポーツの神として金メダリストなどのサイン色紙が並んでいます。

亀戸香取神社の御朱印です。


さらに歩くと亀戸天神社があります。

1662年に菅原道真の末裔で太宰府天満宮の神官であった菅原大鳥居信祐が天神信仰を東国に広めるために創建しました。社殿や太鼓橋などは太宰府と同じように造営されています。ただし現在の太宰府天満宮の社殿とは太宰府側が新社殿にしたため大きく異なっています。

亀戸天神社の御朱印です。

亀戸天神社といえば門前の名物が「船橋屋のくず餅」です。

1805年に千葉の船橋出身であった初代勘助が創業、当時船橋で小麦の栽培が盛んだったことから、小麦粉を時間をかけて乳酸発酵させ蒸し上げた菓子を「くず餅」として売り出したものです。くず餅は関西に多い葛粉を使った葛餅とは異なるもので、川崎大師や池上本門寺でも門前の名物となっています。
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亀戸御朱印巡り②

2025-01-11 | 御朱印めぐり
亀戸御朱印巡りの続きです。

翌日はまず亀戸を通り越して下総中山駅まで。

中山と言えば中山競馬場がありますが、日蓮宗の大本山・中山法華経寺があります。日蓮は1260年に鎌倉松葉ヶ谷の庵を焼き討ちに遭い、下総の富木常忍や大田乗明が中山に保護し造営された法華堂を創建としています。日蓮没後の1282年に富木常忍は出家し法花寺を創建、大田乗明の子である日高が本妙寺を創建し、1545年に両者が合併し法華経寺となります。1946年に日蓮宗を離脱し「中山妙宗」を名乗るものの1972年に復帰しています。

中山法華経寺は中山門流(日蓮宗内の派の一つ)の中心であり、毎年11月から100日間の荒行を行っています。1日7回の水行など厳しい荒行でして日蓮宗の他の門流のお坊さんからも一目置かれるそうです。

その一方で一般には鬼子母神のお寺として知られます。

寺務所もこちらの鬼子母神堂に入っています。

中山法華経寺の御首題です。


それでは亀戸に戻りましょう。

亀戸駅から少し歩いて東覚寺です。

1531年に玄覚法印によって創建された真言宗智山派のお寺です。元は「亀戸不動」として親しまれていましたが、1901年に猿江の覚王寺を合併し本尊を不動尊から大日如来に変更したそうです。

東覚寺の御朱印です。

さらに続きます。
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亀戸御朱印巡り①

2025-01-10 | 御朱印めぐり
細々と続けている東京の御朱印巡り、今回は江東区の亀戸周辺です。

亀戸は元々亀のような形をした島であったそうで、その後周囲の川から土砂が運ばれて陸続きとなったことから標高が低く比較的平坦な地形です。江戸の東の外れとされ、亀戸天神から東は田畑になっていたとされます。関東大震災以降は宅地と工場が混在する下町になりました。

亀戸の前にいくつか回りましたので合わせてご紹介します。


まずは川崎から。この日「かわさき市民祭り」が川崎競輪場付近で開催されており、川崎の友好都市となっている那覇市の物産を展示販売するスペースに元「泡盛倉庫」の比嘉さんご夫妻が出店されるとのことで顔を出してきました。まさかの偶然でした。

JRよりも京急が近いので京急川崎まで。

川崎駅から競輪場への道すがらに稲毛神社があります。

創建ははっきりしませんが、ご神木が1,000年以上とされておりそれ以前からあったとされます。6世紀に欽明天皇が東征の際に祈願したともされています。鎌倉時代に佐々木高綱が頼朝の命を受けて社殿を造営、「河崎の山王」として信仰を集めていました。その後明治中期に「稲毛神社」に改名しています。

稲毛神社の御朱印です。

それでは「かわさき市民祭り」へ。

工業地帯である川崎は横浜の鶴見区と並んで労働力として沖縄県出身者が多くおり、その縁で1996年に友好都市となっています。ずっとお世話になった「じんじん」の知念さんも川崎でお店を開いていたそうです。

