近鉄の「おでかけ1dayきっぷ」を利用した御朱印巡り、今回は奈良県で残っている西国霊場の六番・壺阪寺と七番・岡寺を中心に回ってみます。当日は平日(金曜)なので風景印ももらいながら回ってみたいと思います。
この2つのお寺は近鉄南大阪線・吉野線の沿線にあります。あべのハルカスがある阿部野橋駅(=天王寺)がターミナルになりますが移動運用ですら使わないため南大阪線に乗ることがなく、私も過去に乗ったのは1回か2回という路線です。
朝のうち体調が良くなく予定していた電車に乗り遅れてしまいました。ひとまず阿部野橋に。
南大阪線は歴史的経緯から他の近鉄の主要線区と違いJRの在来線と同じレール幅です。このため足回りが違う独自の車両を使っています。通勤輸送の中心は準急で、橿原神宮前までの電車に加え途中の古市から河内長野に向かう系統があります。加えて吉野まで行く急行が30分ごとに運転されています。もちろん近鉄の特急網に組み込まれており、阿部野橋-吉野間で特急を運転しています。1時間に1~2本で、さくらライナーや青の交響曲といった看板列車の他はたった2両という短い特急です。
この自虐的なポスターって・・・
次の橿原神宮前方面への電車は特急のようです。「おでかけ1dayきっぷ」は特急券を買えば特急にも乗ることができます。特急券を買い、移動中の車内で予定を組み直します。吉野行きの特急はどこまで乗っても特急料金が520円なので壺阪山駅まで買っておき、組み直した予定で降りる芸当が可能です。乗車券は吉野まで有効ですしね。
この小さな2両の電車が吉野行き特急です。色は塗り替えられていますが恐らく最古参の電車のはずで「特急」のロゴが古めかしいですね。
近鉄は特急用の車両だけでも450両ほどあり、特定の路線だけに新車を集中投入することが難しいようです。このため各線区に少しずつしか新車を入れることができず、比較的シンプルな吉野系統でも世代の違う6種類の車両が使われています。さくらライナーと青の交響曲はダイヤが固定されていますが、それ以外は当たり外れがあることになります。もちろん看板列車なので手は入れていますがやっぱ古さを感じます。これでも空席だらけでほとんど乗っていません。
車内でどうするか予定を組み直します。壺阪山駅から壺阪寺までの次のバスは11時15分発。相当な待ち時間になりますので先に岡寺を回りましょう。岡寺の最寄りは橿原神宮前か飛鳥からバスです。この2駅の間に「岡寺」という駅がありますが、岡寺駅からはバスがないので岡寺駅で降りない方がいいです。バスの時刻表を見ると飛鳥駅の方が接続が良いようですから飛鳥駅で下車します。
飛鳥駅に到着。高市郡明日香村にあり、大手私鉄では唯一の「村」にある駅だそうです。なのに特急停車駅だったりします。バスの時間まで20分弱あるので近くの郵便局へ。
のどかな場所に明日香平田郵便局があります。
明日香平田郵便局の風景印です。甘樫丘と猿石だそうです。
飛鳥駅に戻りバスに乗ります。
明日香村のバスは奈良交通が運転しており、橿原神宮前駅東口-飛鳥寺-岡寺-石舞台-橘寺-高松塚-飛鳥駅と村内の観光スポットを回る形で運転しています。平日は1時間毎です。
川原で下車します。
巨大なお寺のあとに小さなお寺がポツンとあります。「川原寺」というお寺があったとされ、中世に廃寺になった跡地に弘福寺という小さなお寺ができています。礎石があるので川原寺がここにあったことは間違いないそうですが、文献資料が少なく現在も分からないことが多いようです。
跡地にある弘福寺は江戸期に創建された真言宗豊山派のお寺です。本堂と小さな大師堂があります。本尊は十一面観音で、脇を守る弘法大師作の持国天や多聞天なども含め平安期に作られたとされています。
弘福寺の御朱印です。川原寺の名前で書いています。
弘福寺の目の前に橘寺があります。
橘寺は聖徳太子の生誕所とされ「仏頭山上宮皇院菩提寺」が正式なお寺の名前だそうです。聖徳太子が開いたとされるものの何度か兵火や落雷などで焼け、特に1506年の焼き討ちで衰退、江戸時代には廃寺同然の状態になっていたようです。その後法相宗から天台宗に改宗、延暦寺などの助力で幕末の1864年に再興し伽藍が整えられました。
