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不破さんの「未来社会論」ー3ー「社会的格差」

2018-09-25 17:47:31 | kaeruの『資本論』

   今日の「しんぶん赤旗」の記事です、11月6日の米中間選挙に向けての政治戦の動向のひとつ。

   不破さんは〝『資本論』のなかの未来社会論〟(「前衛」10月号)のなかで三つの問題点をあげ〝「(資本主義の)必然的没落」の論理は、マルクスの時代以上の深刻さと強烈さをもって、21世紀の資本主義の前途を照らし出しています〟と論文の締めの部分で述べています。

   三つの問題点の第1にあげられたのが「社会的格差の途方もない拡大」です。

 

  社会的格差の途方もない拡大(該当節全文)

【 ➃は新日本出版社版の『資本論』の該当巻と該当ページを示します、他◯内は同趣旨。★部分の説明は省きました。】

  まず、資本主義がうみだす社会的格差の問題です。マルクスは、『資本論』第一部で、工場など直接的な生産過程の内部における搾取の実態の詳細な分析をすすめますが、最後の第七篇では、視野を社会全体にひろげた特別の一章をもうけました。そしてそこで、資本主義的蓄積のもとでは、「現役労働者軍」を広大な規模の「産業予備軍」が取り囲むという独特の人口構造(相対的過剰人口)が生まれることを明らかにしました。こうしてつくり出された社会状況が、社会全体の規模での経済的格差の拡大、すなわち、一方の極(資本家階級)では富の蓄積が、他方、その対極(労働者階級)の側では、「貧困、労働苦、奴隷状態、無知、野蛮化、および道徳的堕落の蓄積」という社会の二極分化を必然的に生み出し、拡大するのです(④108ページ)。
  マルクスは、続く部分で、「1846〜66年のイギリス」を例にとって、この分析を統計的に実証し、格差の途方もない拡大を嘆くイギリ  スの政治家グラッドストンの言葉を引用します。
 

   「人民の消費力が減退し、労働者階級の窮乏と貧困とが増加しているのに、それと同時に上層階級における富の不断の蓄積と資本の不断の  増大とが行なわれているということは、この国の社会状態のもっとも憂鬱な特徴の一つである」(同前1118ページ) 


  現代の資本主義のもとでは、社会的格差の拡大は、グラッドストンが聞いたら、「憂鬱」どころか、失神してしまうだろうほどの、いわば天文学的 規模にまで拡大しています。
  富と貧困の格差の問題について、系統的な調査にあたっているオックスファムという国際民間団体があります。

   この団体は、毎年1月に、前年度の調査結果を公表するのですが、今年1月に発表された2018年版報告書『資産ではなく労働に報酬を』の内容は、次のようなものでした。


  「最新報告書では、昨年、世界で新たに生み出された富の82%を世界の最も豊かな1 %が手にしたことが明らかになりました。一方で、世界の貧しい半分の37億人が手にした富の割合は1%未満でした」


  世界の人口は約74億人ですから、「最も豊かな1%」の富裕層の数は約7400万人です。この7400万人が世界の富の82%を手にし、37億人の貧困層が1%にも満たない富を分配しあい、「最低限の生活水準を維持することのできないレベルの賃金で厳しい生活を余儀なくされている」というのです。そのあいだの格差は、なんと4100倍をこえます。この途方もない格差が、世界の現実なのです。
   報告書は、貧富のこの格差が年々拡大する傾向にあることを指摘し、その原因についてもリアルな分析をおこない、社会格差の拡大が女性差別とも結びついていることを指摘します。


 「世界の億万長者の資産は、2010年以降、毎年平均して13%増加しています。一方では、一般的な労働者の賃金収入は、毎年平均し2%しか増加していません。また億万長者の数は、1年(2016年3月〜2017年3月)で2日に1人と、これまでにない水準で増えています」


