昨日の続きです。
をりからの雪にうけたる破魔矢かな 久保田万太郎
この作は空襲をうけて昭和二十年、鎌倉に転任した時代の作。正月に鶴ヶ岡八幡宮に詣でて破魔矢弓をうけた。神前にぬかずくと、神官がうやうやしく矢を授けた。折から雪が降ってきて、受けた矢羽根をさっとかすめた。いさぎよい感じの破魔矢に飛雪がとびかかって、ひとしお壮厳な感じと清浄な感じが加わる。一句の調べがまた引きしまっていて、めでたさのなかに颯爽たる感じを引き立てている新年らしい句だ
万歳の三河の国へ帰省かな 富安風生
昭和七年の作で作者四十七歳。季題は新年の「万歳」。暮から正月にかけて勤め先も休暇にはいる。故郷三河へ帰って父母を省み、なつかしい山河のただずまいにも接した。それにしても自分の故郷は「万歳の三河の国」である。歳旦の帰省にふさわしいことか。と心をほころばせている明るさが一句にみなぎっている。いかにも正月のめでたい安らかな風格を備えた一句である。
仰向けの口中に屠蘇たらさるる 日野草城
十年来の病床生活がつづき、今は元日がきても起きられず、妻から仰臥のままの口中へ屠蘇をたらたらと注がれて、新年を祝う作者である。何ともいえぬ哀れふかい、しかしさえわたった心懐句だ。新年のめでたさがここでは何か末期のめでたさという放下した感じで打ち出されている。作者はこの句をつくって二十九日目の、昭和三十一年一月二十九日に永眠した。
元日を白く寒しと昼寝たり 西東三鬼
この句にも正月のめでたさはない。昭和二十二年の作だから物資窮乏のころだ。元日がおだやかなればらるほど、敗戦後の虚脱感が空漠として胸にせまってくる。それが元日を「白く寒し」と感じさせた。人によっては年々のつづきの折り目にすぎないと思う元日もまたありうるわけだ。あの時代の敗戦日本の元日を見送った一日本人の心象をえがいた作である。
正月の俳句といってもさまざまである。
以上、昭和43年1月号の「逓信協会雑誌」掲載のものです。
ニュアンスと、雰囲気と、ルールを
知ることから始まりますよね。
たぶん、その前に小学三年生で俳句を
習うわけだから・せめて小学三年生の
国語くらいわかっていないといけないのかな
なんて、今の孫の参考書を眺めています
そんな中で、子供達の俳句が何故か
私には判り易く新鮮に見えます。
お正月孫と一緒に五七五
そんな孫も・・昨日帰っていきました
年賀状 私住所ちがえて いましたね。今向井女史に 尋ねられて気がつきました。(旅行資料しまい忘れで見つからないのでと)
素敵な賀状ができたので、明日には投函するとのことでしたよ。兄弟たち・お楽しみに。
子供から学べると思います。
年賀状の住所は気づきまぜんでしたが、名前はすぐ分かりました。昔の恋人に清二さんがいたのでしょう。
またまちがいさがし楽しめますね。それよりハガキが楽しみですね。