小林計一郎著『真田幸村』によると、大坂夏の陣で戦いが終り真田幸村の首は、戦場で家康の実検に供されたとのことです。その時三人の武将の首が家康の元に差し出されました。
三つの首とは真田幸村、御宿監物、大野道犬(治胤)です。幸村の首のひたいに古い疵があったので、幸村の叔父に当たる真田信尹(のぶただ)を呼んで、「幸村に間違いないか」と尋ねた。信尹は「幸村の額に疵があったかどうか、はっきり覚えておりません」と答えた。「去年、お前を幸村の許に遣わしたのに、面会して来たというのはうそか」、「夜行きました上に、幸村が警戒して遠くに座していましたので、よく見えませんでした。」信尹はけっきょく幸村の首を確認できなかったのです。
御宿監物は若いころ家康に仕えていたので家康はその顔を知っていて、「御宿めも歳をとったものだな」といい、最期のようすを尋ねた。討ち取った野元右近は「なぜか手向いしませんでした」と答えると、家康は野元をほめて帰らせた。あとで「御宿の若い時なら、野元などに首をとられることはなかっただろうに」といった。
さて、不思議なのは大野道犬の首。道犬は落城後十三日目の二十日に京都で捕らえられている。そうすると、八日に家康の実検に供された首は何だろう。家康側近の記録『駿府記』に、「戦場に於いて首実検、真田左衛門佐首・御宿監物首・大野道犬首、越前少将より持ち来る」とあるから、松平忠直の許から大野道犬の首だといって届けられたことは間違いない。ところが、当人は生存しているのだから、この首はニセ首に違いない。御宿の首は家康が知ってる者だったから問題ないが、真田の首もあやしいということになる。
また秀頼の死体も確認されたわけではないから、秀頼が幸村らを連れて逃げたという噂が早くからたったわけである。
以上、小林計一郎著より、太字はkaeru。
死んだ筈だよ、お富さんではない、幸村さんです。
そうは易々と消えはしません。
そうでないと、次の想像が出来なくなってしまいます
彼を守る十勇士は、あながち逸話とも思えません
いろんな話が聞かれて・・より一層楽しく
期待できます。
幸村の影武者は七人いたそうです。大坂夏の陣で討ち取られた幸村は実は穴山小助という影武者だったとかの話もあります。
義経の首も、夏で鎌倉に着く頃には、腐敗していて、判別できなくて
影武者説も出てますね。
義経の影武者は「杉目太郎」といって、実在したみたいですよ。