「スポーツ赤旗」的と言っても神奈川県版的、まあ、kaeru版でしょうか。
これですから、
それに今夜の成績を加えると、
去年の悪夢の交流戦を消し去る活躍を!セ界を元気付けて欲しいです。
そして広島と先ずリーグ優勝を争いましょう。
「スポーツ赤旗」的と言っても神奈川県版的、まあ、kaeru版でしょうか。
これですから、
それに今夜の成績を加えると、
去年の悪夢の交流戦を消し去る活躍を!セ界を元気付けて欲しいです。
そして広島と先ずリーグ優勝を争いましょう。
義父の七回忌を済ませました。ごく内輪でということで父からみると子どもと孫ひ孫の12名、予定していた孫にあたる石垣島の私達の娘が直前にギックリ腰で、ひ孫のひとりが来年の大学入試の模擬テストにぶつかり来れなくなりました。
この6年間に居住地では数少ない身内である妻の従姉妹夫婦ともう一人の従姉妹が亡くなっていたり、隣近所でも父を見送ってくれた隣と三軒先の方が亡くなっています。あわせて母の命日もこの月でしたし母の「二十一回忌」にもあたるので挨拶のなかでそんなことにも触れようと考えていました。
実際には挨拶抜きで献杯の発声だけで済ませてしまいましたが、おかげで「二十一回忌」などと言わずに済んでよかったと思っています。父の死から満6年母のそれからは満20年になるなーという思いがいつにの間にやら「母の二十一回忌」なるものを勝手につくっていました。回忌という日常には縁の遠いことは曖昧な覚えでいると妙な思い込みにとらわれるという話です。この種の知識は然るべき情報源に当たり正確を期すべきと、「回忌」で検索してみるとかなりの質問と回答のやり取りが読めました。
死者の魂は迷わなくってもこの世に生きている者はかなり迷っているようです。
この自転車、バッテリー付きで坂道などを楽にのぼるという物です。
小父さんから半年前に頂いてあったのです。小父さんは80余歳まで乗っていたのだがある日登り坂で車を避けようとして前向きによろけたそうで、それ以来乗らない、持って行って良いよ、というのでもらってきました。
自動車は結局免許取れずに終わってしまいましたが、自転車には自信ありです、とは言え二十数年間乗っていませんから慣れるのに多少時間が必要とは思っていました。ところがこれが大変、自転車乗りの感覚が戻ってきません、それに電動の入り具合がつかめない、もちろん坂道を下る快適さは「人生下りが最高!」の気分ですが、人生と違って坂道を下れば登りが必ずついてきます。バッテリーの分だけ重い物を押しながら「下りはヨイヨイ、上りはキツイ」を味わっています。
足の筋肉が痛むのは歩く時の筋肉とは違う所を使うからでしょう。多分それは足にとって良いことではないかと思います。もう少し経ったら「下りものぼりもスイスイ」になろだろうか。
小父さんの家で酩酊してきました。小母さんの月命日は明日なのですが、他に予定があり今日お線香をあげに行って来ました。
小父さんの家で久しぶりに相撲を見て、安美錦の頑張りを感心しながら観ました。その前の何人かの取組で足にサポーターを巻いている力士が大体負けていて、小父さんと矢張り足に踏ん張りが効かないからでしょう、などと話していたのです。
ところが、両方の足を大きく巻いている安美錦がなんとそれまで6連勝、そして目の前で7連勝目を上げました。体育系でない私にとっては相撲も門外漢ですが、素人目にもこの競技にとって足腰の大切さは分かります。
スポーツだから特に足腰が重視されるでしょうが、日常の生活の要も足腰でしょう。その意味で昨日届いた健診の「骨密度測定結果」を見て、我が意を得たりでした。
「あなたの音響的骨評価値は、3.366です」 「同じ年齢と比較して、133% に相当します」
「若年成人時と比較して、115% に相当します」と書かれています。