「株主や経営層の報酬が増加する一方で、労働者の賃金水準や労働環境は改善していません。その具体的要因は、労働者の権利保護の衰退、大企業による国の政策決定への過剰な影響力の関与、そして株主利益最大化のために追求される企業の容赦ないコスト削減です。
   

 「女性労働者はその中でも苦しい立場に立たされていることが多い存在です。世界各地において女性は男性より賃金水準が低いばかりか、賃金が低く、雇用の不安定な職場ほど女性が多い傾向があります。一方で、億万長者の19人中九人は男性です」。


   ここには、21世紀を迎えた資本主義の危機的な現実が、動かしがたい数字で示されているではありませんか。利潤第一主義がひきおこし拡大してきた社会的格差の拡大は、人間社会にとって危機的な状況を、世界的規模で、またこれほどの深刻さでひきおこしているのです。

 以上、掲載文了

 

16年の大統領選で起きた「民主的社会主義」の旋風の再びの現象です。

このような記事も、

     

 


不破さんの「未来社会論」ー2ー

2018-09-16 23:29:46 | kaeruの『資本論』

   2つの世界大戦があった20世紀を経て、世界は21世紀に入り10余年をこえました。

  この世紀について日本共産党綱領は、

「日本共産党は、それぞれの段階で日本社会が必要とする変革の諸課題の遂行に努力をそそぎながら、21世紀を、搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう人類史的な前進の世紀とすることをめざして、力をつくすものである」。

と位置づけ、文章全体の結びとしています。

   今回、「前衛」誌上に掲載されはじめた不破さんの〝『資本論』のなかの未来社会論〟を読もうと『党綱領の未来社会論を読む』を購入して一読し、更に本棚を見たらこの本、

に「前衛」の不破さんの連載と同じ表題を含む第2部が載っていました。

同じ表題とはいえ、副次的に「綱領の諸規定の原理的な根拠を探る」作業の論文です。

「前衛」誌上の連載は、

「〝『資本論』そのもののなかに未来社会の全体像を探る〟 という主題設定をした」

ものですから、党綱領の未来社会論の「原理的な根拠」そのものが解明されるに違いありません。日本共産党綱領の未来社会論と『資本論』 のなかの未来社会論を日本社会での具体化とその原理的根拠の両方を視野に入れていくことのよって、確信の深度を深めることができるでしょう。  


10年前の9月15日ーアメリカ発「リーマン・ショック」

2018-09-15 21:35:07 | kaeruの『資本論』

『マルクスは生きている』

不破哲三さんの『マルクスは生きている』は「リーマン・ショック」の翌年に出されました。マルクスを「唯物論の思想家」「資本主義の病理学者」「未来社会の開拓者」の三つの側面から解明しています。そのうちの「資本主義の病理学者」として、

