資本論の本文に入る前に「序言」「あと書き」等が置かれ、このなかの多くの言葉が印象に残っています。『新版』で読み出してみてあらためて、『資本論』を読むうえで記憶し記録しておくべきものだと思い、ここに記しておきます。
すべてはじめはむずかしい〔ドイツの諺〕ということは、どの科学にもあてはまる。だから、第一章、ことに商品の分析を収める節〔本書の第一章にあたる〕の理解は、もっとも困難であろう。さらに立ち入って、価値の実体と価値の大きさとの分析にかんして言うなら、私はその分析をできる限り平易にした。価値形態ーーその完成した姿態が貨幣形態であるーーは、きわめて没内容的であり簡単である。とはいえ、人間精神は2000年以上も前から、これを解明しようとして果たさなかったのであるが、他方、これよりはるかに内容豊富で複雑な諸形態の分析には、少なくともほぼ成功した。なぜか ? 発育した身体は身体細胞よりも研究しやすいからである。そのうえ、経済的諸形態の分析にさいしては、顕微鏡も化学的試薬も役に立ちえない。抽象力が両者に取って代わらなければならない。ところが、ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態が経済的な細胞形態である。素養のない者にとっては、この形態の分析はただいたずらに細かいせんさくをやっているように見える。この場合には実際細かいせんさくが肝要なのであるが、それはまさに、顕微解剖学でそのようなせんさくが肝要であるのと同じことである。
だから、価値形態にかんする部分を別とすれば、本書を難解だと言って非難するとはできないであろう。もちろん私は、新たなものを学ほうとし、したがってまた自分自身で考えようとする読者を想定している。
文字通りはじめから「むずかしい」文章に出会いましたが、「どの科学にもあてはまる」とのことですから、社会科学なら尚のこと! と開き直っておきます。
開き直りのついでに、太陽が朝東から昇り夕方西に落ちると、見える通りが「正しい」なら、人間は科学を必要としなかったはずです。天動説が「ウソ」で地球が回っているのだ、という普通の日常感覚ではとてもマトモなことでは無い「科学」に到達するには勉強しなければなりませんでした。
神さまの言われたこととしてある種の人間が述べることでなく、自分自身で考えようとした歴史が科学の歴史でした。「新版」として提示された『資本論』も「新たなもの」を見せてくれるに違いありません。