パソコンの調子がよければ見ていただけるのですが、一年前の「kaeruのつぶやき」が届きました。「てんがらもんラジオ116回」目でした。昨日が166回目でしたからこの1年間で50回放送された訳です。
今改めて視聴しはじめおゃ?と思ったのが、ゲストの姿が見えなかったことでした。当時は一定の時刻にならないと顔を出さなかったことを思い出しました。やはりこの間に改善された点でしょう。
実は今日の「徹子の部屋」で103歳の日野原重明先生の姿を見、話を聴きました。昨日は94歳で今日15日に95歳になられた瀬戸内寂聴さんをNHKの番組で視聴したのです。それらと合わせて一年前のブログで老害ではなく老益こそ広がるべき言葉だと思ったことをより強く感じたことでした。
瀬戸内さんは若者の集会に立って「青春とは恋と革命だ!」と熱ぽく語っています。日野原先生の好奇心の発揮は最近始めてヘリコプターで空を飛び、ソフトボールで打席に立ち見事に球を打ち返しています、これも始めての経験だそうです。
大志を抱くことを青年だけのものにしておく必要はありませんし、瀬戸内さんの向こうを張っていえば、「老年もまた恋と革命だ!」と心を込めて言ってもいいでしょう。未来は青年のものだ、としても同じように「短ければそれだけ内容の濃い未来が老年のものだ!」と云うべきだと、まだまだ100歳にはほど遠い若年者のkaeruのつぶやきです。
青春を謳歌しています・・・その青春について
サムエル・ウルマンは熱く語っています。
減っていく子供に代わって増えていく高齢者
ただ歳を重ねただけの歳よりよりも、世間から
少々煙たがられても・・元気で声の大きな年寄り
でありたい。
時間の使い方のバランス
パソコン依存症?まで行かないまでも、かなり時間を費やしてしまいます。それは皆さんもきっと、似たところがあるでしょう。
そこには呼べば応えてくれる仲間がいるから。
でも、身の回りにもっとそのことをやっていかねばーーーと、時々思います。
身の回りをいつもきれいにしておかないと居心地が悪い。齢を重ねるごとにその傾向が見られます。自分の部屋、台所、居間。時に庭もですが・・・。
それを合間合間にやりながら、
家事は合間にやる。
本末転倒ですね。
以前ほど長続きしないので、休み休みです。日野原先生まで30年あるのに。
いくつかの塊から抜けて、自由な時間を確保したのですが、時々疑問に思います。
これでいいのかなぁ。
あれ何を言いたかったのかしら?
体が老いても心が若い場合は浪費をしないのやか、といえばそうとも言えません。ただエネルギーの発散出来ることは若さとは違うでしょう。老年の若さ、この矛盾した中身は賢さがあるか、でしょう。
人生の経験、特に歴史から学んだ知恵を備えているか、そこに未熟さには無い若さがあると思います。
価だと思います。
目の前を見つめている目と行く先を見通そうとし
ている目、自分を見る目と家族に向く目、肉体の眼
も左右があって遠近が分るのですから、心の眼も常
に左右の働きがあって正確な判断のもとがよせられ
るのでしょう。
ただ両方の眼で見ていてもぼんやりしていては正
確な像とは言えないのですから、すっきりと見える
よう目をぱっちりと、です。心の目の場合は書き出
すことがひとつの方法だと思います。