17日に「第十六章パリ万国博覧会」を「つぶやき」ました、その続き「第十七章 王政復古」を読んでいましたら最後の方に、
「本稿の主人公」ブリュネ砲兵大尉と改めて記されていました。
『乱(らん)』が明治維新をどの角度から描こうとしたのか、それを誰を主人公にして描けば描けるのか、綱淵謙錠は史料資料の細部に入りながらも常に頭には方向が定まっていたことでしょう。
ところがkaeru の頭には史実の知識も無ければ、方向も確立していないため記述の流れに漂っている様です。さらに「西郷どん」の影響もあって「西郷」の名前が頁に見えると、そこへ目が移ります。
その結果、ブログの読み手の理解不能になることなどには気が向かず、ただ面白そうなところを点描しているだけでした。そこであらためて軍事顧問団に一員として来日したところから、ブリュネの足跡を追ってみなければなりません。
となるとかなり長くなりそうですので、今回は「王政復古」章のブリュネに絞ります。これにも西郷隆盛が絡んでくるのは写真の文中に「薩摩屋敷の砲撃」とあることでもわかりますが、この薩邸焼討ち事件に至る話としてこう書かれています。
【 西郷の受け持った〈後方撹乱〉戦術は、江戸を中心として関東方面で幕府を挑発し、武力抗争〈内乱〉にもちこむきっかけをつくることが狙いだった。そのため相楽総三たちは十月の初め頃から江戸の芝新馬場にある薩摩藩上屋敷、通称三田の薩摩屋敷を根城として、このいわばゲリラ戦に従事するのである。】
これが慶応三年十二月二十五日(1868年1月19日)の薩邸焼討ち事件へとつながるのです。この「邸焼討ち事件へとつながるので」が写真の最初の一行です。
来日後のブリュネの足跡は明日以降にします。