健康以外自慢するものがないと思っていた、しかしそれも風邪などで自信を失ってきたところですから、この評価はありがたいです。
アルコールの勢いで自慢話をしました。
でも遺品についてつぶやきました。その後も小父さんから頼まれ遺品の整理
に妻が当っています。 昨日は衣類を引き渡すということで、その整理を手伝い
ました。 とりあえず上着類だけを持って行ってもらうことになり、ビニール袋に
詰めて渡せるようにしたものがこれです。
片づけてお茶にしようと小父さんの部屋に行ったら、電話が終わったところで
カタログ業者に配付を断っているところでした。今日で4件だそうで、衣類関係
だけでなく年末年始の食料品関係も分厚い物が届いたばかりでした。
片づけた妻の話だと殆どが通信販売での購入だったようで、小父さんも支払
いに大変だったでしょうと。
たしか昨日のテレビで 「生前整理」 の有りさまが映されていました。 横目で
見ながらでしたので概略ですが、余命1年余と言われた高齢者(男性)が、自
分の持ち物を整理している話でした。それ以前に奥さんを亡くしその遺品整理
についても触れていたようです。
この人のように生きている内に整理をと限られた期間を頭において整理に入
る前に、すこしは余裕をもって取り組まねばと小生も思い、手にしたのがこのテ
キストで、拾い読みをしたものです。
小母さんの遺した衣類を詰めながら、トルストイの作品 「人にはどれだけの
土地がいるか」 を思い出していました。
上が26日の大根畑です。覆いは先日の台風に備えたままの部分。
下が2014-10-04 で紹介した時の写真です。
この間の15日にこの畑のもう一人の主であったE夫人が亡くなっています。
そして、キャベツ畑です、右の男性が85歳のEおじさん左がkaeru夫人です。
ここの土起しをやったのがいわか農夫のkaeruです。そのあとキャベツの植え
つけにも手を出したのですが、途中で夫人が手を丸めて「キャベツはこう丸く
なるのよ、これでは間が狭すぎるでしょ」と言われやめました。
力仕事専用で、ここは道路とつながっていないので耕運機など入って
来れません、もっぱら人力頼みですので失業しません、お役に立てる
間は。
この畑へのかかわりが小父さんの楽しみでもあり、大きくいえば生甲斐
でもあります。東北に戻った息子さんは部屋を用意しておくから一緒に
暮らそうと言ってくれたが、あちらには行きたくないと言われます。
長い仕事関係の地域はこの付近ばかり、趣味の仲間もここには居る、
身体が動く間はと言われます。
私達夫婦も10分位のところですから、夕食時を一緒に過ごし、晩酌も
お付き合いしています。毎日の食事の一部は配食センターからのもの
で済ませているとか、身近に独居老人の暮らしにかかわり知見が広が
り、何をすべきを考える場になりました。
先日大根の畑づくりを手伝ったおじさんから、キャベツの植え付けのための畑の掘り起こしを頼まれました。このおじさんが先日亡くなった方の夫に当る人です。
大根畑の倍以上の広さでやりがいがあると同時に体も疲れました。
帰りに、これは飲むかねと言ってくれたのは、賞味期限8年前のインスタントコーヒー、
頂き物で残っていたのだそうです、捨てようと思っていたとのことです。飲める物なら何でももらいます、と頂いてきて、今飲みました。
旨いです、ジヤマイカナンバーワンブレンドと書いてあるがなるほど賞味期限に関係ない旨さです。
スマホの投稿欄について。
スマホでは投稿欄に書き込みが出来ない、とつぶやいたのですが、何のことはない、書き込み設定が間違いていたのでした。器具の扱いをしらずに文句を付けていた訳で、勉強不足でした。
人の評価は棺をおおってのち決まるとか言われます。全生涯が終り功罪が
明らかになって後でなければ評価できない、というわけです。
もし、あなたが亡くなってみて、その後にどんな話が取り交わされるか?