本堂を「太子堂」と呼んでおり、聖徳太子が本尊となっています。1515年の作とされており国の重要文化財に指定されています。
聖徳太子ゆかりのお寺ですので新西国の十番札所に指定されています。橘寺の新西国の御朱印です。
このまま岡寺の方向に歩くと明日香村の村役場などがある村の中心です。
5,600人ほどの人口しかなく小さな中心街です。これは「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法」という非常に長い名前の法律により村のほぼ全域で非常に厳しい開発規制が敷かれており、駐車場を備えた郊外型の商店などが出店できなくなっているためです。もちろん後世に飛鳥の風景を残すことは大切なのですが、住民の生活環境が著しく制限され人口が減り続けるという皮肉なことになっています。
村役場近くに明日香郵便局があります。もちろん風景印があります。
明日香郵便局の風景印です。高松塚古墳の壁画と石舞台です。
さらに山に向かって進むと岡寺の入り口です。
ここからは西国でおなじみの山道です。やっぱりかよ、と思ってしまいます。きつい坂道を上がったところに岡寺があります。
岡寺は正式には「龍蓋寺」なのですが、道ばたの古い石柱を見れば古くから岡寺と呼ばれていたことが分かります。663年に法相宗の祖である義淵が創建、その後真言宗豊山派のお寺となっています。
本堂は1805年に完成したもので、本尊は如意輪観音像です。奈良時代に作られたとされ国の重要文化財に指定されています。常時公開されているのでお顔を拝むことができます。
三重塔のあるあたりからは飛鳥の村がよく見えます。ここが日本の政治の中枢であったとは思えないようなコンパクトなところです。
岡寺も江戸時代の復刻印での御朱印が頂けます(今年末まで)。
こちらは現在の西国の御朱印と御詠歌です。
こちらが復刻印です。
長くなりましたので今回はここまで。続きます。
この2つのお寺は近鉄南大阪線・吉野線の沿線にあります。あべのハルカスがある阿部野橋駅(=天王寺)がターミナルになりますが移動運用ですら使わないため南大阪線に乗ることがなく、私も過去に乗ったのは1回か2回という路線です。
朝のうち体調が良くなく予定していた電車に乗り遅れてしまいました。ひとまず阿部野橋に。
南大阪線は歴史的経緯から他の近鉄の主要線区と違いJRの在来線と同じレール幅です。このため足回りが違う独自の車両を使っています。通勤輸送の中心は準急で、橿原神宮前までの電車に加え途中の古市から河内長野に向かう系統があります。加えて吉野まで行く急行が30分ごとに運転されています。もちろん近鉄の特急網に組み込まれており、阿部野橋-吉野間で特急を運転しています。1時間に1~2本で、さくらライナーや青の交響曲といった看板列車の他はたった2両という短い特急です。
この自虐的なポスターって・・・
次の橿原神宮前方面への電車は特急のようです。「おでかけ1dayきっぷ」は特急券を買えば特急にも乗ることができます。特急券を買い、移動中の車内で予定を組み直します。吉野行きの特急はどこまで乗っても特急料金が520円なので壺阪山駅まで買っておき、組み直した予定で降りる芸当が可能です。乗車券は吉野まで有効ですしね。
この小さな2両の電車が吉野行き特急です。色は塗り替えられていますが恐らく最古参の電車のはずで「特急」のロゴが古めかしいですね。
近鉄は特急用の車両だけでも450両ほどあり、特定の路線だけに新車を集中投入することが難しいようです。このため各線区に少しずつしか新車を入れることができず、比較的シンプルな吉野系統でも世代の違う6種類の車両が使われています。さくらライナーと青の交響曲はダイヤが固定されていますが、それ以外は当たり外れがあることになります。もちろん看板列車なので手は入れていますがやっぱ古さを感じます。これでも空席だらけでほとんど乗っていません。
