kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

風邪と選挙と資本論

2017-10-27 20:15:54 | kaeruの『資本論』

   以前も落語の三題噺というような書き出しだった時がありました、その時と同様何か言い訳めいたことがあってそんな書き出しなのです。

  今回は資本論、タイトルの意味するように風邪で資本論の講読会をのばしてもらい、選挙だというので更にのばして昨日開いた、という話でオチも何もないことでした。

  それだけではつぶやく値打ちもないので色をつけると、昨日gooから「1年前の記事」が送られてきました、

  これを見るとこの1年間で第2巻第2篇第12章から、昨日終わった第3巻第5篇第29章まで講読会として続けてきたのです。そのなかで自分はどれほど学んだか、汗が出る思いです。汗といえばいまだに朝方寝汗をかく、頭がハッキリしない、これも言い訳のひとつでしょう。

  一年前と言うことは同じで「とにかく読む」。次は報告者です、第30章31章を報告しなければなりません。第30章「貨幣資本と現実資本 I」31章「同 II」です、せっかく秋晴れの空になったのですから、頭も秋晴れにして難問に挑戦しなければ……。


資本論の時間。

2017-09-29 23:45:13 | kaeruの『資本論』

   今日は資本論の講読会で、自分の報告ではないがゼロ状態ではダメだと思い午前中該当部分に目を通してみました。と言っても『資本論』本文でいくと第三巻p663から766、とても読めるものではありません。

   例によって不破さんの『講義集』なら50頁ですから、と思い目は通したのですがここはかなり大変なところでした。第三部第24章から第27章まで、24章は別にして25章から「信用論」ー信用制度のもとでの資本の運動の研究ーに入るのですが、これが大変なことなのです。

   「ことなのです」などと理解したような書き方をしましたが、とんでもないことで、不破さんの本では、信用論の草稿がなぜ未完成となったのか」と見出しがあり、「信用論というのは、『資本論』第三部の草稿のなかでも、いちばん未完成な部分です。」とはじまり、マルクスが信用論については他の部分と違い下書きなし準備なしで「『資本論』の本文をいきなり書き始めた」のでした。

   不破さん「私は、ここに、信用論草稿の未完成の粗さということの根拠がある」と思うと言ってます。ですからエンゲルスも編集には大変苦労をして三度も失敗した、と手紙に書いているそうです。

   不破さんはマルクスの資本論草稿の研究も踏まえ、エンゲルスの編集の仕方には、かなり大きな問題があることが分かってきたと記しています。そして、講義集では「マルクスの草稿の組み立てと、それをエンゲルスがどう編集したかのあらましを、比較し」一覧しています。さらに、「現行第二十五章の問題点」を指摘し「マルクスの草稿の原型を復元する」として「復元版」を示してくれています。

   そういう部分であれば一筋縄では分かるわけがない、と悟って午後参加してきました。報告者は無難に報告書をまとめ淀みなく報告し終わり、筋の通ったと思われる話で、不破さんの指摘を持ち出す場面も見出せず、これはこれあれはあれなのか、と意味不明の納得で帰ってきたのです。

   それにしても、大書『資本論』も次には最後の巻に入る訳で、頂上が見えてきたの感です。今日も論議中に「今回の解散騒ぎ新党騒ぎも、結局は日本の政治の行き詰まりから来ている、その元は経済の行き詰まりだ。そこをどう打開していくのか、そこに根元がある。」などとの喋ってきました。

  『資本論』学習の効果は、「政治の奥に経済あり」の視点視野を持つようになり長期の見方ができるようになっていることかも、と思います。


1867年9月14日…、いやはや「資本論」

2017-09-13 21:50:30 | kaeruの『資本論』

150年前の明日のことなのですが、その前に、

150年前の7月25日の日付、マルクスが『資本論 第1部』を書きあげ出版できる状況までにいった日です。その一ヶ月と20日ほど後の9月14日に待望の第1巻は世に生まれ出たのです。

14日ですから明日つぶやけばいいことなのですが、実は今日が定例の資本論講読会でした、それを私の都合で延期してもらい予定を狂わせ迷惑をかけたのです。それでこの場に爪のあとくらい残しておこうと思いました。

もう一つの理由は、『資本論』の訳本についてです。それぞれ特長があるでしょう、講読会参加の四人がそれぞれ違った訳本で出ているのもなかなか面白いのです。

その中で私の使っている、

新日本出版社版、上製本なら5冊新書版13分冊ですが、最近の自分の経験で「これは良い」と思ったことを紹介したい……、と思ってその頁を探して見たのですが、見当たらないのです。

要は、資本論の草稿にもとづいて正確に訳し出されていることです。その例として、草稿に記されている{ }がキチンと文中に記されているのです。その部分はマルクスが執筆中に、浮かんできた考えをそれまでも論理の展開とは離れて書き込んだ部分なのです。草稿には{}がされているのですが、『資本論』では外されているのです。

念のため岩波書店版(文庫)、大月書店版の該当頁を見ましたが{}がないままでした。

確か自分が報告をした時の頁だと、何度か頁をめくり目を通したのですが、見つかりませんでした。多分ヒョッコリ出てくるでしょう、そうしたら紹介します。それにしても頁をめくりながら思いました、こういう論理の積み重ねが分厚く文字になって目に迫ってくると、まるで迷路のなかにさまよい歩いているの気分になります。kaeruのような雑な脳にとって一ヶ月近く資本論的ページから目が離れると、論理展開が読み取れなくなるのです。