今回はそういった経緯から那覇のお酒を持ってきたとのことで、お任せで頼んでみます。当日は寒い日で沖縄の比嘉さんご夫妻にはかなり大変だったようです。気温が低いので持ってきたロックアイスが全然溶けなかったそうです。

この日は「太平」をハイボール、「春雨」を水割り、「瑞穂」のラムをお湯割りで出してくれました。瑞穂のラムは青リンゴの香りが立って面白かったです。一応全部那覇の酒ですがマニアックですねhi


続きます。
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大覚寺・曇華院門跡御朱印巡り

2025-01-06 | 御朱印めぐり
京都古文化保存協会の「第60回京都非公開文化財特別公開」に行ってきました。

京都古文化保存協会の特別公開は2022年10月に職員の運転する車があろうことか東福寺のトイレ(重要文化財)に突っ込んで破壊する事故を起こし東福寺との関係が悪化、以降公開箇所が減少するなどの影響が出ています。

今回は京都市内および周辺で17ヵ所、丹後で11ヵ所と盛り返してきています。このうち京都市内では山科区の阿弥陀寺と元慶寺が初公開です。さらにほとんど公開実績のない右京区の曇華院門跡も公開されます。


回ることのできる日の制約で曇華院門跡に絞って拝観しましょう。周辺で未紹介の大覚寺も合わせて回ってみます。

振り出しはJR嵯峨嵐山駅から。駅の北口から丸太町通りに出ると大覚寺行きのバス停があります。

大覚寺の門前にある駐車場にバスの転回場があります。

大覚寺は876年に淳和天皇の皇后である正子内親王が創建した真言宗大覚寺派の大本山です。この地は嵯峨天皇の離宮があった場所で、1307年に後宇多天皇が出家し法皇となると大覚寺に御所を構えて院政を行い、以後の大覚寺統(南朝)のはじまりとなりますが、後深草上皇の持明院統(北朝)と対立、足利義満の調停が行われるまで対立します。

その後応仁の乱で焼失、復興を果たすのは17世紀前半までかかります。

大覚寺は伽藍のみの拝観か大沢池もセットの拝観かに分かれています。

大沢池まで行かなくてもこんな感じで見ることができます。

大覚寺の御朱印です。拝観受付で御朱印帳を預けると直書きしてくれます。忘れた場合は本堂にあたる五大堂で書き置きをもらうこともできます。


バスで嵯峨嵐山駅に戻り、少し歩くと鹿王院の西隣に曇華院門跡があります。公開実績があるのかさえ分からない程のレアなお寺になります。

1380年に足利義満の祖母にあたる智泉聖通尼が三条東洞院に通玄寺として開いた臨済宗の寺院です。その後1385年に通玄寺の塔頭として曇華庵が創建されます。通玄寺は京都尼五山の三位に列せられますが応仁の乱で焼失、その後曇華庵が通玄寺を吸収する形で曇華院となります。

以降皇女が寺に入り門跡寺院として代をつなぎますが、幕末の1864年に禁門の変からの大火で焼失、仮殿を再建するものの1871年に京都府庁から移転を命じられ現在地に移転しています。現在は旧華族の千種家から住職が入られています。門跡寺院は檀家がないために隣の幼稚園の経営を行っていますがそれだけでは寺の維持が難しく、今回の特別公開に至った模様です。

中は写真撮影禁止でした。源氏物語の貝合せや錦絵などを公開しています。元々皇女の持ち物であったために手の込んだ御物ばかりです。

曇華院門跡の御朱印です。


今回はここまで。
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浄土宗京都教区の寺院大公開に行ってきました②

