20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

ひと足早い父の日

2009年06月18日 | Weblog
 昨晩は遅くに夫が帰宅し、今朝はもう東京での会議のために出かけていきました。会議終了後はその足であちらに帰るそうです。
 でも今週末の土曜の夕方には、やっとゆっくりと帰宅できるとか。
 
 今度の日曜日は父の日。
「私があなたに父の日のプレゼントっていうのもへんだけど・・・」
 と、ひと足早く、夫にワイシャツを二枚プレゼントしました。白いのと、ブルーのストライプのとを。
 ひとりで暮らしていると、ワイシャツは何枚あっても必需品ですから。

 そう言えば、ひと月ほど前、娘がこんなことを言っていました。
「母の日に、すっごい花束が宅配便で届いたの。びっくりして差出人を見たら○くん(娘たちの赤ちゃん)の名前。中に入っていたカードに、『ママ、いつもありがとう。ついでにパ~パもよろしくね』だって」 
 う~ん、若い人は、なかなか粋な計らいをするものです。
 私にはそんな経験なかったな、と・・・、うらやましがりながら。
 
 今夜は北句会。
 先月から句会を行うお店がかわったようです。迷わず辿りつけますよう・・・。
 えっ、俳句?
 ええ。ひねり出しましたとも!
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プチカレンダー

2009年06月17日 | Weblog
 上の写真は、昨年暮れに、親しい画家の小泉るみ子さんからいただいたプチカレンダーです。
 どれくらい小さいかは、ポケットティッシュケースと並べて写してみたので、おわかりいただけるでしょうか?
 月がかわるたび、るみ子さんの絵を楽しんでいます。
 6月は、女の子が赤い傘をさして、ながぐつをはいて歩いている絵。
 透明感があって、やわらかな絵が、梅雨の季節を楽しく彩ってくれています。

 そういえば、夏に発売の『飛ぶ教室 18号』(光村図書刊)で、小泉るみ子さんさし絵・末松氷海子さん訳の『あたしが部屋から出ないわけ」というフランスのアメリー・クチュール作のご本を、書評のメインでご紹介させていただいております。

 7月25日ごろに発売になりますので、ぜひ『飛ぶ教室 18号』をお読みになってみてください。
『あたしが部屋から出ないわけ』は、ほんとうにすばらしい作品です。そして、るみ子さんのさし絵も泣きたくなるくらいステキです。
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『樋口一葉』(真鍋和子著・講談社火の鳥伝記文庫)

2009年06月16日 | Weblog
 友人の作家、真鍋和子さんからしばらく前にご恵贈いただいていたご本です。
 ご紹介がたいへん遅くなってしまいました。
 あらためて、これはご紹介しなくてはとの思いでこれを書いています。

 樋口一葉が、その代表作である「たけくらべ」や「にごりえ」をどんな思いで、またどんな生活状況のなかで描ききったのか。
 この伝記を読むと、それが実感として伝わってきます。

 かつての師匠であった「半井桃水」に「古めかしい」と言われた一葉の作風。そこからどんな風に彼女は文学を掴み取っていったのか。
 また日々の暮らしや、住む町の光と影。そんな光景からなにを見つけ出していったのか。
 この伝記を読みながら、そういった一葉を巡る一部始終がつまびらかに解けていくのがわかりました。

 ここで、ちょっと、一葉の代表作である『にごりえ」の抜粋を。

「おい木村さん信さん寄ってお出よ、お寄りといつたら寄っても宣いではないか、又素通りで二葉やへ行く気だらう、押しかけて行つて引きずつて来るからさう思いひな、ほんとにお湯なら帰りの屹度よつてお呉れよ。嘘つ吐きだから何を言ふか知れやしないと店先に立って馴染みらしき突かけ下駄の男をとらへて小言をいふような物の言ひぶり、腹も立たずか言訳しながら後刻に後刻にと行過るあとを・・・」
 
 モノローグの力強さ。迫力。リズム感。
 一葉があの時代にあって、「新しい」それも日本ではじめての女流作家であった存在感を、この短い抜粋の中からだけでも感じることが出きます。 
 この『樋口一葉』の伝記では、そういった一葉の才能と生き方、人間を見つめるまなざし。そういったものを真鍋和子さんらしいヒューマンな視点、問題意識から丁寧に描いています。
 実によく調べ上げています。

