1844年8月28日、エンゲルスはロンドンからドイツへの帰国途中、パリにより、夕方マルクス宅を訪問しています。その時の状況をマルクスとエンゲルスの生涯を描いた伝記小説『プロメテウス』(ガリーナ・セレブリャコフ著)が次のように描いています。
(セレブリャコフについて、
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%
E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%96%E3%83%
AA%E3%83%A3%E3%82%B3%E3%83%AF )
なお、セレブリャコフがこの伝記小説を「プロメテウス」と名付けたのは、この絵で説明されます。
これはマルクスが編集長を務めていた『ライン新聞』の発禁に対する風刺画(1843年)で、プロメテウス(マルクスのこと)が印刷機に縛り付けられている。文部大臣《リス》にあやつられたプロイセンの鷲がプロメテウスの肝臓をついばんでいる図。
さて当時の日本は?
天保年間で目についたのが、「大塩平八郎の乱」「蛮社の獄」など。