細々と続けている名古屋の御朱印巡り、今回は笠寺と御器所周辺を回ってみましょう。
笠寺は名古屋市南区にあるエリアで、JRなら笠寺駅、名鉄なら本笠寺駅が最寄りです。かつては海に囲まれた半島状の土地であり、東海道が通る交通の要衝でした。尾張四観音の一つに数えられる笠寺観音のお膝元です。尾張四観音は中川区の荒子観音、あま市の甚目寺、守山区の龍泉寺、南区の笠寺観音で、いずれも名古屋城から見て鬼門の方角にあります。
それではJR笠寺駅からスタートです。普通しか停車しないので名古屋駅で乗り換えとなります。
国道1号線と名鉄線を渡って七所神社があります。
940年に平将門の降伏祈願のため熱田神宮から日本武尊ら七体の祭神を勧請して創建されたとされています。
本殿は20世紀初頭に建てられたもので、1945年の名古屋空襲では焼失を免れたものの伊勢湾台風の被害を受けています。
七所神社の御朱印です。
歩いてすぐに笠寺観音があります。「笠覆寺」が正しい名前ですが「笠寺」または「笠寺観音」と呼ばれることが多いようです。
733年に善光が開いたとされる真言宗智山派のお寺です。近くの呼続の浜に打ち上げられた霊木を善光が彫って十一面観音にして
「小松寺」として創建されました。
その後小松寺は荒廃し観音像は雨ざらしになっていましたが、不憫に思った玉照姫が観音像に笠をかけたたところ、関白藤原基経の子であった兼平に見いだされ玉の輿に乗り京へと上っていったとされています。このエピソードから「笠覆寺」と改められ、玉照姫によって伽藍が整備されています。今も笠の一部だとされるものがお寺に残っているそうです。
本堂は2022年に大規模な改修が行われています。
笠寺観音の御朱印です。
笠寺から道を挟んで反対側に塔頭の泉増院があります。
七世実道上人の夢枕に玉照姫が現れ「自らの像を造り納めるように」とのお告げを受け、姫の像を安置したところ縁結びの御利益があるとして尾張徳川家の女中らもお参りに来るなど人気となったそうです。
たまたまご住職が戻られて御朱印をいただくことができました。
泉増院の御朱印です。
続きます。
笠寺は名古屋市南区にあるエリアで、JRなら笠寺駅、名鉄なら本笠寺駅が最寄りです。かつては海に囲まれた半島状の土地であり、東海道が通る交通の要衝でした。尾張四観音の一つに数えられる笠寺観音のお膝元です。尾張四観音は中川区の荒子観音、あま市の甚目寺、守山区の龍泉寺、南区の笠寺観音で、いずれも名古屋城から見て鬼門の方角にあります。
それではJR笠寺駅からスタートです。普通しか停車しないので名古屋駅で乗り換えとなります。
国道1号線と名鉄線を渡って七所神社があります。
940年に平将門の降伏祈願のため熱田神宮から日本武尊ら七体の祭神を勧請して創建されたとされています。
本殿は20世紀初頭に建てられたもので、1945年の名古屋空襲では焼失を免れたものの伊勢湾台風の被害を受けています。
七所神社の御朱印です。
歩いてすぐに笠寺観音があります。「笠覆寺」が正しい名前ですが「笠寺」または「笠寺観音」と呼ばれることが多いようです。
733年に善光が開いたとされる真言宗智山派のお寺です。近くの呼続の浜に打ち上げられた霊木を善光が彫って十一面観音にして
「小松寺」として創建されました。
その後小松寺は荒廃し観音像は雨ざらしになっていましたが、不憫に思った玉照姫が観音像に笠をかけたたところ、関白藤原基経の子であった兼平に見いだされ玉の輿に乗り京へと上っていったとされています。このエピソードから「笠覆寺」と改められ、玉照姫によって伽藍が整備されています。今も笠の一部だとされるものがお寺に残っているそうです。
本堂は2022年に大規模な改修が行われています。
笠寺観音の御朱印です。
笠寺から道を挟んで反対側に塔頭の泉増院があります。
七世実道上人の夢枕に玉照姫が現れ「自らの像を造り納めるように」とのお告げを受け、姫の像を安置したところ縁結びの御利益があるとして尾張徳川家の女中らもお参りに来るなど人気となったそうです。
たまたまご住職が戻られて御朱印をいただくことができました。
泉増院の御朱印です。
続きます。