資本主義の「死にいたる病」ーー周期的な恐慌

で、10年前の「リーマン・ショック」を「資本論」の論理にもとづいて解いている部分が次の部分です。

(p127〜)
世界経済危機をつらぬく恐慌の論理

  2008年に始まった今回の世界経済危機について、金融政策の失敗が引き起こしたものだとか、実体経済はよかったのに金融経済の破綻の影響で経済全体がおかしくなったのだとかの解説もありますが、その経過を見ると、そこにあるのはまさにマルクスが恐慌論で解明した資本主義の矛盾の爆発であって、運動論で見たバブルの論理も、金融経済の異常な膨張と結びついて、いっそうはっきりした姿を現していることがわかります。
(1)金融危機以前には消費の拡大にささえられて「好況」だったというアメリカの実体経済も、実は、「架空の需要」にもとづくバブル的「好況」でした。そのことは、経済の活況を引っ張る先頭に立った住宅産業景気に端的に現れていました。住宅景気なるものは、実は、せまい消費市場をむりやりに広げようとして、住宅建設産業と銀行業界が合作した人為的なパブルでした。その手口は、"住宅価格はいつまでも値上がりを続けるから、借金してもローンの返済の心配はない" という「神話」を宣伝して、低所得の消費者をだまし、借金で住宅を購入させる、というやり方でした(サブプライム・ローン)。この手口による住宅販売は2004年ごろから急増し、アメリカの好況の最大は最大の推進力となりました。
   ここでも、バブルの根底には、マルクスが指摘した「架空の需要」がありました。具体的な形態は多少違って、商品(住宅)はともかく消費者にまでとどきはします。しかし、その消費者が支払い能力の乏しい相手で、結局は「架空」に終わる危険がたいへん大きい「需要」なのです。この「架空の需要」をもとに始まった住宅産業の拡大再生産は、最初から現実の需要から独立した「架空」の軌道を走ったわけで、それが破局に終わるのは、まさにマルクスが解明したバブルの法則どおりのことでした。
   消費者の借金で消費を拡大するというこのやり方は、アメリカでは、住宅だけでなく、自動車販売など他の部門にも広がっていました。結局、アメリカの好況は金融的な手段でつくりだした「架空の需要」によって大きくささえられていたのでした。
 (2)さらに重大な問題は、アメリカ資本主義が、この住宅バブルの足場の上に新たな〝金融バブル〟を組織したことでした。
   その方式は、住宅購入のための借用証文(なんの価値もない不良債権の借用証でしかありません)を、「金融工学」のエセ技術を総動員し、他の債権と組み合わせて高い利回りを約束された金融商品に仕立て、最新の有利な投資対象として鳴り物入りで売りに出すことでした。不良債権(サブプライム・ローン)からの変造物という素性をたくみにかくしたこの金融商品は、金融市場に投機的な価格高騰の高波を巻き起こして、もともとの〝住宅バブル〟の規模をはるかにこえる巨大な 〝金融バブル〟 となり、その〝金融バブル〟が、アメリカ主導の「グローバル化」体制のもと、資本主義世界の全体に輸出されたのです。
   架空の軌道の秘密を「見えなく」するというごまかしの作用も、「信用制度」と「世界市場」が相乗する形で、実に効果的に働きました。この金融商品に多額の資金をつぎこんで買い求めた内外の多くの投資家は、それが「サブプライム・ローン」などの不良債権からつくりだした変造品だなどとは夢にも思わなかったのではないでしょうか。

  (3)2007年に住宅バブルの崩壊が始まり、続いて08年に、〝金融バブル〟の大崩壊が起こったとき、その規模と震度は、実に衝撃的なものでした。全米で1、2を争う巨大な投資銀行が次々に倒産の危機に見舞われ、その衝撃波は、資本主義世界の金融経済の全体をゆるがし、さらにアメリカの実体経済の諸部門にも、危機の連鎖反応を引き起こしました。危機の波及の担い手となるのは、金融経済の世界では物の流通ではなく、ITの網の目で瞬時に世界を一周する金と情報の流通ですから、危機の連鎖が波及するスピードも、それがもたらす破壊力の大きさも、ともに絶大なものがあります。こうして、アメリカ主導で世界に広げられた金融経済主導の逆立ち経済は、矛盾を緩和するどころか、それを極限まで押し広げ、住宅バブルの破綻に始まった危機を、全世界、全産業をゆるがす巨大なものにしたのでした。


不破さんの「未来社会論」ー1ー

2018-09-14 21:39:42 | kaeruの『資本論』

   1867年9月14日に『資本論』の初版が出版されました、今から151年前です。日本では今年は明治維新150年ということで、NHKの大河ドラマも「西郷どん」です。

   当時の日本社会は資本主義体制に入っていた諸外国からの圧力の下、封建社会から抜け出そうともがいていた時代でした。その頃マルクスの頭のなかにはすでに資本主義社会の次の段階の社会が見通されていて、それが〝『資本論』のなかの未来社会論〟です。

   それを主題にした雑誌「前衛」10月号からの連載の第一回に不破さんはこう述べています。【〝『資本論』そのもののなかに未来社会の全体像を探る〟〜私としては最初の試みで〜】と。

