20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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芸術都市パリの100年展

2008年05月12日 | Weblog
 都美術館では、いま「日仏交流100年記念  ルノワール、セザンヌ、ユトリロの生きた街1830ー1930」が開催されています。
 この展覧会には、パリをテーマとした近代フランス約100年のすぐれた油彩画、彫刻、素描、版画、風刺画、写真などが展示されています。ですから通常の展覧会とはちょっと違った趣きの、おもしろい企画です。
 
 特に印象に残ったのが、シュザンヌ・ヴァラドン。
 18歳のとき、ユトリロを私生児で産んだ女流画家です。彼女は生涯、ユトリロの父親がだれであるかは明かしませんでした。しかしそれは、1880年代、パリを揺るがした大スキャンダルでした。
 当時彼女はルノワールのモデルをしていました。それから一年後、モーリス・ユトリロが産まれたという事実から類推すると、どうやらユトリロの父親はルノワールであるという俗説が有力のようです。ただし恋多きヴァラドンです。謎はすべて藪の中です。
 
 そんな母ヴァラドンと、息子であるユトリロとの関係を垣間見られる一枚の木炭画が展示されてありました。その絵の前で、私の目は釘付けになりました。
 それは、ヴァラドンが描いた「もの思いのユトリロ」、息子のすがたです。
 そこには28歳のユトリロの、疲れ切った中年男性のような物憂げな表情が描かれています。若さなどカケラもないような、疲れ切った暗い顔した男がアンニュイな表情をうかべているだけの木炭画。
 そんな彼の様子を、画家としての冷徹なまでの眼差しで、ヴァラドンは描写しています。母親であるという感傷などは一切、しりぞけて。

 ヴァラドンの、自我の強さを感じさせる美しい容貌と奔放さ。(彼女が自らを描いた自画像も展示されています)そして絵画に対する才能は、ルノワールをはじめロートレックや、作曲家のサティなど、さまざまな芸術家たちのこころを虜にしたようです。
 そのためヴァラドンは、ユトリロの母であるというあたたかな気持ちを抱くことなく、自分の愛だけに忠実に、そして奔放に生きぬいたのです。
 母親に認められたいと願うユトリロは、わずか17歳の若さでアルコール依存症になり入退院を繰り返すことになります。
 そんな親子のドラマが、今回展示してあった「もの思いのユトリロ」からは垣間見えてきます。
 
 最後に、ヴァラドンの名誉のためにひと言。
 彼女はある意味、ユトリロより才能豊かだと評されています。彼女の作品、「ユッテルの家族」の力強さ、意志的な強さをみると、その評価の片鱗を感じとることができます。
 人物を描かなかったユトリロと、人物だけを描き続けた母ヴァラドン。
 
 絵をみることは、人間のドラマをみること。
 我々物書きの美術鑑賞は、どうしても美術評論家のそれとは評価や視点の基軸が違い、へんな思い入れが過ぎるのかも知れません。
 でもそこがおもしろくて、こうして時間を作ってはせっせと美術館に足を運ぶはめになるのですが。
 
 この「芸術都市パリの100年展」は7月6日まで、上野の東京都美術館で開催されています。

  
 
コメント (2)
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