ここでノーベル賞の元になったアルッフレッド・ノーベルの話になります。
ノーベルは1896年12月10日に亡くなっていますが、その前に一度死んだと
報道されました。それは彼の兄の死をノーベルと間違えたのですが、その報
道の内容が、痛くノーベルを考え込ませました。
そこにはこう書かれていました。
「可能なかぎり短時間で大勢の人間を殺害する方法を発見し、巨富を
獲得した人物が昨日死亡した」と。
この記事がもとで、ノーベルは自分の死後の評価を憂慮し、ノーベル賞の創設
を遺言に記載したそうです。(この部分は下記のテキストによります)
通夜や葬儀には故人の親族はじめ、色々な関係の人々が集まり、故人
を偲びます。直接故人に関係することばかりでなく、その系図的なつなが
りがあって、意外なことから自分との関係の知られざる糸が見えて来たり
します。それは故人の再発見であると同時に、自分の再発見でもあります。
「死後の評価」のことは別にしても、こういう機会に耳を傾け話を交わす
ことは人に関する見方を深めるためにも得難い機会であることは間違い
ないでしょう。
15日夜、葬儀社との打ち合わせで斎場との関係で遅くとも通夜と告別式
は日曜月曜になるだろうという話でしたが、結局月曜火曜の日程になりました。
15日が水曜でしたから1週間近く自宅に安置されることになっていたのです。
そして、今日納棺ということで、午後夫婦で伺いました。
三途の川へ向かう旅姿ということで、手甲脚絆に形どったきれを脚と手に
結びます。夫に当る小父さんと息子さんによって脚絆がつけられ、縁者が
紐を結びます。私も縁者のひとりとして、手甲の紐結びをしました。
胸には三途の川渡りの賃料に当る壱文銭が六個描かれたものが置かれ
ました。
これらの儀式を通じて、死者になっていく者へ惜別の情が整理され、実
感として受けとめられていくのです。
死の直前の1箇月をこえる闘病と危篤と言われた以後、1週間をこえた
姿は、まさに命を絞り出しきった姿でした。ある意味では、やっと安眠でき
たのか、ここから永眠という時間が始まるのかと棺に納まった故人を思い
ました。 合掌。
明日午後、通夜の会場へ向かう遺体に同行し、遺族と一緒に車に乗る予
定です。
15日夕方妻の従姉が亡くなりました。
伯父から私達夫婦に泊まってくれとのことでしたので夜9時近く伺い、丁度
病院から遺体が自宅に着いた時でした。葬儀社の係は私達の父の葬儀で
世話をしてくれた人、その人ともう一人に抱えられた伯母が自宅の部屋に
横たわります。
その部屋は正月をはじめ私達が訪れると、そこで伯母の手料理を頂いて
いた場所です。 行った時には何となくざわついた部屋も枕飾りが置かれ、
葬儀社の人も帰り静かになりました。
ひとり息子は危篤の連絡で来て、一週間いて病院の判断もあり三日前に
仕事先に戻っていたので、死に目に会えませんでした。こちらに着くのは
16日午後になるといいます。
今夜は枕元には夫である伯父と従姉夫婦の私達の三人、線香に煙を絶や
すことなくと言っても、夜中の二時近くには横になろうと話し妻が線香を火を
つけ香炉に差しながら 「布団が動いているみたい」と言います。
私も脇にいたのでよく見ると微かに上下しているように思えるのです。 枕元
の伯父が布団をかるく押えます、伯父にも動いていると映ったのでしょう。
この現象は心象というべきことでしょう、そんな風に思いながら見ていると動
きが止っています。
翌日は伯父と家の中の片づけ、六畳の部屋は送られてきた段ボールで一杯、
近くに住む従妹にあたる人が仕事の合間をみて駆けつけ手を貸してくれて、片
づけは午前中に終わりました。
改めて主婦の手が届かない家のあり様を実感する機会でもありました。 この
二三年入院と退院の繰り返しだった家です。夫も80歳をかなり越えている身体
で、日常のことで一杯だったのでしょう。
遺品のなかに彼女が描いた墨絵が多くあり、素人ながら各展覧会の会場に
飾られてきたものだということは、絵につけられている「紹介札」で分かります。
次の夜、伯父と息子さんとのビールを飲んでの会話に妻と共に入り込み、
そのなかで気に入ったものを頂くことになり、思いのつながる何よりのもの
だと思いました。