   『党綱領の未来社会論を読む』は日本共産党綱領の未来社会論ーー具体的には党綱領の第5章「社会主義・共産主義の社会をめざして」を学ぶことを主題にしてます。

   ここでも不破さんは、〝日本共産党綱領の未来社会論のなかに、マルクスの理論がどう生きているのか、21世紀の日本と世界の情勢の発展に即して、マルクスの見地のどのような現代化がはかられているか、を勉強して〟いくと述べています。

   さて、「kaeru の資本論」は何を勉強するか、ひと口にいうと我が人生の最終期は日本社会の次の段階とどう繋がっていくのか、がテーマになるのでは、と思います。天国に持っていくには相応しいテーマであり、それを学んでいる間は天国行きも延ばせるにではないでしょうか、難しければ難しいほど先に延ばせるというものです。


「最後の挑戦」と「締め括りの資本論」

2018-06-21 01:16:26 | kaeruの『資本論』

「資本論」にはご無沙汰が続いていたら、前回紹介しました友人のYさんから「資本論学習まとめ」が送られてきました。その表題が「最後の挑戦」。先月で80歳になったことで青年時代から学んできた「資本論」に改めて挑戦しよう、人生最後の挑戦だ、というわけです。

   私も地域で進めてきた購読会が最終段階で仕上げられずにきていたので、改めて全体を学ばねばと思っていましたので、Yさんに応えて「人生締め括りの資本論」と名付けてみました。

   Yさんともども「資本論」のどの頂上までたどり着けるかわかりませんが、ただひたすら登るという体力もないでしょうから、変化する景色も楽しみながら歩を進めたいと思います。

まず、昔の「資本論講座」の卒業作文を書き起こして、第1歩とします。

これは44年前のものです。

 

 【「資本論」講座に参加して

ある著書を学ぶ場合、著者がこの書によって果たそうとした目的と、自分が学ぶ目的が合致していればいっそう正しく深く理解できる。

「資本論」は何のために書かれたのだろうか。私は何のために学んだのだろうか。講師(宮川實氏)は「『資本論』はプロレタリア党のために書かれた」ことを強調した。それは「労働者階級に資本主義の本質を理解させ、自らの階級的使命を自覚させるため」である。

マルクスが、家主からの執達史に追われ、「肉屋からの手形絶証書」を送られ、「石炭と食糧が欠乏し、妻は病床に横たわっている」状況のなかで、「猛烈に勉強している。たいてい朝の4時まで」も研究したのはすべて前述の目的のためである。

だからこそ「ドイツの労働者の広い範囲にわたって『資本論』が急速に理解されだしたことは、私の仕事への最上の報酬である」とマルクス喜びを語った。

さらに付け加えるならば「(フランス語版が分冊で発行されることに対して)この形式によれば、この著作は労働者階級の手にもっと入りやすくなるでしょうし、その点の考慮こそ、私にとって他のなににもまして大切なのです」という言葉。

これらの言葉に私は励まされる。

マルクスが語りかけてくる労働者階級の一員であることに対して誇りを感じる。もちろんその意識と自覚は浅い、それだからこそこの講座にお参加したのだが、どれだけ深まったかは疑問だ。しかし多くの仲間とこの講座で学ぶなかでこの日本でも「偉大な理論的感覚が……労働者階級のなかによみがえっている」と言えるのではないかと、と思えた。何人かの仲間たちの話は、この日本の労働者が職場で直面している課題を明らかにしその解決のため正しい理論が求められていることを示していた。

ここでもマルクスの注意を思い起こさせる。「一般的原則と自分が熱中している直接的問題との連関を知りたがる……読者が、どんどん先に進むことができないからと言って読み続けることがいやになりやしないか」。