2024-12-10 | 御朱印めぐり
浄土宗京都教区の寺院大公開レポートの続きです。今年は上鳥羽中心です。


西高瀬川を渡って宝樹院へ。

宝樹院は1573年に貞譽知泉大徳が上鳥羽塔ノ森江川町に創建しています。その後1886年に周囲にあった長壽庵・永願寺・西福寺・念佛寺と合併しています。しかしながら1970年に京都市の下水処理場建設のため立ち退くことになり、現在の上鳥羽山ノ本町に移転しています。

この経緯から本堂には5体の阿弥陀如来像が並んでいます。まさに阿弥陀クインテットです。撮影禁止なのでご紹介できませんが、座像もあれば立像もあり、一見して作られた年代もバラバラであることが分かります。ご住職によると今後調査をお願いする計画があるとのことです。

宝樹院の御朱印です。金樹寺と同じもので、寺号のところなどが違っていますね。


バスで東寺南門まで戻ります。西門の方に歩いてゆくと「巴屋」があります。

あんこときなこの2種類のおはぎを売っています(150円)。まさに「ちょうどいい」おはぎでして、柔らかさも甘さも絶妙です。個人的に今西軒より好みです。

ここのところ「さいちのおはぎ」とか「ダイイチのおはぎ」とかを食べていたので京都の洗練された美味しさを改めて感じました(もちろんさいちもダイイチも大好きですが)。

締めは「ミスター・ギョーザ」。アントニオ猪木を思い起こさせるキャラクターでおなじみです。

旨いのよ。くどくないし。大満足です。


今年の特別大公開はここまで。上鳥羽界隈は用事がない限り行くことのないエリアで、私も初めてになりました。興味深かったです。
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浄土宗京都教区の寺院大公開に行ってきました①

2024-12-09 | 御朱印めぐり
毎年恒例の浄土宗京都教区の寺院大公開に今年も行ってきました。

この寺院大公開は総本山の知恩院だけでなく、街中の小さな檀那寺も対象となっており、普段拝観できないお寺もお参りできます。合わせて御朱印の有無も公開しており興味深いイベントです。

一方で近年檀那寺の多くは公開期間が非常に短くなっており、中には期間中公開日は1日だけ、それも僅か2時間というお寺もあります。公開日と時間を確認しながら計画を立てる必要があります。


今回は南区の上鳥羽周辺のお寺を回ってみたいと思います。上鳥羽はJR京都駅の南にあたるエリアで、東の鴨川・西の桂川・南の巨椋池に囲まれたエリアです。平安末期には白河上皇の鳥羽殿(今の城南宮)が置かれ、鎌倉以降は西園寺家の荘園となっていました。1918年に一部が京都市に編入され、下京区→南区となっています。一帯は名神高速の京都南ICに近く、物流関係の企業が多くなっています。

上鳥羽へは市バスが便利です。近鉄京都線に上鳥羽口駅がありますが、「口」が付いているとおり東に大きく離れています。上鳥羽を通るバスは18・19系統などです。


振り出しはJR京都駅です。

京都駅からは19系統が利用できますが、八条口からになります。通常利用する烏丸口ならどこからバスが出るかは頭の中に入っていますが、八条口は全く利用しないので初めてです。

19系統が発着するのはH7乗り場で、アバンティの東の路上(北の方で言うところの東洞院通り)みたいです。今では珍しくなった調整系統(整理券を取る系統)です。

上鳥羽バス停で下車、まずは誓祐寺に向かいます。

誓祐寺は鎌倉時代に苅萱道心によって創建されたとされています。苅萱道心は筑前博多の武士で、妻と側室の仲の悪さに辟易し出家したとされます。出家した父を諸国を探し歩いた息子の石堂丸が高野山で道心に出会うものの道心は父であることを言うことがなかったといいます。歌舞伎「苅萱」の題材となった人物です。