いやはやせめて一週間に半日くらい目をならしておかねば、と思いました。


切れぎれ『資本論』

2017-08-25 21:01:31 | kaeruの『資本論』

まずは「切れぎれ」ではない資本論、

おなじみの「しんぶん赤旗」にあった「資本論」に関するもので、短いけれど本物です。

ではこちらは、

一見、いや何回見ても「資本論」に縁がないようですが、これから縁ができるかも……という図なのです。この集まりは「民悠会」の暑気払いで昨日の昼間の川崎市内某所、こちらも

場所は替わりましたが市内某所のカラオケ会館の一室、暑気払いのメンバーに誘われ行き着いた先です。「民悠会」については同じ釜の飯食った仲間の親睦会とでもいえます。

それが「資本論」と繋がるのは暑気払いの席上、ある人がこれから三年間の予定で「資本論」を読み通してみる、と思いを披露されたのです。かねがね隙あらば「資本論通読会」をこの仲間に持ち込みたいと思っていましたので、手掛かりが出来たと感じたのでした。

それをカラオケの部屋で主張しようと思いましたがやめました、然るべき機会が来るでしょう。

さて、今日は地元の「資本論講読会」、前回報告当番でしたので今回は聞き役、ということは何も準備せずの「資本論第3部 第22章23章」でした。でも前回第21章を報告していたので繋がりがあり、論議はなかなか面白く自分の目で通読してみようと思い、不破さんの《『資本論』全三部を読む》の該当頁を開くと23章について

この章は、第五篇の前半部分では、いちばん大事な章です。

とありました。

そして、

利子生み資本が問題になるというのことは、資本家という階級のあり方という角度から見ると、資本家たちが、貨幣を貸し出す貨幣資本家たちと、その貨幣を借りて産業や商業を営む産業資本家たちおよび商業資本家たちとに分化するということです。ここでは、資本家たちの分化および分化した資本家たちのあいだの関係が、研究されます。

とつながっていきます。

今日の論議でも出されましたが、マルクス時代と比較すると圧倒的な金融資本の巨大化が成し遂げられている現在資本主義を正確に理解するには、ここが大事だ‼︎ ということでしょう。

ならば、自分の目で読み頭で考えておかなければ、あとが大変でしょう。全3部3772頁あって全部大事だ、なんていうことはないのです。信頼できる人が水先案内人として「ここが大事」というところは自分のものにしておく努力が、それこそ大事なのです。

ということで「切れぎれ資本論」でも大事なところを継ぎ合わせれば「資本論大事集」が作れて、自分の身の丈に合った「資本論頭」になるのでしょう。


革命家マルクスの決断 下

2017-08-14 19:12:46 | kaeruの『資本論』

国際運動に本気で取り組む

昨日の「革命家マルクスの決断 上」で「マルクスが、『資本論』の仕事と運動上の任務と、どちらを選ぶか」の選択をせまられた時期が2回ありました」と書かれていました。1回目が昨日の「フォークトの反共攻撃に直面」した時です。2回目が今日の掲載ですが、この2回目の内容を昨日想像して【明日は多分、友人であった医師のクーゲルマンとの「仲たがい」のことでしょう】と、ブログでつぶやきました。

これは外れました、しかしこの「仲たがい」の背景にはマルクスの第1インタナショナルへの実践活動があったのです。不破さんの『マルクス、エンゲルス百年』に「二人の仲たがいの原因は〜、マルクスが『資本論』の仕事をする一方で、第1インタナショナルなどの実践活動に力を入れることを、クーゲルマンが理解できない〜」ことだったとしてます。

不破さんは「理論活動と運動上の任務の統一」を示してきたマルクスの革命家としての姿勢を教訓的だ、と述べてこの連載の最後を締めています。


マルクスの未来社会論 ー3ー

2017-08-11 14:48:59 | kaeruの『資本論』

過渡期の研究

パリ・コミューンの教訓からー「環境と人間をつくりかえる」

『 ME全集17』p318 「フランスにおける内乱」

 

「奴隷制のかせ」からぬけだす

不破さんが“奴隷制のかせ” に触れてます。

《『古典教室』第2巻を語る 》   全体は、

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-11-22/2013112208_01_0.html


日本共産党綱領から

綱領全文は、

http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/Koryo/index.html



マルクスの未来社会論 ー2ー

2017-08-10 15:22:35 | kaeruの『資本論』

輝かしい未来像ーー人類社会の「本史」

『資本論』からの引用

冒頭に『資本論』新日本新書版の該当頁として13分冊の1434頁から1435頁が示されていますが、不破さんは『マルクス 未来社会論』のなかで、前の頁(1433)からの部分を「これから研究しようという、未来社会論」と示しています(下の赤のアンダーライン部分)。

ですので3頁分を載せておきます。

1433頁内(アンダーライン箇所より)

この頁は『資本論』3分冊の906頁で、不破さんが引用しているのはアンダーライン部分です。