マルクスは私たちに期待しているのだ。「私の想定している読者は、なにか新しいことを学ぼうとし、したがって自分自身で考えようと欲する人なのである」「真理を求める読者にあらかじめ注意をうながし、覚悟をさせておく……。学問には平坦な大道はありません。そして、学問の険しい小径をよじ登る労苦をいとわないものだけが、その輝く絶頂にたっする見込みがあるのです」。

私が労働者階級の意識と自覚を自分のものにするためにはこの労苦を避けてはならないのだ。仲間と共に生涯の課題として。】

生涯という舞台の最終場面で、44年前の自分から「君のセリフだよ」と示されて、下を向いてモグモグしているわけにもいきません。

マルクスの言葉「覚悟をさせておく」を最後に記しておきます。


人生最後の資本論学習。

2018-04-24 18:48:18 | kaeruの『資本論』

   友人Yさんからの手紙に「資本論」との出会いが書かれていて、「こうした経過を経て、身体的な衰えも見通して、最後になるだろう資本論の学習を考えている」と結んでありました。


    私より一つ下誕生日がくれば80歳、資本論との出会いは30歳の時と書かれています。その時は「残念ながら、途中で読むのを断念」したが1990年に新日本出版社刊13分冊の『資本論』を購入したのを契機に、6年半ほどで第1分冊を読了。

    その直後民商事務局を退局しています、59歳。

    退局後集中して読まれたようで、1ヶ月で第2分冊読了、第13分冊まで読み終わったのが98年2月とあります、第3分冊からの11冊を7ヶ月ほどで読み通したわけです。

    これは早い! なによりもこのエネルギーには敬意を表します。私の頭ではとてもこのスピードについていけません、が実感です。

  そして改めて思い出すのが、Yさんが会議で発言するときの論理的展開の見事さです。県下の民商事務局長会議がその場でしたが、ある時会議の休み時間にYさんが席に残って文庫本を広げていましたので「なに読んでるの」とのぞくと、表紙を見せてくれました、レーニンの『唯物論と経験批判論』。そのことが印象深く残ってたのですが、今回頂いた手紙で一層深くなりました。

  「理論も大衆をとらえるやいなや物理的力となる」とはマルクスの言葉ですが、Yさんの発言が筋道たってこちらの心を捉えてきたのは、まさに彼の理論への研鑽にあったのです。そして理論が人間を捉えるには根源的な提起でなければならず、人間にとって何が根源的かと言えば人間に他ならない、とのマルクスの言葉を受けて考えてみます。

   私も彼も人生の最終の直線コースに入ったと言えるでしょう。人間稼業を重ねてきたおかげでこの「稼業」の表裏も少しは分かりかけている筈ですから、根源的な語りかけに挑戦してみなければと思います。その有力な理論として「資本論」への「最後の学習」にYさんと共に取組んでみようと思います。


資本論、44年前の自分から……、

2018-04-09 21:00:20 | kaeruの『資本論』

   ガラクタ部屋を片付けるということは、自分の足元の地層を掘っているようなものでした、過ぎた日々がこんがらかって出てきます。

その中の一つが、これです。

 

日付は1974年3月、44年前の「資本論講座」の卒業文集でした。私の記憶では「資本論講座」といっても第1部だけですが、3回受講したはずです。そして三回とも途中で行かなくなったと思っていたのです。

最初は20歳代その頃港区にあった「産別会館」、次がこの講座だったのでしょう30歳代です、飯田橋まで通ったようです、2回とも講師は宮川実さん。3回目が10年くらい前でしょう、横浜での講座で講師は宮川彰さん、この人は宮川実さんの娘婿ですから私は親子二代に渡って受講したわけです、しかし彰さんの講義はどうも馴染まず最初の頃の回で行かなくなった記憶があります。

 いま考えると、20歳代30歳代での「資本論講座受講」の気持ちの中に「資本主義の全般的危機論」の裏付けを知りたいという思いがあったと思います。世界史が一路資本主義から社会主義へすすむ、その情勢理解の根拠の一つがこの「危機論」でした。講師の宮川さんの著した本にも全般的危機論を解説したものを読んだ記憶があります。