誓祐寺では本堂の大仏を公開しています。近年制作された木像の阿弥陀如来座像です。大きさに圧倒されます。

誓祐寺の御朱印です。


誓祐寺から歩いてすぐに金樹寺があります。

寺伝があまり残っていないため創建がいつかはっきりしないようです。少なくとも江戸時代以前であることは確かで、お寺のある上鳥羽岩ノ本町にあった城と何らかの関係があるのではないかとのことです。このお城は名前さえ不明で、いつの時代に誰がいたのかも分からないみたいです。

金樹寺では本堂を公開しています。

「内陣含め好きに入ってください」「写真も撮って頂いて結構です」とのことでした。

そしてメダカも撮っていいそうですから撮影してきました。

金樹寺の御朱印です。メダカが描かれていますね。

後半に続きます。
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東京都の神社の御朱印を展示するイベントが開催

2024-12-08 | 御朱印めぐり
東京都内の神社の御朱印を一堂に展示するイベントが開催されます。詳細はこちら

東京都神道青年会の主催で12/13(金)~16(月)に開催されるイベントで、場所は銀座アポロ昭和館になるそうです。入場は無料です。都内の神社を全部集めようとすると相当にしんどいと思いますので、興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

なお会場内では女性神職が監修したオリジナル御朱印帳が販売されます。会期後も通販で手に入れることができるそうです。
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「第59回 京の冬の旅」の概要公開

2024-12-06 | 御朱印めぐり
毎年恒例「第59回 京の冬の旅」の特別公開の概要が公開されています。内容はこちら。一部のJRの駅ではパンフレットの配布が始まっています。

第59回は2025年1月10日(金)~3月18日(火)までの日程で、「世界遺産登録30周年」「洛陽三十三ヵ所観音霊場再興20周年」をテーマに行われます(一部寺院は期日が異なりますので確認を)。


特別公開は「予約不要」「Web予約優先」「完全Web予約制」に分かれています。このうち「完全Web予約制」は昨年も実施された東本願寺・西本願寺の僧侶が案内する特別拝観です。


いつも通り御朱印の有無も含めご案内します。「☆」は「Web予約優先」です。なお御朱印の有無は過去の実績であり、今回の特別公開での有無を保証するものではありません。

[洛中]
・頂法寺(六角堂:地下鉄烏丸御池)初公開 御朱印:あり
聖徳太子創建と伝わる古刹で、代々華道池坊が守ってきたお寺です。西国三十三ヵ所では18番札所ですが、洛陽では1番札所となっています。常時公開寺院ですが、本堂内陣を公開します。
レア度:★

・平等寺(因幡堂:地下鉄四条)13年ぶり公開 御朱印:あり
洛陽三十三ヵ所で27番札所です。観音堂の2体の十一面観音菩薩像などを公開します。
レア度:★

・地蔵院(椿寺:北野白梅町)初公開 御朱印:あり
椿とアフロヘアのような五劫思惟阿弥陀如来像で知られます。洛陽三十三ヵ所30番札所にもなっています。パンフのメインビジュアルにもなっている五劫思惟阿弥陀如来像を公開予定。常時公開寺院です。
レア度:★

・東本願寺宮御殿・桜下亭(地下鉄五条)42年ぶり公開 御朱印:なし
大宮御所を移築した宮御殿や庭園などを公開。
レア度:★★


[洛東]
・建仁寺西来院(東山安井)初公開 御朱印:あり
建仁寺の塔頭で、方丈の天井に描かれた白龍図が豪快。昭和の造園家・中根金作の庭も拝観できます。「京の冬の旅」では初めてですが、過去にブルーボトルコーヒーとコラボした特別公開などしばしば特別公開があります。
レア度:★★

・清水寺随求堂(五条坂)初公開 御朱印:あり
清水寺の三重塔の北西にあるお堂で、胎内巡りで知られています。「大随求菩薩坐像」を公開予定。2019年に222年ぶりに公開され反響を呼んだことがあります。
レア度:★★★

