NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第一回目の画像からです、「天文十六年・1547年」とーー16世紀です。タイトルに「資本論」を出したのは、不破哲三さんの『資本論』全三部の講義集にこんな年表があったのを思い出したからです。
〔年表〕十六世紀の世界と日本 (縦書を横書にしました)
(赤線はドラマに関連すると思われる事項です)
この年表は「資本論」にマルクスが書いた次の言葉によっています。
「商品流通は資本の出発点である。商品生産、および発達した商品流通ーー商業ーーは、資本が成立する歴史的前提をなす。世界商業および世界市場は、一六
世紀に近代的生活史を開く」、と。
不破さんはこの年表をもとに、「ヨーロッパの十六世紀」「『資本論』における十六世紀」「十六世紀の日本は戦国時代」と分けて話しています。そのうちの、
「ヨーロッパの十六世紀」
十六世紀が始まった時点は、時代的にいうと、ヨーロッパではルネサンスの盛りの時期で、レうオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロがイタリアで活躍していました。そして、この世紀が終わる時に、イギリスで多くの戯曲を世に送り出していたのがシェークスピアです。
また、前世紀の九〇年代にコロンブスによるアメリカ大陸の発見や、ヴァスコ・ダ・ガマ(1469頃〜1524年)によるインド航路の発見などがあって、いわゆる〝大航海時代〟が始まりました。当時、海外進出の主役となったのは、スペインとポルトガルでした。
スペインのアメリカ開拓の先陣を切ったのが、コロンブスでした。スペインの構想は、大西洋
を渡って、その彼方にあるはずの黄金の国・日本にたどり着くことでした。コロンブスは、最初
の航海以後も、何回もアメリカ上陸を繰り返しますが、最後まで、そこが日本だと思い込んでい
たとのことです。年表にあるように、スペインの侵略者たちは、十六世紀には、高い文明をもっ
ていたアステカ王国やインカ帝国を滅亡させ、略奪と破壊の限りをつくしました。
これにたいして、ポルトガルの船団を率いたヴァスコ・ダ・ガマは、アフリカの大西洋岸を南
下して喜望峰を回ってインド洋に入ります。こうして、ポルトガルは、インド、インドネシア、
中国に進出し、最後には、日本の種子島で、ヨーロッパと日本の交流の最初の記録を残しました。
こうして、スペインとポルトガルは、ヨーロッパからそれぞれ西と東に進み、最後にアジアで
合流して、地球を一周する航路を開拓しました。この面から見ると、十六世紀は、ヨーロッパに
生まれたヨーロッパ文明が、はじめて世界の全体と接触した、という時代です。先に引用した第
二篇最初のマルクスの言葉にあるように、一六世紀は「世界商業」「世界市場」というものが、
歴史上はじめて見えてきた時代なのです。
この時代に、スペインとボルトガルが、どうして世界市場開拓の主役となったのか。それに
は、いろいろ歴史的な事情がありますが、一つの大きな事情に、ヨーロッパからのイスラム勢力
の撃退という問題がありました。アラビア半島に起こったイスラム勢力は、アフリカの地中海沿
岸をずっとその支配下におさめ、八世紀ごろから、ジブラルタル海峡はわたってヨーロッパ侵略
を開始します。まずイベリア半島(現在のスペインとボルトガル)を支配下におさめ、ピレネー
山脈を越えてフランスに進出したところで撃退されるのですが、スペインとポルトガルの地域
は、それから何百年もイスラムの支配下におかれることになりました。
当時は、アラブ世界というのは、ヨーロッパよりも高い文明をもっており、そこから、多くの
文化的な成果がヨーロッパに流入してきました。しかし、いくら高い文明をもたらしたとはいっ
ても、他民族による支配です。イスラム支配を打破しようとする動きが強まり、スペインとボル
トガルは、イスラム勢力を撃退して、その独立の地位を回復しました。この過程で、二つの国
は、当時のヨーロッパでもっとも強力な軍隊を持つようになり、その勢いをかって、さらに世界
に乗り出しました。ルネサンス時代はイタリアが主役でしたが、大航海時代では、スペインとボ
ルトガルが主役になるという主役交代の一つの背景には、こういう事情もあったようです。
ではヨーロッパの内部では、十六世紀に何が起きていたか。重要な出来事は、ルターによる宗
教改革です。これは、ドイツで起こりましたが、つづいて、フランスのカルヴィンなどの運動に
連動し、これまで法王庁の絶対支配のもとにあったキリスト教世界に、近代的な新しい流れを生
み出すことになります。その流れのなかで、ドイツの農民戦争が起きます。農民戦争では、キリ
スト教のもっとも革命的、庶民的な部分が少なからぬ役割をはたしました。
十六世紀の後半になって、ヨーロッパ史の主役の交代がまた起こりました。イギリスとオラン
ダが、スペインとポルトガルにとって代わったのです。新興のイギリスと大国スペインとのあい
だに戦争が起こったのが、一五八八年。当時、スペインは、〝アルマダ〟という無敵艦隊をもっ
ていました。イギリスは弱い小国と見られ、この戦争ではスペインの必勝が予想されていたので
すが、そのイギリスが、スペインの無敵艦隊を撃破して、勝利をおさめるのです。これが転機と
なって、今度は、イギリスとオランダが世界に乗り出す時代が来ます。
そのイギリスで、実は、資本主義への発展が急速におこなわれつつあったのでした、ですか
ら、同じように世界に乗り出すといっても、大航海時代のスペイン・ボルトガルの海外進出と、
十七世紀以後のイギリス・オランダの世界進出とは、その性格と内容を異にしていました。
これが、十六世紀という時代の、あらましの特徴です。
学校の世界史の教科書などでは、大航海時代とか宗教改革、農民戦争、スペインからイギリス
への主役の交代など、個々的には教わりますが、「資本の近代的生活史」の始まりという位置づ
けで、十六世紀をまとめてとらえるという見方は、ほとんどなかったと思います。
(赤字、太線はkaeruによります)