 ぜひお読みになって、今の時代にあらためて「一葉」を感じ取っていただけたらと思います。
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記念講演会のお知らせ

2009年06月15日 | Weblog
 6月22日(月)に国際子ども図書館を考える全国連絡会・第15回通常総会後に、記念講演会が行われます。
 
 今年の記念講演の講師は、モナシュ大学言語学科客員研究員の渡辺鉄太氏です。
 テーマは<メルボルンの節分に鬼は出るかーオーストラリア日本語児童文庫活動から見えてきたこと>です。
 渡辺鉄太さんは、『寺町三丁目十一番地』や『もりのへなそうる』(共に、福音館書店刊)などの作者である、児童文学者であり慶應義塾大学文学部図書館学科の教授でいらした、あの渡辺茂男先生のご子息です。
 現在は、絵本の創作や翻訳・批評などをメルボルンで行っていらっしゃる方です。

 ご参加を希望される方は、6月19日までに私のところまで(HPのコンタクトで)お申し込みいただければ手配いたします。

         記
 
 日時・6月22日(月) 午後3時~4時30分
 会場・日本出版会館・4階大会議室(神楽坂の出版クラブの敷地内、お隣)
 
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『短歌の友人』(穂村弘著 河出書房新社刊)

2009年06月14日 | Weblog
 昨日はとうとう肩こり・首凝りがピークに達して、30分おきに「鍼灸院に治療にいってこようかな」「いや、1時間かけて施術してもらっても解消されるのはいっときだし」「やっぱり、いってこようかな」と、ぐずぐずとそんな逡巡のくりかえし。
 結局とうとう行かずじまいで、CDを聴きながらソファにごろんと横になって、本を読んで過ごしていました。

 今週の木曜日に句会があるのです。
「スランプですぅ」と言い訳をしながら、ここ数年、ろくな俳句も作れない不肖の弟子を嘆き、心配して下さった宗匠が雑誌『俳句αあるふぁ』(毎日新聞社)を貸して下さったのです。
 その研究をしていました。
 なんと、そこに某氏のお名前を発見。
「αあるふぁ俳壇予選通過句」に載っていたのです。
 もう30年近く前、「季節風」でご一緒だった小学校の先生です。
「ああ、彼はいま、俳句を作っていらしゃるんだわ」
 と、そんなことに気を散らせつつ、「スランプに陥ったら先人から学び、脱出の糧にしよう」という言葉に触発され、やはり何事もたくさん読み勉強しなければ前へ進むことはできないのだ。とたくさんの俳句に触れながら句をひねっていました。

 たくさんの俳句の言葉に触れながら、ふと思いだしたのが、穂村弘の『短歌の友人』(筑摩書房刊)と言う本です。
 穂村弘は、歌人ですが、私は彼の「批評することば」の感性にたいへん興味を持っています。批評のジャンルは違いますが加藤典洋か、三浦雅士か、穂村弘かくらいに・・・。
 ですから気を散らせついでに書棚から本を引っ張り出すと読み始めてしまいました。
 その本のなかで「実感の表現」について書かれたくだりがあります。

 気がつくと短歌の世界は「実感の表現」への動きに充ちている。 (中略)
 近代短歌の伝統的な写実リアリズムに対する意識やスタンスはばらばらであるにも拘わらず、私が魅力を感じる作者の多くが「実感の表現」というモチーフを巡って作品世界を展開していることに改めて驚きと怖ろしさを感じる。
  そこに例としてあげられた東直子の短歌。

 所在なき訪問客と海を見るもろもろペンキはがれる手すり

「もろもろペンキはがれる」という具体的で小さな違和感のバリエーション。本当にあったことだ、という感覚を補強するために必須と思えばこそ、短い文型のなかでその描写に文字数が費やされているのだろう・・・。
 そして当然のことながら、そこで表現される現代のリアリティも変容している。 
 いつしか私はうなずきながら、自分の思考が俳句から短歌へそして物語へと移行していることに気づきました。
 
 そんなわけで、肝心の俳句。
 まだ出来ておりません・・・。(宗匠、ごめんなさい。今月こそ!・・・)
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海紅豆(かいこうず)