☆慈照寺(銀閣寺:銀閣寺道)初公開 御朱印:あり
銀閣寺のうち与謝蕪村らの襖絵が残る本堂と義政が香を楽しんだ御香座敷を再現した弄清亭を公開。
レア度:★


[洛南]
・東寺五重塔(東寺)昨年に引き続き公開 御朱印:あり
毎年の常連組ですね。
レア度:★


[洛北]
・仁和寺経蔵・五重塔(御室仁和寺)4年ぶり公開 御朱印:あり
しばしば公開されていますのでまだの方は、になります。
レア度:★

・鹿苑寺方丈(金閣寺:金閣寺道)20年ぶり公開 御朱印:あり
金閣寺の本堂にあたり、寺宝や庭園を公開。しばしば特別公開されますのでまだの方は、になります。
レア度:★★

・龍安寺仏殿(立命館大学前)10年ぶり公開 御朱印:あり
庭や元首相の細川護熙による襖絵を公開。
レア度:★★


[洛西]
☆天龍寺祥雲閣・甘雨亭(嵐山)初公開 御朱印:あり
いずれも茶室の祥雲閣・甘雨亭を公開。しばしば特別公開されますのでまだの方は、になります。
レア度:★★


[山科・醍醐]
・醍醐寺三宝院(醍醐) 御朱印:あり
茶室「松月亭」などを公開。
レア度:★


今回は正直言ってレア度が高くなく、無理して見に行くことをオススメするものではありません。建仁寺西来院と清水寺随求堂を見たらお腹いっぱいかも知れませんね。
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鎌倉扇ガ谷御朱印巡り③

2024-10-31 | 御朱印めぐり
鎌倉の御朱印巡り、さらにお参りしましょう。薬王寺です。

元は真言宗の夜光寺として創建されたお寺でしたが(創建年不明)、日蓮の遺言を受け京での布教を託された日像が1293年に当代の住職を論破し日蓮宗の寺院に改宗してお寺の名前も薬王寺となりました。日像はその後京での布教に成功し妙顕寺を創建します。

その後大きなお寺となるものの1720年に火災で焼失、再建を果たすも明治の廃仏毀釈で荒廃したものの1937年に入山した日照の尽力で復興されています。日照は池上本門寺の僧も兼ねており、東京大空襲の際に池上本門寺から日蓮像や日蓮筆の大曼荼羅などを救い出しています。

現在の本堂は2002年に改築されたものです。

薬王寺の御首題です。


お昼は大船まで戻って観音食堂で刺身定食を。

今日はなんとトロの刺身が3切れ入っている豪華版です。言うまでもなく美味しいです。

さて「観音食堂」の名前のルーツは大船の町を見守っている大船観音です。もちろん御朱印がもらえますので行ってみましょう。

大船観音は1927年に設立された「護国大観音建立会」の活動が起源です。この会は金子堅太郎・頭山満・清浦圭吾らが中心となっており、1929年に鉄筋で観音立像の建設を始めましたが、巨大な像であったため地山ごと崩れる可能性が判明し胸像での建立に変更されました。しかしながら資金が尽きて1934年に工事が中断されそのまま戦時下に突入します。

1954年になり東急の総帥・五島慶太らが財団法人「大船観音協会」を設立し、再度観音像の建設が行われることとなり1960年に完成しています。その後1981年に大船観音協会を解散し「大船観音寺」として曹洞宗の総持寺の末寺となりました。

ちなみに観音様の中に入れるようになっています。中は観音像のミニチュアがあります。

大船観音の御朱印です。

大船観音からは大船駅や六国見山がよく見えます。

それでは大船から羽田空港に向かいましょう。


今回の御朱印情報です。
本妙寺   1種を庫裏で授与。
天王寺   1種を授与所で授与。書き置きのみ。
御霊神社  限定含め数種を社務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
英勝寺   1種を拝観受付で授与。
浄光明寺  3種を庫裏で授与。
薬王寺   2種を寺務所で授与。
大船観音寺 限定含め数種を授与所で授与。オリジナル御朱印帳あり。  
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