車内でどうするか予定を組み直します。壺阪山駅から壺阪寺までの次のバスは11時15分発。相当な待ち時間になりますので先に岡寺を回りましょう。岡寺の最寄りは橿原神宮前か飛鳥からバスです。この2駅の間に「岡寺」という駅がありますが、岡寺駅からはバスがないので岡寺駅で降りない方がいいです。バスの時刻表を見ると飛鳥駅の方が接続が良いようですから飛鳥駅で下車します。
飛鳥駅に到着。高市郡明日香村にあり、大手私鉄では唯一の「村」にある駅だそうです。なのに特急停車駅だったりします。バスの時間まで20分弱あるので近くの郵便局へ。
のどかな場所に明日香平田郵便局があります。
明日香平田郵便局の風景印です。甘樫丘と猿石だそうです。
飛鳥駅に戻りバスに乗ります。
明日香村のバスは奈良交通が運転しており、橿原神宮前駅東口-飛鳥寺-岡寺-石舞台-橘寺-高松塚-飛鳥駅と村内の観光スポットを回る形で運転しています。平日は1時間毎です。
川原で下車します。
巨大なお寺のあとに小さなお寺がポツンとあります。「川原寺」というお寺があったとされ、中世に廃寺になった跡地に弘福寺という小さなお寺ができています。礎石があるので川原寺がここにあったことは間違いないそうですが、文献資料が少なく現在も分からないことが多いようです。
跡地にある弘福寺は江戸期に創建された真言宗豊山派のお寺です。本堂と小さな大師堂があります。本尊は十一面観音で、脇を守る弘法大師作の持国天や多聞天なども含め平安期に作られたとされています。
弘福寺の御朱印です。川原寺の名前で書いています。
弘福寺の目の前に橘寺があります。
橘寺は聖徳太子の生誕所とされ「仏頭山上宮皇院菩提寺」が正式なお寺の名前だそうです。聖徳太子が開いたとされるものの何度か兵火や落雷などで焼け、特に1506年の焼き討ちで衰退、江戸時代には廃寺同然の状態になっていたようです。その後法相宗から天台宗に改宗、延暦寺などの助力で幕末の1864年に再興し伽藍が整えられました。
本堂を「太子堂」と呼んでおり、聖徳太子が本尊となっています。1515年の作とされており国の重要文化財に指定されています。
聖徳太子ゆかりのお寺ですので新西国の十番札所に指定されています。橘寺の新西国の御朱印です。
このまま岡寺の方向に歩くと明日香村の村役場などがある村の中心です。
5,600人ほどの人口しかなく小さな中心街です。これは「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法」という非常に長い名前の法律により村のほぼ全域で非常に厳しい開発規制が敷かれており、駐車場を備えた郊外型の商店などが出店できなくなっているためです。もちろん後世に飛鳥の風景を残すことは大切なのですが、住民の生活環境が著しく制限され人口が減り続けるという皮肉なことになっています。
村役場近くに明日香郵便局があります。もちろん風景印があります。
明日香郵便局の風景印です。高松塚古墳の壁画と石舞台です。
さらに山に向かって進むと岡寺の入り口です。
ここからは西国でおなじみの山道です。やっぱりかよ、と思ってしまいます。きつい坂道を上がったところに岡寺があります。
岡寺は正式には「龍蓋寺」なのですが、道ばたの古い石柱を見れば古くから岡寺と呼ばれていたことが分かります。663年に法相宗の祖である義淵が創建、その後真言宗豊山派のお寺となっています。
本堂は1805年に完成したもので、本尊は如意輪観音像です。奈良時代に作られたとされ国の重要文化財に指定されています。常時公開されているのでお顔を拝むことができます。
三重塔のあるあたりからは飛鳥の村がよく見えます。ここが日本の政治の中枢であったとは思えないようなコンパクトなところです。
岡寺も江戸時代の復刻印での御朱印が頂けます(今年末まで)。
こちらは現在の西国の御朱印と御詠歌です。
こちらが復刻印です。
長くなりましたので今回はここまで。続きます。