それだけに資本論講座受講に対しての期待と熱気があったように思います。若い時期の熱気と同様のものを期待して70歳前後に改めて受講してみるとその種の熱気が感じられません。代が代わった宮川さんでしたが、講義は丁寧で資料も日常のものから豊富に出されるのですが、何か物足りない、で足が遠のいたのでした。

さて、下の一文が当時の私の卒業感想文でした。これを書いた記憶もないしこの講座を卒業まで通った記憶もないのですから、これを手にして驚いています。

8ヶ月で30回の講義、どれほどの回数を出席したのかこれも記憶なしですが、このなかに班別の名簿があり11人のなかに覚えがある女性の名前があるのです。確か一時期賀状ももらった人でしたが、どういう繋がりで知り合ったのか? だった人でした。

こうなると資本論講座の内容より一人の女性の方が深く記憶に刻まれるという30歳代だったことの証明です。

 感想文を読むとそれなりのことを書いています。

近いうちに書き起こしをしておこうと思います。いまどういう気持ちで「資本論」に向かうべきかを考えるためにもやっておくべきでしょう。


挑戦したい「不破資本論」。

2018-01-31 15:02:14 | kaeruの『資本論』

大層なタイトルにしたためか、文字入力に4度失敗ししました。

取り敢えず写真だけ置いておきます。明日タブレットの調子がよければ言葉を入れます。


31日です。

これは「しんぶん赤旗」に出た広告です、昨日でした。

   こちらの本の山は…いいえ、本の塔は一番底が1982年発行の本で一番上が広告の本です。

その2冊を並べてみました。

《『資本論』と今日の時代》1982年と2018年の《『資本論』探究  全三部を歴史的に読む 上》の間に36年間の時間が挟まっています。

   この間に日本共産党は綱領を改定しています。第23回党大会は2004年に開かれましたが、その改定報告を読んで不破さんが「特に力を入れた」改定部分として「第五章  社会主義・共産主義の社会をめざして」について触れた時、私は「オヤ?」と感じたことを記憶しています。

   その後いくらか勉強しているうちに、不破さんの資本論研究の発展が綱領改定の基本にあり、そこから「力点」も出てくることかと分かりかけてきました。それは資本論そのものの研究を通じてマルクスの生涯を丸ごと理解する作業だったと思います。

   先程の「本の塔」のなかに《マルクス『資本論』発掘・追跡・探究》がありますが、これらの全体は「マルクスを発掘し、追跡し探究した」過程の「書の山」だと思うのです。

   そのように思うと、目の前に聳えているだけに挑戦したい、と思うのです。自分の足で富士山の頂上に行ってみたいと思いつつ、行けずにきてしまいましたが、この本の山には頂上というのはないでしょう。登ればその上が見えてくる、そこを目指せば更にその上が……、そういう頂きが目の前に見えてきた事が生きてきた証だと思います。


こんな論稿にも目を通すようになりました。

2017-11-11 21:19:39 | kaeruの『資本論』

   一昨日『資本論』との関係で柄にもなく恐慌のことを書いたのですが、昨日買った雑誌「前衛」に、

 

   この論稿があり、これは有り難い、復習になると思い目を通しはじめました。もしこの記事が先月号でしたらおそらく頁をめくって終わりだったでしょう。金融恐慌にも資本論にも関心がありますから、パラパラめくりながらも何を言っているのか? やはり分からない、と思いつつめくり終わるだったでしょう。

   今回は、まだめくり終わる段階までいっていません、少なくても読み進めつつ頁をめくる水準にはなっています。とはいえ微熱込みに脳味噌ではとてもこなしきれないのです。ともかく一番最後の部分を手掛かりに読みきろうとは思います。