2009年06月13日 | Weblog
 道を歩いていたら、燃えるような木が・・・・。
 海紅豆といって、アメリカデイゴの花のようです。
 真っ赤な花が終わると、豆がつくのだそうです。
 だから、こんなネーミングに・・・。

 今日は土曜日。
 仕事のため、夫は今週も帰京できないようです。
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梅雨の晴れ間

2009年06月12日 | Weblog
 梅雨の晴れ間がひろがっています。
 とはいえ、まるで空梅雨のように、ちょっと降ってはまた晴れてと変なお天気です。
 四国の方では水不足だそうです。

 お買い物の途中にある公園の池では、亀たちが肩寄せ合って遊んでいます。
 なかよし亀さん、です。

 今日はこれから学生時代の友人3人が遊びにいらっしゃいます。
 みんなで夜景を眺めながら飲んだり食べたり・・・。
 さてさて、どんな晩餐会になるでしょう。
 楽しみです。
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『碧空の果てに』(濱野京子著・角川書店刊)

2009年06月11日 | Weblog
 友人の作家、濱野京子さんの新刊のご紹介です。
 角川書店の’銀のさじシリーズ’の一冊で、今度の作品はファンタジーです。
 ほんとうに彼女は、変幻自在に物語を操る魔術師のような作家です。

 主人公のメイリンは、長身で馬の手綱さばきにも長けていて、なおかつ並はずれた怪力の持ち主です。
 そういった言わば『女性」という括りから外れているという自己への懐疑が、彼女を、年頃になりながらも「結婚」や「恋」といった、甘やかな感情から遠ざけています。
 その彼女が、異国で・・・。
 と、ストーリー展開は、お読みになってのお楽しみということで。
 
 私はこの作品はある意味、いままでの濱野京子さんの作品のなかで、いちばん彼女らしいテーマ設定だと思いました。
 メイリンの自己に問いかけるアイデンティティの在処が。
 また、そのキャラクターもおもしろい。
 男女3人の恋模様と、その行方もおもしろい。
 それは、まるで人気少女漫画を読んでいるときの気分に似ています。
 あるときはこのメイリンのうつくしい姿にうっとりと夢見心地になり、またある時は恋の行方にどきどきしたり・・・。
 また、ある時はメイリンの潔く知的で、凛々しい姿にあこがれたり・・・。

 そう、この作品は、縦軸に「女」であるがゆえの足枷から、いかに自分らしく生きるかといったメイリンのアイデンティティを描き、横軸にはそういったあこがれやきらきらした夢を散りばめ、読者の心をわしづかみにしているのです。
 ファンタジーをあまり読み慣れていない読者でも物語世界にすっと入っていけるのは、ここには「少女たちのあこがれ」がふんだんに散りばめられているからです。
 
 皆さまどうぞお読みになってください。
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大学生たちのレポート

2009年06月10日 | Weblog
 先日、M大学に伺った折り、講義のあとに書いて下さった学生さんたちのレポートの一部を、コピーして講師であるU先生が昨日拙宅にお送り下さいました。
 
 こうしてあらためて学生さんたちのレポートを読むと、いまの大学生たちの思いがかいま見えてくるような気がします。
 
 どのレポートも真摯で、誠実さに満ちています。
 ほんの一部でも、ここに書かせていただきたいくらい、学生たちがご自身の内面に寄り添いながら丁寧に書いてくださったことが、ひしひしと伝わってきました。それがお伝えできないのが、残念なくらいに。
 
 いま、二十歳くらいの人たちが、どんなことを考えながら生きているかが見えてくるようです。

 こんな刺激的で、うれしい時間を与えてくださったU先生には、ほんとうに感謝申し上げております。
 そして、頂戴したたくさんのレポートは、私の大事な宝物です。
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日暮れまえの空の蒼さ

2009年06月09日 | Weblog
 日暮れまえの空が、あまりにも蒼く、うつくしくて・・・。

 昨日の夕暮れ、ほんのちょっとまえの写真です。
 
 どんよりと、まるで空から雨でもおちてきそうな空模様だというのに、外を見ると、はっとするような空の蒼さ。
 まるでヨーロッパ映画のようです。
 あまりにもうつくしくて写真に閉じこめてしまいたくなりました。
 
 空って、こんな色をしていたのですね。
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