9/10(日)秋田市内→仙台市内→仙台空港→伊丹
本日は仙台空港から伊丹に戻ります。
秋田から仙台は秋田新幹線を使う手もありますが、2.5時間で1万円以上かかります。一方秋田駅前から仙台までは「
仙秋号」という高速バスがあり、3.5時間で4,500円です。1時間遅くなるものの運賃は半額以下で悪くないので利用してみます。8時発で11時35分頃到着の予定です。さすがに8時のバスに乗れる時間で移動運用はできず、本日はお休みです。

このバスは秋田駅前を出ると次は終点の仙台駅前。途中北上金ヶ崎PAで休憩するのみで所要時間を最短にする工夫がされています。秋田新幹線「こまち」は大曲で進行方向を変更、盛岡で「はやぶさ」と連結するため停車時間のロスがありますし、盛岡までは在来線なのでスピードを出せず、高速バスが健闘できるのです。

車内は4列トイレ付きで電源もWiFiもあり便利です。この日も2/3くらい埋まっています。
時間がありますので、松田聖子さんの1984年12月のアルバム「Windy Shadow」を聞いてみます。
1984年後半になると聖子さんの身辺が急激にざわついてゆきます。かねてから噂されていた郷さんとの結婚が近いのではないか、と週刊誌が騒いで聖子さんを追いかけ回す状態になります。実際にはこの頃には既に破局していたとも言われます。
そういったメディアスクラムから逃げるかのように聖子さんはハワイ大学への短期留学(6~7月)、アルバム「SOUND OF MY HEART(1985年8月発売)」のニューヨークでのレコーディング(10月)、映画「カリブ・愛のシンフォニー」の撮影(11月)と日本を離れることが多く、きわめてタイトなスケジュールで制作されています。
収録されているシングル曲は細野晴臣さん作曲の「ピンクのモーツァルト」とHolland Rose(=佐野元春さん)作曲の「ハートのイアリング」です。佐野さんは当時他の歌手への楽曲提供を行っておらず、佐野さんの代表曲「SOMEDAY(1981年)」の編曲を担当した大村雅朗さんのつてがあって実現したのではないかと考えられます。
アルバム全体では佐野さんに加え矢野顕子さん、NOBODYが初提供です。逆にしばらく続いていたユーミンの楽曲提供が途絶えることになります。
作詞の松本隆さんも聖子さんがニューヨークでレコーディングを行うことを知っていたため、海外をイメージした歌詞が多いのが特徴です。また「銀色のオートバイ」や「Star」はメディアスクラムに巻き込まれた当時の聖子さんの気持ちを明らかに意識した歌詞が並んでいます。
佐野さんの「ハートのイアリング」のボーカルは秀逸ですし、矢野顕子さんの提供曲「そよ風のフェイント」も無難に歌いこなしています。一方で「ユーミンをあれだけ歌いこなすのだから矢野さんの曲も歌いこなせて当然でしょ」という雰囲気になっていることも確かです。作詞を松本隆さんに固定し、ニューミュージック系の様々な作家さんを起用してきたこれまでのやり方がそろそろ限界を迎えつつあることを示しています。
あとで振り返ると聖子さんの変化点であったアルバムだと思われます。それだけに前作「Tinker Bell」のB面にいい曲があと1曲収録されていれば「Tinker Bell」は名盤とされていたのでしょうね。
バスは仙台宮城ICから仙台西道路に入り、そのまま真っ直ぐ広瀬通を進んで予定より10分早く宮城交通高速バスセンター前に到着です。
お昼を取って仙台駅でお土産を買ったら空港に向かいましょう。伊丹空港付近の雷雨の影響で到着が15分遅れ17時20分着でした。
今回は194局でした。ありがとうございました。最初に触れました通り、今後の秋の東北移動は宮城県に限らず仙台・秋田・青森空港から比較的近いエリアで珍し目の市町村を回ってみるつもりです。秋田も何年後かにまた回るつもりです。