  最後の8行分、

「当然のことながら、マルクスは、現代の国際金融危機=世界的大恐慌を予測していたわけではない。それにもかかわらず、それを理解するにあたり、これほどまでの示唆を与えていたわけである。やはり、マルクスは偉大であったとしか表現しようがない。同時に、『資本論』第1巻の刊行150周年を迎える今日、現代資本主義の分析のためにも、まだまだ『資本論』から学ぶべき点の多いことが再確認されるべきであろう。」   

  要はこの論稿を通じて「現代の金融危機」を理解するうえで、『資本論』がどういう「示唆を与えていた」かが理解できたか、が問われているわけです。それはこういうことです、と書き記すことができれば『資本論』第3部第5篇第30章31章の復習が出来た、と言えるのでしょうが、果たして書き記すことが出来るのか? 

  挑戦してみましょう。


突然崩壊が起こるまでは、……

2017-11-09 20:25:59 | kaeruの『資本論』

  「資本論第3部第5篇第30章」と書いていてもタイトルと繋がらないのですが、この第30章にこういう記述があります。

  「事業は、つねに、まさに崩落の直前にこそ、ほとんど過度に健全に見えるのである。」として1857年8月に恐慌が勃発するちょうど一ヶ月前に、銀行役員や商人たちが互いの事業の繁栄と健全さを祝福し合った、ことを指摘しています。

   この年から62年後の1929年アメリカはニューヨーク・ウォール街の10月24日(暗黒の木曜日)が世界大恐慌のはじまりでした。その年の3月には時の大統領・フーバーは就任演説でアメリカの繁栄を謳歌し「貧困の克服は間近い」と言い、それが空言とは響かない浮かれた気分がアメリカを覆っていました。

   マルクスは「資本論」を通じて恐慌の解明に力を注いでいます。今回私の報告担当の第30章31章はその部分にあたり、勉強になりました。

   この章についてはマルクス自身が「信用制度に関連してわれわれがいま取り組もうとする比類なく困難な諸問題」と書き出しているようにkaeru の軟弱な頭では歯が立たないのです。さらに編集に当たったエンゲルスが「序言」に曰く、

「主要な困難をきたしたのは、この第3部全体のなかで実際にもっとも錯綜した対象を扱っている第5篇であった。〜第30章は、置き換えや削除によってでき上がった」と。

   こうなると私は案内なしに第30章の密林のなかに入って行く気力が出てきません、身体も本調子ではないのだからここは道案内優先で進もうと本文から離れ不破さんの案内に頼りきりでまとめました。不破さんの『資本論』研究の中心に恐慌論の研究があり、それをテーマに《マルクスと『資本論』 再生産論と恐慌》を著しています。今回の報告文つくりではその内容を読取ることが出来ず、専ら不破さんの《代々木『資本論』ゼミナール》の該当部分を写し取ったという水準でした。

   それでも報告してみると、自分でも新鮮は思いがし聞き手からも今までの恐慌理解と違うなどの意見が出されました。再生産過程への銀行資本の投入が取引に与える影響が検討され、それが「取引が非常に堅実で〔資金の〕還流は順調であるかのような外観が長く存在」し続けるという危険な進行の要因になって行くのでした。

  話が一転して、先の「暗黒の木曜日」に繋がります、

全文はhttp://www.mag2.com/p/money/331870  で。

   こんにちの株価が「不気味」といわれる水準であることは、株に縁の無い私には実感に繋がりませんが、注目しなければと感じています。今日の「しんぶん赤旗」の「データは語る」によれば、1月〜10月の通算で国内法人、個人が売り越しに対して海外投資家のみが買い越しだそうです。「総選挙で安倍政権がこうした株価つり上げ政策を継続する方針を示したことで海外マネーの流入がさらに拡大しています」と記しています。

  株式市場はもちろん、日本経済の行くへなどどう展開するのか全く予測する能力はありませんが、その動きの本質を見る目は養っておかなければならないのです。『資本論』の魅力に魅せられつつあります。